BEST TRACKS OF THE MONTH -January, 2019-
The Alchemist feat. Earl Sweatshirt – 「E Coli」
聴いた瞬間に「やっぱコレだよな〜」と嘆息するような一曲。フックは1つだけ。ゆったりと揺蕩う女声コーラスと奇妙に上ずったようなストリングス、そしてベースラインで構成された1ループ。ただそれだけ。でも、そのただ1つのフックが、ひたすら繰り返された時だけに生まれる高揚感が、音楽の世界、特にヒップホップの世界にはある。レコードを掘り、そこから音を採り出して、ビートを編む。そのスタイルを何十年も貫いてきたアルケミストは、やはり一種の求道者のように感じられるが、ここで客演しているのは、同じ「道」を(ツイストしながら)追い掛けるアール・スウェットシャツ。そのラップは、ノスタルジックなグルーヴに乗せて、相変わらず自在のフロウで、ゆったりと揺れている。EPには当然インスト・バージョンも収録。そこに込められた「ビートも、またアート」という矜持には、ラップ・ミュージック全盛の今だからこそ感じ入る部分が当然、ある。(MVは曲の前後に「おまけ映像」付きのロング・バージョン。)(坂内優太)
Alice Phoebe Lou -「Skin Crawl」
慣れすぎた日常に流されて理不尽に傷つくことがある。アリス・フィービー・ルーは苦難と遭遇したとき自らの意志が大切だと教えてくれる。
虫唾が走る、あなたを楽しませるためにいるわけじゃないというフレーズ、マンハッタンで偶然出会った男性から受けたセクハラや強引な行動への不快な感情。けれど「Skin Crawl」はハチロクのリズムで軽快に、ゆったりとしたギターのアルペジオは幻想的、彼女の澄み切った声には心地良ささえ感じる。一見正反対の表現が歌詞となり音となり、あえて共存させられているよう。苦難と相対したとき泣き寝入りしないという表明のリリック、自身のスタイルを貫いて流されない決意のようなサウンド、彼女の感情は燃え上がっている。
強い力によって自身の身が脅かされたとき声をあげる必要がある。昨年グーグルの再開発に反対運動をしたベルリンがよぎるのは、ベルリンを拠点とする彼女の表現ともリンクするからなのかもしれない。(加藤孔紀)
Gus Dapperton -「My Favorite Fish」
Gus Dappertonは、私の2018年ベストトラックの一つ「Amadelle With Love」など個人的にとても注目しているNYのSSWだ。そんな彼の新曲は、お魚ソングともシリアスな社会問題ともとれる二重の含みを持ったチャーミングな一曲に仕上がっている。ギターの弾き語り的な始まりから、彼の十八番とも言えるサビでのリフレインは、グッとくる熱を持った高揚感がある。感傷的なサウンドをバックに、“あなたは私の大好きなお魚ちゃん”というサビを始め、恋愛における浮き沈みを魚で喩えながら描いている。
この曲を聴いて私は、半魚人と耳の聞こえない女性の恋愛を描きアカデミー賞を受賞した映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を思い浮かべた。この歌の恋愛像が他のラブソングと何ら変わらない所に映画との共通点を感じ、障害や人種、LGBTQの差別問題を扱ったこの映画の主人公2人へ贈った歌に聴こえてくるからだ。コミックソングになりがちな魚をトピックに使うことで解釈に幅を持たせた。ここに彼のソングライティングの妙を感じる。(杉山慧)
J. Cole -「Middle Child」
昨年発表したアルバム『KOD』のラスト、「1985」に付けられた副題は、Intro to “The Fall Off” (“堕落”への入口)だった。そして年が変わり2019年、口火を切るようにリリースされた本曲はJ.コールの明確なモードチェンジを感じさせる。耳を引くキャッチーなシンセフレーズがコールの作品らしくミニマルにミックスされたトラックは、『KOD』のみならず、ケンドリック・ラマーやドレイクの作品にも参加するプロデューサー、T-Minusが手掛けたもの。そしてリリックはタイトル「Middle Child」(=真ん中の子)の通り間に挟まれた世代の想いが正直に吐露されている。「リストを作って、これから撃ち殺しに行く」という旨の攻撃的なラインに始まり、上の世代、下の世代、そして同世代へ向けられた言葉たち。それは今までの達観した視点、あるいはストーリーテリング的筆致から離れ、とことん主観的だ。これが、彼のいう“堕落”なのだろうか。
また自身の率いるレーベル<Dreamville>による様々なラッパーの参加するミックステープ・プロジェクト『Revenge Of The Dreamers』の第3弾もこれまで以上のスケールで進行中らしく今後も彼の動きから目が離せない。(高久大輝)
Lizzo -「Juice」
ジュースには飲み物以外にパワー、リスペクト他に影響力という意味があり、この曲もそのタイトルを受けエネルギッシュでポジティヴな楽曲だ。「鏡よ、鏡よ、鏡さん」という白雪姫の名ゼリフから始まるが元のセリフとは違ってLizzoは、次のバースで「言わなくていいわ、私がキュートなのは分かってるから。」とスカッと痛快な切り替えしを披露。他にも歳を取ることは老いではなく熟成だとワインを比喩に用いて若さを求める美の価値観を批判する。この曲は、飲料での例えやジュースで韻を踏むなど言葉遊びをしながら、自分自身の肯定をテーマに歌う。
彼女の大きな体から繰り出されるソウルフルな歌声。そこにシェリル・リンやプリンスなどを思わせるディスコ~ミネアポリスファンクを掛け合わせることで、語感の心地よさを引き立てると共にハッピーなバイブスを与えてくれる。この曲は、広告などによる美の価値観の押し付けを批判する現代のプロテストソングだ。(杉山慧)
Stella Donnely – 「Old Man」
シークレットリー・カナディアンから1stアルバムをリリースするオーストラリア西部パース拠点のシンガーソングライターによる一曲。昨年彼女が発表したEPには家父長制的価値観、性暴力への批判が込められていた。本曲でも、フォーキーで温かみのあるレイドバックしたサウンドにのって、旧態的マスキュリニティへのプロテストが歌われる。
本曲の凄さは、MVを含めたストーリーテリング。MVで護身術の本(=男性性からの自己防衛)をみて友人と戯れるようにトレーニングをする様子を描きつつ、上述したシリアスなリリックを軽やかに彼女は歌いあげる。
全世界的な#MeToo、Time’s Upムーブメントを背景に、固定化された女性性への違和感を表現する(「女性」)音楽家の批評的成功が昨年のトレンドだった。彼女はその流脈のなか、シリアスだがあくまでも自然体でそのテーマを歌い上げる。本曲は、運動と音楽的表現が重なり合い、日常へと落とし込まれていく中で生まれた一つの表現的成功だと思う。(尾野泰幸)
tofubeats -「Plastic Love」
あえての無機質カヴァーだ。それこそが、単にブームに乗じたわけではないことを物語っている。ここ数年ほどの、日本の80年代シティ・ポップが海外で脚光を浴びている状況において、竹内まりやの「Plastic Love」(1984年)は最も注目を集める楽曲であり、本カヴァーも当然それを踏まえてのものだ。アレンジ自体は原曲に忠実で、ややチープなスネアの残響感には80年代サウンドへのオマージュを感じ取れる。だが、そこに重なるのはロボ声のヴォーカル。シンセ・ベースやビートはハイファイで重たく、ストリングス・オケにも機械的なプロダクションが貫かれている。
シティ・ポップは、ヴェイパー・ウェーブの派生で、一昔前の日本のアニメの映像を組み合わせるなどノスタルジーの喚起とリンクしたジャンル=フューチャー・ファンクでサンプリングされがちだ。tofubeatsもまた、昔懐かしいタッチのイラストのカバー・アートでお馴染みだが、今回ばかりは自身のポートレートを使っているのが興味深い。まるで、ノスタルジーのフィルターを通してこの楽曲を聴く行為を突き放しているようにも思えるのだ。以前にも同曲をカヴァーしたことがあるほど「Plastic Love」を愛する彼だからこそ、ひょっとすると、あえて淡々とカヴァーするでことで改めて楽曲自体の持つ真価を愛情を持って私達に提示しているのかもしれない。(井草七海)
Zacari – Don’t Trip
少しだけ「エモ」な雰囲気を塗したヴァースの歌メロ、あるいは透き通るようなコーラスのR&Bボーカル、楽曲の懐かしい雰囲気を強調するエレピのサンプル、そして時おり挟み込まれ、リゾート感を脳裏に刻む鳥の声……それら全ても、もちろん素晴らしい。でも、その美点を差し置いて、この3分足らずの曲を筆者が何度も聴いてしまう理由を一つ挙げるとしたら、それは間違いなくビートのプログラミングの緻密さにある。生ドラム的なくぐもったドラムスの音と、ドラムマシーン風情の無機質な打撃音。その有機的なコンビネーション。左右のチャンネルをダイナミックに生かしたフィルインのワイルドな優雅さにも目が眩む。ケンドリックの「LOVE.」をはじめ、数々のときめかしい客演やインディ作で正式リリースが待ち望まれていた才能による、露払いには十分過ぎる初シングル。(坂内優太)
Text By Kei SugiyamaYuta SakauchiNami IgusaDaiki TakakuKoki KatoYasuyuki Ono