映画『ジュディ 虹の彼方に』
最後まで生の歌い手であろうとした表現者としてのプライド
レネー・ゼルウィガーが今年のアカデミー賞主演女優賞を獲得した映画『ジュディ 虹の彼方に』。歌手で女優…いや、エンターテイナーとして、僅か47年という短い生涯ながら時代に大きな足跡を残したジュディ・ガーランドを描いたヒューマン・ドラマである。
もしかすると、ジュディ・ガーランドについては、LGBTQへの理解をいちはやく表明した女性として近年その名を知ったという若いリスナーもいることだろう。あるいは、彼女がアカデミー子役賞を受賞した『オズの魔法使』(1939年)の“ドロシー役”という認識がいまだに強い映画ファンも多いかもしれない。
この作品は、その『オズの魔法使』出演時の裏のエピソード場面も、彼女のその後の運命に暗い影を落とすことになった事実として折に触れて挿入される。だが、軸となっているのは精神的にも肉体的にもボロボロになったジュディの晩年だ。2人の小さな子供を連れて転々とステージを歌い歩く日々に限界が訪れたことを告げる前半場面には胸が締めつけられる。
しかしながらこの映画は、そうした逆境に抗いながらも、ハリウッドを離れてロンドンで最後の一花を咲かせたシーズンの彼女の美しさを伝えている。実は子役時代はもとより、銀幕に復帰した『スタア誕生』(1954年)以降の、彼女の歌手としての成熟を伝える代表作『Judy At Carnegie Hall』(1961年)前後の輝きにさえも比肩しうる素晴らしいパフォーマンスだった最晩年。薬物中毒と神経症に苦しみながらも、子役時代の栄光からくる多くのプレッシャーと格闘していたジュディが、マイノリティとして苦境に立たされ続けていた同性愛者たちを応援していたは有名な話だが、一方でそんな彼女を彼女たらしめていたのは、実は、歌に対する情熱と類い稀な才能、そして努力を重ねてきた自分の誇りだった。最後までスター、ポップ・アイコンなどではなく、生の歌い手、表現者であろうとしたジュディのプライドだったのだ。
ここでは、日本でも現在公開中の映画『ジュディ 虹の彼方に』と、そんなジュディ・ガーランド自身について、映画ライターでもある村尾泰郎さんとの対談をお届けする。今こそ、ジュディという生身の表現者をしっかりと知る時だ。(構成/岡村詩野)
© Pathé Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019
Yasuo Murao × Shino Okamura
岡村:レネー・ゼルウィガーがアカデミー賞主演女優賞を獲得したの、嬉しかったですね。この機会に日本でもジュディ・ガーランドが改めて注目されてほしいなと思います。
村尾:確かに、日本では「名前は知ってるけど、どんな女優さんのかは知らない」っていう人が多いかもしれないですね。岡村さんはジュディに関してどんなイメージを持ってました?
岡村:私が子供の頃は、『オズの魔法使』と『スタア誕生』くらいしか知らなかったですし、今も、彼女の作品で印象に残っているのは他に『ニュールンベルグ裁判』(1961年)と『イースター・パレード』(1948年)。日本では特に一般的に、女優としてもそれほど多くの作品が知られているわけではないかもしれないですし、「歌手」という認識はさらに低いんじゃないでしょうか。村尾さんは彼女の女優としての出演作品はどれを他に観てますか?
村尾:僕が見ているのもそれくらいです。そんななかで、『オズの魔法使』のドロシーのイメージがいちばん強い。世間的にもそうだと思います。だから、『ジュディ』のオープニング・シーンは強烈でした。『オズの魔法使』の夢みたいなセットのなかで、ジュディが巨漢の大人から脅されて仕事を強制されるじゃないですか。あの人は映画会社、MGMの社長のルイス・B・メイヤーで、社長が無名の子役にハラスメントしている。そういう、ハリウッドの闇を見せるようなショッキングなシーンから映画が始まるんですよね。
岡村:ルイス・B・メイヤーはあの時代のハリウッド映画の最高権力者ですよね。ジュディはハリウッドに対して死ぬまで悪いイメージしか持っていなかったそうですけど、その象徴のような存在だったのかなと思います。ただ、その「悪の権化」的な存在であるルイス…つまりハリウッドに対して、ロンドンはジュディにとっては最後までスターでいられて、しかも自分に素直になれたもう一つの故郷のような土地だった。それがこの映画で対照的に描かれているなと思います。彼女はロンドンとニューヨークを愛していたそうですから。尤も、ニューヨークは彼女の「最期」の場所になってしまいましたけど…。
村尾:そうですね。『オズの魔法使』は「ハリウッド・バビロン」が生み出したおとぎ話だった、ということを映画は最初に伝えます。これは最近、大物プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインがセクハラで有罪になったりしていることも背景にあると思いますね。少女時代、ジュディはアンフェタミン(覚せい剤の一種)を飲まされて休みなく働かされ、アンフェタミンのせいで眠れなくなって睡眠薬を飲んで…と薬漬けになってボロボロになってしまう。そのせいで仕事に支障をきたすようになると、ハリウッドは彼女を厄介者扱いする、という壮絶な人生でした。そんなかで、最後にひと花咲かせたのがロンドンだった。ロンドンの人々は彼女をスターとして迎え入れてくれたんですよね。
岡村:劇中でジュディが「キミはシナトラより上手い」みたいに言われる場面がありますよね? あれも割と象徴的だと思うんです。昔のスターは歌えるし演技もできるし長丁場のステージもできる、本当にまさにエンターテイナーだったと思うんですけど、ジュディはそれ以前に猛烈に歌が上手かった。音程や歌唱力はもちろんですけど、表現力も素晴らしくて、それは天性のものだったと思うんですね。でも、『オズの魔法使』で先に子役賞受賞しちゃったことから「歌手」としての高い才能はなかなか評価されないままのところが、少なくとも日本ではあったかもしれない。彼女の音楽作品で最も高い評価を得ているのが1961年のライヴ・アルバム『Judy At Carnegie Hall』というのも……まあ、それもまた象徴的なんですけど……ともあれ、この映画は歌い手としての評価を今一度再確認させられる作品でもあると感じました。そういう意味では、レネー・ゼルウィガーがちゃんと歌う場面が折に触れてあったのはすごくよかったです。もっとあってもよかったくらいで。
村尾:レネーの歌の巧さはアカデミー賞助演女優賞を受賞した『シカゴ』で証明済みですが、今回の歌は相当気合い入ってましたね。晩年のジュディって歌い方がちょっとソウルフルなところがあって。そういう感じを出しながら、モノマネにならないように自分のニュアンスも出していた。
岡村:『Judy At Carnegie Hall』は米ビルボードで97週チャートインして、13週1位を獲得しているんですけど、一方で、彼女はイギリスのアビー・ロード・スタジオでジョージ・マーチンのプロデュースでセッション録音をしたりしているじゃないですか。1964年のことですけど、つまりビートルズがデビューした時、ジュディはもう「晩年」ではあったんですけど、そうやって第一線のポップ・ミュージックの現場で作業をしているんですね。シンガーとしてずっとチャレンジしていた人でもあった。そういう「晩年」の様子がこの映画の軸で描かれているのがすごくいいなと思いました。
村尾:そういえば、ロンドンのクラブにジュディが出演するシーンで、前座がビートルズに影響を与えたロニー・ドネガンでしたね。ドネガンはイギリスのロックに影響を与えたスキッフルの王様と呼ばれた人。映画の舞台になった68年といえば、イギリスはスウィンギング・ロンドン真っ只中で、ビートルズはスターになりドネガンはすでに過去の人でしたが、そんななかでもジュディはスターとしての輝きを放っていたんですね。
岡村:村尾さんは、ジュディの歌う曲…この作品の劇中で使われてる曲ではなくてもいいんですけど、彼女らしさが出ている曲だとどれが魅力的だと感じますか?
村尾:うーん、選ぶのは難しいのですが、この映画で好きなのは、「私、歌えないわ…」って言いながら、スポットを浴びながらを歌っているうちにオーラが輝き始める「By Myself」。あと、やっぱり、ゲイのカップルの部屋で優しく歌う「Get Happy」ですね。あそこは泣きました。
岡村:「By Myself」はスタンダードとしていろんなシンガーが歌ってますけど、ジュディの持ち歌のイメージがとても強いです。あの曲の持つ歌詞の強さって、独立独歩……誰に何を言われようと自分の人生を行く、というメッセージだと思うんですけど、それが彼女のもう一つの側面、同性愛支持を表明しているような気もしますね。この作品では、ジュディ自身がなぜ同性愛支持者になったのかまでは描いてないですけど、ゲイのカップルが登場して晩年の彼女の支えになっていたことがしっかり表されていて、その姿勢が「By Myself」と「Get Happy」に見事に反映されていたと思います。同性愛支持についてはもう少し切り込んで欲しかったところもあるんですけど…そこはいろいろと難しかったのでしょうか。史実でも謎のところも実際に多いですし…。でも、ジュディの葬儀の数日後に同じニューヨークで「ストーンウォールの反乱」が起こったこと、それがのちのLGBTQの象徴的モチーフである「レインボー」につながったこと…を考えると、そのあたりはまだまだジュディの本質を描くにあたっては踏み込む余地がある気がします。
村尾:「By Myself」は本作のテーマ曲のような気がしました。ジュディを取り巻く男たち、前の夫のシドニー・ラフトや最後の夫になるミッキー・ディーズは彼女を救う王子さまではなかった。仕事面では、メイヤーをはじめとするハリウッドの権力者たちから疎んじられて、ジュディは一人で道を切り開いていくしかなかった。そんな彼女の生き様を、監督はこの歌に重ね合わせている気がしました。そして、LGBTQの人たちにとってジュディがアイコンであることを、この映画の公開を通じて知った人も多いでしょうね。あのゲイのカップルのシークエンスはフィクションですが、そういったマイノリティの存在をちゃんと描きこむことをも近年の映画の流れを感じさせます。サントラには、ゲイをカムアウトしているサム・スミスとルーファス・ウェインライトが参加してたりするし。
岡村:ルーファス・ウェインライントはジュディの『Judy At Carnegie Hall』を丸ごとカヴァーしたライヴ・アルバムをリリースしてますしね(『Rufus Does Judy At Carnegie Hall』2007年)。あのタイミングでジュディに改めて触れた人も多かったと思います。ジュディは父親も母親も芸能・音楽の人だったでしょう? ルーファスも両親がミュージシャンだから、そういうところもルーファスには共鳴できるポイントだったのかもしれないですね。
村尾:そういえば映画に出ていたジュディの娘、ローナ・ラフトは後に女優になるんですけど、ルーファスのカヴァー・アルバムにゲスト参加して、ルーファスとデュエットをしてました。
岡村:そうでしたね。ルーファスは本当に心からジュディのことを理解しようとしていたのでしょう。そんなジュディが性的マイノリティに限らず、弱者の味方でいるような姿勢が培われたのは、「ハリウッド・バビロン」に振り回されて孤独になったという以外に、どういう理由が他にあったからだと考えますか?
村尾:やっぱり、ジュディ自身が弱者だったからでしょうね。少女の頃、ジュディはメイヤーから「デブで猫背の女なんてスターになれない」と言われ続けて、自分の容姿にコンプレックスを抱いてしまった。そのコンプレックスは生涯持ち続けていたそうです。母親は厳しいステージママで、常にジュディは孤独でした。そんななかで、彼女の才能にいち早く気づいて優しくしてくれたのは、ダンスの振付師やスタッフで、そこにはゲイの人たちが多かったそうです。お父さんや最初の夫の作曲家のデヴィッド・ローズもクローゼットのゲイだったそうですし、そういうところから、弱者に対する共感が生まれたんじゃないでしょうか。
岡村:コンプレックスやトラウマがエネルギーを産む…今となってはヒーロー、ヒロインのある種の王道パターンではあるんですよね。最近だとラナ・デル・レイやビリー・アイリッシュもそういう側面があります。でも、それをジュディはいちはやく女性として体を張って伝えた。その生き様は一定の人生哲学の雛形のようなものを伝えているとも言えます。しかも、実際に歌が抜群に上手かったり、センスがあったり、好調の時には判断力もあった。4週間も公演をやり続けたとか、1回の公演で40曲くらい歌うとか、深夜になっても歌うとか…もちろん、ケネディ大統領の依頼で米軍の慰問コンサートなどもやったりしていて、決していつもいつもいい環境で歌っていたわけではなかったみたいですけど、それでも彼女はかつてこう話しているんですね。「私は歌唱法を本格的に習ったことはないけど、正確に歌うことができるので喉を痛めることはありません」と。このプロ意識みたいなものを支えていたのが、一人でも強く生きていくという姿勢であり、誰にも屈しないという根性のようなものだったのかもしれないですね。
村尾:叩き上げのプロ意識を持ちながら、その一方で、時には男に寄り掛りたくなって5回も結婚してたりする。そういう矛盾というか、葛藤を抱えながら生きていたところが彼女の人間味というか魅力だと思います。プロ意識といえば、彼女と2番目の夫のヴィンセント・ミネリとの間に生まれたライザ・ミネリは、ジュディに負けないくらいの才能を子供の頃から発揮していて。ヴィンセントは溺愛したそうですが、ジュディは愛すると同時に猛烈なライバル意識を持っていたそうです。そのあたりもプロ根性を感じさせますね。映画ではジュディがライザのパーティに行くシーンがありますが、たぶん、ライザが女優デビューした頃。これから花を咲かせるライザと落ちぶれていく母親とのツーショットは胸に迫るものがありました。
岡村:ライザ・ミネリもアルコール依存症や薬物中毒になってた時期がありましたね…。でも、女性としての可愛らしさはこの映画でも要所要所で描かれていますよね。最後の夫となるミッキーに「結婚して」と告白する場面とかはすごく可愛かった。レネー、いい表情してました。そのミッキーがルームサービスのカートに隠れてジュディに会いにくる場面の、少女のような喜びぶりにも恋する乙女の一面がありました。ただ、さっき村尾さんもおっしゃってましたけど、歌い手として、エンターテイナーとして素晴らしすぎて、彼女のそうした女性らしさ、女性としての幸せは結局後手後手にまわってしまった人生だった。今の時代だったらどうだろうな?って思いますね…。
村尾:そうですね。映画を見ながらマドンナとかレディ・ガガのことを考えたりしました。彼女たちがスターとして輝いている今だからこそ、こういうジュディの描き方ができたんじゃないでしょうか。「虹の彼方に」を歌うクライマックスでのシーンを見れば、ハリウッドに搾取され、見捨てられた彼女を支えたのは、彼女の歌を愛したファンであり、同性愛者などのマイノリティだったということがわかります。この映画は彼女の影の部分を描きながらも、天国にいる彼女に贈った花束みたいな作品だと思いました。
岡村:マドンナやレディ・ガガは実際にジュディをリスペクトしてますし、同性愛支持を表明したりもしていますしね。さっき名前をあげたラナ・デル・レイやビリー・アイリッシュのように、いわゆるシンガーとして、パフォーマーとして輝いている女性が多く登場している今、あらためてジュディは強烈な存在感を発揮するのではないかと感じますね。
<了>
Text By Yasuo MuraoShino Okamura
『ジュディ 虹の彼方に』
全国公開中
配給:ギャガ