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映画『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』
ガールズ・ポップから浮かび上がる
スウィンギングロンドンの光と影

16 December 2021 | By Yasuo Murao

60年代後半、ロンドンは世界で一番クールな街だった。ビートルズやローリング・ストーンズといったロック・バンドがヒットチャートを賑わせ、マリークワントやBIBAがミニスカートをはいた女性たちに新しいファッションを提供した。そんな華やかな60年代のロンドン=スウィンギングロンドンを舞台にしているのが『ラストナイト・イン・ソーホー』だ。監督は『ショーン・オブ・デッド』(2004年)、『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(2007年)、『ベイビー・ドライバー』(2017年)など、作品ごとに様々なジャンルに挑んできたエドガー・ライト。カウンターカルチャーに詳しいライトだけに、本作もファッションや音楽など様々なネタが盛り込まれている。

物語の始まりは現代。ファッションデザイナーになることを夢見る若い女性、エロイーズは芸大に合格して、ファッションを学ぶためにコーンウォールの田舎町からロンドンへとやってくる。60年代カルチャーが大好きなエロイーズにとってロンドンは憧れの街だった。でも、7歳の時に母を亡くして祖母に育てられたエロイーズは引っ込み思案。それに人に見えないものを見る不思議な力があり、7歳の時に亡くなった母が今も目の前に現れていた。繊細で感じやすいエロイーズは周囲に馴染めず、入学そうそう学校で孤立してしまう。居づらくなった学生寮を出たエロイーズは、ソーホーにある古い屋敷の一室を借りて一人暮らしを始めるが、その日から不思議な夢を見るようになった。夢の中は60年代のソーホー。そこでエロイーズは歌手になることを夢見るサンディという女性にシンクロしていた。そして、その日以来、毎晩、エロイーズはサンディになって夢の中でスウィンギングロンドンを満喫する。

現代と60年代を行き来しながら物語は進行するが、エロイーズとサンディのキャラクターは対照的だ。シャイなエロイーズに対して、サンディは自信満々。ソーホーで顔がきくマネージャー、ジャックにすぐに取り入ってリアルトというナイトクラブで雇われる。エロイーズは夢に向かって突き進むサンディに惹かれていき、サンディと同じコートを古着屋で手に入れ、サンディと同じように髪をブロンドに染める。そうやって、エロイーズは辛い現代から逃れるように60年代の世界にのめり込んでいくが、そこで恐ろしい殺人事件を目撃してしまう。映画の後半は殺人事件をめぐるサスペンスへと物語は急展開していくが、物語を通して大きな役割を担っているのが音楽だ。ライトは音楽に造詣が深く(最新作はスパークスのドキュメンタリー映画!)、本作も音楽にはかなりこだわっている。

映画はエロイーズが自宅でピーター・アンド・ゴードン「A World Without Love(愛なき世界)」に合わせて一人でダンスしているシーンから始まり、ロンドン行きが決まった彼女は引越し用のトランクにレコードをどっさり詰め込む。ピーター&ゴードン『Peter And Gordon』、キンクス『The Kinks Are The Village Green Preservation Society』など60年代のブリティッシュ・ロック/ポップスばかりだが、そのなかにシラ・ブラックのデビュー・アルバム『Cilla』が入っているのが本作の音楽的な伏線になっている。同級生に「田舎者」と悪口を言われ、キンクスを聴いていると「年寄りが聴く音楽」とバカにされるエロイーズは、学生寮を出て一人暮らしを始めるとポータブルプレイヤーでレコードを聴いて60年代に思いを馳せる。そして、引っ越しをした最初の夜、彼女はシラ・ブラック「You Are My world(私の世界)」を聴いているうちに眠りに落ちて60年代のソーホーにトリップするのだ。

夢の中で寝間着姿で通りに出たエロイーズ。街は華やかな60年代になっていて、映画館では『007/サンダーボール作戦』(1965年)が新作として上映中。有名なナイトクラブ、カフェ・ド・パリは大勢の人たちで賑わっている。エロイーズが眠りについてから、ずっと「You Are My world」が流れているのだが、現実世界ではモノラルだったサウンドが60年代に入るとサラウンドで広がるという音響的演出でエロイーズが異世界に迷い込んだことを伝える。エロイーズがカフェ・ド・パリの鏡を覗くと、そこにはサンディの姿。エロイーズ=サンディがカフェ・ド・パリの階段を降りていくと、そこでシラが「You Are My world」を高らかに歌っている。この最初のトリップシーンの映像と音楽の一体感は、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン「Bellbottoms」を使った『ベイビー・ドライバー』のオープニング・シーンを彷彿とさせる素晴らしさだ。

映画では、ザ・フー、グラハム・ボンド・オーガニゼーション、ウォーカー・ブラザーズなど60年代の英国音楽が数多く流れるが(映画のタイトルもエロイーズの名前もすべて曲名からの引用)、なかでも重要なのが女性シンガーの曲で、60年代はガールズ・ポップの時代でもあった。サンディはリアルトのオーディションでペトゥラ・クラークのヒット曲「Downtown(恋のダウンタウン)」をアカペラで歌う。「孤独を感じた時は街に出て、輝くネオンを見れば気持ちが安らぐ」。そんなスウィンギングロンドン賛歌とも言えるこの曲は、イギリスのバート・バカラックとも呼ばれたヒットメイカー、トニー・ハッチが手掛けた曲で希望に満ちたサンディの気持ちを表している。また、ネオンに彩られたソーホーの街を、ジャックとサンディがタクシーで走る抜けていく時に流れるシラの「Anyone Who Had A Heart(恋するハート)」は、彼女が初めてチャート1位を記録した2枚目のシングル曲。バート・バカラックの名曲で、プロデュースを手掛けたのはビートルズを世に送り出したジョージ・マーティン。そのゴージャスなサウンドはサンディの未来を祝福しているようでもある。

ところがサンディはジャックに騙されて、歌手ではなくセクシーな衣装を着たダンサーとしてステージに立たされる。そこで観客の男たちの「脱げ! 脱げ!」という掛け声を浴びながら踊らされる時に流れているのが、スウィンギングロンドンの歌姫、サンディ・ショウ「Puppet On A String(恋のあやつり人形)」。同じサンディでも、一方はポップスターで、もう一方は場末のダンサーという残酷な選曲だ。ちなみにサンディ・ショウことサンドラ・アン・グッドリッチは地方の会社で働きながら歌手になることを夢見て、17歳の時にマネージャーのイヴ・テイラーと契約。テイラーのアイデアで「サンディ・ショウ」という芸名にして、裸足で歌うという演出で人気を得るようになった。シラ・ブラックも以前はビートルズが出演していたリヴァプールのクラブ、キャヴァーンのクローク係で、ビートルズのマネージャーでもあったブライアン・エプスタインが彼女を売り出した。この時代、女性歌手は男性の「あやつり人形」としてデビューするしか有名になる手段はなかったのだ。そして、物語の舞台のソーホーは男の欲望を充す歓楽街。そんな男性優位社会がサンディの心を荒ませていく。

そんなサンディの苦しみを間近で見て、エロイーズは60年代の世界に行くことを拒むようになる、エロイーズは恐らく男性と付き合ったことがないのだろう。初めてソーホーにやって来た時もタクシーの運転手の視線に固まったり、親切なクラスメイトのジョンに優しく声をかけられても目を合わせることもできない。そんな男性に対する神経過敏な恐怖心を、サンディが堕ちていく姿や殺人事件が煽ってエロイーズの精神は次第に崩壊していく。その様子をサイコサスペンス風に描き出していくところは、アルフレッド・ヒッチコックやブライアン・デ・パルマ、さらにはロマン・ポランスキーの映画『反撥』(1965年)を思わせたりもした。

サンディの悲劇の背景にあるのは、女性アーティストが男性中心のエンターテイメント業界で搾取されていたという事実。それはスウィンギングロンドンの闇の部分ともいえるだろう。クライマックスでもう一度、「You Are My World」が流れる壮絶なシーンがあるが、そこには一人の女性の名声に対する憧れ、執念、悲しみが込められている。作家もプロデューサーも男たちで作り上げられたガールズ・ポップを小道具に、女性問題をサスペンスの題材にしているところは実に現代的だが、そんななか、エロイーズがハロウィン・パーティーに参加した時にスージー&ザ・バンシーズ「Happy House」が流れる。「Happy House」はサントラで唯一60年代以外の曲だが、スージー&バンシーズは女性たちが自分たちで曲を書いてデビューするようになったパンク世代を代表するバンド。シラ・ブラックやペトゥラ・クラークの夢見るような歌声とは違って、鋭利で攻撃的なスージーの歌声が新しい時代の到来を告げている。

エロイーズは自分の時代に馴染めずに60年代に逃避していたが、60年代のリアルに触れて彼女の心は変化していく。ジャックのような「闇」は今の時代も存在するが、社会の状況は変わってマネージャーの手を借りなくてもSNSを通じて音楽を発信できるようになった。変化には良い面も悪い面もあるけれど、女性にとって時代の変化が希望に繋がっていることが映画のラストでは示唆されている。これまでエンターテイメントに徹してきたライトが女性問題を取り上げるのは意外だったが、そこに音楽をしっかりと絡ませているところにライトの筋金入りの音楽愛を感じさせた。(村尾泰郎)

Text By Yasuo Murao


『ラストナイト・イン・ソーホー』

12月10日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷、渋谷シネクイントほかにて全国公開中

監督:エドガー・ライト
出演:トーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、ダイアナ・リグ、テレンス・スタンプほか
配給:パルコ
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