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【未来は懐かしい】
Vol.39
追悼 エマホイ・ツェゲ=マリアム・ゴブルー
エチオピアの作曲家/ピアニスト/修道女が残した貴重音源集

15 May 2023 | By Yuji Shibasaki

去る3月26日、イスラエルのエルサレムで、エチオピア出身の作曲家/ピアニスト/修道女、エマホイ・ツェゲ=マリアム・ゴブルーが99歳の生涯を閉じた。

数十年の間、エチオピア正教のコミュニティ内に密かに存在していた彼女の音楽が広く西欧マーケットに知られるようになったのは、2008年にフランスの《Buda Musique》が『Éthiopiques』シリーズの一貫として『Éthiopiques 21: Piano Solo』をリリースしたことが大きかった。

巨匠ムラトゥ・アスタトゥケの音源を始め、1960年代から1970年代なかばにかけてエチオピア帝政下で制作された豊かな音楽を続々と紹介した『Éthiopiques』シリーズの中でも、エマホイの作品集『Éthiopiques 21: Piano Solo』は、目立って個性的な内容だった。エチオジャズともR&B等に影響を受けたポップスとも異なる、まるでエリック・サティやクロード・ドビュッシーのように静謐で、それでいてエチオピア特有の5音階が際立つ彼女のピアノソロ曲は、旧来のアフリカ音楽ファンを超えて、クラシック〜モダンクラシカルのファンやアンビエント・ミュージックのリスナーをも魅了したのだ。

以来、彼女の音楽は、決して派手な話題を伴うものではなかったにせよ、良心的な音楽ファンの間で大切に聴き継がれてきた。

個人的に、その楽曲の美しさを再認識する決定的な契機となったのが、2017年9月公開(2016年オリジナル公開)の映画『ポルト(Porto)』(監督:ゲイブ・クリンガー)だった。タイトル通り、ポルトガル第二の都市ポルトを舞台としたこのミニマルな恋愛劇で、エマホイの「The Homeless Wanderer」と「Presentiment」が実に印象的な形で使われていたのだ。様々な文化が輻輳する港湾都市ポルトの街並や孤独感を漂わす登場人物たちの姿と、エマホイの繊細なピアノタッチが、驚くほど見事に調和していたのだった。

それからというもの、私にとって彼女の音楽は、仕事を離れて部屋で独り神経を休めるとき、あるいは薄曇りの朝の起き抜け時や、うまく寝付くことのできなかった夜更けなどに、極上のトランキライザーとして機能してくれた。そのようにひっそりと彼女の音楽を聴き、そのピアノ演奏と対話を積んできたファンは、私以外にも思いの外多いのではないだろうか。

1923年、エチオピアはアジスアベバの裕福な一家に生まれたエマホイは、幼い頃からスイスの寄宿学校に預けられ、音楽を学んだ。エチオピアへ帰国後は、ハイレ・セラシエ1世の元で歌手として働くが、まもなく勃発した第二次エチオピア戦争で家族ごとイタリア軍の捕虜となり、収容所生活を余儀なくされた。戦争終結後はエジプトのカイロに渡りポーランド系ユダヤ人のヴァイオリニスト、アレクサンドル・コントロヴィチに師事し、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンらクラシック音楽を学んだ。その後コントロヴィチとともにアジスアベバへ戻り、再び帝国の公務を担った。同じ頃、彼女はロンドンの王立音楽アカデミーで学ぶための奨学金を得るのだが、エチオピア政府の意向で留学は取りやめとなってしまう。そして、21歳から突如俗世を離れ、10年間の修道院生活へ入ると、その間は一切の音楽活動を封印したという。

修道院の閉鎖とともに家庭生活へ復帰した彼女は、久々に作曲活動を再開する。1967年、ハイレ・セラシエ1世の協力を得て初の録音物が制作され、それがレコード・デビューとなった。この時代以降1970年代なかばにかけて録音した楽曲が先の『Éthiopiques』シリーズ等にまとめられ、彼女の代表的作品となった。

更に時代を下って1984年、メンギスツ・ハイレ・マリアム独裁体制によってその信仰を妨害された彼女はエルサレムへと移住、エチオピア正教会の修道女となった。その後も作曲を続け、慈善事業にも取り組んだ。2008年には、米ワシントンで生涯二度目となる公衆を前にしたコンサートを行った他、晩年も毎日アップライト・ピアノに向かい、曲を書き続けていたという。

『Jerusalem』は、これまでも彼女の楽曲の発掘リリースを行っていた米《Mississippi Records》が、その死の少し前にリリースしていた貴重な音源集である。極めてレアな10インチ・アルバム『Hymn of Jerusalem』(1972年)からの数曲と、1980年代に録られたホーム・レコーディング音源をコンパイルしたもので、アナログ版のジャケット裏には、エマホイ自身による各曲の解説も記されており、同じく貴重な資料となっている。

針を落とすとまず、賛美歌の旋律の影響が濃いA-1「Famine Disaster 1974」や、曲名通りベートーヴェンへ敬意を捧げるA-2「The Home Of Beethoven」など、西洋音楽へのアプローチがはっきりと聴かれる各曲に興味を惹かれる。

一方で、本編集盤の目玉の一つといえそうなタイトルのA-3「Jerusalem」では、シグネチャーともいうべき流麗なトリルや自在なルバート(テンポを早くしたり遅くしたりすること)を織り交ぜながら、いくつかのモードを自在に渡り歩いていく。独りで山道を渡り歩きながら「何か」と対話するように進むこうした自由な曲想のあり方も、彼女の音楽ならではの特徴といえるだろう(その対話の相手とは、もちろん神であるはずだ)。彼女の音楽に触れる度に私は、絶対的存在への祈りと内観/内省の力学が互いに混ざり合い一曲の中に併存していると感じる。

驚かされるのが、A-5「Quand La Mer Furieuse」だ。なんとこの曲で、エマホイは歌唱を披露しているのだ。ハネるリズムが特徴的なシンプルなピアノ演奏の上にフランス語で載せられる彼女の声は、決して技巧的という感じではないが、実に精錬で優しい(個人的には、ニック・ドレイクの母モリー・ドレイクが残した音源と近いものを感じた)。《Mississippi Records》によると、今年秋には全編ヴォーカル曲を集めたアルバムの発売を予定しているらしく、否応なく期待が高まる。

先だってデヴィッド・バーンは、時々のお気に入り音楽をプレイリスト化する人気企画《David Byrne Radio Presents》で、エチオピアの音楽をテーマとした選曲を行った。「The Homeless Wanderer」「Homesickness」に加え、本作からも「Jerusalem」が選ばれた他、メイン・ヴィジュアルにもエマホイのポートレート写真が登場するなど、彼女への追悼の意が随所に表されていた。プレイリストの紹介文でも、「Her music is haunting and beautiful.」と綴っている。きっとバーンも、独り早朝や夜更けに内面の旅へと繰り出すとき、彼女の音楽に耳を傾け、静かに心を震わせていたのではないだろうか。

独りひっそりと作り奏でた音楽で、多くの人の「独り」を温め、寄り添った。愛しきエマホイ・ツェゲ=マリアム・ゴブルーよ、どうか安らかに。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


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『Jerusalem』



2023年 / Mississippi Records


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柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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