ラッキーオールドサンのノスタルジアとリアリズム
ラッキーオールドサンが歌う移動とノスタルジア
これまでに3枚のフル・アルバムと2枚のミニ・アルバムをリリースし、《ki-ti》、《NEWFOLK》といった制作パートナーのサポートとともに、2010年代以降の国内におけるフォーク・ミュージックにおいて欠かすことのできない存在となったナナと篠原良彰の二人からなるデュオ、ラッキーオールドサン。二人が鳴らす音楽は、ミニマルで非常に素朴なアコースティック・サウンドから、エレクトリック・ギターが躍るバンド・サウンドまで幅のある色彩を見せる。しかし、ラッキーオールドサンの音楽において重要な特徴のひとつはその淡々と抑揚を落として歌い上げる二人の歌の素直な耳なじみの良さといってよいだろう。何気なく口ずさんでしまうような、平易な表現を用いた日本語詞。そのリリックを主題として本稿ではラッキーオールドサンが歌い続けている“移動”という側面に着目しながら、二人が生み出す音楽について考えてみたい。
最初に結論めいたことを述べるならば、これまでラッキーオールドサンが衒いなく、人懐っこいフォーク・(ロック・)サウンドとともに描き、歌い続けてきたのは、あちこちを移動する人びとの姿と移動を支えた交通機械、そこに込められた(社会的な)想いやイメージであった。乗り込んだ人を不安と期待が入り混じった想いとともに彼方の街まで運んでいった“ミッドナイト・バス”(1)や“夜汽車”(2)。ファースト・アルバム『ラッキーオールドサン』(2015年)の舞台となった聖蹟桜ヶ丘周辺に広がった郊外住宅地と都心をつなぐ“京王線”(3)に、誰にも気づかれることなくこっそりと街を去る為に乗り込む“一番列車”(4)。仲間を乗せて旅する“バンドワゴン”(5)や、母の十三回忌のために故郷へと向かうスカイラインを飛ばす自動車(6)。“あなた”をひとり残し港を発つ“汽船”(7)。人類の未来という夢を乗せて空の彼方のフロンティアへと飛び立った“アポロ”(8)や“ロケット”(9)。このように、ラッキーオールドサンの作品群に散見されるのは、20世紀において爆発的に発展を遂げ人とモノを高速で移動させながら現代の生活を支えるとともに、ときに希望を抱き自由を求め都市へと向かい、ときに夢破れ、やむにまれぬ理由から街を去り帰郷した人びとをその想いとともに運んだ乗り物=交通輸送メディアの姿である。相対的に閉ざされた伝統的共同体の縛りから人びとを解き放ち、“より良き未来”へとわれわれを接続していくという開放的なイメージが、上述した交通をめぐる描写には張り付いてもいるだろう。
朴訥と抑揚を抑え淡々と歌い上げる二人の歌声、シンプルなアコースティック・サウンド、ほぼすべての作品に参加している田中ヤコブ(Gt)や牧野祥広(Ba)、岡本成央(Dr)といった旧知の仲間たちとのバンド・アンサンブルが花を添えるオーセンティックなフォーク・ロック・サウンドはラッキーオールドサンの音楽の特徴のひとつといえるノスタルジアを喚起する。その音は、上述した“移動”をめぐる描写と相まって、“より良き未来”というイメージが実効性を有していた時代の空気感を――たとえラッキーオールドサンの二人がそれを経験していないとしても――社会通念的なイメージとして想起させる。そのようにラッキーオールドサンの音楽には“移動”をめぐる表象によって付与されるノスタルジアとロマンチシズムが渦巻いている。そこに、サイモン&ガーファンクルが1968年に、バスや自動車を乗り継ぎながら、もはやどこにもないかもしれないアメリカン・ドリームを追い求め旅する「アメリカ」で歌われた物語を補助線的に連想してもよい。
ラッキーオールドサンの歌に宿るロマンチシズムとリアリズム
しかしラッキーオールドサンが歌うのは過去へとしがみつき、ノスタルジアにからめとられた後ろ向きな歌などでは決してない。むしろそこにあるのは生活のリアリズムを伴った相対的にミクロな視点である。多摩丘陵を切り拓き作り上げられた聖蹟桜ヶ丘の町を舞台とした『ラッキーオールドサン』(2015年)に登場するのは、“あっという間に日は過ぎて”、“季節は巡”り “坂の多い町に住んで/退屈している”(10)人、“家ばかり増えるこの街と/お別れする時が来る”(11)と考えながらも“変わらずある街の匂いに誘われ /まだ移れない”(12)人。そこでは開発から半世紀の時を経た”オールド・タウン”としての郊外に住む人々が織りなす日常の記憶の集積が描かれる。どのような街であれ、そこにはそれぞれの人々にとって時に大切に、時に退屈に編まれていく時と場がある。同作が描いたのは、それらを土台とした自らの人生における必然/中心としての郊外、均質でも単なる風景でもない自らが住む、リアルな郊外の姿であった。サード・アルバム『旅するギター』(2019年)のタイトル・トラック、「旅するギター」では、“ジョン・レノンにはなれないよ/愛と平和なんて/そんなことより明日の話をしよう”、“ハローグッバイ/今日を歌うだけ”と、過去を顧みてしまう自分自身を見つめながらも、それでも今日を歌い続ける=生き続けていく意思が示される。さらにセカンド・アルバム『Belle Époque』(2017年)に収録された「さよならスカイライン」では、亡くなった母の十三回忌へと向かう車のカーステレオから、”東へと向かう列車”が街へと旅立った“あなた”を巡る物語の端緒となる「木綿のハンカチーフ」(1975年)が流れる。その歌をBGMに、”これが最後の涙”、”なんとかなるさ/これから/今まで/どうにかやるさ”と歌い手は独り言つ。そこからは過去へと目線を向けつつもそこへ安住することを断ち切り、日々の生活へと帰還していく決意を感じ取ることができる。ラッキーオールドサンの歌のなかに登場する、現代を生きる人物たちは、自動車やバス、列車、宇宙船が指し示していた”よりよき未来”というものはもうやってこないということをきっと理解し、そのうえで今を生きている。執拗なまでに描かれる交通輸送メディアの姿は、そこに付与されている/てきた進歩的イメージがいまや虚構でしかないということが認識されているからこそ、その反転として“失われた30年”のあとさきにある、どんなに退屈でも平坦でもその日常とともに生きる、生きなければならないという生のリアリティをノスタルジックなフォーク・サウンドとともに、色濃く浮かび上がらせる。サイモン&ガーファンクルが『ブックエンド』(1968年)にて、「アメリカ」の後に“思い出がかすめる歳月をともに生き/今はひっそりと同じ不安を分かち合う”(「オールド・フレンド」)、“思い出は大切にとっておくことです/それはあなたが失ったすべてのもの”(「ブックエンドのテーマ」)と物悲しいストリングスとホーンを携えて、アメリカン・ドリームの脱臼とその後の静かな生を歌ったように。
他方、“あの頃はよかった。夢も希望もあった”といういまはセピア色になった情熱と希望が広がっていたかつての時代にどうしようもなく惹かれてしまうときもある。その時代を彩ったであろう様々な表象に、きっと虚構でしかないノスタルジアとともに耽溺してしまいそうな自分もいる。そのように抑えられず湧き上がる感情に対して、そのノスタルジアは嘘だ!過去を振り返るな!という言明は、一方では正しく、一方では十年先、五年先、いや一年先の”未来”を楽観的に見通すことができなくなった世界で生きなければならないわたしたち(あえてこう言おう)のリアリズムを捉え損ねてもいる。そのようなアンビバレンツのもとで、ラッキーオールドサンはかつてあった(と考えられている)ロマンチシズムの熱量を、トーンを抑えた歌声と体温の低いアコースティック・ギターの音色で包み込むことで自分たちの生活圏の中に抱え込む。“より良き未来”というイメージを、フィクションであるとわかりながら、生活の中に保持しながら生きていくこと。それはきっとニヒリスティックな視点などではなく、簡単に描ける未来が手元からすり抜けていった私たちがそれでも今を生きるための生存戦略でもあるだろう。生まれた土地から旅立つ際に握った誰かの手のぬくもり。マイホームへと一歩踏み行った時の家族から湧き上がる嬌声。ニール・アームストロングが月へ降り立つテレビ映像が告げる“未来”への期待と興奮。やむにやまれず生まれた土地をこっそりと去ることを決め、列車に乗り込もうとする駅のホームで感じた寂しさと安堵感。そのような来る未来を信じ、歩みを進めてきた多くの人々の声や感情を堆積させ、それらを現在の視線から捉えなおすことでラッキーオールドサンの作品は成立している。それが、時にラッキーオールドサンの作品がこじんまりとした生活圏に閉じこもるような閉塞感を感じさせずに、前向きかつ開放的な質感を湛えてきた理由でもあるだろう。そこにラッキーオールドサンの作中に登場するバンド・サウンドで特徴的に用いられる、どこまでも自由に良い意味で野放図に広がっていくようなギター・ワークや、スネア・ドラムの前のめりな音像を重ね合わせてもよい。さらには2人がフェイバリット・ミュージックとしてあげる銀杏BOYZ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』・『DOORS』(2005年)といった作品群に宿る、混沌とした訳の分からない現在に混乱しつつも、それでも何かを手さぐりでもよいからつかみだそうという衝動性をラッキーオールドサンの音楽が内包するロマンチシズムに重ね合わせることもできる。
「うすらい」が告げるラッキーオールドサンの成熟と穏やかなで確かな生活への信念
上述してきたように、交通輸送をめぐる様々な表象を物語を駆動するキーとして歌いながら、現代を生きることのリアリズムを表現してきたラッキーオールドサンが本年5月にリリースしたのが四枚目となるフル・アルバム『うすらい』であり、同作においても上述したような”移動”にまつわる表象と生活の相互関係が作品全体のキーとなっている。本人たちの意思や環境的な要因により近作のリリースを担っていた《NEWFOLK》からではなく、レコーディングからパッケージ制作まで自主製作で作成された本作は生音感のあるピアノとアコースティックギター、チージーなエレクトリック・ギターやシンセサイザーにドラムマシンというこれまでの作品中でもっともミニマルで宅録的な音像をもって成立している。そのサウンドとともに描かれるのは故郷を離れて住む街での生活であり、都市から離れた地方の風景でもある。“免許を取ったら君をのせて雲の向こうへ/道の駅で降りて/故郷の海が遥かになって夏は過ぎた”(13)という離れた故郷を思いながら恐る恐る取り立ての免許でドライブへと向かってしまう情景が伝える胸の高鳴りといくばくかの寂しさ。もう“バスは行ってしまった”という現実に向き合いながら、“そして季節が変わって/思い出にもサヨナラしなきゃね”(14)という夢のあとさきにある今の生活。本作ではそのような生の起伏が減った“現在”の姿が歌われる。かつて“ここではないどこか”へと人びとをその夢と一緒に運んでいった交通輸送メディアは、本作において“自動車”や“バス”という形で登場するものの、それは通学、通勤などの生活を支える必須の移動インフラとして、もしくは休日に恋人や友人と連れ立って近くの“道の駅”や“海”へと向かうような日常生活に花を添えるレジャーの手段として描かれる。本作においてそれらは私たちを“より良き未来”のために生まれた土地から遠く離れた都市へと連れていくのではなく、ただただ自らが住む町とその周囲を回遊し、生活の基礎を形作るものとしてある。
本作に至りラッキーオールドサンの音楽が伝える情景は、高速道路をひた走る“ミッドナイト・バス”のカーテンの隙間から漏れる対向車線を走る車のヘッドランプの光や、“夜汽車”から見える見知らぬ土地の夜光から、徐々にグラデーションを変え、寂しい色味の国道を走る自動車のフロントガラスから見える夕焼けや、バスの車窓から見える時間が止まったような街並みといった、どこまでも平坦な、しかし自身にとっては大切な景色へと徐々に映り変わっていく。アルバム・タイトル曲である「うすらい」は“ひとつの旅/終えて帰る”というリリックから弾むピアノの音を携えて静かに始まっていく。その旅が都会へのものなのか、それとも短期的な観光のための旅なのか、心理的な比喩としての旅なのか。いくつもの解釈が考えられるだろう。しかしながら、いずれの旅ももう終わってしまっていることがナナの歌を通じてそっと伝えられる。少なくとも今は。それは青年期の終わりでもあり、一つの夢が叶い、もしくはその夢がくじけた先に別の生が始まっていくということでもある。それを物語や夢の果てにある現実=終わりと呼ぶか、新たな物語の始まりと呼ぶかはこのラッキーオールドサンの新作を聴く人の手にゆだねるしかない。しかし私はこの「うすらい」の始まりを告げる一言に、ラッキーオールドサンの成熟と穏やかな、けれども確かな生活への信念を見たい。ラッキーオールドサンの音楽は手さぐりに未来を探す時代を生きるわたしたちの生を薄明りで照らしながら、今もどこかの街で鳴っている。(尾野泰幸)
【注釈】1)「ミッドナイト・バス」(『ラッキーオールドサン』(2015年)所収)
2)「夜汽車は走る」(『Caballero』(2016年)所収)
3)「魔法のことば」(『ラッキーオールドサン』(2015年)所収)
4)「すずらん通り」(『Belle Époque』(2017年)所収)
5)「Rockin’ Rescue」(『旅するギター』(2019年)所収)
6)「さよならスカイライン」(『Belle Époque』(2017年)所収)
7)「とつとつ」(『旅するギター』(2019年)所収)
8)「Apollo」(『I’m so sorry, mom』(2014年)所収)
9)「フューチュラマ」(『Belle Époque』(2017年)所収)
10)「坂の多い町と退屈」(『ラッキーオールドサン』(2015年)所収)
11)「街」(『ラッキーオールドサン』(2015年)所収)
12)「いつも何度でも」(『ラッキーオールドサン』(2015年)所収)
13)「鴇色の街」(『うすらい』(2021年)所収)
14)「ヒッピー・トレイル」」(『うすらい』(2021年)所収)
ラッキーオールドサン
うすらい
LABEL : HOMEMADE CONCERT
RELEASE DATE : 2021.05.22
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