ノスタルジー、リスク、セラピー、エゴ、エスケープ
LA拠点のSSW、ナイアが語ってくれた「特別なこと」
イタリアにルーツをもち、かつてはNYで、現在はLA拠点で活動するシンガー/ピアニスト/作曲家、ナイアについてわたしが知ったのは、実はつい最近のことである。はじめて聴いた楽曲は今年5月にリリースされた「Alfa Romeo」で、これはアルバム『Bobby Deerfield』の先行曲でもあるが、スーサイド、DAFなどが連想される80年代初頭風のシンセ・パンクに惹かれた。だがよくよく調べてみると、ナイアはわたしが期待していたようなアーティスト像とはかなり違っていた。彼女が一般的にはアンバー・マークとも比較されるようなR&Bを軸にしたミュージシャンとされていること、以前はオルタナティヴR&Bやネオソウルにソフィスティポップをミックスしたような音楽性だったが昨年突然にアンビエント作品『OFFAIR: Mouthful of Salt』をリリースしたことなどは、その意外性と作家性の読めなさからさらに興味をひかせた。
作家としての全貌がつかめない。つかめたと思ったら方向転換、するりと逃げていく。しかし作り手というのは本来そういう存在であるはずだ。子供のころからクラシックのピアニストとして教育をうけ、ハイスクール時代にジャズと衝撃的な出会いを果たしシンガーとして音楽家の道を進みはじめたそう。過去のインタヴューによれば、NYで活動していた時期にはプロデューサーに囲まれ、まるで「マゾヒスティックな拷問」のように創作に打ち込まなければならなかったという。そうした経験が現在の、自身のやりたいことをやる活動スタイルに繋がっていったのだろう。
アルバム『Bobby Deerfield』のテーマは、アイデンティティ、生命愛、ノスタルジー、父と娘の関係性、寛容さ、車、セックス、執着を捨てる方法と愛着、自由意志と運命の対立、過去の遺産、瞑想、幻覚状態、いちかばちかのリスクと報酬、だという。そのほかナイアはアルバムリリースに際して、占星術やマインドフルネス、瞑想とサウンド・バス(クリスタル・ボウルなど音の演奏を伴う瞑想)への興味、人格の乖離と死への思考、食の重要性、カトリック教会の記念品収集などについて言及している。今回のインタヴューでは、主にアルバムのサウンドと、近年のサウンド・バスを中心にしたセラピーを中心に話を聞いた。そのため、上にあげたような彼女の多岐にわたる興味や関心については多くを訊けなかったのがやや心残りではある。もっとナイアについてよく知りたい。ただこの記事が、より多くのひとにナイアの音楽が届き、彼女がその思考や議論を音楽によってのみならず言葉としても表現する場を提供するきっかけのひとつにもなれば幸いだ。ナイアは言葉と語りのひとでもある、それは今回のインタヴューでの思考にもとづいた回答からも明らかだ。楽しみながら読んでほしい。
(取材・文/髙橋翔哉 トップ写真/Diego Vourakis)
Interview with Niia
──新作『Bobby Deerfield』はアル・パチーノ主演の同名映画(1977年)からインスピレーションを得ているそうですね。元々子どものころよりイタリア映画を観て育ったことを度々インタヴューで言及されています。本作のサウンド、特に表題曲にはロックンロール以前の20世紀半ば、つまりハリウッド全盛期の音楽の雰囲気を感じました。今回、映画音楽はインスピレーション源としてあったのでしょうか?
Niia(以下、N):そうですね。映画音楽はわたしにとってかけがえのないものですし、わたしが作る音楽にも大いにインスピレーションを与えてくれるものだと思います。
トーキー映画が撮影されスコアが作られるようになる以前から、音楽と映像には常に深いつながりがありました。例えばベートーヴェンの「交響曲第6番」の楽章に「小川のほとりの情景で」、「雷雨、嵐」といった視覚的なイメージを示す標題がついているように。20世紀半ばの音楽について言及するのは興味深いです、そもそもポピュラー・ミュージックにアルバムという形態が確立されたのもその頃ですし。音楽のコンセプトをより深いものにするために、ヴィジュアル的な側面も重視されるようになりました。ジャケットやブックレットなどをこだわることで、アルバムを一連のストーリーとして見せる手法ですね。
ミュージシャンたちはライヴ・コンサートを撮影するだけではなくストーリーテリングの要素を加えることで、映像メディアを活用できることに気がつきました。例えば60年代にはザ・ビートルズが初めてのミュージック・ビデオを撮りましたが、これは視覚を伴うストーリーテリングとして、後に独自のアートとして確立されていきました。ピンク・フロイドによる『The Wall』は初期の段階では長編映画として構想されていましたが、最終的には1979年のアルバムとして高い評価を得ています。つまり何が言いたいかというと、わたしは映画と映画音楽が大好きだということです!
──20世紀半ばのテイストという意味では、ファーザー・ジョン・ミスティ、アークティック・モンキーズ、ボブ・ディラン、ラナ・デル・レイの近作にも同じような傾向が聴き取れます。今回プロデュースをつとめたジョナサン・ウィルソンは、ファーザー・ジョン・ミスティ『Chloë and the Next 20th Century』(2022年)を手がけていましたよね。本作のレイドバックしたようなサウンドにはジョナサンの助言や功績も含まれているのでしょうか? それとも別の着想があったのでしょうか?
N:ジョナサン・ウィルソンは、今回のアルバムのサウンドの方向性を決めていくのにとても重要な存在でした。わたしは新しいサウンドや新しい楽器をチャレンジしたいし、新しいプレイヤーと仕事をしたかったのです。自分のアイデンティティを保ったまま、これまで挑戦したことのない音の世界へ行きたいと思いました。いままでだったら恐れすぎていたり経験がなかったりして、音のチャレンジができずにいたんですね。
しかしそこでジョナサンは真の天才でした。アーティストの長所を生かしつつ、それをさらに進化させる方法を知っています。わたしが目指したサウンドは、「ジョナサン・ウィルソンがプロデュースしたナイアのレコード」だったのです。あと、いつもと同じプロデューサーと仕事をするのには少し疲れていたので、成長したいと思いました。ジョナサンはフォーク、ノスタルジー、車、アレンジ、歌詞、このアルバムの全部にぴったりな人でした。ジョナサンが作り出す世界は、まさにこのアルバムが落ち着くべき場所だったと思います。
──以前の作品を振り返ってみると、『I』(2017年)や『If I Should Die』(2021年)ではソフィスティポップやダウンテンポの要素も感じられる作品だったように、以前からR&Bなどジャンルにはまらない音楽性だったように思います。1年前、初めてアンビエントに挑戦した前作『OFFAIR: Mouthful of Salt』リリース後のインタヴューでは、「世間ではジャズやR&Bというジャンルに所属するアーティストかもしれないけど、そこにこだわる必要はない」と話していましたが、ジャンルを意識しない作曲法はキャリア初期からこだわっていたことだったのでしょうか? それとも前作でアンビエントに取り組んだ時に初めて考えはじめたことだったのでしょうか?
N:まず第一にわたしはヴォーカリストです。第二にシンガー・ソングライターであり、第三に作曲家です。アーティストというのは、自分が音楽のすべてを知っていると思った瞬間、良い音楽を作れなくなるものだと思っています。でも実際には常に学ぶべきことはたくさんあり、探求し、成長し、自分を絶えず進化させることができるのです。
たしかにわたしの核はジャズにあります。ただ他のジャンルや影響を探求することは、決して自分を捨てて旅立つことだとは思っていません。わたしは自分のすべてを持ち運び、ただ思うままに求める音楽を作ります。トラップ・ビートにインスパイアされたり、一人でピアノに向かったりね。またアンビエントのレコードを作ったことで、自分にはいままでとは違う音楽を作ることもできるとわかったので、勇気を持って新しいプロデューサーと仕事をしたり、新しいタイプの音楽を試したりしたい気持ちがより強くなりました。あなたの言うとおり“ジャンル”として制作スタイルやアーティストをラベリングするのは今のトレンドですけど、それが束縛になることもあると思うんですね。
──前作に引きつづき、本作もあなたに対する既存のイメージを推し広げるようなサウンドの幅広さが印象的です。なかでも、2つめの先行シングルにもなっている「Alfa Romeo」のシンセ・パンク〜ポストパンク的な音づくりやソングライティングはひときわ鮮烈でした。あの楽曲の方向性はどのようにして生まれたのでしょうか?
N:ありがとうございます。リスクはありましたよ。「Alfa Romeo」は本当に直感から生まれた曲です。F1レースのような、とにかく危険で速くて、イケてるサウンドの曲が必要だと思いました。そんなわけでクラウトロックのトンネルにのめり込んだのです。クラウトロックは1960年代後半から1970年代前半にかけて西ドイツで発展した実験的なロックのジャンルで、サイケ・ロックにアヴァンギャルドな作曲、エレクトロニック・ミュージックの要素を融合させて生まれたものです。つまり「Alfa Romeo」はわたしなりの“実験的なロックの瞬間”を表現したものです。
この曲はアルバムのために最後に仕上げた曲で、うまく仕上げるのは不可能だと感じていました。このような曲で自分がどうあることができるのか、なにをどう歌えばいいのか考えるのは、もう信じられないほどのチャレンジでした。この曲にリスクを負ったことは誇りに思っていますよ。ただね、マジで気が狂いそうになりましたよ!
──セルフ・プロデュース作『If I Should Die』リリース時には、「プロデューサーと一緒にやっていると、自分自身を見失ってしまうときがある」と話していました。前作『OFFAIR: Mouthful of Salt』以降再びプロデューサーを招いた制作スタイルに戻った背景を教えてください。
N:わたしはコラボレーションというのは効果的だと常々考えているんですね。でもときには誰かを成長させることから始めたり、快適さやパターンにハマったりすることもあるでしょう。アンビエント・レコード『OFFAIR: Mouthful of Salt』の制作は非常にプライベートなものでした。だからその反動として、次は自分が学びを得られるような、新しい人と仕事をするときだと感じました。もう自分にうんざりしていたんです!
──2010年代後半から現在までの音楽シーンを見渡してみると、あなたがキャリア初期に軸足を置いてきたR&Bというジャンルは、いまやヒップホップ、ロック、ジャズ、ポップ、ダンス・ミュージックなど数多くの音楽とクロスオーヴァーしています。乱暴ですが、現在のポップ・ミュージックの大半は広義のR&Bに含まれる、ということもできるかもしれません。『Bobby Deerfield』はどの楽曲もフォーク、アンビエント、パンク、ブルーズといったそれぞれのカラーを持っていながら、全体としてのトーンはR&Bのメロウで少し哀しさもあるムードで包まれています。言い換えれば、R&Bという音楽の懐の深さを証明しているように聴こえます。そういった視点も踏まえて、あなたのR&B(またはソウル)というジャンルの捉えかたを教えてください。
N:ポップ・ミュージックの核はブルーズとソウルであり、そこからジャズやR&Bなどが生まれ、成長してきたのだと理解しています。わたしはよく「過去を思い出させながらも、未来への予感を感じさせたい」と言うのですが、過去の栄光には絶対にすがりたくありません。時代というのは、もうすでに起こったことだから。過去の音楽には敬意を払うけど、自分はいま生きている時代に合ったものを作りたい。
R&Bに惹かれたのは、リリックの告白的な側面とヴォーカルの重要性、そして現在の代表的なジャンルでもあるからだと思います。でも偉大なR&Bアーティストと言われたかったら歌えないといけない。R&Bは歌唱力、感情、告白、音楽の歴史、そしてスタイルで価値観が成り立っていますからね。新しいアルバムではあなたがおっしゃるように他のジャンルを加えて、スタイルを固定するんじゃなくてもう少しふわっとした感じにしたかったのだと思います。R&Bは最近ちょっと飽和気味なので、もっと多くのアーティストがリスクを冒して違うサウンドに挑戦してほしいですね。
──あなたは現行の好きなミュージシャンとして、ジャズミン・サリヴァン、サマー・ウォーカー、アナ・ロクサーヌなどを挙げていますね。そのほか「共感」するというポイントで、アーティストやミュージシャンをジャンルを問わず、可能であればその理由とともに挙げてください。
N:レオン・ラッセル、ロバート・ワイアット、Kadhja Bonet、ポール・サイモン、Liana Flores、ザ・ビーチ・ボーイズ、ミシェル・ンデゲオチェロです。
なんでこれらのアーティストを聴いているのかは、どう説明したらいいかわからないです……。ただなにかを感じさせてくれるし、みんな本物だし、完全に自分の音を持っています。
──あなたの生活にとってマインドフルネスやセルフケアは重要な位置をしめているということを、事前にいただいた資料で知りました。音楽を聴くことやつくることもまた、あなたにとってセラピーのような位置付けでもあるのでしょうか?
N:音楽はわたしのセラピーだと思います。ピアノが唯一の友人だったこともあります。振り返ってみるとわたしはいつも音楽では正直でしたが、実生活では必ずしも正直ではありませんでした。一生懸命になって制作をしなければならないという、アーティストとしてのマゾヒスティックな拷問を美化したくありません。そのためにはセルフケアやメンタルヘルスについて探究するのもとても重要なことだと思います。頭がクリアで健康的であれば、創造や表現に対してもオープンであることができます。
エゴというのも時には自信につながるものであり、エゴという出発点から創造することは特別なことなんです。誤解しないでほしいのですが……わたしはセラピストと会っています。
──あなたが実践しているサウンド・バスでは、クリスタル・ボウルを使うそうですね。わたしはパンデミック下でシンガーのジェネイ・アイコが演奏しているのをインスタグラムで観ていました。彼女を筆頭に2020年以降、ロックダウンの影響とCBDリキッドの流通により、一部のR&Bはより「チル」に特化した方向に進んだ実感があります。あなたにはチルなR&Bアーティストへの共感、または音楽を聴きながらチルする習慣はありますか?
N:わたしはジャズのバラードを歌って育ちました。だからスローな曲が大好きです。音楽には空間がとても重要だと思います。スペースをどう使うか、なにを省くか、なにに時間をかけるか、物事をゆっくり進めることを知るのは重要なことです。チル・ミュージックは好きですが、わたしの思うチルはもっと伝統的なもので、そちらの方が好きです。例えばドビュッシーのワルツを聴いてチルするとか……ジェネイ・アイコのサウンド・ボウルを聴くこともありますよ。ただアーティストが“チル・ミュージックに必要な音”を作っているのに気づいてしまうと、ちょっと気が引けてしまうんですね。もちろんそれでリラックスすることもありますが、わたしは音楽を能動的になって聴くタイプなので結局は集中して聴いてしまい、完全にぼーっとすることはできないんです!
──クリスタル・ボウルによるサウンド・バスの実践について知っていると、「The moon is a beautiful, lonely woman」の優しくエーテルのような鍵盤の音色にも納得がいきますね。クリスタル・ボウルそのものを使った楽曲をリリースするという発想はあるのでしょうか? (それともわたしが認識できていないだけですでに楽曲中で使われているのでしょうか?)
N:アンビエントのレコード(『OFFAIR: Mouthful of Salt』)では伝統的な方法とそうでない方法の両方でクリスタル・ボウルを使いました。ほぼシンセサイザーのように使ったり、より伝統的な純粋な方法でサウンド・バスを作ったり。わたしはこれからもクリスタル・ボウルを使っていくつもりです。定期的にアンビエント・ジャズの即興演奏を行っていますが、これはクリスタル・ボウルと数人の演奏者を連れてきて、みんなでその場で即興演奏するものです。
──ハリウッドの黄金時代を彷彿とさせるサウンドといい、あなたの『If I Should Die』ごろまでの音楽を特徴づけていたジャズのエッセンスなどは、しばしばノスタルジアやエスケーピズムと紐付けて語られます。あなたのサウンド・バスや瞑想への取り組みは、普段の生活や創作から離れたところに身をおく時間をつくる、つまり現実からエスケープすることでもあると思うのですが、あなたにとって他にもエスケープの手段があれば教えてください。
N:エスケープは常に作品の主要なテーマであり、それはおそらくわたしの実生活の主要なテーマでもあるからでしょう。わたしたちはみんなポジティヴな意味でもネガティヴな意味でも、逃避したいという本能を持っていると思います。逃避することはある意味、人生のさまざまな瞬間において自由を探求し、見つけることです。
このアルバムのインスピレーション源である『ボビー・デアフィールド』には、文字どおりドライブして逃げるという意味合いもあります。ボビーはF1ドライバーで、レーシングカーを走らせ死と隣り合わせになることで自分の問題から「逃避」しています。しかし彼はまだレーストラックの上をぐるぐる回っているだけで完全には逃避できない、つまり現実のメタファーでもあるのです。ドラッグを飲んでハイキングに行くこともできますが、あるとき家に帰って父親に電話をかけなければいけないこともあります。ドライブとサイケデリックは最近の作品にも影響を与えてますし、エスケープのひとつの方法ですね。
──『II: La Bella Vita』(2020年)では映画音楽を意識した壮大なアレンジを試したり、『If I Should Die』ではセルフ・プロデュースに挑戦したり、『OFFAIR: Mouthful of Salt』では全編アンビエントの作品をつくったり。毎回別々な方向性を貪欲に打ち立てているあなたですが、今後トライしてみたいサウンドの方向性や、活動のやりかたはありますか?
N:まだ完全に確信があるわけではありません。でもこのアルバムを通してわたしは自分自身をより身近に感じ、勇気と露出を感じ、それをよしとすることができました。自分をもっと深く掘ってもっと剥ぎ取りたいと思うようになりました。もしかしたら今後、もっとミニマルでピュアなアルバムを出すかもしれませんね。わたしの最高傑作はまだまだ先にあるような気がします。
<了>
Text By Shoya Takahashi
Niia
『Bobby Deerfield』
LABEL : NIIAROCCO
RELEASE DATE : 2023.6.23
関連記事
【FEATURE】
Father John Misty
ファーザー・ジョン・ミスティ
新作『Chloë and the Next 20th Century』に寄せて──
「次の20世紀」への消し去れない甘い異物
https://turntokyo.com/features/father-john-misty-chloe-and-the-next-20th-century/
【FEATURE】
Jhené Aiko
《Now Our Minds Are in LA #8》
スローソンの丘から
—LAの異なる顔を示すジェネイ・アイコの音楽—
https://turntokyo.com/features/jhene-aiko/