【未来は懐かしい】
Vol.38
1920-50年代の上海「時代曲」を集めたコンピレーション・カセットに聴く、当地ポピュラー・ソングの歴史と魅力
ボブ・ディランが1988年に発表した(というよりも、ニック・ケイヴのカヴァーでカルト的な人気を誇る、といった方が通りが良いかも知れない)楽曲と同じ名が冠された、英ロンドン拠点のリイシュー・レーベル《Death Is Not The End》。米国のオブスキュアなゴスペルやフォークから、ヨーロッパ、カリブ海地域等世界各地の民俗音楽/ポップ・ミュージック、果てはUKのレイブ黎明期のラジオ・ミックス音源まで、独自の審美眼でコンパイルされた数々のカセットテープ(およびデジタル・リリース)は、2015年の発足以来、リイシュー・シーンの最前線に注目するマニアたちの熱心な支持を受けてきた。
2021年には、日本の戦前流行歌をコンパイルした『Longing For The Shadow: Ryūkōka Recordings, 1921-1939』、更には昭和前期の人気歌手・小唄勝太郎の音源集『Kouta Katsutaro』をリリースし、ここ日本のマニアも驚かせた。日本やタイ、カンボジア等、東アジア〜東南アジア地域の流行曲の発掘はこのところ同レーベルが特に力を入れているプロジェクトだが、今回紹介する『Waiting For Your Return: A Shidaiqu Anthology 1927-1952 Part. I』は、特に注目すべき一本だ(連続してPt.Ⅲまでリリースされている)。
表題にある“Shidaiqu”とは、中国における「時代曲」を指す。元々「時代曲」とは、1950年代から1960年代にかけて香港で制作されていた北京語によるポピュラーソングを差していたが、同じ時期に、それ以前の1930年代から1950年代初頭に渡って上海で作られていた楽曲も「時代曲」と総称するようになった。
中国のポップスの歴史は、1920年代から1930年代の上海に始まる──。というのが、現在の通説である。上海は、1842年の南京条約で開港して以来、中国大陸への入り口の一つ
として大きく栄え、様々な西洋文化と中国伝統文化が融合する一大拠点となった。「租界」と言われる治外法権地区には、西洋各国主導でキャバレーや賭博場、売春施設などが建てられ、発展をきわめた。また、日本も1930年代にかけてこの租界の権益へ積極的に干渉していった。その1930年代には、映画、舞台、さらにラジオ等のメディアの発展に伴い、「時代曲」が盛んに吹き込まれ、英国EMIが母体となる現地レーベル<百代唱片公司>などを中心に数多のレコードが発売された。
本作『Waiting For Your Return: A Shidaiqu Anthology 1927-1952 Part. I』は、中国ポップスの祖・黎錦暉(リー・ジンホイ)による「毛毛雨」ではじまる。歌舞団を率い、子どもたち歌の創作にも邁進した黎錦暉の華々しいキャリアは、同曲のヒットによって拓かれた。ジャズ等の西洋音楽の影響を反映しつつも、小唄等中国の伝統的な音楽を融合させた彼の音楽は、上海の時代曲黎明期を画するものとして評価されているが、当時は、毀誉褒貶あいまじるものだったという。作家の魯迅は、「猫を締め殺すような」という表現を使って「毛毛雨」における黎錦暉の娘・黎明暉(リー・ミンホイ)の歌声を批判している。
これはいかにも辛辣な表現にみえるが、ある意味ではこの時代の時代曲の本質の一面をうまく捉えているともいえる。当時の歌手は主に歌舞団出身の少女が兼ねていたが、彼女たちは正式のヴォイス・トレーニングを受けていなかったため、こうした独特の歌唱法になったという。本作にも、龔秋霞(ゴウ・チョウシア)、白虹(バイ・ホン)、周璇(チョウ・シュアン)といった歌舞団出身の歌手による録音が収められているが、彼女たちの歌声は同時代の日本の流行歌と比べても確かにかなりトレブリーなもので、実に個性的だ。逆に言うと、この印象的な歌声こそが上海時代曲の特徴を形作っているともいえる。これらの曲を聴くと、現代の私達は瞬時に「中国的なイメージ」を抱くはずだが、その理由には、音階やアンサンブルの特徴にも増して、この声の魅力が大きく寄与しているはずだ。
また、こうした歌唱は当時のテクノロジーの発展とも密接な関係にあるものだった。上海音楽界におけるマイクロフォンを使用した電気式レコーディングの浸透は、彼女たちのか細い歌声をニュアンス豊かに捉えることを可能にしたのだった(電気式録音によって米国のポピュラー音楽界でクルーナー系の歌手が台頭したというエピソードも彷彿させる)。いわば、「時代曲」の「時代」には、「技術の新時代」という意味も隠されているのだった。更に、上述の周璇、白虹、龔秋霞に加え、白光(バイ・クァン)、姚莉(ヤオ・リー)、李香蘭こと山口淑子、呉鶯音(ウー・インイン)らは「上海七大歌后」と呼ばれ大きな人気を博したが、彼女たちのほとんどが映画女優を兼ねており、その劇中歌がヒットにつながる例も多かった。そうした「メディアミックス」的な展開もまた、テクノロジーの発展によって下支えされていたものであり、まさしく時代曲が当時の最先端のポピュラーミュージックであったことを証明している。
そう。ここに収められた音楽は、何を差し置いても、きわめてライブリーで、溌剌とした、生気に満ちたポップミュージックなのだ。正直に言うと、このカセットテープの、ブックレットや詳細データを(あえてだと思うが)ばっさりと切り落とした「アーティスティック」なパッケージは、ここに収められている音楽を「謎めいた」「エキゾチック」な存在に押し込んだままにしてしまう危険性もあるように思う。
国際都市上海に生まれた音楽として当然のように西洋音楽からの影響を受けつつも、伝統文化からの継承も色濃く刻まれたこれらの曲は、確かに約100年後の未来を生きる私達に、曰く言い難いエキゾチックな感触を与える。もちろん、これがポップ・ミュージックであるという同じ理由によって、当然各人の聴き方は自由だし、特にその歴史的な背景に関心を向けることなく「音のインテリア」や「優れたミックステープ」として楽しむのもアリだろう。実際、いかにも古めかしいポートレート写真が施されたこのカセットテープは、ある種の憑在論的な、「過去の亡霊の回帰」的な文脈で楽しむのが適しているのかもしれない。
しかし、同時にこれがポップ・ミュージックであるのならば、それが成立した時代的な背景を読み取りながらじっくりと味わってみるのも、(仮にエシカルな視点を抜きにしたとしても)大変に意義深いことだと思う。時代曲が後の中華人民共和国の設立を契機に共産党当局から取り締まられ(これによって時代曲の拠点は香港へ移転していった)、1957年からは「黄色歌曲」という蔑称の元厳しい弾圧の対象となったという歴史的事実を知ってしまえば、なお一層そう思わざるを得ない。一連の反右派闘争の中で、時代曲は堕落の象徴として指弾され、辛苦に満ちたその後を歩んだものも少なくなかったという。
あまりに自明のことだが、過去のポップ・ミュージックを振り返るという行為は、その「時代」のありようを振り返ることから切り離すのは難しい。私達がその音楽を「どう聴くか」に関わらず、当のポップミュージックの側から、時代への呼び声は常に響いているのだ。『Waiting For Your Return: A Shidaiqu Anthology 1927-1952 Part. I』に収められた音楽からは、その呼び声がたしかに、力強く響いている。(柴崎祐二)
参考文献:
貴志俊彦 著『東アジア流行歌アワー 越境する音 交錯する音楽人』岩波書店、2013年
林穂紅 編『チャイニーズ・ポップスのすべて』音楽之友社、1997年
ピーター・マニュエル 著、中村 とうよう 訳『非西欧世界のポピュラー音楽』ミュージック・マガジン 1992年
Text By Yuji Shibasaki
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『Waiting For Your Return: A Shidaiqu Anthology 1927-1952 Part. I』
2023年 / Death Is Not The End
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柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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