『ホドロフスキーのサイコマジック』
見る者の精神を変容させる映画
ジョン・レノンやアンディ・ウォーホルなど様々なアーティストを魅了した『エル・トポ(El Topo)』(1970年)を携えて映画界に現れてから、アレハンドロ・ホドロフスキーは常に謎めいた存在だった。映画監督であると同時に、詩人、漫画原作者、タロットカードの研究家……と様々な顔をもつなかで、彼をひときわ謎めいているのが、彼が提唱している「サイコマジック」という心理療法だ。それが一体どういうものなのか。その全貌を本人の手で紹介したのが最新作『ホドロフスキーのサイコマジック(Psychomagie, un art pour guérir)』だ。コロナの影響で映画館が休館するるなか、配給会社のアップリンクがインターネットでの公開に踏み切って話題を呼んだが、6月12日から劇場公開されることが決定した。『ホドロフスキーのサイコマジック』はこういう状況だからこそ見て欲しい作品だが、内容について紹介する前にホドロフスキーの数奇な半生について触れておきたい。
1929年にチリで生まれたホドロフスキーは、大学で心理学を学ぶが中退。サーカスでピエロとして働きながら、劇団を立ち上げて演出家として活動するようになる。そして、1953年にパリに渡り、初めて撮った短編映画『La Cravate』(1957年)がジャン・コクトーに絶賛された。しかし、ホドロフスキーは映画には向かわず、パントマイムに夢中になってマルセル・マルソーの劇団に参加。脚本を手掛けながら、世界中をまわった。そして、1960年にメキシコに移り住んだホドロホスキーは、シュルレアリスムの先駆者、アンドレ・ブルトンと親交を深める一方で、前衛パフォーマンス集団を率いて活動し、1967年に初の長編映画『ファンドとリス(Fando y Lis)』、1970年に『エル・トポ』を発表する。地上最強の男を目指すガンマン(演じたのはホドロフスキー自身)の旅を描いた『エル・トポ』は、激しい暴力と詩的な描写が入り混じった鮮烈な映像で見るものに衝撃を与え、NYのミニシアターで公開されると大ヒットを記録。「ミッドナイトムービー(カルト映画)」ブームを生み出すきっかけになった。次作『ホーリー・マウンテン(The Holy Mountain)』(1973年)は不老不死の秘密の秘密を求めて錬金術師が旅をする物語で、ホドロフスキーをはじめ役者もドラッグをやりながら撮影。錬金術やタロットなどの知識を盛り込んで精神性を深めた本作は、ホドロフスキーを「カルト映画の帝王」にした。
その後、映画会社との確執があったりして思うように映画が撮れず、日本公開された作品は『サンタ・サングレ/聖なる血(Santa Sangre)』(1989年)くらい。伝説の監督として語り継がれていたホドロフスキーが再び大きな脚光を浴びたのは, 2013年に23年ぶりの新作として発表した『リアリティのダンス(La danza de la realidad)』だ。本作は少年時代の記憶をもとにした自伝的作品で、続く『エンドレス・ポエトリー(Poesía Sin Fin)』(2016年)は10代の青春時代に焦点をあてて、現実と虚構が入り混じりながらイマジネーション豊かに人生を振り返る。それはかつてフェデリコ・フェリーニが『アマルコルド(Amarcord)』(1973年)で、寺山修司が『田園に死す』(1974年)で描いたような、映画を通じて再構成した「もうひとつの人生」だ。この自伝的映画は3部作の予定になっているが、そこに挟み込まれるような形で発表されたのが『ホドロフスキーのサイコマジック』だった。ホドロフスキーにとっては初めてのドキュメンタリー映画となる本作は、自伝的な2本の映画を合わせてみると興味深い作品になっている。精神分析学者、エーリッフ・フロムとともに精神分析を学んだというホドロフスキーは、患者に語りかけることしかしない精神分析の対処法に疑問に限界を感じていたという。そこで彼が考えたのが、実際に患者に触れ、働きかけることで患者をトラウマから解放するというアプローチだった。そこにアートの要素が加えられたセラピーが「サイコマジック」だ。『ホドロフスキーのサイコマジック』では、ホドロフスキーが実際にサイコマジックを施している様子を映し出していく。
最初に登場するのは、父親から虐待されて自殺寸前まで追い込まれた男性。ホドロフスキーは大地に横たわった男性の上に6枚の皿を重ねて、それをハンマーで叩き割る。そして、手術で胸を開くマネをするのだが、それは男性の胸の中の溜まった痛みや苦しみを取り出しているのだろう。そして、地面に掘った穴に、頭だけ出して男性を埋めて周りに生肉をちりばめる。そこに集まってくるのがハゲタカ。つまり、男性は一度死んで土に還った、ということ。やがて土から掘り起こされた男性は、頭からミルクを浴び、新しい服を着て生まれ変わる。そして、最後に男性は、父親の写真を結んだ風船を空に飛ばす。その時、男性の顔に清々しい笑顔が浮かぶ。男性は死んで生まれ変わる、という行為を演じることで、苦しみを抱えた自分を葬り去り、新しい人生を歩み出すことができた。そこでホドロフスキーが果たした役割は、セラピストであり、象徴的な再生劇の演出家だ。
例えば誰かに対して怒りを感じた時、その誰かを攻撃する代わりにクッションを殴ったりすることで、怒りを発散させることができる。そうした代償行為をホドロフスキーらしい独創的な演出によって膨らませることで、依頼主が無意識に溜め込んだ膿を外に吐き出させる。依頼主の演劇的な行為が癒しに繋がるのだ。母親を一度も愛したことがない女性。家族に見捨てられたと感じている男性。結婚式の前日に婚約者が自殺した女性など、ホドロフスキーのもと訪れる人々はそれぞれに心に傷を抱えている。そのなかに、フランスのシンガー・ソングライター、アルチュール・アッシュが登場して驚かされるが、アルチュールは有名な父親、ジャック・イジュランとの関係に悩んできたのだとか。依頼主の多くは両親や家族との関係に苦しんでいるが、ホドロフスキー自身も抑圧的な父親に苦しめられていたことが『エンドレス・ポエトリー』で描かれている。本作では随所にホドロフスキーの過去の作品の映像が挿入されているが、そこではホドロフスキーが依頼主に施したことと同じことを、登場人物が行なっていることがある。つまり、ホドロフスキーにとって映画制作は自分自身を解放するためのサイコマジックだった。思えば彼を有名にした『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』は、どちらも主人公の魂の遍歴と救済の物語。自伝三部作の間に本作が制作されたのは、ホドロフスキーのアーティストとしての告白ともいえる。
ホドロフスキーが施すサイコマジックは。見る人によっては怪しげな行為のように思われるかもしれない。しかし、ホドロフスキーは依頼者からは金を受け取ることはなく、要求するのは一通の手紙だけ。依頼主は施術後、ホドロフスキーに手紙を書かなくてはいけない。それ以外に何も要求することはなく、ホドロフスキーは様々な人々にサイコマジックを施してきた。そこにあるのは、アートは人を変える力がある、という信念だ。コロナ影響下でアートの重要性が問われるいま、サイコマジックをどう捉えるかは、アートが何のために生まれたのかを考えるきっかけにもなるだろう。
また現在、60本以上の映画が期間限定で見放題の有料オンライン映画館「アップリンク・クラウド」で、『リアリティのダンス』『エンドレス・ポエトリー』が視聴できるようになっていて、本作と合わせて観ればホドロフスキーにとって人生とアートが強く結びついていることがわかる。そして、『ホーリー・マウンテン』に続く新作として企画されながらも未完に終わった幻の大作『DUNE』を追ったドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE(Jodorowsky’s DUNE)』(2013年/フランク・パヴィッチ監督)も必見だ。サルバドール・ダリやミック・ジャガーをキャスティングして、H.R.ギーガーやメビウスに美術を、マグマやピンク・フロイドに音楽を担当させようとした本作は、ホドロフスキーが「見る者の精神を変容させる映画」として企画したもの。ホドロフスキーは社会的なサイコマジックの手段として映画を使おうとしていた。アートが持つ可能性を信じさせくれる不思議な魅力、それがホドロフスキーの映画が持つマジックなのだ。(村尾泰郎)
©SATORI FILMS FRANCE 2019 ©Pascal Montandon-Jodorowsky
【NEWS】
映画公開記念! ホドロフスキー、DOMMUNEに降臨!
【配信日時】
2020年6月4日(木)21:00~
UPLINK X DOMMUNE Presents
パンデミック時代に捧ぐ「アレハンドロ・ホドロフスキーのサイコマジック説法」
リモート出演:アレハンドロ・ホドロフスキー(from Paris)
出演:浅井隆(UPLINK主宰)、宇川直宏(DOMMUNE主宰) 、比嘉世津子(通訳)
https://uplink.co.jp/news/2020/53494
『ホドロフスキーのサイコマジック』
2020年6月12日(金)よりアップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
配給:アップリンク
監督・脚本・出演:アレハンドロ・ホドロフスキー
■6月11日(木)まではアップリンクの運営するオンライン映画館「アップリンク・クラウド」にて先行配信中。先行配信による売り上げは映画館への支援として本作の上映を予定している全国の映画館へ均等に分配される。
【アップリンク・クラウド】
https://uplink-co.square.site/psychomagic
Text By Yasuo Murao