【未来は懐かしい】
Vol.34
復権するアレンジャー主義
〜クラウス・オガーマン編曲/指揮、ジョイスのNY録音未発表作
このところ音楽ファンの中で、かつてないほど編曲家という存在への注目が高まっているのを感じる。ベテランのポップスあるいは歌謡曲のファンなど、かねてより編曲家及びそのアレンジ技にフォーカスして音楽を楽しむ人たちは少なくなかった。が、ここへきてどうやら若いリスナーの中にもそうした傾向が広まっているふうなのだ。特に日本では、先年来のシティポップ・ブームとも連動し、萩田光雄や船山基紀、武部聡志、井上鑑、清水信之などの名匠が手掛けたニュー・ミュージック楽曲のアレンジが再び注目を浴びてきた。レコードやCDのクレジットを細かくチェックしながら、巧みなアレンジを楽しむといったリスニングのあり方が、特段マニアックなリスナーに限らずじわじわと浸透してきているようなのだ。
当然ながら、海外のポップスにおける編曲家の役割へも以前にもまして関心が払われるようになったように感じる。こちらも比較的古くから、ジャック・ニッチェやチャーリー・カレロ、ニック・デカロなどのアメリカン・ポップスを支えたアレンジャーが人気を博してきたし、トム・ベル、ボビー・マーティン、チャールズ・ステップニーのように、ソウル・ファンに熱く支持される人も多かった。かつてそういった人々の知名度というのは、あくまで熱心な音楽ファンのうちにとどまっていた印象があったが、旧い音楽にそれなりの関心を持つ若い音楽ファンと話をしていていると、意外にもこれらの人たちの名前が挙がることが少なくないのだ。
なぜこうした現象が起こっているのか。一つの仮説でしかないが、ぼんやりと以下のように考えている。打ち込みやサンプリングによる音楽制作の技法が全面的に敷衍したことによって、アマチュアのDTM文化圏ではもちろん、プロフェッショナルの現場でも、作曲からミックスまでを司るトラックメイカー/プロデューサーの存在が音作りの中心を占めるようになってきた。翻って、編曲家というある種の専門家は、そうした「音楽制作の民主化」の過程において徐々に居場所を失っていった(より正確にいうと、トラックメイカー/プロデューサーへと発展的に吸収されていった)。すると、かえって編曲家という専門家が活躍しえたかつての音楽制作のスキームとアレンジ技そのものへの関心が、それがある種のレガシーであるように感じられるからこそ余計に魅力的なものとして蘇ってきたのではないか、と。
クラウス・オガーマンは、私が音楽好きの仲間とアレンジャー談義を交わす際、毎回いの一番にお気に入りとして名を挙げさせてもらう人物だ。1950年代から故郷西ドイツで編曲家として活動を行い、1959年に米国へ拠点を映すと、ポップス、R&B、ジャズを中心に数え切れない仕事をこなしていった。1960年代に入るとヴァーヴ・レコードのプロデューサー:クリード・テイラーと組んで同社の作品に多く携わるようになる。ジミー・スミス、ウェス・モンゴメリー、ビル・エヴァンスなどの作品で、流麗なストリングス・アレンジを施し、ジャズのポップ化、洗練化に大きく貢献した。また同じ時期にはアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ドナート、アストラッド・ジルベルトらのレコードにも参加し、ブラジルのアーティストとも深い関係を結んだ。1970年代以降の最も著名な仕事は、ジョージ・ベンソンの大ヒット・アルバム『Breezin’』(1976年)における編曲/指揮だろう。また、一連の仕事と並行して散発的に自分名義での活動も行っており、特に1977年にリリースした『Gate of Dreams』は、その卓越した技術とみずみずしいセンスがまさしく唯一無二のものであることがよくわかる傑作だ。
彼の編曲のほぼ全てから聴こえてくるのが、クラシックの要素をほのかににじませるノーブルなハーモニー・センスと、それによって立ち現れる実に映像喚起的な音像だ。有り体な言い方をすると、水彩画のごとく清涼で、押し付けがましくないのだ。この感覚は、「ミニマル」かつ「アンビエント」的と言ってもそうは外れていないはずだ。それでいて、ときに大胆さや先鋭性を恐れず、プログレッシブなアレンジを施すこともあるから一筋縄ではいかない。
ここに紹介する『Natureza』は、「ボサ・ノヴァ第二世代」の一翼を担ったリオデジャネイロ生まれのシンガー・ソングライター:ジョイス・モレーノが1977年にオガーマンの編曲を得てニューヨークで録音していた未発表音源を発掘し、まとめたものだ。ジョイスといえば、1980年代末から1990年代前半にかけてのUKアシッド・ジャズ・シーンでの大々的な再評価のおかげもあって、日本のフリーソウル世代にもおなじみの存在だろう。この『Natureza』、そんな彼女の出世作となるはずだった肝いり企画で、マウリシオ・マエストロ、トゥッチー・モレーノ、ナナ・ヴァスコンセロスといったブラジルの名手達に限らず、ジョー・ファレル、マイケル・ブレッカー、バスター・ウィリアムス、マイク・マニエリといったニューヨークのトップ・ミュージシャンが参加した。
そもそもこのセッションは、アントニオ・カルロス・ジョビンのドラマーとして活動していたジョアン・パルマがジョイスをオガーマンに紹介したことをきっかけに開始されたものだった。それゆえ、オガーマンは単なるアレンジャーという立場を越えて、プロデューサーの役割も担っており、気の入りようも並々ならぬものがあったようだ(ジョイスをマイケル・フランクスに引き合わせようとしたり、彼女のアメリカでの成功を手厚くサポートしようとしていたらしい)。
ブラジル音楽ファンの興味をまず惹くのが、冒頭の「Feminina」だろう。これは後の1980年に同名アルバムで再演され、更に後にはアシッド・ジャズ・シーンでアンセム化した曲の別バージョンとなる。1980年版とテンポや基本的なアレンジでそこまで差があるわけではないので、そもそも1980年代版自体このオガーマン版が下敷きになっていたことが察される。しかし、疾走するヴィブラフォンと11分以上に及ぶ持続的なグルーヴが圧巻。この時点から名曲の風格を漂わせている。「Mistérios」や「Pega Leve」など、同じく後に再演されることになる曲も、既に単なる別バージョンという以上に完成度の高い習熟したアレンジが施されており、お蔵入りになってしまったのが惜しまれる出来栄えだ。
オガーマン節を堪能できる「Moreno」、「Coração Sonhador」、「Descompassadamente」、「Ciclo Da Vida」あたりも実に素晴らしい。ときにドローンなども用いながらコンテンポラリーな味付けを欠かさず、ときに定石に乗っ取りながら清々しい甘味を加えていく。まさしく、ハーモニーの魔術師と称すべき超一級の仕事ぶりだ(ちなみにこの未発表音源集、一部曲を除くミックス済のマスターテープ劣化が原因で、比較的程度の良いトラックダウン前のテープがソースとなっている。そのため、やや音質面で聞きづらい部分があり、そこだけが残念だ)。
かつて、レコード・マニアの間で「クレジット書い」という言葉があったように、ある作品に参加しているミュージシャンなりアレンジャー、プロデューサーの情報をもとにレコードを収集するという行為には特有の興奮と喜びがあるものだ。《Discogs》等のデータベース/マーケットサイト等の発達・浸透によって、ある程度の下調べも可能になり、今ではそういう「クレジット書い」も特段にしやすくなった。オガーマンの仕事に興味を持った方は、是非他の参加作もチェックしてもらいたい。
おまけとして、個人的にイチオシしたいオガーマン関連作品をいくつか挙げておくので、参考にしてください。
・Jimmy Smith『Any Number Can Win』(1963年)
・João Donato『The New Sound Of Brazil』(1965年)
・Bill Evans Trio『Bill Evans Trio With Symphony Orchestra』(1966年)
・Frank Sinatra & Antonio Carlos Jobim『Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim』(1967年)
・Bill Evans『Symbiosis』(1974年)
・Michael Franks『Sleeping Gypsy』(1977年)
・Claus Ogermann Orchestra『Gate of Dreams』(1977年)
・Dr.John『City Lights』(1978年)
番外編
・佐藤博『青空』(1976年)
*オガーマンからの影響を公言する坂本龍一による、「オガーマン風編曲」を味わえる名盤。
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】
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