「生命の源とか生命体がその成長の様々な段階でどのように変化していくかということに興味がある」
イギリス人の父とブラジル人の母を持つリアナ・フローレスのネイチャー・ソングの世界
筆者がリアナ・フローレスの名前を知ったのは、2019年に自主リリースされたEP『recently』に収録されている「rises the moon」だった。TikTokでバズったこの曲は、これまでにSpotifyで実に5億回以上の再生回数をカウント。フォークとボサ・ノヴァを気高くミックスさせたようなこの曲は、実際にイギリス人の父とブラジル人の母との間に生まれた彼女の民族的なルーツを紐解くものであり、19世紀から20世紀初頭にかけて活動していた英国のアルフレッド・オースティンのような桂冠詩人さながらに、自然や動植物をモチーフにした風景を歌として紡いでいくことをライフワークとする若き詩人の登場を告げるものでもあった。10代の頃から両親の影響で英国フォークやブラジル音楽はもちろん、多くのポップスやソウル・ミュージックなども聴いていたという彼女だが、一方で大学で動物学を学んだことを契機に、歌/音楽という表現の中に生命の蠢きとの共通点を感じ取ったのかもしれない。
名門《Verve》から届けられたリアナ・フローレスのデビュー・アルバム『Flower of the Soul』は、先ごろデヴェンドラ・バンハートと来日もした“相棒”のノア・ジョージソンが共同プロデュース。リアナ本人の希望でジャキス・モレレンバウム、チン・ベルナルデスといったブラジリアン・アーティストが呼ばれ、また、ノアの導きでゲイブ・ノエル、ドリー・バヴァルスキー(ブレイク・ミルズが去年の《FESTIVAL de FRUE》で共にステージに立ったことも記憶に新しい!)、そしてグリズリー・ベアのクリス・ベアらも集結した。さらにはマット・マルチーズやアリス・ボイドといった英国勢も……とエリアを超えた精鋭たちがリアナの門出を祝福している。穏やかでシャイで、ガル・コスタやヴァシュティ・バニヤンと同じくらい昆虫や植物も愛する25歳、リアナ・フローレス、デビューに際したその第一声をお届けしよう。
(インタヴュー・文/岡村詩野 通訳/丸山京子)
Interview with Liana Flores
──私があなたのことを知ったのは、おそらく多くのリスナーの方同様、2019年にリリースされたEP『recently』に収録されている「rises the moon」でした。Tik Tokでバズり、今現在、Spotifyで実に5億回近くの再生回数をカウントしています。あの曲を作った時は、そもそもどういう思いだったのでしょうか。
Liana Flores(以下、L):あれは、高校を出て大学に行くまで1年間、実家に住んでいた時に書いた曲。というのも、ちょっと人生の計画が変わったというか、高校卒業後に何をしたいのかが自分でもよくわからなくなって……部屋でたくさんの曲を書いていた時期があって。その一つがあれだった。自分が無意識に聴きたいと思っていたことを曲にしていたんだと思うわ。
──なぜあのようなバイラル・ヒットとなったと思いますか。
L:たまに考えるのだけど、私にもわからない。ただ、多くの人に聴かれるようになった2021年の夏というのは、イギリスでは最も厳しいコロナ規制が解除された時期だった。だからあの曲の希望に満ちたトーンのせいだったのかなと思ったりもする。これだという理由はわからないけど、自分ではただタイミングが良かったのかなと思うわ。
──フォークとボサ・ノヴァをミックスさせたようなその「rises the moon」を聴いて、私はナラ・レオンとヴァシュティ・バニヤンを想起していました。
L:わぁ……。
──そして、あなたのことをすぐ調べたら、まさにイギリス人のお父さまとブラジル人のお母さまの間に生まれたということがわかり、驚いたのでした。そこで、今回はまずあなたの幼少期のことも伺えればと思います。
L:もちろん!
──生まれはどちらですか。育ったのも同じ町ですか。
L:生まれたのはカンタベリー。2歳の時、家族がノーフォークに引っ越し、そこで育ったわ。相当な田舎の町。周りには畑が広がっていて、鳥の声が聞こえて、羊がいっぱいいるような、そんな町よ。
──お父さま、お母さまはそれぞれどういうお仕事を?
L:二人とも、その時々でいろんな仕事をしてきた人たちなの。今は、父は病院のポーター、母はケアワーカーの仕事をしている。音楽には関係がない仕事だけど、家にギターがあって、たまに父とビートルズの曲を歌ったりした。音楽はどこかでいつも流れていたの……一つすごく強烈な印象として記憶に残っているのは、父が台所で洗い物をしながらCDを聴いていたこと。私の部屋は台所のすぐ隣だったから、壁越しに父が聴いていた音楽が聴こえてたのよ。あとはラジオから流れていたり……。
──それがきっかけでキーボードが弾けるようになったそうですね。
L:ええ。聴いていた音楽に合わせて弾いていたの。そのあと学校でピアノのレッスンを受け、ジャズっぽいものを学んで、そのあとギターを弾くようになった。
──お母さんの故郷であるブラジルのボサ・ノヴァにも興味を持った。
L:ええ。ベベウ・ジルベルトの『Tanto Tempo』というアルバムがきっかけ。ボサ・ノヴァだけれども、2000年代のエレクトロニック・ラウンジ風なサウンドのアルバムよ。なぜかこの1枚を繰り返し、リピートで聴いていたの。
──最初にギターやピアノを習ったり手にしたのはいつのことでしたか。
L:ピアノは8~9歳の時、ギターはもっと経って……16か17の時。
──曲を作ったり歌うようになったのは?
L:14とか15の時くらいかな。
──その時には、もう今のような「ボサ・ノヴァ・meets・フォーク」のようなハイブリッドなスタイルだったのですか?
L:実はそうではなくて、スティーヴィ・ワンダー風の曲を書こうとしてたわ。結果はさんざんだったけど。彼のコード・チェンジがすごく好きで。複雑なコード・チェンジとハーモニーが好きなのだけど、一見してわからない、複雑そうに聴こえない曲を書く人たちに夢中だった。たとえばビーチ・ボーイズの曲の中にはそういうのがあるわ。ハイエイタス・カイヨーテもすごく好きだった。ニック・ドレイク、ジョアン・ジルベルトも。
──でもあなたはセント・アンドリュース大学では音楽ではなく、動物学を専攻するようになります。なぜ動物学だったのでしょうか。
L:正直言うと、自分でもわからなくて、気づいたらそうなってた。でももともと動物が大好きで、自然界とか自然の仕組みに興味があったからなんだと思う。セント・アンドリュース大学を選んだのは海が大好きで、海の近くが良かったから。それに、科学を勉強した方が音楽よりも仕事があると思ったから(笑)。でも結局その道に行かなかった。やっぱり音楽をやることになった。おかしな話ね、またしても横道に逸れて、フルタイムで音楽をやるようになっちゃったの。
──「Butterflies」や「Cuckoo」のように動物をモチーフにした歌詞、「When the sun…」「I wish for the rain」のように気候を意識させられるタイトルや歌詞も多いですよね。大学での専攻がやはり影響しているといえますか。
L:ええ、それは間違いなく。自然界に対する好奇心は、私が科学や芸術の中で最も重要だと思う要素だわ。その意味で、二つは密着に結びついているのだと思う。
──生命の源、生命体としての好奇心があなたが最も興味あるポイントだったりしますか?
L:ええ。実際多くの曲の中で私が考えているのは、生命の源とか生命体がその成長の様々な段階でどのように変化していくかということ。そこに興味がある。私は昆虫が大好きで、学位終了間際の研究テーマは昆虫だった。昆虫ってまさにそうで、幼虫の段階から成長していくにつれ、見た目も大きく変わって変化を遂げるでしょ。それでいて同じ生き物なの。同じなのに見た目はまるで別の生命体。そんなところがとても魅力的で、昆虫が大好きな理由の一つよ。
──特にイギリスやスコットランドの伝承音楽、バラッドの多くも、自然や動物、気象をモチーフにしたものが多いですが、そうした伝承音楽からの影響はありますか。
L:もちろんよ。伝承音楽、トラディショナルなネイチャー・ソング、どちらも大好きだし、自然のことを歌うフォーク・アーティストも好き。たとえばリンダ・パーハックスには自然や季節を歌った歌が多い。ヴァシュティ・バニヤンもそうだし、ニック・ドレイクの曲の中にもネイチャー・ソングと呼べる曲やトラディショナル・ソングがあるわ。
──そういうアーティストのことはどうやって知ったのですか。
L:高校の3年の時にある友達から教えられたのがきっかけ。その先はインターネットでどんどん関連アーティストで見つけていったの。
──で、さきほども話されたように、結局大学在学中にあなたは作品をリリースするようになります。どのように音楽制作の道へと進んだのですか。
L:作った音楽をアップロードしてSpotifyにのせられるプラットフォームがあると知ったのよ。それで「それってクール!」と思って。そうすることでその後どうなるのかとか、自分を売り込もうとか、そういう気持ちはまるでなかった。ただ「やれたらクールだな」っていうそれだけ。
──私が知る限り、現在手軽に誰でも聴けるあなたの最も古い作品は、19歳の時にリリースされたEP『The Waters Fine!』です。キュビズムのような鮮やかな水彩画をジャケットにあしらったこの作品はあなたの自室で録音されたものながら、長閑で優雅だが現代的でシャープな切り口もあり、まさにトロピカリズモ時代の音楽家のようで……。
L:ええ! トロピカリズモは大好きよ。ただ、あのEPは確かに私の初めてのEPで、自分でも何かを目指していたのかわからないというのが正直なところ。その時期の私には音楽を作れる自由がたっぷりあったの。作れるのだから作ってみよう、という以上の理由は特になかった。ただその場の思いつきで作り、見様見真似でプロデュースした。機材もなかったし、予算もなかった。あのジャケットの絵だって、私が学校の美術の試験のために描いた絵だったの。自由に作った作品だった……それだけなの。
──2020年に発表した「Sign / Sinal」は同じ曲を英語とポルトガル語で歌い分けたものですが、これはあなたが二つの故郷/民族的アイデンティティの持ち主であることの誇りを伝えるためだったのですか?
L:ええ、そう。ポルトガル語でボサノヴァを歌ったりするのが大好きなので、自分にもポルトガル語の曲があったら楽しいなと思ったの。
──実際に歌い分けてみて、二つの言語の違いをどう感じましたか。
L:すごくいい質問……。ポルトガル語はいろんな意味で、歌うには“きれいな”言語。母音を含めて語感がとてもやさしい。それとポルトガル語の歌詞って……少なくともボサ・ノヴァの曲の場合は、他の言語にはなかなか訳せない繊細なニュアンスがある。でも英語で歌うのも大好きよ。
──さて、今回リリースされたファースト・アルバムはデヴェンドラ・バンハートとのコンビで知られるノア・ジョージソンとの共同プロデュースです。ノアはマット・マルチーズのミックスも担当していて、あなたはそこでゲストとしてヨ・ラ・テンゴの曲をマットとデュエットしています。ここで初めて出会い、プロデュースを頼むきっかけになったのでしょうか。
L:そうよ。今回は誰か違うプロデューサーで、と探していたので、私から彼に連絡を取ってみたの。彼が手がけたジョアンナ・ニューサムとかナタリア・ラフォルカデのアルバムがすごく好きだった。結果的に一緒にやれることになって、とてもラッキーだったわ。
──ジャキス・モレレンバウム、チン・ベルナルデスといった素晴らしいブラジル人アーティストの参加が目をひきます。あなたのアイデアですか。
L:そう。私が彼らと一緒にやりたいってレーベルに伝えたら、スタッフが連絡先を知っていたのでコンタクトを取ってくれた。もちろん私は大興奮よ。逆に、ゲイブ・ノエル、ドリー・バヴァルスキーについては、ノアがLAのシーンを通じて知っていた人たち。アルバムにぴったりだったので参加してもらうことになった。ゲイブが弾くベースのグルーヴが全てをまとめてくれたと思うし、ドリーの「Halfway Heart」のピアノ・ソロはすごく素晴らしいわ。
──グリズリー・ベアのクリス・ベアー、アリス・ボイドの名前も見られます。
L:アリス・ボイドとは何度かギグを一緒にやったことがある。彼女はすごくクール。自然の音を録音したアンビエントなサウンドとシンセ・サウンドをミックスするのが彼女のスタイル。私もアルバムの最初に鳥の歌を入れたいと思っていて……。その時「鳥の歌を作ったことがある人がいるじゃない」と彼女のことを思い出した。それでやることになったのよ。クリス・ベアはね……彼はノアとパパ友なの。二人の子供が同じ学校に通ってるみたい(笑)。私自身は去年アメリカにはレコーディングで行ったのが初めて。楽しかった。
──ただ、そうした“豪華な先輩たちに支えられた作品”ではなく、リアナ・フローレスという一人の音楽家の毅然とした佇まいに惹かれる素晴らしいアルバムになっていると感じます。むしろ孤高な雰囲気さえ醸し出しています。今回のアルバムの曲を制作する際、何かテーマのようなもの、もしくはノアと話し合って考えたことはありましたか。
L:変化(transformation)……かな。言うならば、自然における季節の移ろい、人生の季節の巡り、その中で何が変わり、何が変わらないか。そんなテーマがすべての曲を繋いでいる共通点なの。自然そのものもテーマの一つだった。人間と自然はどれほど深く繋がっているか、大切なことなのか、といったことよ。
──まさに、大学で学んでいたという動植物や自然をモチーフにした曲が多い理由がそこにあるわけですね。チン・ベルナルデスと共演した「Butterflies」など、さながらカエターノ・ヴェローゾとガル・コスタの共演作『Domingo』のようだと思っていました。
L:え!(息をのむ) まさにそれがリファレンスなの、あの曲の!他にもいくつかリファレンスはあって、「Night Visions」は初期のケイト・ブッシュみたいな曲を書こうとしてできたもの。ケイト・ブッシュの『The Kick Inside』は大きなインスピレーションだった。「Now And Then」はトム・ジョビンのボサ・ノヴァ/ジャズ・スタンダードみたいな曲を書こうと試みた曲。「I Wish For the Rain」もそう。私なりのジャズ・スタンダードを書きたいと思ったの。こういうことを全部ノアと共有できたことはとても重要で、ノアと仕事ができたこと自体、レコーディングのプロセスそのものを学ぶ上でとても役に立ったわ。その中で一番重要な、私にとって学びだったのは、レコーディングを行う上ではあらゆる要素を推測しすぎないことが重要だということ。つまり、曲が自由に独自のものとして生まれるのを許してしまう、ということよ。
──そういえば、今度、シカゴの《Old Town School of Folk Music》でライヴをやるそうですね。
L:ええ、声をかけてもらって出ることになったの。私には経緯はわからないのだけど、ショーがやれるだけ関心を持ってもらえているというのはすごくクールなことね。自分の国じゃない国で、曲を演奏できるわけだから。
──《Old Town School of Folk Music》はピート・シーガー、マヘリア・ジャクソンなどが招かれたことがある歴史的に有名な学校のようですが……。
L:そうなの? すごい! 知らなかった! 私はアメリカのルーツミュージックも大好きで、特に60年代のローレル・キャニオンのシンガー・ソングライターとかはよく聴くの。70年代のサイモン&ガーファンクルとかキャロル・キングとか、ジュディ・シルも大好き。
──あなたのルーツであるイギリスのフォーク、ブラジルのボサ・ノヴァやトロピカリズモ周辺、そしてアメリカのフォーク・ミュージックなど多くの国のフォークロア音楽に触れているわけですが、それらに共通する匂いがあるとしたら、どういうものだと感じていますか。
L:それもいい質問。ソングクラフト(曲を書くという技術)かしら。特にボサ・ノヴァとフォークでは、それが基本。曲は曲として成立しているので、多くのアーティストが同じ曲をカヴァーする。曲は一人のアーティストのものではなく、独自のものとして存在しているの。このアルバムで私が目指したのもそんな曲たちだった。あと、共通しているのはシンプルさ。どちらもルーツにある曲はほとんどがギター1本で、一人でも演奏できる曲ばかり。というか、それで十分なのよ。
──では、ソングライターとしてはどういう人に影響を受けましたか。
L:たくさんいるんだけど、割と最近だったら、フリート・フォクシーズの影響が大きかったかな。自然、リリシズム、といったフォークの影響を取り入れて、コンテンポラリーなものを作るという意味で。アルバムの中のボサ・ノヴァ曲の影響は、トム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)から。あとはジョイス・モレーノ。もっと実験をして、ジャズ的な側面とかも学べたら楽しいでしょうね。
──まだトライしたことがない、今、一番興味がある音楽は?
L:そうねぇ……たまにもっとストレートなポップ・ソングとか作ってみたいって思うわ。
──あなたの言うポップ・ソングとはどういうタイプの曲のことをイメージしているのですか。
L:たとえば、マーゴ・ガーヤンとか……。
──ポップ・ソングというから、ビリー・アイリッシュとかそのあたりかと思っていました。
L:(笑)。
<了>
Text By Shino Okamura
Liana Flores
『Flower of the soul』
LABEL : Verve / Universal Music Japan
RELEASE DATE : 2024.6.28
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