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柴田聡子『Your Favorite Things』
クロス・レヴュー

25 March 2024 | By Ren Terao / Kentaro Takahashi / Nami Igusa

柴田聡子のコペルニクス的転回

もともと柴田聡子の音楽については、柴田聡子、としか言いようがない観察眼と感性で選び取られた言葉が音楽本体から生々しく浮き出ているような印象を持っていて、筆者としてはそれこそが彼女の個性、と理解しており、ゆえに「自分の歌だけが“音”になっていない感じがしていた」と、別誌で違和感を語っていたのを読んで意外に思った。が、だからこそ、岡田拓郎にミックスを託したという意図には直ぐにピンときた。岡田は、洋楽由来のポップスの中で日本語の響きをどう扱うか、ということにキャリアを通じて呻吟してきた、まさにその人だからである。密室ではないものの親密さを抱かせる距離感の空間づくりに、何れかの音色・どこかの帯域が突出することはないものの楽器一つひとつの響きは精彩、かつ風通しよく感じられるミックス。まさに岡田印な仕上がりの今作だが、加えて、ウィスパー気味に変化した彼女の歌唱も奏功し、歌詞の響きそのものがアンビエンスとして音に溶け込んでいることにも唸った。

それでは、柴田聡子の言葉は、音楽の中に霧散してしまったのだろうか。いや決してそんなことはない。はっきりとした抑揚と展開のあるメロディは実に明快で、敬愛するシンガー・ソングライターとしてエイミー・ワインハウス、テイラー・スウィフト、アデルを彼女が挙げるのも頷けるし、ネオ・ソウル風の「白い椅子」なんかはまさにそのエイミー・ワインハウスの「Back To Black」が透けて見えるかのようでもある。

こうした英語圏のソングライターの影響だろうか、実は個人的に今作で最も度肝を抜かれたのは、日本語の音節と譜割の仕方だ。単語を分解して次の小節へと跨いでしまったり、逆に二音節以上ある言葉を一音節で歌ってしまったりという仕掛けによって、聴き流している時と歌詞を見ながら聴いている時とでは、見える景色がまるで違って感じられることにすっかり驚いてしまった。オノマトペを歌詞に織り込んである「Kizaki Lake」然り、「Synergy」の<ねずみ / いろのひつじぐ / もにし / みこみひましに>という歌い出しなんかは、確かにそう歌ってはいるのだけど、歌詞を見るまでなにやら別の言語のようにも聴こえていたのだった。

ここまでくるともう今の柴田聡子は、はっぴいえんどに端を発し宇多田ヒカルがR&Bをベースに劇的に発展させた、西洋由来日本語ポップスの系譜の正統に位置付けたい、とさえ思えて仕方がない。音楽の上に歌を乗せているのではなく、音楽に埋め込まれた歌に潜り込んでみたら「その情景に、その言葉を当てるのか!」な、あの感性がそこにあった、といった具合にこれまでの彼女と音楽と歌の関係が逆転した今作はまさに、柴田聡子のコペルニクス的転回。……なんて言ってみたくもなるのだった。(井草七海)



サウンドは言葉の行間を満たすもの

言葉の奔流。その流れは速くて、捕まえられない。およそ歌詞らしくない言葉が列をなす。ポップ・ソングらしいフックは耳に残らない。遠い昔に、REMのマイク・スタイプの歌は英語圏の人間でも何を歌っているか分からない、という話を聞いたのだが、それがどんな状態なのかは感覚的に掴めなかった。こういうことだったのかもしれない、とこのアルバムを聴いて、日本語の音楽で初めて思った。

柴田聡子という人がユニークな言葉の操り手であることは、10年以上前に三沢洋紀プロデュースによる舌ったらずなフリー・フォーク的アルバムを聴いた時から思ってきた。しかし、音楽的には本作はそこから恐ろしく遠い場所に辿り着いている。冒頭の香田悠真編曲のストリングスから豊穣なサウンドが空間を満たす。プロデュース&ミックスを手掛けた岡田拓郎の仕事は、精密さと挑戦性のバランスが絶妙。ビートやベースラインだけ取り出せば、R&Bやファンクの影響を指摘できるかもしれないが、微細な音色・音響処理をちりばめたプロダクション全体としてはジャンルからの浮遊感の方が強い。あるいは、女性シンガー・ソングライター作品のステレオタイプからも極めて遠いところに位置していると言っていい。

それはシンガー・ソングライターのバックを支えるようなサウンド・プロダクションがそもそも必要とされていないからかもしれない。溢れ出る言葉がすべてを導く。終始半ファルセットの発声のヴォーカルを含め、サウンドは言葉の行間を満たすもの。そのくらいの関係だから、極めて自由度が高いのではないだろうか。

といっても、その言葉は何を歌っているのか、結局のところ分からない。微妙な状況、微妙な関係、微妙な感情が絡み合い、どんどん流れ去っていくことだけが分かるような、宙ぶらりんな体験。しかし、この世界とはそういうものかもしれない。世界は言葉で出来ている。言葉の奔流に翻弄されていくのが、この世界で生きるということ。そう思いながら、次第にそこにジェットコースターのような快楽を感じるようになる。そんなアルバムをくぐり抜けるのに、35分しか経ってなかったのに驚く。(高橋健太郎)



映画のような35分

柴田聡子7枚目のアルバム『Your Favorite Things』は各所で言われるように、彼女に内在していたネオ・ソウルやヒップホップ的な志向を、長年サポートしてきた岡田拓郎とのタッグにより更に解き放った作品であるが、アルバムトータルで作品の魅力が際立つその「構成」もまた、名作たらしめる要素の一つではないだろうか。

M1「Movie Light」では、香田悠真のアレンジによるストリングスと岡田のスライドギターが上品かつどこかノスタルジックに流れゆき、まさに映画が始まるように聞き手を迎え入れるのだが、M2では一転して、サポートの浜公氣によるタイトかつ強い音作りのドラムによる導入により本題へと突入する。インタヴュー等で度々ドラムの重要性が語られてきた通り、本作がどこに力点を置いているのかをアルバム前半で明確に提示しているのが伝わるだろう。

印象的な曲間の繋ぎも見事だ。ディアンジェロなども連想させるリズムの重さにフォーカスしながら、ベルの音色で揺さぶるM4〜M5、唐突な切り替えに気持ちいい風が吹くM7〜M8などが作品の所々にピークを作りつつ、インタールード的なM6ではアンビエント的な質感が登場するなど、その緩急の絶妙さによって集中力を切らすことなくアルバムは展開していく。

そしてクライマックスのM10「Your Favorite Things」である。もはやハンドマイクで歌う姿しか想像できない自由なフロウが三連符を刻むハイハットの上で切なく跳ねる中、M5のベルが途中再登場したり、ラストに向かってはM1のストリングスが合流するなど、どこか伏線を回収していくように幕引きに至る。ストリングスがオープニングとの連続性を感じさせるこのエンディングは、終わってしまった恋愛を振り返るような歌詞の描写と、どうにもしめやかだった冒頭の違和感とがリンクして「実は1曲目がエピローグだったのかも」という映画的な時系列も想起させる。歌詞が従来から意味を分断していくような傾向があっただけに、物語性が立ち上がる余地を感じられるのも新鮮かもしれない。

ここまで10曲35分と引き締まったヴォリューム感に、スムーズなアルバムの流れも相まって、何度でも冒頭から聴き直したくなる。言及の及ばなかったサウンドや詩はもちろん、あまりに素晴らしいそのジャケットにいたるまで、抜かりのない傑作だ。(寺尾錬)

Text By Ren TeraoKentaro TakahashiNami Igusa


柴田聡子

『Your Favorite Things』

LABEL : AWDR/LR2
RELEASE DATE : 2024.2.28
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