【未来は懐かしい】
Vol.47
明日、明日、そして明日へ──
伝説的シンガー・ソングライターによる幻のサード・アルバム
ビル・フェイは、1943年ロンドン生まれのシンガー・ソングライターだ。1967年に《Deram》レーベルからデビューした彼は、1970年にファースト・アルバム『Bill Fay』を、続く1971年にアルバム『Time of the Last Persecution』をリリースするが、どちらも目立ったチャート・アクションを成し遂げられなかったどころか、ほとんど関心を払われることなく忘れ去られてしまう。
結果、彼は長く商業録音から離れることとなった。しかし彼は、不特定多数の人々に自身の歌が聴かれる保証はないと分かっていようとも、音楽への情熱を絶やすことはなかった。スーパーマーケットでの鮮魚のパック詰めや公園の整備人など様々な仕事に就きながらも音楽を作り続け、時折ガーデニングをしながら自ら録音したテープを聴き直してみたりもした。 しかし、である。かつて彼がリリースした2枚のアルバムは、完全に歴史から抹消されたわけではなかった。いかにも儚げで淡い歌の数々には、一度耳にした人々の心を捉えて離さないなにかがあったのだ。オリジナル・リリースから四半世紀以上が経った1998年、中古レコード市場の片隅で一部のマニアたちが聴き継いできた彼の作品に再び光が当たることとなった。イギリスのレーベル《See For Miles》の手によって、ファースト・アルバムとセカンド・アルバムのリイシューが実現したのだ。ビル・フェイは、このリイシューの知らせをある音楽ライターからの電話で知らされた。彼にとって、全く予想していなかった出来事だった。
以来、ビル・フェイの名は、彼の子供世代にあたるミュージシャン/リスナーの間へ、着実に浸透していった。憂いを帯びたメロディー、浮遊感を満ちたハーモニーと深遠な詩情、フェイ自身によるピアノを軸とした抑制的な演奏……。彼の作品は、オルタナティブ・ロック〜インディー・ロック世代の美意識と強く共鳴し、新たな時代のカルト・クラシックへと押し上げられていった。2005年、セカンド・アルバム『Time of the Last Persecution』が英《Ecletic》から単独リイシューされた際商品に貼付されたステッカーには、『Uncut Magazine』のレビューが惹句としてプリントされていた。曰く、“The missing link between Nick Drake, Ray davies and Bob Dylan”。決して言い過ぎではないと思う。
その後2012年に、ビル・フェイは奇跡的な再デビューを果たす。かねてよりフェイの音楽に心酔していた新鋭のジョシュア・ヘンリーがプロデュースを務め、旧二作にも参加していたベテラン・ギタリストのレイ・ラッセルに加え、後進世代のミュージシャンも詰めかけた。その楽曲と歌声は全く衰えを感じさせないどころか、渋みと深みが更に増し、一層輝かしく響く。同作は各メディアで高い評価を獲得し、フェイの完全復活を印象付けた。その後も、同じく名門《Dead Oceans》からマイ・ペースで新作を発表し、各作とも確固たる評価を得ている。
かつて彼の曲をステージで歌ったウィルコのジェフ・トゥイーディーをはじめ、ニック・ケイヴ、ピーター・バック、ジム・オルーク、スティーヴン・マルクマス、スティーヴ・ガン、ケヴィン・モービー、ジュリア・ジャックリン、メアリー・ラティモア、ジーザス・リザードのデヴィッド・ヨウ、マニック・ストリート・プリーチャーズのニッキー・ワイアー、ニュー・ポルノグラファーズのA.C.ニューマン、キャリフォンのティム・ルーティリ、ザ・ウォー・オン・ドラッグスのアダム・グランデュシエル、岡田拓郎、他、他、他、彼を慕うミュージシャンにも枚挙に暇がない。
現在、齢80歳。思えば、デビューの頃から枯淡の美を体現していたゆえであろうか、いくら歳を重ねようとも、彼の音楽特有の美しさは増すにせよ消え去ってしまうことはない。
今回紹介する作品『Tomorrow Tomorrow and Tomorrow』に収められているのは、《Deram》と契約を切られてからしばらく経ったあと、1978年から1981年に渡ってプロ・ミュージシャンとしての再起を賭けてレコーディングされた音源で、本来、彼のキャリアの大きな転換点となるべきものだった。
元々これらの音源は、フェイを敬愛するカレント93のデヴィッド・チベット主宰のレーベル《Durtro》より2005年に発掘リリースされていたものだが、今回《Dead Oceans》から登場した新装版は、更に8曲を追加した完全仕様となっている(収録時間の関係から、CD版は2LP版から4曲がオミットされているのでご購入の際は留意されたい)。
作曲のクオリティ/方向性は、基本的にファーストとセカンドを引き継ぐもので、英国フォークの薫りもほのかに感じさせる。しかし、親しみやすいメロディーには、イギリスであればエルトン・ジョン、キャット・スティーヴンス、アル・スチュワート、フィリップ・グッドハンド・テイト等、アメリカであればランディ・ニューマン、ビフ・ローズ、アンディー・ゴールドマーク、ランディ・エデルマン等、ポップ寄りのアーティストたちの作品を彷彿させる部分も多く、改めて彼が1970年前後のシンガー・ソングライター・シーン勃興の流れの中で登場してきた存在であることを再確認させてくれる。その一方で、主にバンドの演奏やアレンジ面では、1980年前後という時代を思わせる要素も多く聞かれ、特にシンセサイザーを交えた曲などでは、いわゆる「モダン・ポップ」的なサウンドを志向しているようなところもあって面白い。散見されるSF的モチーフともあいまって、ほんの少しばかりだが、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックに通じる味わいを感じる瞬間もある。
また、本作でのアーティスト名義が「ビル・フェイ・グループ」になっていることにも注目したい。付属ライナーノーツで明かされている通り、これらの音源は元々ビル・フェイを中心とした新バンドの作品として制作されたようで、各メンバーの演奏の絡み合いも、シンガー・ソングライター+バック・バンドという関係性を超えて、なかなかに練度の高いものとなっている。中でも、ゲイリー・スミスによるギターは重要で、フェイの鍵盤とともにアンサンブルの核を担っている。その名にピンとくる人は多くないだろうが、彼は後にフリー・インプロヴィゼーション等の前衛音楽シーンで成功することになる才人で、今作への参加は、そのキャリアのごく初期の仕事となる。ここでの彼は、後年の演奏に比べるとかなりオーソドックスな演奏を披露しているのだが、よく聴くと、ロック〜ポップスの定型から大胆に逸脱してる部分が多いことに気づくはずだ。プログレッシブ・ロック〜ジャズ・ロック的なフレーズを繰り出しつつ、ときにフリーキーなトーンを差し込むその演奏は、どこかレイ・ラッセルを思わせるところもある。
もちろん、ドラムのビル・ストラットン、ベースのラウフ・ギャリップ、そして、一部曲へ助っ人として参加したドラムのバズ・スミス(キリング・フロアー他)の活躍も聴き逃がせない。決して簡単とは言いがたい作りのフェイの曲を着実に盛りたて、全体に小気味よいドライブ感を加えている。
上述した通り、これらの楽曲は数多くのレコード会社に売り込まれたというが、リリースの機会は得られず、長らくお蔵入りすることになった。時代はニューウェーブ〜ポスト・パンクの全盛期。もしめでたくリリースされていたとしても、いかにも奥ゆかしく繊細なこれらの楽曲がシーンにインパクトを与えることができたかと問われれば、確かに心もとない気もする。しかし、あまりに当然ながら、必ずしも時代の潮流と合致していなかったからといって、その音楽が即価値のないものになってしまう道理はない。
2024年に生きる私にとって、このビル・フェイの幻のサード・アルバムは、紛れもなき「新譜」である。もしかすると、本作に刻まれた試みは、こうして時を経てきたからこそ私達の胸をまっすぐに打つのかもしれない。「明日、明日、そして明日」。そう、この音楽は、今日と明日のためにあるのだ。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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