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【未来は懐かしい】Vol.19
レフトフィールドポップの輝き
「CDエイジ」の日本産楽曲をコンパイルした野心的コンピレーション

17 May 2021 | By Yuji Shibasaki

この『HEISEI NO OTO – JAPANESE LEFT-FIELD POP FROM THE CD AGE (1989-1996)』は、本来ならばもっと早く当連載で紹介するつもりだった。海外発売は今年の2月末。昨今のコロナ禍もあって輸入盤の日本発売が現地よりも遅れる例は少なくないが、それでも本盤の流通の渋さは際立っていた。LP版はもちろん、某大型ECサイトでは、4月頭到着予定となっていたCD版もズルズルと発送が伸び続ける始末。各サイトを転々としながら、ようやく先月末に手に入れた次第だ。もちろん各種ストリーミングサービスでも聴くことはできるのだが、デジタル版は抜粋ヴァージョンであり、CD版はLP版よりも一曲多く収録する変則的仕様なので、なんとしてもCD版を手に入れたかったのだ……と、個人的な話はこれくらいにしておこう。要するにこの作品集は、長く国内流通在庫がショートしてしまうほどに、海外リスナーの間でまずは熱く迎え入れられたということなのだろう(実際、LP版は海外の予約販売分だけで初回プレス数に達してしまったらしい)。

本連載をチェックいただいている読者の方々には改めていうまでもないことだが、ここ数年来、かつて日本で産まれた音楽(例えばシティポップや環境音楽)がネット上を中心に海外リスナーから高い人気を得てきた。そうした状況は当然オリジナル・アナログ盤への関心を焚き付け、各種マケプレや店頭で数々のレコード作品が高騰している様子が常態化した。では、次に「再発見」されるのはどんな音楽なのだろうか?私を含めた一部のファンたちは、未だ見ぬ「ディグ」のフロンティアとして、これまで存外に見過ごされてきたメディアであるCDへと徐々にその目線を移してきた。レアグルーヴの勃興以降、アナログ・レコードにDJカルチャー的な真正性を見出し、CDをその関心外とするムードが支配的だったとすれば、近年になって、ようやくそういった「常識」が融解してきているのだ。こうした状況は、単にアナログ盤信仰へのカウンター意識だけが準備してきたわけではない。再生メディアとしてのCDの全盛期間を(本コンピの副題に掲げられているように)80年代末から90年代後半までとするなら、かつては未だ恥じらいとともに眼差されていたそうした「近過去」が、ようやっと相対化のテーブルに乗せられはじめたということだろう。一般に人は、実体的な記憶を伴う、現在へ直接的に連結する近過去を過小に見積もる傾向がある。それが再び発見されるためには、強い連結は洗い流されなくてはならない。CDがいよいよノスタルジーの対象となり、ここに収められた音楽が、現在と(一見)断絶しているように感じられるからこそ、あるいは、そのように感じるリスナーが新たな世代として出来してきたからこそ、これらの音楽はたしかに「新しい」ものとして受容されうるのだ。いわんや、場所的にも非連続的である日本国外のリスナーたちをや。ここにある「新しさ」は、現在の日常と接続された実体的なそれ以上に、ときに不思議なほど新鮮に響く。

本盤の選曲を担当したのは、長年《Music From Memory》のクルーと交流を持ってきた大阪のレコードショップ《rare groove》のオーナー/DJの佐藤憲男と、同じく大阪のショップ《Revelation Time》のオーナー/DJの谷口英司のふたり。ライナーノーツを寄稿するのは、東京のショップ《Organic Music》のオーナー/DJのCHEE SHIMIZUだ。収められたアーティストは以下の通り。佐藤準、FUMIHIRO MURAKAMI、Love, Peace & Trance、横川理彦、橋本一子、井上陽水、野中英紀、喜納友子、Adi、Xácara、POiSON GiRL FRiEND、Dream Dolphin、桜井圭介、石黒浩己、Dido、菊池圭介(CD版へは加えてSynagetic Voice Orchestraが収録されている)。和モノ系のマニアの方にはお馴染みの名前が並ぶ一方、井上陽水のようなビッグネームがいたり、方や見慣れないアーティスト名もある。一見バラバラなランナップに見えるかもしれないが、それを統御しているの「レフトフィールドポップ」というタームだ。

「レフトフィールド」という概念は、従来からクラブ・ミュージックやエクスペリメンタル系音楽のリスナーには馴染み深いものだろうが、あえて噛み砕いて言えば、「主流から外れた」あるいは「一風変わった」といった程度のものだ。本作のタイトルにおいて面白いのは、その反対概念と思われるような「ポップ」というワードを付随していることだろう。ここ数十年で、前衛とポップスを二項対立的に捉える見取りは瓦解したとはいえ、それらを弁別的に聞き分けようとする常識は、折に触れて粘り強く回帰してくる。特に、日本国内のリスナーが日本国内産のポップスを聴こう/語ろうとするとき、この二分法はことあるごとに顔を出し、ひいてはそれぞれの「聴き方」を分け隔てるだけでなく、ときには各音楽のファンダムのあり方へもあまり建設的とはいえない影響を及ぼしてきた(ポップスを揶揄したり「無視」する仕草/あるいは、前衛を「頭でっかち」として批判する仕草など)。本作を聴いていてもっとも心地よい部分であり、かつ知的な興奮を喚起させるのが、そうした二分法が見事に溶けあっていくさまだ。対立的な語であると思ってしまいがちなレフトフィールドとポップスが、互いに融解し、「レフトフィールドポップ」というワンワードの概念として立ち上がる。クリシェとしてよくいわれる「ジャンルの枠を超えた」という表現とも違った、より相互嵌入的な何かがここにはある。

全体を彩るのは、シンセサイザーとリズムマシン等のエレクトロニックな音色、アンビエントやニューエイジというキーワードを想起させるアトモスフェリックな質感、ミニマルだがどこかキャッチーなフレーズの寄せ返し、あくまで軽やかでポップなハーモニーだ。 まず、本作の影の主役とでもいえそうな細野晴臣(自身のユニットLove, Peace & Tranceが収録されているほか、多くのアーティストのバイオグラフィーにも彼の名が頻出する)をはじめ、佐藤準や橋本一子、野中英紀らの楽曲が、本コンピのイメージを決定する。そこへFUMIHIRO MURAKAMI、Xácara、石黒浩己など、ややオブスキュアなアーティストによる曲が並列し、更には、POiSON GiRL FRiENDやDream Dolphinなど、従来の「和レアリック」的観点からさらに一歩進み出るような、CD時代ならではのビート/テクスチャーの際立つ楽曲が続いていく(しかもその合間に細野晴臣アレンジによる井上陽水の傑作曲「Pi Po Pa」が挿入されたりする)。これらが見事なほどシームレスに、優れたDJミックスを聴いているような感覚で配置されていく快感は、明らかに旧来の和モノ系コンピレーションアルバムでは味わえなかった類のものだ。新奇な刺激と、どこか馴染み深い甘やかさ。「レフトフィールドポップ」という器の上でそれらが自由に遊び、耳をときほぐしてくれる。監修者達による詳細なライナーも実に誠実で、奥深い世界へと誘ってくれる(ここでは、「だれがなにを見つけ、いつプレイしたのか」といったような一部DJやディガーたちが執心しがちな卓越化への野望は感じられない。むしろ、昨今再び顕在化しているそういう自意識を退けるある種の軽みが好印象だ)。

おそらく本作の真価は、上に述べたようなリスニング上の悦びを運び込むだけにとどまらない。過去の優れたコンピレーション作品がすべてそうであったように、聴くもののディグ欲≒知識欲を強烈に掻き立てうる機能も、大変に意義深いものだろう。CDエイジの本格的探索が端緒についた今、本作が優れた前照灯となってくれるのは確実だ。「再発見」「再発掘」のダイナミズムは、それが一般化する直前が最も面白い。言い方を変えれば、ノスタルジーは、それが固定化される前が最も面白く、もっとも「現代的」でもあるのだ。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


Various Artists

『HEISEI NO OTO – JAPANESE LEFT-FIELD POP FROM THE CD AGE (1989-1996) 』



2021年 / Music From Memory


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柴崎祐二リイシュー連載【未来は懐かしい】
アーカイヴ記事

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