「完全なものができたら終わってしまう」
サイケアウツとは何か?
変異するサンプリング・ダンス・ミュージック
大阪を拠点とする《EM Records》はこれまでにも数多くのリイシュー音源やコンピレーションをリリースしているがその作品たちの素晴らしさは言わずもがな、いずれも懐古主義に陥らずそのタイミングだからこその新たな発見をもたらしてくれるようなものばかりだ。そしてこの度、リリースされた『逆襲のサイケアウツ:ベスト・カッツ 1995-2000』もまさにそんな作品だろう。
ヴェイパーウェイヴをはじめとするウェブ上のコミュニティから生まれた音楽によって変化していくサンプリングの概念や近年のジャングルやレイヴ・ミュージックへの再評価といった流れの中で、一貫してサンプリングという手法を駆使した制作を行い国内におけるジャングル/ドラムンベースの代表的存在とされるサイケアウツの歴史をパッケージした作品がリリースされた意義は単なるベスト盤以上の意義を持つことだろう。
一方で本作にはインタヴュー内で大橋自身が「格好よかったらええんちゃうん」と語るように圧倒的な情報量をそのままエネルギーに変換したような直に身体に働きかける曲たちが収録されている。今回、2004年にサイケアウツGと名義を変更してからも精力的に活動するユニットの中心人物、大橋アキラにサイケアウツ結成から制作における思考の背景を聞いた。作品同様、音楽や思想、サブカルチャーへの大橋の興味と知識量が窺えるインタヴューになっているはずである。是非本作に付録されている《Murder Channel》の梅ヶ谷雄太氏による解説文と併せて読んでほしい。
(インタヴュー・文/堀田慎平)
Interview with Akira Ohashi
──大橋さんは現在サイケアウツGとして活動し、今も積極的にリリースもライヴもされていますが今回過去のサイケアアウツ時代の音源をリリースするというきっかけはどういったものだったのでしょうか?
大橋アキラ(以下、O):きっかけは江村さん(エム・レコードの江村幸紀氏)ですよね。江村さんから声がかかって、それでやりましょうかということで。
──大橋さんとしてもこのタイミングでというのは、何か思うところなどがあった?
O:サイケアウツとして活動を始めてからちょうど30年くらい経ってるのかな。当時生まれた人が25歳くらいですかね。だから、割とUKとかでも今普通にジャングルとかレイヴが流行ってるって感じがあって、いわゆるその周期的なところ。その頃生まれた人が今ちょうど踊っているとかそんな感じ。
──それは実感としてありますね。
O:なんとなくそんな感じで、歴史は繰り返すって、マーシャル・マクルーハンとかがよく言ってたような気がするけどそんな感じ。
──では収録曲も江村さんが中心になって制作された感じなんですか?
O:(『イアンのナードコア大百科』著者の)イアン(・ウィレット-ジェイコブ)と《Murder Channel》の梅ちゃん(梅ヶ谷雄太)が監修している。音源はイアンがほぼ持ってるんで。
──今までサイケアウツ時代のご自身の曲を聴き返すことはあったんですか?
O:あんまりない。前の曲は聴かないんで。自分自身も久しぶりに聴き返すような。
──今回はサイケアウツ時代の音源のリリースでインタヴューということで、活動初期のプロフィール的な部分も聞きたいと思うんですけども、大橋さんは80年代後半にノイズやインダストリアル、テープコラージュを始めたということで。当時は大阪などでライブをよくされていたのですか?
O:当時よくやってたのは京都ですね。もうないけど《どん底ハウス》とかで。当時はDADOとか、JUNK SCHIZOとかとよく共演してた。
──そういった音楽からスタートされたということなんですけども、そこからダンス・ミュージック、ビート・ミュージックに移行したようなきっかけはなんだったのでしょうか?
O:まず80年代前半にリズム・マシーンとか使った音楽があって。UKだとその頃ニュー・ロマンティックって言ってダークな感じがあって、それのさらにアングラなんが、スロッビング・グリッスルとかキャバレー・ヴォルテールとかDAFとか。ノイズだとホワイトハウス、テープ・コラージュだとナース・イズ・ウーンドとかがあって、その辺を聴いてた。高校生の時にね。基本的にはエレクトロニクス、シンセサイザーとかを多用したような曲が多いので、初期のリズム・マシーンとか。例えばホワイトハウスとかにしても、割とシンセの重低音を出したりとか、ちょっと今のハッシュ・ノイズとはまたちょっと違う感じで。シンセサイザーとかの音が割と好きだったし。
──なるほど。
O:そういうちょっと特殊な音楽を聴いていて。あとそれに付随する思想とかも色々あったりとかして。例えばポストモダンであったりとか、魔術系の考え方とか、宗教系、タントラとかチベット密教とかあったりとかして、若いからそういうのにハマる。それで85年くらいから、もうハウスが出てきて。ハウスの前にエレクトロニクス、ボディ・ミュージックっていうのがあって、そのちょっと前というか、DMXっていうリズム・マシーンを使った、エイドリアン・シャーウッドが絡んでるような、例えばマーク・スチュワートであったりとか、あとキース・ルブランとかの曲もめちゃかっこよくて、ビートとサンプリングというかテープ・コラージュで成り立ってるようなやつでそういうのを聴いてた。あと80年代だとハウスも聴き始めて。サンプリングの面白さでいうと、ヒップホップ、パブリック・エネミーとかもあったから。
当時開催された大阪でのイベントのフライヤー──この頃からリスナーとしてサンプリング・ミュージックを意識されていたんですね。
O:85年以降になるとサンプラーっていうのが面白くて、それまでテープ・コラージュでしてたもんが、テープじゃなくてサンプラーっていうマシンでいけるようになって、ヒップホップもそれを使うようになってた。UKやとミート・ビート・マニフェストとかあって。なんかそんな感じかな。
──当時リアルタイムで聴いていた音楽がダイレクトに反映されていったんですね。
O:そう。リアルタイムで聴いてた音楽がどんどん入っていってる。
──ノイズやインダストリアルといった音楽を聴きながらハウスを始めダンス・ミュージックも並行して聴いていた?
O:当時はちょっと洒落た音楽やねんインダストリアルとかって。ポストモダンな感じやから。ダンス・ミュージックとノイズって全然違うように見えるけど、自分の中では普通というか、ダンス・ミュージックとノイズというよりは、生バンドと打ち込みの違い。生バンドとリズムマシンなりシンセサイザーを使った音楽っていうのはまた別物になってきて。
──ちなみに大橋さんは生楽器を使うバンド経験っていうのはない?
O:ない。完全にテープとかシンセサイザーから音楽が始まったっていう。あと映画とかアニメの効果音が好きやったから。
──効果音が好きというのはもう子供の頃から?
O:多分そうやろうね。結構爆音でシンセとか使ったりとかしてて。そういうのに引っ張られたとこもある。あと関西だと阿木譲さんの《ロック・マガジン》っていうのがあって、それが割とUKの音楽とかダークな音楽を常にピックアップしてて、ノイズとかもそうやけど、それの影響ももちろん大きいと思う。
──海外のエレクトロニック・ミュージックの変遷と関西に根付いていたノイズなどアンダーグランドな音楽。
O:そうやね。それと当時はテープで出してて。サイケアウツは一発目、テープか。THUG SYSTEM(注:大橋らが80年代に組んでいたノイズ・パフォーマンス・ユニット)とかも。高校生の時とかに今風に言うとコラボっていうか。テープのA面やってB面やってみたいな。
──スプリット的な。
O:当時のメールアートっていうか郵便やけど、そういうこともやってた気がする。
──90年代に入ると《Warp》を始めテクノ系レーベルも次々と誕生しますね。
O:《Warp》の初期は好きやったね。ブリープハウスの時。Tricky Discoってやつがいると思うんやけど、それはインダストリアルとかの流れを組むまさにサンプリング・ミュージックで。Greater Than OneとかGTO。それが割と好き。
──そうしたリスナーとしてのリアルタイムな体験や、関西ノイズ・シーンでの活動を経て90年代に入りサイケアウツ結成へ向かうわけですね。きっかけとしてはやはり秋井仁さん(MCロックンロール)との出会いがおおきかったのでしょうか?
O:当時(秋井仁が参加していた)OFF MASK 00もよく観に行ってて。それで一回だけミート・ビート・マニフェストのコピーやろうかという話になって。サイケアウツという名前も秋井先生が決めたやつだと思うけど。
──サイケアウツは8人編成の時期もあったり大所帯のグループでしたが、サンプリング・ミュージックやテープ・ミュージックを作るというなかで大橋さん一人でやられるっていう選択肢もあったかと思うのですが。
O:なんかノリ、当時のノリというか。なんか酔っ払い仲間みたいな感じだから(笑)。そんな深くは考えてない。ほぼジョークみたいな感じだから。
──サイケアウツはナードコアの代表格であると語られると同時にヴァーチャコアという独自のジャンルというか概念を生み出したと言われています。
O:あれも冗談というか、「Virtuacore Rec.」にしとこかみたいな感じで決めたことやから。初めはそんなに深い概念はない。ただ意味は後からいくらでもつけられるから。ヴァーチャルって言葉が今こんな風になってるけど。人間って言葉によってものを名付けることによってしか認識できへん。実際のものは見ていない。名前って架空のものやん。っていう意味で後々のローマ字表記のヴァーチャルとかになっていったんやと思う。そういう意味でヴァーチャコアっていうのは“存在しないけど存在する”みたいな意味っていうのは後からいくらでも言えるってことやね。だから本当は特に意味はない。多分ヴァーチャファイターとか流行ってたから。そんな感じ。
──そうなんですね。
O:ナードコアは多分もうちょっとしてからみんなが言い出したことやと思うから。ナードをオタクと翻訳するようになってからの話ちゃう多分。とにかく聴いている人がナードコアやと思うんやったらそれでOKやし。じゃないと思うんやったらそれもOKやし。どんな聞き方してもらっても。
──1999年には《フジロックフェスティバル》に出演するなど存在も広く知られるようになっていきます。
O:これもノリ。せっかくやから出ましょうかみたいな感じ。
──とはいえボアダムスやサイケアウツが同時期に《フジロック》のような大規模なステージに登場したことは強烈な印象を与えます。
O:なんかね、そういうイメージがついて。どうしても関西だとそういう風になるやんか。でもそれでいいと思うけどね。要はメディアの力やんか。イメージをちゃんとつけて、メディアが出す。そのイメージでみんな聴くから。逆に言うたらね、何書いてもらってもええんやけど。別にメディアの力っていうのは、単純にこういうメディアのことじゃなくて、全部メディアやねん。目の前にあるこのコップもそうやし。これはマーシャル・マクルーハンなんかが言ってることやけど。人間の力を拡張してるだけやから。それによって逆に人間が変わってくるっていうことでもある。それはサンプリング概念にしてもそう。バンドが主流なのって80年くらいとか、90年くらいまでやんか。だから80年代のエレクトロニクス革命はまあまあすごかった。サンプラー出てきたりとか、その前のTR-808とかTR-909でもそうやし。それになかなか対応できる人とできない人がいて。その時以降生まれた人はできるけど、その前から生きてる人はなかなかできへん。なんかそれの繰り返しやねん。媒体自体はいろいろ変わってるけど、媒体削っていって人間のやってることってちょっとしかないから。飯食って寝てるだけ。働くってことも媒体やから。
──サンプリング、特にテレビ番組であったりアニメの音源をサンプリングして楽曲を作るというスタイルには、消費社会への風刺や皮肉としての表現方法という面もあると思うのですが。
O:最初はそれやね。KLFとかみたいにちょっと皮肉ってる感じというか。特に(ジャン・)ボードリヤールとかの消費社会の考え方であったり、シュミラークルの概念であったりとか、それこそSFのウィリアム・ギブソンとかのバーチャルの概念とかが合体して今に至るやんか。だから問題定義としてやってるとは思う。ただそれもいくらでも後から言えることで。そういうアートという言い方もできるけど、それが作品になってる時点で例えばそれでお金が動いた時点で消費社会の中で同じことやってる。じゃあどうすんねんっていう世界になるから。一つの表現の仕方の話で、やってることは一緒やから。そこに価値を持たせたい人は持たせたらいいという感じ。別にどっちでもいい。酔っ払って調子良かったらそうやろってなるけど(笑)。別に実際そんなこと考えてへんから。そういうのは後からいくらでも言えるから。
──そうですね。
O:だからどやねんって感じでね。もっと素で格好よかったらええんちゃうんみたいな。何がどうこうじゃなくても、直接その場で何か知らんけど体が動くみたいなのがダンス・ミュージックやったらいいやろうし、ノイズ・ミュージックやったら何か知らんけどうるさいみたいなのが一番いいやろうし。
──そういった感覚的な部分や身体に直接的に作用する要素もみたいなものも重要だと思います。一方でこれまでの大橋さんのお話を伺っていると言葉や思想、概念的ものも重要視されているように感じます。
O:もちろん身体も言葉がないと存在せえへんようになるから、両方ともが絡み合ってる話になるんやけど。度合いかな。やりすぎるとよくないというかね。お酒も、ドラッグもちょっとやったら薬やし(笑)。とにかくそういう思想形態はいくらでも後でつけられる、なんとでも言えるから。皆んなあんまりよう知らんと言ってしまうんやろうけど、じゃあその裏は裏はとなっていったらいくらでも言える。根拠がないというか、だからなんていうんかな適当でいいって言ったら変やけど。その適当も根拠のないところでみんなやったりしてるから。そうじゃなくて適当をつきつめて、最後まで適当でいくんやったらいくっていう。適当じゃないことはしないとかね。何の話やったっけ?(笑)
──サンプリングという手法にまつわる背景的な部分ですね。
O:まあそういうことはいくらでも言えるっていうこと。だからサイケアウツに関してはそれは特に考えてないというか。「WE HATE ALL」って当時言ってたけど、パラドックスになってるよね。私たちは全てを憎むとしたら、全てのうちに私たちも入るからっていう。たとえばサイケアウツのロゴマークも逆アナーキーに見える。あれほんとはカタカナのサなんやけど。アナーキーの逆って何なんみたいな感じのパラドックス。でも単純にサンプリングしてるもんが好きやというところもあるから。どちらかというと、そっちの方が強いかもしれない。MCロックンロールが好きな曲やったりとか、当時やってたやつもそんな感じやし。
──まさに趣味性が強いというか。
O:バカにしてるんじゃなくてリスペクトしてる。いろんな思想的なことはいくらでも言えるから。思想的なことを言ってる人は、じゃあそれで何がしたいんかということをちゃんと言ってもらわないといけないと思う。言うだけはいくらでも言える。
それからサイケアウツの活動でいうとファッションとかも重要なんやけど。当時の80年代とか、さっき言ってたニュー・ロマンティックとか、あるいはパンクとか出てきたこととかね。90年代になるとこういうヒップホップ的なダボダボ・ファッションになってくる。それも好きやから。好きなものを組み合わせてるだけなんやけどね。ファッションも含まれてる。思想とかもそうやけど。読書好きやから。
──音楽以外の要素が複合的に絡み合っている。
O:複合的というか、コンプレックスやね。いろんなものが重なって問題になるというか。多角的、多視覚的というか視覚だけじゃなくて、感覚全部使うというか。音楽も視覚がなかったらあかんし。味覚も入ってくるんやけど。
東京でのイベントのフライヤー──サイケアウツはジャケットなどアートワークにもかなりこだわりがあったかと思います。
O:こだわってるというか、まさにあれもノリなんやけど。デザイン的な概念も好きやねん。例えば90年代にスケーターのブランドで《HOOKUPS》というのがあって。ジェルミ・クラインという人がやっててんけど。アニメの女の子が描いてあるシャツとか。当時誰も着てなかった。オタクもまだそんなに流行ってなかったから。「キモい」みたいな。それが面白くて着ててキモいから。それもさることながらやっぱデザイン性がいいというか。アニメの女の子の胸像みたいなのが入っているだけ。そういうデザインも好きやから。デザインって要は背景と前面の比率になってくる。曲もそう。ベースの音とハイハットの音とか。
──構図の分析みたいなことは昔からされていたんですか。
O:というよりそういう風に見えてるってことかな。分析するんじゃなくて物の見え方がそうなってるというか、聴こえ方がそうなってる。
──サンプリングという手法で音楽をつくるうえで俯瞰的な視点と同時に中に入りこんだ視点があると思うんですが重点としてはどちらにありますか?
O:そこもバランスやね。バランスというか。塩梅やね。どっちかに行き過ぎてあかんやん。だから入り込まないと絶対わからないことはいっぱいあるやんか。というかほぼそうやろうと思うけど。音楽も入り込まないとわからないし。でもバランスやね。ある程度でも行くとこまで行っといたほうが一度はいいという感じかな。自分自身はあんまり何かを考えてるわけじゃない。ずっとそんな感じやから。特にお客さんを喜ばせようとかそんなことも考えてへんから。
──創作の意欲としては人に向けてというよりは自分の中での好きなものを分析するとかそういったものが大きい?
O:というか単純に予定のもんできてないからやってるだけで。できひんなーっていうのでずっとやってる。多分できたらやってないかもしれない。完全なものができたら終わってしまうやろ。まあないやろうけどね。
<了>
Text By Shinpei Horita
サイケアウツ
逆襲のサイケアウツ:ベスト・カッツ 1995-2000
LABEL : EM Records(エム・レコード)
RELEASE DATE : 2023.01.27
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