【未来は懐かしい】Vol.22
シンガーソングライター・ミュージックと演劇の蜜月
「幻の名盤」ブームを彩ったトニー・コジネクの名作が遂にCDリイシュー
トニー・コジネクは、イギリス生まれ、カナダ育ちのシンガーソングライター。熱心なシンガーソングライター・ファンの間で宝物のように聴き継がれてきた1970年のセカンド・アルバム『Bad Girl Songs』は、個人的にもオールタイム・フェイバリットの十指に入るくらい愛着の深い作品だ。当連載では「歴史的名盤」やロック〜ポップス系のレジェンドをあまり扱ってこなかったし、普段この《TURN》の記事をチェックする読者の方々にとっては、「トニー・コジネク」といっても全然馴染みのない名前かもしれない。しかし、もしあなたが彼の名を今回初めて目にしたのだとしても、『Bad Girl Songs』と、今回紹介する『Consider The Heart』の2作だけは、是非とも耳にしてもらいたい。
アコースティック・ギターなりピアノなりを基軸にフォーキーで穏やかな自作曲を聴かせるタイプの音楽=狭義のシンガーソングライター・ミュージックが、(10年ほど前のインディー・フォーク最盛を経て)徐々に先端的な時流とそぐわないものになっているのもわかる。一方で、現在広義のシンガーソングライター・ミュージックのイメージを形作っているのは、フォーク/ポップスはおろかエレクトロニック・ミュージック等を射程に捉えた断然ジャンルレスなものであり、そもそも、今やほとんどすべてのインディー系アーティストが「シンガー・ソングライター」であるともいえる。そのような状況にあって、今一度、シンガーソングライター・ミュージックのルーツに触れてみるのも意義のないことではないだろう。
とはいえ……トニー・コジネクは70年代のシンガー・ソングライター像を確かに体現する人物ではあるが、その実、華やかな商業的成功を収めたわけでもないし、知名度的にも(特に日本以外で)かなり限られたものであるのも事実だ。ファースト・アルバム『Processes』(1969年)にしても、上述のように後に不朽の名作と呼ばれることになる『Bad Girl Songs』にしても、なにがしかの強いインパクトをシーンに与えたことはなかった。後に醸成されたいわゆる「幻の名盤」のブームやロック喫茶文化を通じて、日本を中心にじわじわとカルト的な人気を高めていった、という認識が正しい(その甲斐もあって、『Bad Girl Songs』は1981年にCBSソニーから国内発売されている)。大規模な産業化に向かう70年代半ば以降のポップスシーンにあって、相対的に1970年代初頭のシンガーソングライター・ミュージックのシンプルな魅力が蘇ってきた、という構図もあっただろう。反商業主義的なピュアさ、ある種の内省性や親密さ……トニー・コジネクの音楽には、それらが最高の純度で詰まっていたのだ。フォークのイディオムを消化しつつ、ビートルズ等のロック、同時代ポップスの新鮮なハーモニー感覚を湛えた奥ゆかしい楽曲。か細く実直な歌声。温かで繊細な視線に導かれた歌詞。あの時代ならではの丸みを帯びた録音/ミックスも、これらの魅力を最大化するのに寄与している。
このサード・アルバム『Consider The Heart』は、長いこと再発の望まれていた作品だった。オリジナル発売元はカナダの小規模レーベル《Smile Records》。1979年に日本のCBSソニーが奇特にも国内盤をリリースしているが、その後長いこと「幻の名盤」として一部ファンからCD化が熱望されていた(数年前からひっそりとダウンロード販売されていた)。様々な理由からリイシューは難しいのだろうなと思い込んでいたので、今回こうして紙ジャケット仕様で再登場したのには驚いた。しかも、ブックレットを見ると、トニー・コジネク自身も再発に関わっているのだから、正真正銘本人公認の正規リイシューだ(更には、極めて貴重なデモ録音が5曲も足されているのだから嬉しい)。
改めて内容を聴いてみよう。まず耳を惹くのが、前作同様のポップで優しげなメロディーと、キラキラと粒だったアコースティック・ギターの響き、伸びやかなヴォーカルだ。その一方で今作の一番の特徴というべきが、通常のポップソングによくある循環的な構造を逸脱するダイナミックな楽曲展開だろう。こういう場合よく使われる形容詞に「シアトリカル」というのがあるが、じっさいかなり演劇的/ミュージカル的な緩急を伴った楽曲が多い。エミット・ローズやアンディ・プラット等の「ポール・マッカトニー・チルドレン」を思わせるところもあり、一方ではローラ・ニーロの初期作品に通じるようでもある(時代はぐっと下るが、ルーファス・ウェインライトやスフィアン・スティーヴンスの音楽を先取りしたような感覚もある)。こうした傾向はそれまでの作品でもほのかに垣間見られたところだが、本作において全面的に開花している印象を受ける。楽器編成も前作よりカラフルさを増している。アコースティック楽器はもちろん、エレキギターやストリングス、はてはムーグ・シンセサイザーまでが登場し、「彩り」以上の働きをみせる。複雑なコーラスワークも特徴的だ。
ところで、本作に聴かれるこうしたミュージカル・ソング的な傾向は一体どういった影響によるものなのだろう?今回の再発盤に付属する本人によるライナーノーツは、長らく抱いてきたその問いに真正面から答えてくれるものだった。
詳細については是非CDを購入の上読んでみてほしいが、ここでも簡単に紹介してみよう。元々1968年にコロムビアからのレコード・デビューのために地元カナダを離れた彼は、その後のレコーディングやツアーの日々を主にアメリカで過ごすことになった(そんな中、名プロデューサーであるピーター・アッシャーと出会いLAで制作されたのが『Bad Girl Songs』だった)。きらびやかな業界や交友関係の裏で徐々にそうした日々への疑問と孤独感を強めていき、ついにはトロントへ舞い戻った。そこでは、各地の音楽関係者やベトナム戦争の徴兵を忌避した文化関係者が多く集うカウンターカルチャーのサロンのような環境が醸成されていたのだという。特に彼の心を惹いたのが劇作家や俳優、ダンサーなどの演劇関係者だった。マッカルパインとマックリック通りに位置するボロ屋群にそういった人々が住み着くことで、音楽と演劇文化の交流が盛んに行われていた。当時の大ヒットミュージカルである『ジーザス・クライスト・スーパースター』や『ゴスペル』の関係者が出入りしたり、ジョン・ベルーシやビル・マーレイを輩出したことでも有名なシカゴのコメディ劇団《The Second City》の支部が設置されたりもした。本作のプロデューサーを務めたシッド・ケスラーや、ギターで参加したフッレッド・モリンも、そうした繋がりから参加したメンバーだという。なるほど、こうした背景を知ると、本作における音楽性の変化も得心がいく。演劇史の門外漢としては、彼の述懐がどれほど貴重な証言であるかは測りかねるわけだが、少なくともトニー・コジネクのファンにとっては非常に魅力的な新情報であることは間違いない。
いつの時代、どんな場所でも、人と人が交わりながら作られる音楽の背景には(それがどんなに「個」の色彩を纏っているように見えても)、なにがしかの豊かなコミュニティの存在があるものなのだろう。それはおそらく、現在における広義のシンガーソングライター・ミュージックにも大なり小なり通じることだとも思う。やはり私は、「一人であること」の中にも様々な人々の息遣いが流れ込んでいる音楽に惹かれるのだろう。今世界の状況がこんな風だからこそ、それが余計に美しく、貴重に思えるのかもしれない。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二リイシュー連載【未来は懐かしい】
アーカイヴ記事
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