VIDEOTAPEMUSICとは、“いつかどこかのだれか”になる、“今ここで生活している私たち”の記録である──
傑作『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』誕生!
VIDEOTAPEMUSICを聴くと(見ると)思わずニンマリしてしまうのはなぜだろう? いや、ワクワク、というほうがいいかもしれない。VHSから取り出されたノイズまみれの音声(映像)やサンプリングされた音源。それらが生の演奏の中に溶け込んでいる彼の作品に浸るときの感情は、現代の街の中にいまもなお残る古い建物や、看板、あるいは使われずに放置されている施設であるとか…そういった、過去の人々の痕跡と対峙するときの感覚に似ている。「2015年 東京 よみがえる記憶」──セカンドアルバム『世界各国の夜』(2015年)の冒頭のセリフの通り、小綺麗に整えられた街や場所でふと、長らく忘れかけられているいつかの痕跡が目に入ると、途端に意識は想像力の翼を広げ、今はもうないが確かにかつてそこにあった(であろう)人々の賑わいや生活へと飛んで行ってしまう。けれど、もちろん身体は現代に置いたままだから、まるで幽体離脱だ。VIDEOTAPEMUSICが、そうやって時代や場所を脳内で混線させながら召喚する人間の生身の気配に、私の心はいつもざわめくのである。
そうはいっても、考えてみると、作品を重ねるにつれてVIDEOTAPEMUSICの視点はどんどん内から外へ向けられるようになってきている。ファーストアルバム『7泊8日』(2012年)が「脳内リゾート・ミュージック」だとすれば、続く『世界各国の夜』は脳内から“世界”に目線が向けられた作品だ。ただ、これらの作品の意味深なセリフたちは確かにどこかの誰かが実際に発した言葉であるものの、VHSからのサンプリングによるものが多用されていることから、この2作はそうした記録が彼の中でエディットされて描き出された一種の妄想、のようなものでもあっただろう。とりわけ『世界各国の夜』における「Hong Kong Night View」の中華歌謡的なメロディーや「Kung-Fu Mambo」のマンボのように、民族音楽のオマージュ的な曲調は、それらがロマンチックで時に猥雑な、“いつかどこか”の夜のひとときへの想像の産物であることを物語っているようだった(南国風の植木に囲まれた、チャイナドレスを着た白人、というちぐはぐなアートワークも)。もちろん、そんな炸裂する“VIDEOTAPEMUSICワールド”にこそ、私は魅了されたのだが。
ただ、前作『ON THE AIR』(2017年)からは、生演奏への比重がぐっと増し、彼自身によるフィールドレコーディングが使われることも増えた。『ON THE AIR』に関して彼は「身近な場所で映像を撮ったので、そういうものへの興味っていうのが徐々に出てき」たと語っているように、過ぎ去ったもの / 人たちの気配と、現代に生活している(脳内ではなく)生身の自分自身との交信に主眼が置かれたのである。「ポンティアナ」の着想のきっかけとなった埼玉の国道沿いの取り壊しの団地の中に現れた「ポンティアナ」という看板の文字だったというエピソードなんてもう、まさしくその最たる例。VIDEOTAPEMUSICの音楽は、単純なノスタルジーとは一線を画しているのだ。だからこそ、彼がデビュー当初からヴェイパー・ウェイヴ的な文脈の企画からの誘いを断っている(『世界各国の夜』ライナーノーツより)という事実にも、改めて大いに頷けることだろう。古い映像や音声が、本来の意味を骨抜きにしたネタとしてではなく、生演奏やフィールドレコーディングと一緒に立ち現れることはすなわち、過去の人々の記録 / 記憶を慈しみながら、自分の見聞きした情景や生活とを結ぶ線で繋ごうとしなければあり得ないのだ。
そして、このたびリリースされたVIDEOTAPEMUSICの4枚目のアルバム『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』はそんな彼の視点の“外へ、外へ”という軌跡から逸れることなく、新たな一歩を踏み出した意欲作となっている。なにせ初の“歌モノ”アルバムだ。考えてみれば、歌というものは楽曲のために用意され吹き込まれるという作為性があるという点で、サンプリングやフィールドレコーディングとは大きく異なるパーツである。コラージュ的な手法が根本にあった彼にとっては大きな冒険だろう。ゲストは、盟友ceroの髙城晶平はもとより、横山剣、元・Parasolのキム・ナウン、odd eyesのカベヤシュウトなど、そのほとんどがVIDEOTAPEMUSIC(やそのバンドメンバー)と音源やライブなどで共演やコラボを経験しているアーティストであることから、本人の信頼に足るメンツが選ばれていることは確か。ただ、そうはいっても本作からは、VIDEOTAPEMUSICの分身たるトラックと、ゲストのヴォーカルが1曲の中で対等に拮抗するような、心地よく引き締まった良い意味での緊張感が伝わってくるのである。
私小説的でもあった前作に比べると、今作では『世界各国の夜』までで聴けた“日本人の思うエキゾチック・ミュージック”の確信犯的なオマージュが見え隠れする。これぞまさにVIDEOTAPEMUSICここに在り! という彼の真骨頂だ。東京キューバンボーイズ的なラテン歌謡風の「南国電影」「You Drive Me Crazy」や、「Cocktail Moon」の90年代のヒップホップ~ファンク歌謡をイメージしたビート・トラックと溶け合うトロピカルな装飾には、やはりニンマリしてしまう。他方、今作での大きな変化のひとつとしては、ベースやビートの圧を強く打ち出した“トラック”的な性格が打ち出されている点だ。ウワモノもよりメロウに整えられている。元来の彼らしさと、より洗練されたサウンド・メイクが、バージョンアップしたVIDEOTAPEMUSICの存在感を強く印象付けているのだ。一方で、ピアニカの代わりにメロディーパートを譲られた歌、そしてその歌詞は、それぞれのゲスト・ヴォーカルによるもの。つまり、自分と、他者という「自分の外」の存在との混線──それこそが今作におけるVIDEOTAPEMUSICの新たなる“外へ”の視点である。
そのゲスト・ヴォーカル陣がそれぞれ手掛けている歌詞だが、これらには一貫して各人の考える“エキゾチカ”=“いつかどこかのだれか”が投影されているように感じられる。ただ、横山剣の歌う冒頭の「南国電影」を除いては、それらは必ずしもステレオタイプ的な異国情緒を描いているわけではなく、どちらかといえば身近なモチーフが多い。加えて、今作に参加しているキム・ナウン(韓国)、周穆 / Murky Ghost(台湾)、Mellow Fellow(フィリピン)といった日本以外のアジアのアーティストも参加しているのだが、彼らのフィーチャーされた曲が出身国(地域)の民族音楽をモチーフにしたものになっている、ということも特段ない。キムの歌う「ilmol」には「漢江」というワードこそ出てくるものの、それはソウルの一風景として描かれているようにも感じ取れる。Murky Ghostの「夜の仕事を終えたハイヒールの女性たち」という台湾の街角の描写も同様だ。そしてそれこそが、自身の身の回りをとらえた作品『ON THE AIR』を通過したからこそ描ける彼の新しい“エキゾチカ”なのではないだろうか。
ライブのMC(《STUDIO VOICE × WWW presents “Flood of Sounds from Asia” In&Out 》2019年3月29日 @Shibuya WWW)で、アジアの国に呼ばれて出かけて行くことが増えたと語っていたVIDEOTAPEMUSIC。「You Drive Me Crazy」もそのときに着想を得た曲だとも触れられており、今作にはそうしたアジアでの実体験が影響を与えていることがうかがえる。たしかに昨今、欧米圏から、“アジア”というカテゴライズでくくられた人・モノに熱い視線を送られることがぐっと増えてはいる。けれどこうした歌詞や楽曲の着想のヒントから察するに、欧米圏からしばしばそのように「エキゾチックである」とみなされるものは、ただそこで生きる人間の何気ない生活のワンシーンや、胸中をかすめるふとした想いだった…そんなことに彼は実際にアジアの国々の街を歩き、はっきりと気づいたのかもしれない。そしてさらに言えば、民族的な響きを携えながらも日本に生きる人間と風景を写し取る、折坂悠太が今作に客演していることは、日本もまたその一部であることを物語っていることだろう。そんな気づき、つまり、“エキゾチック”を、マーティン・デニーのように「まなざす」側から、「まなざされる」側としてのものへ、という意識のベクトルの変化が今作には表れているように感じるのだ。
他者と自分、アジアと日本、そして過去と現在。この何重にも入れ子になった“外”と“内”の構造が、ダイナミックに“外へ”と展開されながらそれぞれの対立項同士の接点をつなぎ合わせ、溶かしながら、今作は誕生したのではないだろうか。だとすれば、バンド名の由来である“Exotica”の“E”を、“Eclectic”に読み替えて誕生したceroの『Obscure Ride』(2015年)とも符合する作品だとも言っていい。ceroの数々のMVも手がけてきた盟友であるVIDEOTAPEMUSICが、それを今作でやってのけたのだとしたら、本当に感慨深い。
※1:27〜が「洲崎パラダイス」(後述)
日本での“エキゾチカ”を語るうえで欠かせないのは、もちろん細野晴臣だが、VIDEOTAPEMUSICが「僕の細野さん、私の晴臣さん」という《音楽ナタリー》の企画の自身のプレイリストでアルバム『Vu Jà Dé』(2017年)収録の「洲崎パラダイス」を選んでいたことに私は深く納得してしまった。現在の東陽町にあった遊郭街である通称「洲崎パラダイス」は、芝木好子による小説およびその映画作品「洲崎パラダイス赤信号」(1956年)等の題材にもなっているので彼らしいといえば彼らしいわけだが、今ではもう消え去ってしまった戦前後の風俗、そこにいた人々、つまりある時代までは日本の風景であったものへ想像を巡らすこの曲は、VIDEOTAPEMUSICが今作で描こう…いや「記録」しようとしたものとも通じている。時が流れ、“いつかどこかのだれか”になっていく、“今、アジアで、生活している私たち”の記録。それがこの『The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』である。
「未来の人たちは私たちのことを知るだろうか?」 ──「世界各国の夜」より
きっと知るだろう。いや、知ってほしい。VIDEOTAPEMUSICが私たちを記録しているのだから。(井草七海)
■VIDEOTAPEMUSIC Official Site
https://videotapemusic.tumblr.com/
■カクバリズム内『The Scret Life Of VIDEOTAPEMUSIC』特設ページ
https://kakubarhythm.com/special/thesecretlifeofvideotapemusic/
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Text By Nami Igusa
VIDEOTAPEMUSIC
The Secret Life Of VIDEOTAPEMUSIC
LABEL : カクバリズム
RELEASE DATE : 2019.07.24