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「アラン・トゥーサンからは、ここ10年で最も影響を受けていると思う」
ニール・フランシスが語る自らの音楽的ルーツと音楽制作

30 January 2022 | By Yasuyuki Ono

シカゴを拠点とするシンガーソングライター、ピアニストであるニール・フランシスが新作『in plain sight』を《ATO》からリリースした。ブリタニー・ハワードを擁するアラバマ・シェイクスを筆頭に、ベンジャミン・ブッカーや、スロウ・ダンサー、ナタリー・プラス、レイランド・バクスターといったソウル・ミュージックを大きな一つの音楽的影響源としたバンド、シンガーらの良作を近年積極的にリリースしてきた《ATO》のカタログを眺めてみれば、アラン・トゥーサンからの影響を如実に感じるメロウなメロディー・ワークとシンセサイザーを印象的に用いたオーケストラルなアンサンブルが特徴的なとても聴き心地の良い作品に仕上がっている本作を取り巻く音楽地図を想像することもできるだろう。

今回のインタビューでは、本作や彼自身の音楽全体の影響源であるアラン・トゥーサンはもちろん、ザ・ミーターズやアレサ・フランクリン、デヴィッド・ボウイや同郷のホイットニーまで数々のミュージシャンの名前とともに彼がシカゴという街で生活をしながら出会い、経験してきた様々な音や光景が次々とドキュメンタリー映画のように色や音を想起させながら飛び出てくる。このインタビューは一人のミュージシャンの音楽制作についての記録であるとともに、音楽とともに生きるアメリカに住む若者の一側面を仔細に伝えてもいる。(インタビュー・文/尾野泰幸)

Interview with Neal Frances

──今回リリースされたあなたのニュー・アルバムの中ではやはりピアノを用いた曲がとても印象的です。そこでまずは、「Alameda Apartments」に顕著な弾むようなピアノが行かされた曲や、シンセサイザーが特徴的なオーケストラルなアンサンブルや「Problems」や「Bnylv」でのレイドバックしたサウンドに見られる、アラン・トゥーサンの影響について伺いたいと思います。 実際に、あなたにとってアラン・トゥーサンの音楽的影響はどのようなものなのでしょうか。具体的にトゥーサンや米南部のアーシーなセカンド・ライン調のサウンドのどういう部分に魅力を感じ、影響を受けてきたと言えますか?

Neal Frances(以下、F):アラン・トゥーサンからは、ここ10年で最も影響を受けていると思う。彼の音楽を初めて聴いた時からずっと聴き続けているんだ。彼のアレンジメントのアプローチと、沢山の異なる音楽スタイルを取り入れている部分に魅力を感じる。カントリー、ロック、ゴスペル、ニューオリンズの伝統音楽とか。それに、彼自身のピアノも素晴らしい。更にインスピレーションを受けているのは彼のボーカル。僕自身トレーニングを受けたことのないヴォーカリストだから、すごく参考になるんだ。アランの声は最高。自分の限界を使って、うまく音とコミュニケーションをとっていると思う。

──アラン・トゥーサンの影響という部分からいえば、あなたと同じシカゴを出自とするホイットニーの諸作品にもアラン・トゥーサンの影響が色濃く反映されていたと思います。シカゴはアメリカ北部の町なのに、南部のアラン・トゥーサンの影響を受けるような下地が何かあると思いますか? 

F:ロックンロールやファンクの大部分はニューオリンズから来ているからね。その要素は、僕にとって大切なんだ。例えばザ・ミーターズとか。あとはアレサ・フランクリンを含めアラバマのマッスル・ショールズから生まれたもの全て。ホイットニーとは個人的につながりはないけど、彼らの音楽は大好きだし、彼らのアランのカバーは知っているよ。アランは様々なスタイルを用いて音楽を作っているけど、ホイットニーもそうだと思う。だからといって作られるサウンドが同じというわけではない。僕も色々なスタイルを用いているけど、アランの音楽も、ホイットニーの音楽も、僕の音楽も全然違うからね。僕がシカゴにいながらそういった影響を受けるのは、ブルースのクラブでプレイしているから。あとはラジオだね。アランの音楽は、シカゴのラジオ、WDCBのカレッジ・オブ・デュペイジのラジオで知ったんだ。ジャズのラジオ局。ブルースのクラブでは、音楽の教育を受けている感じなんだ。R&Bやブルース、ファンク、ソウルといった音楽に沢山触れるから。

──かたや、シカゴにはブルーズやソウル、デトロイト・テクノやガラージュに見られるようなブラック・ミュージックの系譜も連綿と続いています。そして、あなたの作品にもロック・ミュージックというフォルムを通しての黒人音楽の要素が感じられます。「黒人音楽の発展系としてのロック・ミュージック」という在り方を貫いているシンガー・ソングライターという印象さえありますが、あなた自身はそうしたアメリカの民族的多層性による音楽の歴史をどのように解釈し、自身の作品に反映させていると言えますか?

F:時々誰か他のアーティストの音楽を参考にしてそこから何かもってこようとしたり、アランのアレンジやインストを自分でも試してみようとすることはある。でも、僕の音楽の主な作り方は、自分が聴きたい音楽を作るという作り方。僕が持っているレコードのコレクションの殆どは60年代、70年代のアメリカ音楽。だから自分の音楽も自然とそういうサウンドになるんだと思う。意識してそうしているわけではないんだ。あまり音楽の歴史のことは意識していないけれど、もし自分が聴きたいサウンドを作っている上で黒人音楽の要素を感じてもらえたりするのであれば、それはボーナスだね(笑)父親がそういった音楽を聴いていたから馴染みがあるというのもあるかもしれない。あと、音楽の先生で、レイ・チャールズやジェイムズ・ブッカー、ジェイムズ・P・ジョンソンといった色々なピアノスタイルを教えてくれる人もいたんだ。その全ての影響が、僕の音楽に反映しているんだと思う。

──あなたのような若い世代のミュージシャンがアラン・トゥーサンや、あるいはザ・バンドのようなアーティストの影響を強く打ち出しているのが、日本のリスナーの感覚からは少し想像しにくかったりします。というのも、若い世代のリスナーはどうしても現行の人気アーティストに耳が捉えられがちだからです。ですが、あなたの音楽からは特に70年代ののメロウなソウル、ファンクの影響、あるいはモット・ザ・フープルやデヴィッド・ボウイなどの影響も感じ取ることができます。それらの音楽との出会いはどのようなものだったのでしょうか。

F:ボウイは、グレーテストヒッツのCDを13歳か14歳の時に買ったんだ。それよりも前にカセットを持っていて、そのカセットに入っていた「ゴールデン・イヤーズ」がとても気に入っていたから。あれを聴いて以来、ボウイは常に僕のお気に入りなんだ。だから、名前が出て来て嬉しいよ。モット・ザ・フープルやイギー・ポップはもちろん、ルー・リードの『Transformer』とかも彼がプロデュースしていたから知ったんだ。彼らの作品ももちろん好きだし、ブライアン・イーノの70年代後半の作品も素晴らしい。ボウイは、シンセのスタイルが魅力的だと思う。歌詞も最高だし、ソングライティングも最高だし、グルーヴも作り方も最高。あと、彼の美的感覚も素晴らしいと思う。

──具体的に曲作りはどのようなプロセス、メソッドで行なっているのでしょうか? 今お話してきたようなお手本となりうるようなアーティストの作品などはどの程度参照していますか? 今回の新作においての曲作りのポイントをおしえてください。

F:大抵の場合は、アイディアを思いつくとそれを録音しておくんだ。歌ったり、楽器をプレイしたものをボイスメモに入れておく。で、それを持ってスタジオに行き、そのボイスメモを使って曲を書き、アレンジして歌詞なしのデモを作る。その時は、楽器は全部自分で演奏することが多い。ドラムを叩いてくれる人が見つかった時はもっと作業がスムーズだけどね。で、作ったインストのデモにのせて歌詞を書いて、そこからエディット作業に入る。他のアーティストの影響は、僕の曲作りのプロセスには影響ないんだ。たまに音楽を聴いていいなと思うことがあればメモを取ったりはするけど。で、その音のアイディアのヒントを次回作る作品に取り入れることもたまにある。今回大切だったのは、精神的に健康でいること。今回のアルバム作りが、僕を憂鬱から救ってくれたんだ。人々から離れ、孤立したのはよかった。デモは全部自分で使った。自分と向き合えたから頭の中にあったアイディアを完全に外に押し出すことができたし、エンジニアの経験はなかったけど、パンデミック中にそれを学ぶこともできて、テープマシンを使ってレコーディングしたんだ。僕はテープが好きで。だから、今回のプロセスは前より複雑になっている。時間を十分にかけることができて、自分が持っているアイディアについて深く考えることができたのはとても良かったと思う。

──サウンド面では、前作『Changes』と比較すると本作ではサウンド全体のレイヤーが相対的に厚くなり、コーラスも印象的に導入されるなどよりバック・バンドの存在感が高まっているという感覚があります。前作から本作に至る中でサウンド構築で意識した点はどのような点でしょうか。

F:アルバムは、2020年の9月から12月の間にレコーディングしたんだけど、僕たちは教会の中にスタジオを作ったから、自分の周りにあるものが、そこにある機材と親しい友人たちのバンドだった。だから、サウンドはその空間い影響されている。テープマシンがあったから、あれも大きく影響していると思うね。

──サウンドという面から言えば本作のミックスはデイヴ・フリッドマンが参加しているようですね。彼はフレーミング・リップスやマーキュリー・レヴの他、かつて2000年前後にいつくかの日本のバンドのプロデュースやミックスも手掛けており日本でも知られたプロデューサーのひとりでもあります。本作に彼が参加するきっかけはどのようなもので、彼が参加したことで本作に何がもたらされたのでしょうか。

F:デイヴィッドとは、パンデミックだったからリモートで作業したんだ。その時点から、プロセスがテープからデジタルに切り替わった。テープからコンピューターに入れてオーディオファイルを作り、それを彼に送ったんだ。彼は機材のコレクションをもっていて、ミックスとプロデュースの仕方が本当に素晴らしい。依頼してイエスと返事をもらったときはすごく興奮したよ。彼は、僕が作っていた音楽に空間をもたらしてくれたと思う。彼は、彼がもっているものを駆使して独特の空間を音の中に作ることができるからね。

──デイヴ・フリッドマンは空間作りの巧いプロデューサー、エンジニアだという印象があります。マーキュリー・レヴで来日した際、ステージには立たないのに、PAの場所で音にエフェクトをかけて操作することで演奏しているかのように音を変え、参加していたのがとても印象に残っています。フリッドマンの音作りと、あなたのソングライティングとの整合において難しかったのはどういうところでしたか?

F:彼には仕事を依頼した時点から音源を送っていたから、彼は僕がどんなサウンドを作ろうとしているかはすでにわかっていた。それに、僕は既に彼のプロダクションのファンだったから、お互いにあまり話し合いをする必要はなかったんだ。互いをリスペクトしているしね。自分が変えたいと思う部分は変えることができたし、新しいサウンドと自分が求めていたもののバランスがうまくそれた、すごく良いコラボだったと思う。

──本作はあなたの教会での生活の中で制作された作品だと聞いています。その教会での生活は本作もしくはあなた自身の音楽にどのようなものをもたらしたといえるのでしょうか。具体的にその教会のある環境、なぜそこで生活をしようと思ったのか、どういう毎日の中でこのアルバムが生まれたのか、詳しく教えてください。

F:そう。シカゴの教会に住んでいたんだ。その教会にはピアノがあった。パンデミックの間は礼拝がズームで行われていたから、その間はずっと静かでね。2019年の10月、パンデミック前の時点から教会に住んでもいいかと頼んで、住まわせてもらっていたんだけど、パンデミックのあとはバンドのドラマーも一緒に住み始めた(笑)教会に住み始めたのは、住む場所が必要だったから。当時の彼女と別れて、彼女にスペースをあげるために、一緒に住んでいたアパートを出ることにしたんだ。で、教会の部屋が空いていたからそこに住みたいと頼んだんだよ。で、パンデミックに入ってから教会全てが自分のスペースになった。かなり広くて、多分7個か8個楽器があったと思う。ピアノとか、パイプオルガンとか。それを色々と弾いてみたり、楽器を練習したり、曲を書いたり、本を読んだり。それを繰り返して毎日を過ごしていた。普通のゴシックな感じのステンドグラスがある教会で、ほとんどの場合は夜に行動していたんだ。午後5時に起きて、そこから何かしようとしていた。食べたり、風呂に入ったり、コーヒーを沢山飲んだり、スタジオで曲作りをしたり。で、午前11時に就寝。深夜から明け方3時くらいまでは楽器を練習していたな。ドラマーと今のガールフレンドで24時間空いている店にいったりもしてた(笑)

──青春映画に出てくるみたいなライフスタイルですね(笑)

F:映画といえば、今ちょうど映画を作ってるんだよ。今監督と話してるところ。MVと同じ監督なんだけど、僕が経験したストーリーをベースにホラー映画を作ろうと話してる。今回のアルバムとは関係なくて、その映画のために新しい音楽を書くつもり。

──「Say A Little Prayer」といえば、ディオンヌ・ワーウィックのみならずアレサ・フランクリンのカヴァーもとても有名ですが、今、アレサの映画も制作されるなど改めて彼女のソウル・シンガーとしての再評価が高まっています。他にも今は、《Netflix》など配信サイトの人気で音楽にまつわるドキュメント映画や自伝的映画の制作が相次ぎ、そういう機会からレジェンドたちへの見直しが進んでいます。あなたの作品も非常に映像的であり、あなた自身のこれまでのキャリアもまた映画になりそうなほど紆余曲折を経ているわけですが、映画・映像と音楽との関係からあなた自身、何かヒントを得たり、トライしたいと思うことはありますでしょうか? あなた自身がこれまで見てきた音楽映画・映像で影響を受けたものがあればおしえてください。また、あなたの人生が映画化されるとしたら、主演俳優は誰に演じてほしいですか?

F:今回映像制作に挑戦することになったのは、自分の経験を監督に話していたことから始まった。その話が変わっていたりユニークだから、映画にしたら面白いんじゃないかという話になってね。僕自身も映画が好きだし、アートフォームとしても好きなんだ。ポール・トーマス・アンダーソンとか、スタンリー・キュービックとか、素晴らしい監督が沢山いる。主演俳優は、僕だな(笑)

──答えにくい質問かもしれませんが、あなたは長い間ドラッグやアルコールの依存症に苦しみ、そこから立ち直りました。そんなあなたが教会に暮らしてそこでアルバムを制作するということに、なんらかの贖罪やストイシズムを感じたりもするのですが、そうした過去の自分と向き合うという意味で、教会での生活やそこでの作業はどのように関係していたと言えますか?

F:もちろん。精神的にも感情的にも助けになった。気が落ち着かなくなっても、酒やタバコで解決するのではなく、誰もいない教会でたっぷりと時間をかけて自分と向き合うということでいい精神的健康を保つことができたからね。

──そういう意味でもラストの「Say Your Prayer」は象徴的な曲のように思えます。まるでバカラックの「Say A Little Prayer」へのアンサーソングのような。この「Say Your Prayer」にはどのような思いが込められているのでしょうか?

F:その曲は、アルバムの最後に書いた曲。レコーディングのために皆が9月にシカゴに来た時、その夜にコロナではなかったけど僕が体調を崩してレコーディングが中止になってしまったことがあってね。そのせいで皆帰らないといけなくなってしまった。すごくキツくて、2週間かけてやっと回復したけど、スケジュールを乱してしまったことに対して落ち込んだし、不安になってしまって。スタジオに遂に入った時、自分を癒すためにスピリチュアルな解決策が欲しくてあの曲を作ったんだ。デモの時点で大好きな曲だった。作っていて楽しかったしね。

──最後に、あなたがタイムマシンを使って過去に戻れるとしたら、いつの時代のどの場面に立ち会いたいですか? 例えばローリング・ストーンズの『ベガーズ・バンケット』のレコーディング現場とか……? また逆に、未来を覗けるとして、例えば50年後、あなたはどんなミュージシャンになっていると思いますか?

F:いつも考えるけど、やっぱり今がいいと思う。60年や70年代を振り返ることもできるし。その時代の作品へのアクセスもあるから。50年後は、僕がまだいたらいいけどね(笑)。先のことはわからないな。近い未来だったら日本にいきたい。僕の地元で育ったフランク・ロイド・ライトは帝国ホテルの設計にもかかわっているんだけど、僕も日本のアートと文化が大好き。だから早く行きたいんだ。日本についての本や映像は読んだり見たりしてるんだけどね。日本は素晴らしい。食べ物も最高なんだろうな(笑)


Neil Francis

In Plain Sight

LABEL : ATO / Big Nothing
RELEASE DATE : 2021.11.10


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Text By Yasuyuki Ono

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