特集
【マンチェスター その青き憂鬱】
Vol.2
フットボールの聖地に脈動する2人のラッパー
マンチェスター。イングランドの第二都市である。イングランドの北西に位置し、一年のほとんどが曇りで雨も多く、冬は長く厳しい土地。ロンドンとの位置関係から考えて、東京に対する大阪という認識でも間違いない。かつて大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたそうだ。
隣の港町、リヴァプールとの間に鉄道が開通したことにより、18世紀末から産業革命によって栄えた工業都市だったが、第二次世界大戦後は衰退。そんな鬱屈とした状況の中、週末になると人々はフットボール観戦のためにスタジアムに集い熱狂する。昔も今もフットボールはマンチェスター市民、もといイギリス人の魂の核にあるからだ。
ある時代には、セックス・ピストルズのマンチェスターでの伝説のギグを機に生まれた、ポストパンク・バンド達のライヴを見に若者達はライヴ・ハウスに集い熱狂した。またある時代には、マッドチェスター・ムーヴメントの下で、若者達は《The Haçienda》に代表されるようなナイトクラブへ集い熱狂した。現在の勢いを取り戻すため、マンチェスターのワーキングクラスの人々を支えたのはフットボールと音楽の熱狂だった。
90年代の英音楽シーンはクール・ブリタニアの名の下に政治利用された負の側面はあるが、それだけ求心力があったわけで、大した観光地も無く、メシも不味いで定評のあるマンチェスターにおいて、ライブやフットボールは観光客を呼び込み、地元経済を潤した。いつの時代もその地域の経済の起爆剤となりえるのは、エンターテイメントとカルチャーだということだ。
イギリスの国技であるフットボールは、1888年にイギリスにおいてプロ競技化されて間も無い頃は、労働者による労働者のための、ストリートに根ざしたエンターテイメントであった。そのため、都市部ではなくワーキングクラスの地域で人気があり、マンチェスターも例に漏れない。
マンチェスターには、マンチェスター・ユナイテッド(以下、マンU)とマンチェスター・シティ(以下、マンC)という2つの世界的フットボール・クラブが活動している。両チーム共にマンチェスター南部の隣接した地区に本拠地を構えており、その距離はたった7.5kmだ。
両クラブとも、1880年頃より活動しており、マンチェスター市民を二分する人気である。勿論、マンチェスター出身のミュージシャン達も、もっぱらどちらかのファンである。
これまでの実績や知名度で言えば、トラフォードを本拠地とするマンUの方が世界的なプロップスは高く、サッカーに興味が無くとも存在は知っているという方は多いのではないだろうか。90〜00年代の栄光や、彼らが1部リーグで戦い続けたことが、マンチェスターの火を絶やさなかった最大の要因だろう。著名なサポーターとして、ニューオーダー、シャーランタンズ、バズコックス、ハッピー・マンデーズ、ストーン・ローゼズ(レニ以外)などなど多数が挙げられる。マンUのレジェンド、デイヴィッド・ベッカムはストーン・ローゼズのファンとして知られており、しばしば《The Haçienda》にも出没していたとピーター・フックが証言している。
一方のマンCは、フットボールの資本主義化が進む中で2008年にUAEの王族がオーナーとなり、莫大な資金力を元手に、名将ジョゼップ・グアルディオラがチームを率いてからは現在世界最強の呼ばれるようにまで成長した。だが、それまではリーグ優勝は1回のみで、リーグの昇降格を繰り返すマンUの陰に隠れた存在であった。マンチェスター市を本拠地とし、「真のマンチェスター市民のクラブ」と言われるように、マンチェスター市民を中心とした「シティズンズ」と呼ばれる熱狂的で濃いファンダムを持ち、かつての立ち位置からシニカルでニヒリスティックなミュージシャンがファンに多い傾向にある。最も著名なサポーターと言えばオアシスのギャラガー兄弟だろう。マンCが経営危機に瀕した時期には出資者となったほどだ。他にはザ・スミスのジョニー・マー、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティス、ストーン・ローゼズのレニ、ザ・フォールのマーク・E・スミスなどがいる。ザ・ドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーはギターの名手であるが、少年時代はストリートでサッカーに熱中し、しかもなかなかの腕前でマンCのトライアルの勧誘を受けたこともあるとか。
あるインタビューでリアム・ギャラガーが初恋の相手を質問された際、マンCだと答えた。度々不倫騒動を起こした彼だが、こればかりは超一途であり、やはりイギリス人にとって推しのチームとは、魂の根底を形成する存在なのだ。
そんなマンCだが、オイルマネーが資金源にあることや、UAEのあらゆる差別が根付く社会問題に対して、他チームのサポーターから批判されることは少なくない。古参ファンの中でも葛藤を生み、議論を呼んだが、シチズンである私は個人的にマーク・E・スミスの言葉に救われた。
「ワーキング・クラスと真のアッパークラスには多くの共通点がある。彼らは出自を知っていて、酒が好きで、ユーモアのセンスがある。本当に注意すべきなのはミドルクラスだ」
スミスらしい言葉だが、階級社会を的確に批評した発言に思える。金持ちも行くところまで行ってしまえば「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」の義務を負い、市民に寄り添うべき存在だという風に私は受け取った。
マンCはイングランドの強豪の中でもチケット代が安く、ローカルに寄り添うスタンスを保っており、搾取的と揶揄されがちな若手育成システムも、ヒップホップにおいてのフックアップ的な側面もあり、ノブレス・オブリージュを尽くす努力を感じる。大きな変化を遂げたが「真のマンチェスター市民のクラブ」という本質は変わらない。そして、マンCの大きな利益を追わず、完成された組織力でひたすらに強さと美しさを追求する芸術至上主義的フットボールは、現在とこれからのマンチェスター音楽シーンに重なる。
19-20シーズンのアウェイ・ユニフォームには、今はなき《The Haçienda》へのトリビュートの意を込めて、右肩に黒と黄の斜の縞模様を刻んだマンC。近年は各クラブがシーズン開幕前に新しいユニフォームをティーザー・ムービーと共に発表するのが通例となったが、マンCの今年のティーザーには2人のミュージシャンが登場した。1人はお馴染みのノエル・ギャラガーだが、続いて登場したのはマンCのユニフォームを着た、アーリング・ハーランド並みの長身を誇るスキンヘッドの男。
そのシチズンの名はThomas Heyes。Blackhaineというステージ・ネームで活動するラッパーで、マンチェスターの北に位置するプレストンの出身の26歳。近々、本格的にマンチェスターに拠点を移すそうだ(おそらくは頻繁にマンCのホームゲームが観たいからだろう)。
彼は優れたコンテンポラリー・ダンサーとしての面を持っており、現在はそちらの方での注目度の方が高いかもしれない。大野一雄や佐伯巽といった日本の暗黒舞踏から強い影響を受けており、疲労時や緊張時に起こる「不随意運動」に発想を得たダンスを展開している。南ロンドンのプロデューサー、VegynとJPEGMAFIAのコラボ曲「Nauseous/Devilish」のMVを見ると、楽曲よりも彼の印象的なルックスとダンスが脳裏に焼き付くはずだ。カニエ・ウエストが今年シカゴで開催した『DONDA 2』のリスニング・パーティーでは、振り付けで抜擢されるなど業界での評価は高く、プレイボーイ・カーティーのライヴでもダンサーとして参加している。
少し変わった形でフックアップされた彼の音楽キャリアは2020年からとまだ浅いが、年1枚のペースで作品をリリースをしており、尚且つ作品を経る毎に明確に進化している。注目すべきは歌唱スタイル多様化だ。2020年のファーストEP『Armour』では北西部訛りの正統派グライムをやってみせた。セカンドEP『And Salford Falls Apart』ではグライムのフロウを借りた叙情的なポエトリー・リーディングや、デス・グリップスを想起させるようなハードコア・パンク的なシャウトを交え、よりエモーショナルな表現を操るようになる。自身のダンスがラップに影響を与えていると本人が語るように、ヨタヨタと千鳥足で歩くような、独特なリズムで言葉繰り出すスタイルは特筆に値する。今年リリースされた最新作『Armour II』では、数人のゲストを起用しているが、ゲストに合わせる柔軟性とそこに見出した新たな表現力に、Blackhaineの完成形を見た。
サウンド面は、同郷のプロデューサー、Rainy Millerと二人三脚で作られている。Miller自身の音楽もOPNとポスト・マローンが混ざり合ったような興味深い音楽なのだが、冨田勲の「月の光」をサンプリングするような音楽マニア度が伺える彼のセンスこそが、Blackhaineというプロジェクトの屋台骨である。UKドリルを基礎に、ダーク・アンビエントやインダストリアル・ノイズ、ドローンなど、レフトフィールド臭のする明らかに異端なウワモノを用いる。ビートメイクに関しても、ドリルではあるがハットを90年代後半の本格派グリッチ・ビートに置き換えたことで、私はこのラッパーへ全幅の信頼を寄せた。それが顕著な楽曲は最新作に収録されている「Prayer」だ。トラップやドリルと一線を画す、また旧来のグリッチとも違った新たなビートの出現に、自然と身体は震える。また、ブラッド・オレンジのようなビッグネームがチェロとコーラスで参加しており、ポスト・クラシカルの要素まで持つ重層的で複雑な楽曲だ。
Blackhaineという名前の由来は、90年代のフランスの若者のサグライフを描いた、マチュー・カソヴィッツ監督の95年作『La Haine(憎しみ)』から取られている。フランス映画や暗黒舞踏といったカルチャーに惹かれる彼らしいネーミングだが、「フットボール・カジュアル(カジュアルズ)」という、80年代にリヴァプールFCのファンがヨーロッパ遠征に帯同し、イタリアやフランスのスポーツ・ファッションを持ち帰ったことを起源とするファッション・カルチャーがイングランド北西部には根付いているが、そんな《ストーン・アイランド》のジャケットを着ている奴が最強だというような独特なサグ文化圏の中で、アヴァンギャルドな感覚を持って育った彼のセンスは確実にオリジナルである。
『Armour II』をもってBlackhaineというキャラクターを殺したと語るHeyes。もうBlackhaine名義でのリリースはなくなるのかもしれないが、《The Quietus》による最新のインタビューでは、既に新しい物を作り始めており、バンド・サウンドの導入によるライヴ感を取り入れたいと仄めかしている。「全身芸術家」という呼称が誰よりも相応しい、彼の今後に注視せざるを得ない。
Blackhaineの「Prayer」に参加しているもう1人の音楽家がいる。イングランド中部の街レスター出身で、マンチェスターを拠点にするクイア・ラッパー、Iceboy Violetだ。互いの作品に参加し合う2人だが、彼らは共通して拠点とするマンチェスターや、同じコミュニティのアーティストをゲストとして起用する。そういったレプリゼントやフックアップの文化はラッパーとして一般的に思えるかもしれないが、彼らのような音楽家の人脈が非凡であることは想像に容易いだろう。
2人共の作品に参加した、マンチェスターのアンビエント・デュオ、Space Afrikaは、昨年リリースのサード・アルバム『Honest Labour』がメディアや、トム・ヨークのような同業者、リスナー、全方位より賞賛を受けた。彼らはIceboy Violetが今年の1月にリリースした『The Vanity Project』の1曲目をプロデュースした。ランダム・ビートとミニマル・ダブというSpace Afrikaらしさ全開のトラックから始まる傑作は、ロンドンの《Local Action》のサブレーベルで、マンチェスターのプロデューサー、Finnが長を務める《2 B Real》からリリースされた。
この作品は1曲毎に異なるプロデューサーを起用しており、Slikback、Nick Leon、Exploited Body、Mun Sing(Giant Swan)などなど、アンダーグラウンドで活躍する面々が集った。その中には、彼の所属するマンチェスターのミュージック・コレクティヴ、Mutualismのメンバーも参加している。「相利共生」の意味を持ったそんな集団からは、Jennifer Waltonとaya(LOFT)だ。特に、昨年《Hyperdub》よりリリースした『im hole』が大きな注目を集めたayaは、彼が最大のインスピレーションとして挙げる音楽家であり、音楽はもちろん、ブースに収まらず客席に身を乗り出すそのパフォーマンスに強い影響を受けたようだ。
Iceboy Violet自身も、18年に《TT》よりリリースした最初のミックステープ『MOOK』では、プロデューサーとしての大器っぷりを見せつけたのだが、近年はaya、ロレイン・ジェイムス、96 Backの作品に参加しており、ラッパーとしての筋力を蓄えているように感じる。彼のどこか肩の力の抜けたトリッキーなフロウが堪らなく好きなのだが、このような動きが『The Vanity Project』にも繋がり、必然的に唯一無二のラップ・アルバムが生まれたのだ。
なぜ、Iceboy Violetがこのような一般的なラップ・アルバムではあり得ないようなメンツを集めることができたかというと、彼がマンチェスターの《The White Hotel》というヴェニューの座付きアクトであったことが大きい。マンチェスター中心部から北のはずれに位置するサルフォード地区にあり、一見煉瓦造りの倉庫や町工場のような外観なのだが、マンチェスター及びイングランドのアンダーグラウンド・シーンのアーティスト達にとって重要な場所である。
また、The White Hotelは《HEAD II》というレーベルの運営を始めており、最初のリリースはBlackhaineのセカンドEPであった。『And Salford Falls Apart』というタイトルも、この場所を愛すが余りのネーミングなのだろう。ちなみにRainy Millerの来たる新作もこのレーベルからだ。
このようにマンチェスターには、アーティスト達のハブとなるようなプラットフォームがあるのだが、まだまだある。1つは、世界で最大の人気を誇るインターネット・ラジオ《NTS Radio》の常設スタジオがあることだ。ロンドン発のラジオ局で、ロンドンにもスタジオがあったのだが、土地の買い上げによりスタジオを閉めざるを得なくなったため、現在イギリスにはマンチェスターにしかスタジオがない。インターネット・ラジオであるため必ずスタジオを要する訳ではないが、スタジオがあることで、Mutualismのメンバーなどの地元のアーティストや、《All Night Flight》などの独自のセンスを持つレコード・ストアがプログラムを展開しており、シーンの特色を色濃く反映している。
もう1つは、人気オンライン・レコード・ストア《Boomkat》だ。地域やジャンルなどに囚われない、他に類を見ないハイセンスなセレクトが最大の売りのレコ屋だ。Space AfrikaのJoshua Tarellが、かつて《Boomkat》のリテーラーを務めていた時期もあったというのは、両者の音楽への嗅覚を裏付けるエピソードだ。写真を通してフィジカルの魅力を伝えるのが達人クラスに上手く、作品のレビューも翻訳アプリを通してでも文章が美しく、音楽と作り手に対して深い愛情を感じるレコ屋である。Space AfrikaとBlackhaineがコラボした、「B£E」のayaによるリミックスに対するレビューで、「マンチュニアン・ネオ・トリップホップ」とカテゴライズしたことは衝撃的であった。
また、フィジカルの企画/販売を担うことも多く、本記事でピックアップしたBlackhaineと Iceboy Violetの作品のフィジカルも、《Boomkat》より販売されている。ロンドンにはブリット・スクールのような育成システムがあるが、マンチェスターの音楽シーンはこのようにそれぞれが独立した存在でありながら、独特なエコシステムの中で相利共生することで、オリジナルでエキサイティングなタレントが現れるのだ。
マンCの所有するエティハド・キャンパスという広大なエリアには、トレーニング施設や試合が行われるスタジアムなどの設備があるが、その本拠地エティハドスタジアムの真隣に《Co-op Live Arena》というイギリス最大となるアリーナが建設中であり、来年の開業を予定している。「イギリス最大のナイトクラブ」というコンセプトから、かつてのマッドチェスター以上のムーブメントの到来を期待するが、現段階でこの最大2万3500人のアリーナを埋め尽くすことのできる、絶賛現役のマンチェスターのアーティストといえばThe 1975(※結成の地はチェシャー州ウィルムスロー)しか考えられない。完全に斜陽気味であったバンドというフォーマットで、マンチェスターから世界最大のバンドが出現すると想像できただろうか。
世界最大規模のバンド。英国最大のアリーナ。世界有数のハイセンスなオンライン・レコード・ストア。世界一のポピュラリティを誇るネット・ラジオ。魅力的な気鋭のアクトとヴェニュー。一年中天気が悪く、永続的に大した観光地も無く、メシも美味いという話は聴いたことがないが、2つのフットボール・クラブと卓越した音楽史が残るこの街で、完璧とも言える環境が整う中、マンチュニアン・サウンドが街を飛び出し、世界中で鳴らされる日はそう遠くはないかもしれない。(hiwatt)
Text By hiwatt
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aya、Space Afrikaから辿る途切れない街の引力
http://turntokyo.com/features/manchester-blue-melancholy-1/