あわいに宿る
あわい——向かい合うもののあいだ。また、二つのものの関係。
“「あわい」に似ている言葉に「あいだ(間)」がありますが、このふたつは少し違います。「あいだ」の語源は「空き処(ど)」で、AとBに挟まれた空間を言います。それに対して、「あわい」は「合う」を語源とし、AとBの重なるところ、交わった空間を言います。” ——能楽師 安田登(*1)
2018年の『Raw Silk Uncut Wood』以来、映画音楽やコラボレーション、そしてLAはヴィラ オーロラでのレジデンスにおけるピアノとの深い再会(*2)を経て、5年ぶりに届けられたローレル・ヘイローのオリジナル・アルバム『Atlas』は、様々な面であわいを描き出す一作といえるだろう。
「官能的なアンビエント・ジャズ・コラージュの組曲」であり、「リスナーを潜在意識の中のロードトリップへと誘うようにデザインされている」というこのアルバムは、まずもってそのサウンドが魅力的だ。ベンディク・ギスケ、ジェイムズ・アンダーウッド(James Underwood)、ルーシー・レイルトン(Lucy Railton)、そしてコビー・セイ(Coby Sey)の協力を得ながらも、多くの楽曲は楽器や声と、シンセやライブラリー音源、そしてエフェクトが溶け合い、参加ミュージシャン各々が持つ強力な個性も、多くの時間で(まるでジャケットそのままのように)朧げなかたちでしか掴むことができない。この仕上がりは、音楽家各々の固有性をくっきりと残したコラボレーションや、楽器の音が明瞭に捉えられているが故にそれと結びつく個人の姿を捉えられる多くのモダン・クラシカルの作品とも異なる、なかなかに特異なものではないだろうか。特にライブラリー音源によるオーケストラ・ベッドとジェイムズ・アンダーウッド、ルーシー・レイルトンによるヴァイオリン、チェロのサウンドの交わりは見事で、正に固有性(記名性)と匿名性のあわいを描き出している。
楽曲の構成やそれがもたらす聴取感覚も独特だ。ドローンやピアノのリフレインが、時間が進むにつれ浮かんでは消える弦やプロセッシング・サウンドの雲に隠れ、時には濃密なオーケストラ・ベッドの上塗りにさらされる(*3)。多くの楽曲の導入部に見られる儚げなシンセのレイヤー、もしくはラウンジ~ジャズ的なピアノが、終盤ではロマン派クラシックを思わせる和音の形成へと流れつく音運びは、なるほどコラージュ的な接合によってもたらされたものという感触もあり、ことオーケストラ・ベッドのもたらす翳りはフェネスによる『Mahler Remix』やバイオスフィア(Biosphere)がベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番をベースに制作した『Angel’s Flight』を想起させる。
そしてそのような音運びの中で、耳と意識がいつの間にか通奏音や土台から遠のき、表れる響きのそれぞれが地とも図ともとれるようなあわいの場へと導かれ、浮かび上がる響きをその都度飛び石のように頼りにしながら彷徨い歩くこととなる聴取体験は、たしかに特定の場所への定住に結び付かない(*4)不安定なロードトリップの表象と受け取れる(*5)。このテーマと表象的な在り方は、Solo Andataがチェロ奏者Louise McKayを迎え水と陸、流動と静止、寒さと暑さの間を行き来する一方通行の旅をテーマとして制作した傑作『Solo Andata』や、Zachary Paulのヴァイオリンとマーク・ヴァン・ホーエン(Mark Van Hoen)によるエレクトロニクス、更には多種のサンプリングによって描かれた小旅行的コラージュ絵巻であるIHVH『Agnostic』と通じるものといえるだろう。
しかし本作には前述したようなオーケストラ・ベッド(とそれに辿り着く音運び)を含まない、ほぼピアノ(とエフェクト)のみによって綴られる楽曲が多数収録されており、そこからはラウンジ・ミュージックの持つ(緊張、不安などに対する)緩衝の機能を朧気ながら感じ取ることもできる。すなわち本作の在り様や機能は、旅というモチーフに対する表象と緩衝とに跨っており、これもまたひとつのあわいといえよう。
ベルリンを長く居住地としながらも、そことロンドン、パリ、デトロイトなどを行き来しながら活動してきた彼女は、本作の制作時を振り返りながら「旅行気分だった」と語る(*6)。しかし同時に本作のジャケット、アルバム・タイトル、トラック・タイトルは、すべて彼女が現在の居住地であるLAに移ってから考えたものであり(*7)、つまり『Atlas』は「旅行気分」からやや距離と時間を置いた地点から、かたちを成した音源を頼りに過ぎ去った時間と場所を思い、再認識することで完成されている。順を追ってなされた視聴覚体験を、終りの後に思い出し、記憶の中に魔術的なシーンとシーンの反響が生まれるその時こそ最も豊かな映画的体験であり、そここそが映画が真に完成する地点であるとするならば、本作の完成へ向けて彼女が歩んだ工程もまた、それと相似を成す、つまりは映画的なものに思えてならない。
LAという新たな土地に身を移し、自身に多くの繋がりを生んだヨーロッパの都市を思いながら、作品に名を付ける彼女の意識には、どのような記憶の反響が生まれていたのであろうか。身勝手な想像をしてみるなら、それは場所、経験、時間が滲み合った、そう、あわいであったのではないだろうか。(よろすず)
*1 安田登 著『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語: こうして時代は転換した (教養・文化シリーズ)』より
*2 “2019年頃にピアノと再会し、2020年にロサンゼルスのヴィラ オーロラでレジデンスをしたときに、より真剣にそれと向き合いました。” ——《Borshch》でのインタヴューより
https://borshchmagazine.com/lucid-dreams-laurel-halo/
*3 「Sick Eros」の中盤で突如表れる久石譲を思わせるオーケストレーションの挿入は特に印象的だ。
*4 オーソドックスなアンビエント・ミュージックに、特定の場所への備え付けと特定の調性へ留まりが結びついた定住的な性質が多く見られることを鑑みると、本作のテーマと響きはそれへのアンビバレンスに満ちているように思える。と同時に、その最たるモデルケースであるブライアン・イーノ『Ambient 1: Music For Airports』とは、本作は旅行というモチーフで微かに響き合ってもいる。
*5 “このアルバムは、ある意味、落ち着きのない旅へのサウンドトラックでした。” ——《Borshch》でのインタヴューより
https://borshchmagazine.com/lucid-dreams-laurel-halo/
*6 “去年、ロンドンに引っ越したんですが、そのときもずっと旅行気分でこのアルバムを作っていました。” ——《Borshch》でのインタヴューより
https://borshchmagazine.com/lucid-dreams-laurel-halo/
*7 “ベルリン、ロンドン、パリ、デトロイトを行き来しながら、LAに移る前に曲を完成させました。しかし、アルバムのジャケット、アルバム・タイトル、トラック・タイトルはすべて、LAに移ってから考えました。” ——《Reverb》でのインタヴューより
https://reverb.com/news/interview-laurel-halo
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