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8時間もの公演を追ったドキュメンタリー映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』本人自らが語るデータ過多の現代への解毒効果

26 March 2021 | By Yasuo Murao

現代音楽とエレクトロニカを融合させたサウンド、<ポスト・クラシカル>のパイオニアのひとりで、最近では映画音楽の世界でも活躍するMax Richter(マックス・リヒター)。彼の代表作『スリープ』は「眠り」をテーマにした8時間に及ぶ大作だ。しかも、それをコンサートで披露するというから驚かされる。一体、どんなコンサートになるのか。その様子を追いかけたのがドキュメンタリー映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』だ。コンサートは真夜中から朝方にかけて行われて、リヒターを含む演奏者は8時間に渡って演奏。一方、観客は客席ではなくベッドに横たわり、自由に会場を歩き回ることもできる。そんな異例のコンサートを通じて観客は何を感じるのか。リヒターの妻であり、彼と様々なプロジェクトを行ってきた映像作家、Yulia Mahr(ユリア・マール)も映画に登場してリヒターの素顔を語っている。そこで映画公開にあわせて、リヒターとユリアの2人に「スリープ」プロジェクトについて話を訊いた。(取材・文/村尾泰郎)

Interview with Interview with Max Richter, Yulia Mahr

――まず『スリープ』はついて伺いたいのですが、睡眠のどういう面に興味を持って作品に取り組んだのでしょう。

Max Richter(以下、M):今の時代、人々は常にパソコンや携帯の画面を見つめ、処理しきれないほどのデータに向き合っています。画面を見つめる時間、〈スクリーンタイム〉に時間を費やして、休息する時間をどんどん削られている。そういうデータ過多の現代における解毒剤のような役割を果たすものを、音楽で構築してみたかったんです。

――映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』を拝見すると、ユリアさんからも「眠りをテーマにした作品を作ってみたら?」とリヒターさんに提案されたそうですね。

Yulia Mahr(以下、Y):マックスが海外に公演に出掛けている時、私は自宅で子育てをしながらストリーミングで彼の公演の様子を聴いていたんです。時差があるので夜中に聴くことが多くて、半分寝ていて半分起きているような状態でした。そういう状態で音楽を聴いていると、昼間に聴く時とは音楽に対する感じ方が違ってくるんです。昼間は音楽を聴きながらいろんなこと考えたり、その音楽を分析したりするのですが、夜中に聴くと音楽がダイレクトに頭の中に入ってくるような気がして、何か特別な空間にいるような感覚になるのが興味深かったんです。

©Mike Terry

――確かに真夜中は感覚が研ぎ澄まされるような気がしますね。それにしても、8時間という長さの曲を書くのは大変だったのでは?

M:まず、とんでもない分量の楽譜を書かなくてはいけませんからね(笑)。楽譜は100ページもあるんです。普通はひとつの時間軸でどんなことが起こるのか、すべてのパートを把握したうえで曲を書いていくのですが、8時間半となると全パートを把握することはできないし、各パートを関連づけて作曲することもできない。ある程度、全体像をイメージしながら部分部分で曲を書いていくという、これまでやったことがない手法で曲を書いたのですが実に大変な作業でした。

――独自の構造を持った作品になっているわけですね。あなたのほかの作品もそうですが、『スリープ』は音響も重要な役割を果たしています。サウンド面でのこだわりを教えてください。

M:音作りも通常とは異なるアプローチでした。『スリープ』は主に低周波のサブソニック・サウンド(人間が音として感じられない周波数の音)で作られています。なぜそうしたかというと、この作品で母親の胎内の音響を再現しようと思ったんです。人間がまだ人間の形になる前の段階で、胎内で初めて聞く音が人間の感情面に何らかの影響を与えていると考えたからです。『スリープ』はずっと低周波のサウンドで進んでいき、最後の1時間は次第に高周波になっていく。つまり、夢から覚醒して現実に戻っていくんです。

Y:コンサートは静かな音で演奏されていると思われがちですが、実はかなり大きい音なんです。もう、うるさいぐらいに(笑)。コンサートに来た観客のほとんどは、まずそのことに驚きます、それなのに、あえてスピーカーの上で寝ることを選ぶ人もいるんです。なぜかというと、音楽を聴いているうちに身体を音に埋もれさせたくなるんです。低周波のサウンドは耳だけではなく、身体全体を通して、骨を通して聴いているような感覚になってくる。8時間半に渡って曲を聴き終えた時には、旅を終えたよう気持ちになるんです。

©Rahi Rezvani

――映画の中で、朝方、リヒターさんがベッドに横になっている観客の間を満足げに歩き回っている姿が印象的で、まるで新生児を取り上げた医師のようにも見えました。

Y:確かに『スリープ』のコンサートは出産に似ているところがあるかもしれませんね(笑)。私は3人の子供がいるので出産の気持ちがわかるんですが、別世界に入って行ったような気持ちになるんです。大勢の人たちと共に同じ時間を過ごすことから生まれる大いなる力は言葉にできません。8時間より、もっともっと長い旅を共にしたという気持ちになるんです。

M:コンサートの最後の1時間は曲調が変化して、日が昇って明るくなってくる。演奏する側は「もうすぐ山の頂上にたどり着くぞ」という満足感に満ちています。なので私も、夜の長い旅路を観客と一緒に乗り越えた、という感慨に浸っているんです。

――コンサート中、観客が会場を動き回れるし寝てもいい、という自由さもユニークですね。従来のクラシックのコンサートは厳しい秩序があり、演奏者の音楽を観客が聴かせてもらう、という上下関係が生まれますが『スリープ』では演奏者も観客も対等です。

M:その通りです。一晩、演奏者と観客が一緒に過ごすという経験をすることによって、クラシックのコサートにおける上下関係がまったくなくなってフラットになる。それも『スリープ』の重要な要素のひとつです。

――これまでコンサートではいろんな出来事があったと思いますが、なにか印象に残っているエピソードはありますか?

Y:とても美しい手紙を受け取りました。自分の人生について書かれた手紙や、人に言えないようなプライベートなことを書き綴ったような手紙もありました。多分、マックスと8時間過ごしたことで、お互いを知っているような感覚になったんでしょうね。そういった観客の皆さんの想いを知ることができたのは、とても素晴らしい経験でした。

――リヒターさんは映画を観てどんな感想を持たれましたか?

M:美しい作品でした。これまで、こういう客観的な視点で観客の皆さんの様子を見ることはできなかったので興味深かったです。その一方で、本当に大変だった演奏の疲労感が蘇ってきて押しつぶされそうなることもありました(笑)。演奏の準備には2日かけているんです。コンサートでは私はずっとピアノを演奏していて、途中に2回休憩があるのですが、終わった後は体力を回復するまで数日かかるんです。

©Mike Terry ©2018 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin All Rights Reserved

――演奏者にとってはヘヴィなコンサートなんですね。そういえば、リヒターさんは映画で「仕事と割り切って映画音楽を手掛けるようになった」とおっしゃっていましたが、今やあなたは映画音楽の作曲家として注目を集めています。最近はどんな気持ちで映画音楽の仕事に向き合っているのでしょうか。

M:映画音楽を初めた頃は生活の糧のために必死にやっていました。でも、今はとても楽しんでやっていて大好きな仕事です。ある意味、それは予期せぬ幸運でした。映画音楽の作曲というのは交響曲を書き上げる作業とはまったく違います。それは「大きなものの一部になる」ということなんです。映画音楽の作曲は、映画の中で音楽はどういう役割を果たすべきか、ということを常に考えると同時に、様々な人たちとコラボレートしながら問題や課題があればそれを解決する。みんなでパズルの答えを見つけるような感じですね。そして、映画音楽はとってつけたようなものではなく、そこで流れているのが自然に感じられるように映画の中に存在しなくてはいけない。この大いなる実験をいつも楽しんでいます。

――映画音楽の仕事は創作活動に良い影響を与えているんですね。リヒターさんは現代音楽やクラシック以外に様々な音楽を聴かれていると思います。そんななかで、あなたにとって重要なミュージシャンを教えてもらえますか?

M:個人的に重要な音楽家は例えばバッハ。私にとってバッハは常に興味深い音楽家です。クラシック以外のジャンルでいうとエレクトニクスの音楽をよく聴きます。最近はモジュラー・シンセサイザーを使ったアーティストが多いですね。なかでも、ケイトリン・オーレリア・スミスやフローティング・ポインツは好きです。映画音楽ではヨハン・ヨハンソン。彼の音楽はシベリウスの系譜に連なる北欧の空気感が色濃くて私に強い印象を与えます。(ジャズ・ミュージシャンの)ファラオ・サンダーズも良いですね。音楽は本当に驚きに満ちています。

――やはり、いろんな音楽から刺激を受けているんですね。最近、『スリープ』が配信で聴けるようになりました。ステイホームしながら家で『スリープ』を楽しむリスナーも増えると思いますが、お2人が薦める『スリープ』の楽しみ方があれば教えてください。

Y:子供に聴かせるとよく眠るからと子守唄がわりに聞かせている人もいれば、動物に聴かせている人もいます。死期が近い親に聴かせている、と手紙で教えてくれた方もいて様々な活用法があるみたいですね。

M:仕事場に行く時に聴き始めて、オフィスでずっと流し、音楽が終わると同時に帰宅する、なんて人もいるそうです(笑)。作曲家が“夜の旅路に合う音楽”というイメージで作曲したにもかかわらず、リスナーそれぞれが『スリープ』の活用法を見出していることに私はとても魅せられています。一人一人が自由なスタイルで聴いてくれると嬉しいですね。


映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』

3月26日(金)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷・有楽町ほか全国公開

公式サイト

Text By Yasuo Murao

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