【未来は懐かしい】
Vol.45
歴史的・空間的想像力を刺激してやまない、ハンマーダルシマーの美しき響き
ハンマーダルシマーの音色を聴くと、自然とニューイングランド地方やアパラチア地方のイメージが広がる。一方で、ときにそうした特定の地域を超えて、より根源的・普遍的存在としての「大地」への意識が呼び起こされるような、実に悠久たる感覚にも包まれる。
古代ペルシャに起源を持つこの楽器は、東西へと伝播し、ツィンバロン(東欧)やサントゥール(中近東)、揚琴(中国)、キム・チン(タイ)など各地の民族楽器へと発展していくと同時に、西洋のピアノのルーツになったとも言われてる。各地域の歴史や民俗と結びつきながらも、同時にどこかコスモポリタンな響きを湛えた「世界楽器」。ハンマーダルシマーの音色には、歴史の蓄積と拡散のエネルギーが、奥深くに内蔵されているようだ。箱型の共鳴体と金属弦から繰り出される豊かな倍音は、私達の歴史的・空間的想像力を刺激してやまない。
ドロシー・カーターは、主にこのハンマーダルシマー、およびそのダルシマーと似た(多少系譜の異なる)楽器プサルテリウムを能くする音楽家である。1935年にニューヨークに生まれたカーターは、幼少期からクラシック音楽の教育を受け、ヨーロッパに渡ってピアノを学ぶなどした。1970年代には、後にニューエイジ・ミュージック界の人気アーティストとなるコンスタンス・デンビーらとともにセントラル・メイン・パワー・ミュージック・カンパニーというグループの一員として活動し、実験音楽にも取り組んだ。後にはイギリスに渡り、女性たちだけで中世音楽を演奏するグループMediæval Bæbesを始動させ、高く評価された。
本作『Waillee Waillee』は、1978年に自主レーベル《Celeste》からリリースした自身2枚目のソロ・アルバムである。オリジナル曲の他に、北アメリカ民謡やケルト民謡などをアレンジした全8曲を収め、自身の演奏するダルシマーやプサルテリウムを中心に、フルート、ピアノ、ヴォーカルを織り交ぜた内容となっている。こう書くと、いかにも格式張ったフォーク・ソング集を想像されるかもしれないが、その実、難渋さとは一切無縁の、ひたすらに麗しくディープな音世界が展開される。むしろ、「純粋」なフォーク・ミュージックを嗜好する向きにとっては、やや折衷的に過ぎ、かつスピリチュアル過ぎると感じられるかもしれないが、それこそが本作の今日的な魅力であるとも言える(このあたり、今回のリイシューが清水靖晃『案山子』などの再発でお馴染みの《Palto Flats》発だと知れば、納得する方も多いはずだ)。
冒頭の「The Squirrel Is A Funny Thing…」からして、その美しさにため息が出てしまう。ダルシマーの闊達な演奏で彼女のヴァーチュオーゾぶりをみせつけるが、何よりもまず、ミニマル・ミュージックにも似た清涼な響きに心を奪われる。続く「Dulcimer Medley – Robin M’aime」では、豊かな倍音とそれらが織りなすハーモニーのみずみずしさ、フルートの奏でる素朴なメロディーとの絡み合いに魅了される。各種パーカッションも実に効果的だ。「Along The River」等で聞ける彼女のヴォーカル表現の見事さも特筆すべきだろう。精錬でいて深みのある歌声は、ブリティッシュ・トラッド・フォークの名歌手達を思わせる。タイトル曲「Waillee Waillee」は、唯一ドラムセットとエレクトリック・ベースを伴った曲だが、こうした「ポップス」的な編成との相性も思いの外よく、あのカレン・ダルトンの楽曲を彷彿させるところもある。
本作の白眉は「Summer Rhapsody」と、「Tree Of Life」の2曲だろう。両曲で聴ける豊かなドローンは、ドイツのビジュアルアーティスト/音楽家、ボブ・ラトマンの手によるスティール・チェロとボウ・チャイムによって奏でられている。前者で聞ける、早いパッセージのカーターのダルシマーと、風景と空気の全てを包み込むような悠大なドローンの絡み合いは、崇高とすら表現すべき美しさだ。後者のサウンドも、ただただ圧倒的だ。この恍惚感は、紛れもなくニューエイジ的であるといえるが、一方で、驚くべき冷厳さに貫かれてもいる。まるで、ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督が撮る荘厳な自然の風景に接したときのような、曰くいい難い畏怖の念が湧き上がってくるのだ。ハンマーダルシマーというアコースティック楽器の響きが、歴史、空間を駆け抜け、私達のスピリチュアリティへと直接訴えかけてくるようだ。
本リイシュー盤のライナーノーツには、彼女の娘セレステや上のラトマンの他、彼女の演奏に大きなインスピレーションを得たというララージ、更には、彼女がベルリン滞在時に親交を結んだというアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアレクサンダー・ハッケらのコメントも掲載されている。これらを読むと、彼女の音楽がいかにスケールの大きなものだったのか、より一層深く理解できるはずだ。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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