映画『ドキュメント サニーデイ・サービス』
バンドと“私たち”の記録
作品と一定の距離を置いてそれを俯瞰し、重要なポイントを探し出し、フォーカスして、掘り下げる。それが正しいレヴューの書き方だと思うのだけれども、この映画ではそれができない。あまりにも自分の人生と長く深く結びついてしまい、突き放すことができない。ここでは、映画の内容に沿って、同時代を目撃してきた者としての記憶をよみがえらせていきたい。 しかし皮肉なことに、再結成後のサニーデイ・サービスが再びシーンの最先端にいることを宣言し、新しいファンを獲得した『DANCE TO YOU』(2016年)『Popcorn Ballads』(2017年)『the CITY』(2018年)という傑作に、体調が悪化していた丸山はほぼ参加していない。もう一度この3人でやりたくて再結成したバンドからメンバーがいなくなってしまうという緊急事態。しかしそれこそが曽我部を追い込み、これらの傑作を生んだ原動力になった側面はあるだろう。この不在すらもバンドの力にしてしまう特別な繋がり。残念ながら映画では深く触れられていないので、ぜひ北沢夏音氏とサニーデイ・サービスの共著作『青春狂走曲』を読んでほしい。 映画の舞台は、新メンバーとして大工原幹雄を迎えた新生サニーデイ・サービスが2021年末から2022年5月にかけて決行した全国ツアーへと移る。 しかしこの映画を見て、この3年間のライヴですっかり抜け落ちていたものがあったことに気付かされた。それは、共にサニーデイを観て、思いっきり泣いたり笑ったりするお客さんとの繋がりである。マスクをして、私語を慎み、ステージだけを見つめて、終演後は静かに会場を後にする。そんな繰り返しの中で、隣の人がどう思っていたのか、何にどれくらい心を動かされたのか、ほとんど気付いていなかったし、注意も払っていなかった。嬉しそうにインタヴューに答える観客、そして椅子に座って演奏を聴きながら、感極まったように首を折った男性の後ろ姿が、この映画における個人的なクライマックスである。 Text By
Dreamy Deka 『ドキュメント サニーデイ・サービス』 7月7日(金)より渋谷シネクイントほかにてロードショー
監督・撮影・編集:カンパニー松尾 関連記事 【INTERVIEW】
若者たちはいつだって不遜である。しかし中でも1990年代後半の若者たちは、特に不遜だったんじゃないかと思う。それも仕方のないことだろう。海外ではストーン・ローゼズやオアシス、日本ではフリッパーズ・ギターや電気グルーヴやBUDDHA BRANDが、「メインストリートの古いルールを書き換えた奴が一番かっこいい」ということをさんざん見せつけてくれた後なのだから。彼らの輝きは、なんの才能もないし努力もしてないオレみたいな子供でも、少なくとも遅れて生まれた分だけは大人たちよりもえらい、と勘違いさせるだけの力があった。90年代のサニーデイ・サービスは、そんな根拠なき自信だけで構成された、不遜な若者たちの代表だった。例えば同時期にデビューしたGREAT3は日本屈指のセッション・ミュージシャンである長田進がプロデュースしていたし、ホフディランはデビュー曲からタイアップが付いていた。成功への確かな足がかりがあったのである。そして何より彼らは東京出身で、ライヴ・ハウスやクラブに多くの仲間がいた。香川県出身、デビュー・アルバムからセルフプロデュース、低予算、そして楽器を弾けないメンバーまでいたサニーデイこそ、革命の担い手として最もふさわしい出自だったのである。生意気が服を着たような若き日の曽我部恵一と映画の中で再会して、そんなことを思い出した。
しかしYouTubeもストリーミング配信もない時代、お金のないキッズは、新しいバンドを聴くべき理由と聴かない理由を同時に探していた。デビュー当初のサニーデイは、聴かなくてもいい明確な理由があるバンドだった。まさに映画の中でやついいちろうや北沢夏音が証言している通り、「あんなのフリッパーズのフォロワーでしょ?」と。もっとも当時高校生だった私は、今よりももっとずっとバカだったので、『若者たち』(1995年)で本物の革命が始まった時も、「今度はフォークの真似かい?」なんて眼差しを捨てられずにいた。たまにTVK(テレビ神奈川)から流れてくるMVを観て、こいつら実は結構いいバンドなんじゃないの……? と内心ビクビクしながら。たぶんバカな若者サークルからぬけがけされるのが怖かったのかもしれない。若さを弄んだ末の誇大妄想。
そんな不遜で眩しい3人組は、2000年12月14日のライヴをもっていったん解散する。いったん、と今となっては書けるけど、当時のショックは大きかった。私の記憶ではライヴ当日までその事実を伏せておくはずが、テレビ番組の公開収録が中止になったことでライヴ前に情報が漏れてしまった、という経緯だったと思う。その時はもうすっかりサニーデイに夢中になっていた私はしっかりこの日のチケットを取っていて、「チケット10万円で買います」と書いてあるダンボールを持ったたくさんの人たちの前を通り過ぎて、歌舞伎町のリキッドルームへ入った。しかしこれが解散ライヴだと感じたのは、その会場前の光景だけだったような気もする。いや、前半で演奏された「胸いっぱい」がグサグサと心に刺さってきたことも覚えているな。でも全体的には『LOVE ALBUM』(2000年)の多幸感そのままの雰囲気で、なんで解散すんだよ、としか思えなかった。
でもこの映画では、当時の彼らにはもはや音楽性の相違なんて言葉だけでは割り切れない、ヘビーな軋轢、ズタボロな状況があったことが明かされる。それはそうだろう。何者でもなかった若者たちが、たった5年や6年で『若者たち』『東京』(1996年)『愛と笑いの夜』(1997年)『サニーデイ・サービス』(1997年)『24時』(1998年)『MUGEN』(1999年)『LOVE ALBUM』と、20年以上経った現在も、世界中の音楽へ瞬時にアクセスできる、私たちよりはるかに賢い若者たちに聴き継がれる本物の傑作をつくってしまったのだから。しかも自分たちだけの、まったくもってインディペンデントなやり方で。心と身体、そして友情に、歪みが出ない方がおかしい。これを「ロックンロールの悪魔に魅入られた」なんて言い表すとそれらしく聞こえるが、しかしそいつがドラマーである丸山晴茂の身体を蝕んでしまったというのならば、言葉もない。誰かの命と引き換えにしていいショーなんてどこにもない。でも、サニーデイがない自分の人生なんて想像もできない。丸山が生前「俺たちは海賊のように大きな海で大砲を撃ちまくった。体制に歯向かっていつもそれに勝っていた」と語っていたという、北沢夏音の証言にすがってしまいたくなる。
しかし丸山が人前で最後にドラムを叩いてから約7年の月日が流れ、彼がドラムを叩くサニーデイを見たことがない人もいるかもしれない。そんな人はぜひこの映画に出てくる2015年のライヴ映像に注目してほしい。百戦錬磨のヴォーカリストである曽我部恵一が、なんだか頼りなげで、それでいて楽しそうで、まるでバンドを始めたばかりの若いバンドマンに見えないだろうか。バンドのムードを決めていたのは、この無垢で、スリリングで、チャーミングなドラマーだったのだ。この直後、2015年の《森・道・市場》で観た3人のライヴを、私は一生忘れることはないだろう。
©️2023 ROSE RECORDS / SPACE SHOWER FILMS
2018年5月、アルコールと病魔との長い戦いの末、丸山が死去。映画にも登場する12月28日に渋谷《クラブクアトロ》で開催された事実上の追悼ライヴとなった「サニーデイ・サービスの世界 追加公演“1994”」には私も足を運んだ。36曲、3時間。丸山君のことは口にせず、でも彼の不在に捧げるように一曲ずつ二人だけで演奏していく異形のライヴ。ステージの上、ドラムセットがあるはずの場所にはぽっかりと空間が広がっている。そしてそれと同じように、特別なアレンジが施されていない楽曲にも、ドラマーのために用意された空間がそのまま残されていた。ドラムは鳴っていない。でも確かに私たちには聴こえる。「君がいないことは、君がいることだな」というフレーズの真実性を噛みしめた夜。かつての不遜な若者たちの冒険は、ここで長い長い第一幕を終えた。
私は大工原が加入するきっかけとなった2020年1月に江ノ島《オッパーラ》で開催されたライヴを観ることができたのだが、映画の中で自身を「パワーヒッター」と称しているように、荒削りでパワフル、そして華がある、と思った記憶がある。丸山の不在中をサポートした鈴木正敏(初恋の嵐)、岡山健二(andymori)は、曽我部が頭の中に描いていたサニーデイのサウンドを忠実かつ完全な形で鳴らしてくれるドラマーだったように思う。しかし大工原が叩くとお馴染みの楽曲もガラリと表情を変える。それまではフォークだと思っていた曲が、途端にガレージ・ソウルになるといった具合に。しかも未だにライヴの度に、その印象が変わっていく感がある。もちろん丸山ともまったくタイプの違うミュージシャンだが、スタジオ・ミュージシャン的なタイプではないところや、曽我部恵一、田中貴というベテランと渡りあっても動じる気配がない、どこかひょうひょうとした佇まい、そして何よりも、サニーデイの音楽を、あるいはバンドそのものを、生き物にする力を持つ、という共通点があるような気がしている。いずれにせよ、この稀有なドラマーの加入により、私のような古くからのファンは「昔は良かった」という最も忌避したいセリフから、またしても逃れることができたことは最新作『DOKI DOKI』(2022年)を聴いても明らかだ。今、ここのサニーデイがいちばん新鮮でスリリング。まだ革命は終わっていない。
それにしても、たった数年前のことなのに、ライヴに歓声をあげることが再び許されつつある今となってはうまく思い出せないのだが、全国ツアーが始まった2021年末は、まさに日本中が厳戒態勢の下にあった。アーティストはもちろん、そこに集まる観客すら、ウィルスを媒介させる反社会的存在として見なされた。音楽は何のためにあるのか、存在が許されないものなのか、アーティストも、私たちオーディエンスも、自問自答する日々だった。
一方、2019年には6295億円の売上があったとされるライヴエンターテイメント市場は、2020年は1106億円まで縮小、2021年は回復するも通常時には程遠い半分の3072億円だったとされている(ぴあ総研調べ)。もともと一部のビッグ・アーティストを除けば、アーティストとスタッフの熱意なくして成り立たない構造の産業にとってコロナショックはあまりにも過酷だった。実際、閉店したライヴ・ハウスや活動の停滞を余儀なくされたアーティストを挙げればきりがない。
進めばコロナが、退けば経済が、アーティストの行く手を阻む。その中で、カレー屋の店頭に立ち、中古レコードを売り、配信ライヴにも数多く出演して活動を止めなかった曽我部恵一、サニーデイ・サービス、《ROSE RECORDS》のあり方は、大きなレーベルや事務所のサポートがない多くのアーティストの指針になっていたようにも思う。有観客でのツアーの再開もいち早くという感じがあったと記憶している。
私もこのツアー初日の名古屋《ボトムライン》の公演に、(誰にも言わずこっそりと)足を運んだが、厳しい人数制限の下、フロアには立ち位置を指定するシールが貼られ、大きな声で話すことを防ぐためか、開演前のSEもアルコールの販売もなかった。これまでのノーマルと比較すれば、不完全で異常な環境。それでも生まれ変わったサニーデイが目の前で演奏してくれることは、多少なりともコロナによって自分自身もダメージを負った2021年の締めくくりに差した光に他ならなかった。そして彼らの演奏が聴けるなら、このやり方がこれからのスタンダードになっても構わないとすら思った。
©️2023 ROSE RECORDS / SPACE SHOWER FILMS
若さゆえの衝突、メンバーの死、そしてコロナ禍。その全てを乗り越えてしまったサニーデイ・サービスというバンドが、いつかその歩みを止める日が来るのだろうか。ふとそんなことを想像してみる。終わりはいつかやってくる。しかし、この映画に出てくるオーディエンスや、そして映画館に足を運ぶファンがいる限り、その日は決して訪れないようにも感じられてしまう。私も永くその中の一人であり続けることが今の願いだ。(ドリーミー刑事)
ナレーション:小泉今日子
出演:サニーデイ・サービス(曽我部恵一、田中貴、大工原幹雄)、丸山晴茂、渡邊文武、藏本真彦、新井仁、杉浦英治、北沢夏音、やついいちろう、山口保幸、阿部孝明、小宮山雄飛、ワタナベイビー、夏目知幸、安部勇磨ほか
配給:SPACE SHOWER FILMS
記事内画像:©️2023 ROSE RECORDS / SPACE SHOWER FILMS
公式サイト
【INTERVIEW】
サニーデイ・サービス(曽我部恵一)
「道端に落ちているものを、みんな本当に必死に探している」
サニーデイ・サービス『いいね!』を通して曽我部恵一が考える批評的なものをはじき出してしまう音楽
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小田島等+細野しんいち=BEST MUSICがコロナ禍の大復活
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