80年代リバイバルの中に埋め込んだバロックの断片
ヴェルサイユの幼馴染で結成され、いまやフランスを代表するバンドの一つとなったフェニックス。キャリア20年を越えても尚、いまだに刺激を求め様々な音楽的実験を繰り返している。5年ぶり7枚目となる本作は、パンデミックの中、ルーブル美術館の装飾芸術美術館に通い録音された。また、元ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルが参加している(フェニックスのローラン・ブランコウィッツは、ダフト・パンクの前身バンドDarlin’で一緒に活動していた)。自分たちのペースで納得しながらサウンドを更新しているからこそ、20年を越えても停滞を感じさせないのだろう。それは本作でも貫かれている“10曲の中でいまの自分たちをどう表現するのか?”というルールが功を奏している。本作は、ルーブル美術館というある意味で権威が担保されている文化を、自分たちのフィルターを通して取り込んだとき、どんな歪みとして表出するのかという実験のように感じた。
彼らのキャリアを簡単に振り返ると、ダフト・パンクと関わりがあった事や、デビュー作をはじめ4作品でプロデューサーにフィリップ・ゼダール(カシアス)を起用している事からも分かるように、00年代初頭のフレンチ・ハウスの流れを組みながらも、それをロック・バンドのフォーマットの中で表現してきた。特に『Wolfgang Amadeus Phoenix』(2009年)はグラミー賞を獲得するなど、その活動はフランス国内のみならず世界中で受け入れられている。この作品に収録されている「Lisztomania」は、いまの80年代リバイバルに繋がる大きな役割を果たした。その一つがYouTube上でMito Tomiが「Lisztomania」の音源を非公式に流用した投稿動画だ。この動画は、80年代を代表する4つの映画(『フットルース』(1984年)、『ブレックファスト・クラブ』(1985年)、『プリティ・イン・ピンク』(1986年)、「マネキン」(1987年))のダンスシーンを繋ぎ合わせ、この曲で踊っているように見せるというもの。この動画は「Brat Pack Mashup」と名付けられ、世界中でこの動画を模したダンス動画が投稿された(その中には、現・アメリカ合衆国下院議員であるアレクサンドリア・オカシオ=コルテスがボストン大学時代に撮影したモノもある)。こうした動画は現在のTikTokの先駆けとなったとも言えるだろう。
本作に収録されている「After Midnight」は、「Lisztomania」でもみられたビート感を持っている楽曲だ。この曲は1977年に作られた日本製のシンセサイザーが使われており、これはMVが日本を舞台にしている理由の一つだろう。ここで使われている車は、80年代に製造されていたトヨタ「AE86」だ。車の車窓から撮影された日本の映像が全編で使われており、街並みだけでなく疾走感のある走行シーンもある。しかし、最後にネタばらしとして、その疾走感のある映像は、大きなモニターを使って作った走っている風の映像だったことが明かされる。前の段落でフェニックスがブラット・パック・ムービーのリバイバルの起点になった点に言及したが、そうした流れの中から出てきた日本のバンドであるザ・リーサルウェポンズが同時期にリリースした「シューティングスターレディオ feat.宇多丸、スーパー・ササダンゴ・マシン」のMVが、奇しくも同じような構造を持っている点が面白い。「Lisztomania」からの流れを考えると、ここ10年ほどの間で80年代リバイバルがポップシーンで受け入れられるようになった変遷を辿っているようで、そうしたシーンを見てきた私としては感慨深いものがある。
上記で示したように80年代リバイバルの文脈でも語れる「After Midnight」だが、この曲のコード進行は、バッハのコラールから拝借している。この曲以外にも、「Artefact」、「All Eyes on Me」で使われているシンセサイザーの音色は、ハープシコードが使われているように聴こえ、こうしたアプローチは、ルーブル美術館で共有されている広大な歴史の一部を目の当たりにしたことが大きいのではないだろうか。ここには、カルチャーを自分たちの中で咀嚼した時の歪み/変化こそが特徴であり魅力だとする彼らの姿勢が表れていると思う。そして、これらの楽曲を聴いた際に思い浮かんだのが、ヴァンパイア・ウィークエンド「Step」だった。本作には、そのフロントマンであるエズラ・クーニグが別の楽曲である「Tonight」に参加している。こうしたアプローチの延長線上と考えれば、この人選もうなずける。「Tonight」は、フェニックスの「Girlfriend」的なアプローチの楽曲であるが、エズラ・クーニグのパートはヴァンパイア・ウィークエンド以外の何者でもなく、彼らの相性の良さが表れている楽曲だと言える。このMVは、パリと再び東京が舞台になっており、オープニングでどちらも自由の女神が映し出されるが、その後の街並みの違いの部分に、同じものがあってもそれぞれの都市の違う側面に焦点が当てられていく。ここにも違う文化圏のモノが混じりあっていく事の面白さが示されているように感じた。
最後に「Winter Solstice」について触れておかなければならない。はじめに元ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルが参加していると書いたが、彼が本作に関わったのは、これまでバンドのほとんどのアルバムに関わってきたカシアスのフィリップ・ゼダールが不慮の事故により2019年に亡くなったことで、彼の事もよく知っている誰かにお願いしたいという事で白羽の矢が立ったそうだ。本作は『Wolfgang Amadeus Phoenix』との共通点がいくつか見受けられるが、それは彼らが、自分たちの中にいるゼダールだったらどういったアプローチをするだろうかと考えた結果なのかも知れない。彼らはライブの際、4人が横並びになる。それは民主主義の象徴としてそうしているそうだが、楽曲もこれまで4人で一緒に作ってきた。しかし、本作収録の「Winter Solstice」は初めてトーマス・マーズが一人で書いた楽曲であり、彼らの楽曲の中でもこんなにも内省的な楽曲は珍しい。パンデミックによる混乱やゼダールに対する思いなど、この曲は彼らなりのレクイエムなのではないだろうか。(杉山慧)
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