ちゃんとしようと頑張るんだけど元々弱い…みたいな人を描きたかった
フランク・オーシャンやOPNも魅了された、(サンディー)・アレックス・Gの弱者が強くあろうとする虚勢の美学
つい先ごろ、(サンディー)・アレックス・Gがパリの街中をギターを弾きながら歩く映像が公開された。これはフランス発の音楽情報サイト『La Blogothèque』のためにシネマ・ヴェリテの手法によって制作された作品で名をあげた、パリ出身のヴィンセント・ムーンがスタートさせた人気配信シリーズ『A Take Away Show』によるもの。様々なアーティストがパリの路上や地下鉄、カフェなどの街中で即興で演奏する様子を手持ちカメラで撮影・配信する企画だ。もう11年前になるが、ボン・イヴェールも『For Emma, Forever Ago』がリリースされた時にこのシリーズに出演しており(その時はヴィンセント・ムーン自身が監督を務めていた)、街の風景や匂いに溶け込んだジャスティン・ヴァーノンらメンバーの生き生きとした様子が印象的だった。
しかし、驚くのは今回公開された(サンディー)・アレックス・Gの映像は、そのボン・イヴェールや、最近だとステラ・ドネリー、ヘラド・ネグロ、シャロン・ヴァン・エッテンといった他のアーティストの時以上に奇妙なノマド感を醸し出していることだ。本名アレックス・ジアンナスコーリというこの男(サンディー)・アレックス・Gは、もちろん1993年ペンシルヴァニア州出身というアイデンティティがちゃんとある。だが、柔らかくオブスキュアでつかみどころのないヴォーカルゆえか時折オート・チューンを使うこともあるからなのか……まあ、そのあたりの理由は一つや二つじゃないだろうが、そもそもが正体を暴かれることをうまくはぐらかすような不可思議な存在であることは間違いない。その居場所や実態を感じさせない飄々とした佇まいが、パリの街中を演奏しながら歩く映像にも関わらず、正しい認識を狂わせてしまう。一体ここはどこなのか? この髭面の男は誰なのか? と。尤も、ノマド感たっぷりに謎めいているから、あのフランク・オーシャンやOPNも、この男に客演をオファーしたのだろうとも思う。もしまだこの観ていない人はぜひチェックすることをおすすめする。この映像は謎の男であることがより謎めく3分間だ。
フランスの人気配信シリーズ『A Take Away Show』に出演した(サンディー)・アレックス・G
そんな(サンディー)・アレックス・Gのニュー・アルバム『House Of Sugar』は、常に彼の中で大きなテーマとなっている「家族」が、よりデフォルメされてモチーフになった1枚だ。フランク・オーシャンのアルバム『Blonde』『Endless』(いずれも2016年)への参加、それが引き金になったかのようにその後発表された前作『Rocket』(2017年)がスマッシュ・ヒット、そして去年はOPNのEPでヴォーカルを披露…と、ライアン・ヘムズワースのアルバムへの参加あたりを足がかりにそのキャリアをじわじわと厚みのあるものにしてきたアレックス。だが、知名度が高まれば高まるほど、最初のうちこそエリオット・スミスやスフィアン・スティーヴンスあたりを思い出さずにはいられなかったその繊細なヴォーカル・スタイルも、まるで根無し草のようにルーツがぼんやりしていった。この人はこの人でしかない、というような一匹狼感がまとわりつくし、『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家を思い出さずにはいられないアルバム・タイトルからは、道に迷ってしまった兄妹さながらに、アレックス自身が現代社会をさまよっているようなイメージさえ浮かんでくる。
だが、フォーク、サイケデリック、ソウルなどが今作でも基本の音楽性ながら、打ち込みやエレクトロニクスを加え、アレンジやサウンド・プロダクションに創意工夫を多々与え、最終的に現代的な仕上がりに着地させることも厭わない。アルバム収録曲で、拍手の音に始まる「SugarHouse」は2018年にセントルイスで行ったライヴ音源に、あとからサックスをオーバーダブして仕上げられているし、ドラムのトム・ケリーが作ったノイマンのU87という機種のマイクロフォンの複製品を使って録音するような試みも彼にとっては初めてのことだったという。
アレックスは言う。
「作り始めたのは『Rocket』リリース直後からだったけど、かなりツアーも回ってたから、一旦帰ってくるとアルバムに取り掛かるって感じでやってて。前作から2年経ってるから、作るのにかかったのはたぶん1年くらい。で、ドラムはいろんな場所で、ドラムセットがあるところならどこでもっていう感じで録ったね。ギターは大部分を自宅で録ったけど……必要な楽器がある場所ならどこでも行った。まあ、大部分は自分のところか、友達のトム(・ケリー)が楽器をいっぱい置いてる倉庫かどっちかだったけどね」。
彼はノマドな風合いではあるし、現代社会の中で、だが、地に足をつけてフィラデルフィアで生活する人間臭い26歳であり、家族というコミュニティの中での記憶や体験を手繰り寄せるように歌を綴る生ける詩人だ。だが、だからこそ、フランク・オーシャンやOPNらも放っておけないのではないだろうか。《Pitchfork》では8.6を獲得しBEST NEW MUSICにも選ばれた『House Of Sugar』が、インディー・ロック、R&B、ヒップホップ、クラブ・ミュージックなどがより一層シームレスとなっている2019年の音楽地図を象徴する重要作であることは、おそらく10年後、20年後も揺るぎがない。(インタビュー・文/岡村詩野)
Interview with (Sandy)Alex G
——今作のアルバム・タイトル『House Of Sugar』はグリム童話『ヘンゼルとグレーテル(Hänsel und Gretel)』に登場する魔女が住むお菓子の家に由来しているように思えます。アルバムの中には先行曲でもある「Gretel」という曲もありますね。実際に『ヘンゼルとグレーテル』がモチーフになっているのでしょうか?
(Sandy)Alex G(以下、A):直に童話から影響を受けたわけじゃないんだけど、その一方で「Gretel」はアルバムのタイトルを『House Of Sugar』に決めてから曲名をつけたんだ。まあ単純にシャレだけど、確かにそこは少し童話に引っ掛けてる部分はあると思う。
――そうすると、このアルバム・タイトルの本当の由来はどこにあるのでしょう?
A:少し前に『The House Made Of Sugar』っていう小説(※ホルヘ・ルイス・ボルヘスとも交流のあったアルゼンチンの小説家、シルビーナ・オカンポの短編)を読んで、タイトルがすごく好きだったというのが一つと、あと僕の家の近くにシュガー・ハウスってカジノがあったりとか。さらにアルバムに入ってる曲のいくつかの歌詞が、耽溺することみたいなテーマを扱っていて、その象徴として砂糖っていうのはしっくりくると思ったんだ。今言ったこと全部踏まえて、このタイトルが何度も浮んできたから、最後まで手放さずにいたという感じだね。
――『ヘンゼルとグレーテル(Hänsel und Gretel)』は飢饉で苦しむ親が二人の子供を山に捨てる話ですが、実際に「Gretel」という曲のPVはお父さんと思しき大人と二人の子供が登場し、森の中に入るような場面もあります(男の子と女の子ではありませんが)。
A:PVについては、全然童話のことは頭になかった(笑)。《Domino》と僕でファースト・シングルを「Gretel」に決めてから、友達のZev Magasisってやつに連絡して監督やってくれないかって頼んだんだよ。彼の撮るビデオが好きなんだ。それでメールで曲はこれなんだけどアイデアないかって感じで言って。そしたら彼からデモリッション・ダービーに行こうって返信が来たんだよ。ちなみに僕もわりと車のレースとかをサウンドオフにしてYouTubeで観ながら自分の曲を流してたりすることがあるよ。とにかくあのビデオの、子供たちが森の中を走り回っててダービーに行ってっていうのは、基本的に全部彼のアイデアなんだ。だから何を考えて作ったのか、ちょっと分からないんだよね。僕が思うにたぶん……まあ彼の代弁はできないけど、ダービーと森で撮るっていう以外の具体的なプランはなかったんじゃないかな。
――ただ、歌詞を見ると、父親と息子の関係が軸になってはいても、「家に帰りたい」ではなく、逆に「帰りたくない」という息子の心情が告白されています。道から外れることを咎められていることにジレンマを感じているかのように……。実際、この歌詞の中に出てくる「父」「僕」「奴ら」「砂糖の家」は、それぞれ何を象徴しているのでしょうか?
A:何か特定のものを意味するんじゃなくて単なる印象というか。いろんな言葉を無造作に並べてみたというか、何だろう……たぶん、ちゃんとしようと頑張るんだけど元々弱い、みたいな人を描きたかったんだと思う。本質的な部分はそういう感じじゃないかな。弱い人間が強くあろうとするっていう。
――今回のアルバムの中には、他の曲においても、「父」「母」という単語が出てきます。家族の在り方を問い直すような、もしくは様々な家族の在り方を問うているような印象もありますが、立ち入ったことを伺うと、あなたとお父さんの実際の関係や体験が元になっていたりするのでしょうか?
A:たぶん僕は、歌詞を書く時に、子供の頃の経験とか、強烈な印象とかを掘り起こして引っ張り出してることが多いと思うんだ。だからある意味では家族も関係してくると思うけど、それは全然意識的にやってることではなくて。だから家族についてのアルバムを作ろうとしたってことではないんだ。もちろん子供の頃の経験は歌詞のそこここに紛れ込んでるけど、全部ファンタジーと混ざり合っているんだよ。まあ家族って僕にとっては信頼してる人のことかな。
――また、今作の歌詞には「飢え」「砂糖」という単語も出て来ます。「Bad Man」では飢えていることが、何かを取り戻すための動機であるように描かれていて、「22歳で土の中に埋められ、25歳で爆弾が落とされた」とあります。今25~6歳であるあなた自身になぞらえるなら、22歳と25歳でどういう気づきがあったということになりますか?
A:何と言うか、全部ごちゃ混ぜなんだよ。この曲の語りって本当の出来事でもなければ、フィクションと呼べるものでもないというか……いや、もちろんこれを書いてた時に自分が感じていたことから生まれたものではあるんだけどね。まず「僕は悪い男だ」っていうのはまあちょっと言ってみたいっていうか(笑)、そういう陳腐な感じで始めようと思って。突然浮かんで……いかつい悪い男の絵を描くみたいに、そのキャラクターを客観的に見て、ここに悪い男がいます、そいつの一生はこうで、もしかしたらカオスでクレイジーで、とんでもない経験をしたかもしれないっていう。でも違う角度から見たら……いや、やっぱりどうだったか分からない。そんなすごい深く考えて書いたわけじゃなかったと思う。
――「飢える」ことについては実際の「飢饉」と精神面での「ハングリー」の両方があるかと思いますが、あなた自身は、2年前の『Rocket』が過去最高のヒットを記録し広く多くの人に聴かれることとなりました。そうした上昇中の現在、あくまでアーティストとして精神面での「飢え」というのをどういう時に感じたりしますか?
A:うーん、何だろ……何もすることがない時?
――はははは。では、『Rocket』の成功によって得たもの、あるとして失ったもの、まだ足りないと感じたものをおしえてください。
A:ライブの時にチケットが前より売れるようになったっていうのはあるかな。でも正直言ってそんな極端に変わったことってないよ。僕の生活はほぼ一緒だね。自分が今いる場所に満足してるし、音楽以外に何やったらいいか分からないしさ(笑)。
――でも、あなたは昨年OPNの作品にヴォーカルで参加したり、フランク・オーシャンの作品でギターやアレンジにも関わっていたりと、人間関係の拡充は手応えとして大きいのではないですか?
A:何だろうなあ……ただ彼らの作るものにリスペクトがあって、何が得られるかとか考えてなかったな。そもそもその人の音楽に興味がなかったら参加しないわけだしさ。でも興味があるから一緒にやるし、そして楽しいっていう。そうだね、単純に楽しい。ああでもフランクの時は、彼がその場の状況をコントロールする感じとか、あらゆるアーティスティックな決断をする際の注意深さとか、そういうところから得るものはあったと思うし、僕自身も自分の作品をもう少し真面目に考えようと思ったよ。
(サンディー)・アレックス・Gが参加したOPNの「Babylon」
"コード進行をひとつ思いついた時、レナード・コーエンならきっとこれでいい曲作りそうだなと思って……新作を作ってる最中も彼のことがずっと頭にあったんだ。"
――十分これまでの作品も真面目に作られていると思いますよ。実際、今作に限らず、あなたの歌詞世界は幻想文学、神秘文学の領域にまで踏み込むような表現が多く散見されます。それは時としてアニミズム思想を想起させたりもしますが、そうした指向、思想は実際にあなたの創作にどの程度重要で、どの程度影響を及ぼしていると考えますか?
A:直接的にはそうでもないかもしれないけど、物語はすごく好きなんだ。だから読んで印象に残ったものから得てるものはあるし、目的を変えて使うってことはあると思うよ。
――特に好きな物語のジャンルはありますか?
A:いや、特には。ちなみに今読んでるのはコーマック・マッカーシーの『越境』って本で、西部劇みたいな感じの、アメリカ南西部に住む少年が国境を越える話なんだ。まだ読み始めたばかりだけどね。
――そうした幻想的神秘的な作風はメロディやヴォーカル、アレンジにおいても無関係ではないと感じます。もともと60年代~70年代のサイケデリック・ロック、アシッド・フォーク作品の持つオブスキュアな音の質感や音処理を参照しているかのように思える部分が今作にも多くみられます。今作において、サウンド・プロダクション面で目指したのは実際にどういうものだったのでしょうか?
A:それほどはっきりとした具体的な目標はなかったと思う。これまで作ってきたのと同じような感じで作ったんだ。それはつまり、ランダムにいろんなものを放り込んでって、自分で興味が湧いてくるまで続けるっていう。だから意識的にその時代を参照したってことはなかったけど、もちろんラジオで聴いたものとか、これまでの人生で聴いたものとか、そういうのは常に漏れてくるよね。ああそう言えば思い出した、「Crime」って曲があるんだけど、それはちょっとレナード・コーエンの真似をしようとしてたんだ。彼のグレイテスト・ヒッツをCDで聴いてて、実はあんまりちゃんと聴いたことがなかったんだけど聴いてみたらすごい好きで、自分の中にずっと残ってて、コード進行をひとつ思いついた時、レナード・コーエンならきっとこれでいい曲作りそうだなと思って……新作を作ってる最中も彼のことがずっと頭にあったんだ。
――なるほどね。レナード・コーエンの作品ではコーラス、ハーモニーも重要ですが、あなたの作品においてもコーラス、ハーモニーはとても大きなファックターですよね。特に今作唯一のインスト曲である「Project 2」は幻想的なハーモニーと打ち込みとのミックスが厚みのある空間を創出していると感じました。この「Project 2」はアルバムの中でちょうど真ん中部分のインタールードのような存在ですが、この曲にはどのような意味を与えたのでしょうか?
A:僕自身も同じことを思ったんだよ。インタールードみたいだなって。後半の「Sugar」だったり「Bad Man」といったよりサイコな曲への橋渡しというか、そういう方向へとじわじわ進んでいくような感じがあると思ってて、ほんの短い間アコースティックな楽器から切り離されるんだよ。それで「Sugar」が終わるとまたアコースティック楽器に戻っていくという。
――以前、エリオット・スミスにインタビューをした時、彼は「ジョン・レノンのようにシャウトしたいんだけど、自分の声ではどうしても無理。どうしたってこういうソフトな歌い方になるんだ」と話してくれました。そして、柔らかい声質であるために低音を絞る必要があった、だから自分の作品では低音を薄めにするしかないんだ、とも。あなたの場合、自分の声質などを鑑みて、音作りで工夫をしている部分はありますか?
A:なるほどね……僕も自分の声のことは考えるね。だからこそ声にピッチシフターをかけることが多いんだと思う。ロボットっぽい、あるいはあのシマリスのキャラクターとか子供とか、そういう感じにしたいと思うことが結構あるんだよね。より鮮明な絵を描きたくて、それで声を操作することが多いね。
――ええ、もともとあなたはオート・チューンなども自在に使う柔軟なところがあり、このアルバムでも「Taking」のように、歌詞はあるけれどそれをハッキリ歌って伝えない、声に加工をしてオブスキュアにする手法をとっています。生の声だけに頼らず人工的に加工することを厭わないのはなぜなのでしょうか?
A:曲ごとに違ってくると思うけど、いかなる理由でも自分自身に限界を設けたくないからかな。もちろん曲自体が何らかの制限を求めている場合は別だけどね。たとえばこのアルバムに「Cow」って曲があるんだけど、それは素朴な感じを出したかったんだ。
――「Near」もそうですが、歌詞をハッキリ歌わないことによって結果として幻聴を体験しているような気分にもなりますね。
A:ああ、「Near」ではすごくダークで圧倒される感じにしたかったからそのために声を変えてるし、あらゆる土台を取り去って自分がどこに立っているのか分からなくなるような感覚を出したかったんだ。大体どの曲にも言えることだけど、基本的にはひとつのイメージだったり、ひとつのシーンを作り出そうとしているんだ。
――ひとつのシーンといえば、アルバムのジャケットはスケートリンクで踊っている女の子です。このジャケットの意味すること、テーマについて教えてください。
A:深く意味を考えてなくて、単純に見た感じがすごく好きなんだよね。僕の姉さん(レイチェル・ジアンナスコーリ)が10代の頃の写真を使ってて、彼女は昔フィギュアスケートやってたんだけど今は絵を描いてるんだ。ずっと僕のアルバム・カヴァーの絵を描いてくれてて。それで今回もあの写真に絵を描いてほしいって頼んだんだよ。ああ、それもまた家族がテーマになっているね。
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【REVIEW】
(Sandy)Alex G『Rocket』
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Text By Shino Okamura