「マーシャ・P・ジョンソンもアノーニも……いつか私が年を取ったときにレガシーを守り伝えた者として異なる時代を生きている人々に繋げていきたい」
クィア理論の実践者でありながら、非常に詩的でスピリチュアルな感性を持つコリン・セルフ ロング・インタヴュー
このコリン・セルフの名前を2016年のレディオヘッドのヨーロッパ・ツアーに帯同したクィア・アーティストとして記憶している人も多いだろう。コリンと、人工知能との“共演”アルバム『PROTO』(2019年)を《4AD》からリリースしたホーリー・ハーンダン、そして彼女とのコラボレーションでも知られるマット・ドライハーストの3人は共に活動することも多いが、レディオヘッドのツアーに抜擢されたことでその存在は一躍注目されることとなった。
しかしながら、コリン・セルフ自身はそれより以前から、時には大学など学びの場で、時にはクラブで、時にはゲイ・カルチャーの現場で重層的なアイデンティティを表現してきた。オレゴン州出身。現在は主にニューヨークとベルリンを拠点に、作曲家、振付家、パフォーマー、ドラァグ・クィーンとして活動しているマルチディシプリナリー・アーティストのコリンは、ジェンダー、コミュニケーション・スタイル、意識、クィアな存在の探求が常に視野にあり、伝統的なカテゴリーを拒否しながら、セクシャル・マイノリティの解放、歴史の継承をも視野に入れた非常に真摯でアクティヴな存在だ。その点では、アノーニとも志を共にしていると言っていい。2023年5月には《FLAU》主催イベント《Crosss》で東京公演を敢行した。
最新アルバムは昨年2月に《RVNG Intl.》から(日本では《Plancha》から)リリースされた『respite ∞ levity for the nameless ghost in crisis』。そして、このほどその拡張版(2ディスクス)がデジタルで届けられたので、コリンのインタヴューをお届けしよう。この取材自体は昨年のアルバム・リリース・タイミングに行われたものだが、約1年後にこうして発表された拡張版を聴くと、この人の持ち味や表現の間口が1枚のアルバムでは到底収まらないものであることに改めて気づく。Macy Rodmanをフィーチュアした先行曲「Sissykins (The Glass Hooker)」、The Bathsと共演した「The Thief’s Journal」、ポーランド出身のソプラノ歌手、Iwona Sabotkaを迎えた「Nanti Polari」、あるいはオリジナル版収録曲「gajo」「Losing Faith」のアコースティック・ヴァージョンなどもりだくさんの11曲が追加された拡張版にぜひ触れてみてほしい。コリン・セルフの包容力溢れるヒューマンな生き様、アートをポップとしてしっかり表出させるおおらかで理知的な姿勢がそこにある。
(インタヴュー・文/岡村詩野 通訳/竹澤彩子)
Interview with Colin Self
──あらためてあなたのプロフィール、10代から20代の頃のことについても伺ってもいいでしょうか。あまり話したくないということであれば、遠慮しますので仰ってください。
Colin Self(以下C):あ、どうぞお気遣いなく、そのへんは全然オープンなので、遠慮なく訊いちゃってください。
──あなたは1987年、オレゴン州アロア生まれとのことですが、どのような子供時代だったのですか。その後、あなたは大学で執筆、アート、人形劇など様々なアートを学んでいくわけですが、そうしたアートに関心を持つきっかけは子供やティーンの時代にあったのでしょうか。
C:はい、オレゴン州アロアで生まれ育ちました。オレゴン州自体がそもそも田舎なんですけど、その中でもさらに森の深い地域で幼少期を過ごしています。そんな環境の中で幼い頃から両親の影響もあり、音楽に触れて育ってきました。父がちょっと変わり者のアウトサイダーな感じのアーティストで作曲家をしていて、母はいつもチェロを弾いていました。何でしょうね、森で育ちだからなのか、あるいはオレゴン育ちの子は多かれ少なかれみんなそうなのか、森が自分にとっての世界であり遊び場みたいな子供時代というか。それこそ森の中で出会う驚きが今思うと、子供の頃、初めて世界と出会ったときの驚きとそのまま直結しているように思います。森の中に潜んでいる驚きだとか危険だとか、世界に対してドキドキワクワクするような感覚だったり……あるいは目には見えない大きな存在を感じるような。もともと少し宗教的な環境で育っていることもあって。おそらく子供の頃から教会に通いながら霊や魂についての話を聞いて育ったことから、自分の中にスピリチュアル的な感覚が培われたのもあるのかもしれません。うちの母も亡くなった彼女の両親と魂のレベルで繋がっているという感覚で生きてきた人なので、そこから自然に自分の中でもそういう感覚が生まれていったのもあると思います。そのあと10代に入ってからワシントン州オリンピアのDIYでフェミニストのライオット・ガール・ムーヴメントに出会って大興奮しました。トレイシー+ ザ・プラスティックスやアンナ・オキシゲン、ザ・ブロウみたいなアーティストがすごく奇怪な音楽やパフォーマンスアートをやってて夢中になりました。それと当時、よく図書館に通って古いVHSビデオで人形劇やアニメーションの映像を観るのが大好きで、そこからオリンピアのエバーグリーン州立大学に人形劇の専門があることを知り、ライオット・ガールズもその大学の出身地と言うことを知り、自分の同じ大学で学んで「ライオット・ガールになろう!」と決意したわけです(笑)。
──ちなみに、人形劇といえば、僅か38歳で亡くなった人形作家アーティストのグリア・ランクトンが浮かびます。あなたの人生にも大きな影響を及ぼしていますよね。
C:ああもう、まさにそうで、魂レベルで深い繋がりを感じています。血こそ繋がっていないものの、同じ星のもとに生まれた祖先であり、家族の一員のように感じています。実際、私達のどちらもクィアの歴史の一部でもありますし。グリアはある種の理念でありメッセージの元に創作活動を続けていましたよね。彼女や彼女の友人達の作り出すものは決して世の中の価値基準においては美しいとみなされないのかもしれませんが、それでも絶対的に美しいんです。自分が作る音楽や人形劇のすべてに彼女の魂が宿っているように感じていますし、そのレガシーを受け継いで次世代につなげていきたいという思いもあります。グリアのような先人達の道のりについて自分が生きる上でもものすごく指針にしているところもあります。彼女はトランス女性であるということもあって血の繋がった子供は持っていませんが、クィアには子孫を持たない人が多いですが、それでも血の繋がってない家族であり系譜があってその流れが綿々と続いているんですよね。その流れを自分も受け継いでいきたいという思いなんです。
──先ほどライオット・ガールになりたくてエバーグリーン州立大学に進学なさったとのお話しでしたが、エバーグリーン州立大学はとても自由なカリキュラムで知られる大学で、シカゴ美術館附属美術大学に至っては北米有数の美大として歴史があり、オーソン・ウェルズ、ジョージア・オキーフ、エドワード・ゴーリー、タツ青木、ローリー・アンダーソンら錚々たるアーティスト、ミュージシャンらを輩出している名門です。彼らからも影響を受けていたりしますか。
C:うわあ、ビックリです(笑)、同じ大学卒業生について出身者以外でここまで詳しい人に初めて出会いました(笑)。もちろん、そうした人達からも影響を受けています。(エバーグリーン州立大学のある)オリンピアに関して言うなら、そもそも温帯雨林みたいな気候で、すごく素敵な魔法のような場所なんですよ。実際、地域に住んで暮らしているとコミュニティな輪を肌で感じるんですよ。なぜ偉大なアーティストであり、先人達がオリンピアの地に集まってきたのか理解できるんです。それこそ様々なアーティスト達も縁あってオリンピアという土地に訪れて、その中でのびのびと自分の才能を伸ばす機会を与えられたんだと思います。それにすごく精神的にも刺激を受ける場所なんですよ。その場にいるだけでも心の脳味噌が覚醒していくみたいな雰囲気です。実際、数多くの素晴らしいアーティストがオリンピアから輩出されていますしね。
──その後、ニューヨークに活動拠点を移し、ニュー・メディア・アーティストとして活動を展開、《Chez Deep》《2 Pretty》などのグループで定期的にパフォーマンスも始め、マンスリーでオルタナティヴ・クィア・パーティー《Clump》を開催するなどクィア・カルチャーの助成のために広く尽力するようにーなりました。どのような流れ、いきさつでこれらの活動をするようになったのですか? ニューヨークには大きなクィア・コミュニティ、大きなゲイ・カルチャーがありますが、そこもあなたがニューヨークを選んだ理由でしょうか。
C:そもそもニューヨークに移った理由の一つは、エバーグリーン大学に在学中に当時の恋人のジャックと出会ったことがきっかけです。彼は自分よりも年上でDJをしていたんですけど、その前にニューヨークに住んでいたことがあったんです。その彼がニューヨークの素晴らしいアンダーグラウンドの歴史について教えてくれました。それこそエイズの危機が訪れた当時に伝説のピラミッド・クラブでパフォーマンスしていたニナ・ハーゲンやクラウス・ノミ、グレイス・ジョーンズなど、当時はまだ知られていなかった数多くの素晴らしいアーティストの存在について知るようになったんです。そこから自分の中でニューヨークという場所に対して、いつか行ってみたい、自分もその歴史の一部に加わりたいと思う憧れの場所になっていきました。その後、シカゴに数年間住んでいたのですが、そのとき別の彼氏がニューヨークに移ることになり“一緒に来ない?”ということで、ニューヨーク行きを決意しました。当時、2人合わせて所持金が200ドルくらいしかなくて、最初の数年間は2人してツインマットレスで寝るみたいな生活でした(笑)。ただまあ、今思い返しても特別というか、よくある「ニューヨークでアーティストとしての夢を叶えるんだ!」という典型的なストーリーですよね(笑)。とはいえ、自分にとってのニューヨークがまさにそういう場所なんです。今まで訪れたどの土地とも違う、自分が自分のまま生きている実感があって、本当にホームであり故郷のような場所なんです……それ以外に言葉が見つからないくらい、自分にとってはまさにホームですよね……。自分には何人もメンター的存在がいるのですが、なんでよりにもよってニューヨークのようなカオスな場所にも関わらず、自分はこんなにもこの場所に執着してるんだろうと考えているときに、「いや、コリン、そういう感情になるってことこそ、まさに君にとっての魂の故郷であることを物語っているじゃないか」と言われたんですが、それこそまさに自分がニューヨークという街に抱いてるそのままの感情です。
──はい、あなたはまさにそのニューヨークのバード大学ミルトン・エイブリー芸術大学院で音楽と音響を学びました。この時はクリエイターとして、音楽家として、どういう目標があったのでしょうか。
C:単純に面白そうだと思ってプログラムに参加してたんです。その前にエバーグリーン大学やSAIC(シカゴ美術館附属美術大学)で学んでいたんですけど、学位は取得してないんですね。それで少なくとも一つは正式な学位を持とうという気持ちから修士を目指しました。とはいえ、真の動機はアートや音楽、ダンスなどの様々なクリエイティヴなコミュニティを結びつけることで、自分の人生の生きる意味を見い出したいという強い思いが根底にあったんだと思います。実際、そうした活動を実践していくことで自分の存在価値を見い出していったというか、強化されていったように感じています……いわゆるコリン・セルフ的なる表現に確信を得たというか、ただ自分は自分であるだけで十分なんだと最終的なお墨付きを得たみたいな感じです。たとえ他の数多くのアーティストと表現方法はだいぶ異なってているとしても、それが私らしさであり、自分は自分でいいんだっていう確信できたみたいな感じです。それこそ今のこのままの自分としてアートや音楽を作って世に送り出して、パフォーマンスをして、自分のやりたいことをやりたいように形にして発信して行っていいんだって思えるようになりましたね。
──バード大学在学中には、人工知能との“共演”アルバム『PROTO』(2019年)を《4AD》からリリースしたホーリー・ハーンダンと、彼女とのコラボレーションでも知られるマット・ドライハーストとのトリオでの活動も開始しています。あなたがたは2016年にはレディオヘッドのヨーロッパ公演にも参加していますね。ホーリーやマットとはどのように知り合い、どのような流れで一緒に活動をするようになったのでしょうか。
C:そうなんです、ホーリーとマットは私の人生を変えた2人です。きっかけはX(旧Twitter)のDMで、そこに2人とは共通の友人がいて、当時、私は《Chez Deep》(身体と意識への関心を高めるためのクィア・ファミリーを拠点としたコレクティヴ/プロジェクト)で活動していました。これが、ドラァグ・クイーン的なパフォーマンスの先にある言わばポスト・ドラァグ的なスーパー・グループのことで、その頃の私はホーリーの音楽のファンでもありました。それで2014年でホーリーに「ドラァグ・クイーン関連のショウをやります」ってDMして、当時はまだリリースされてなかったホーリーの「Chorus」について「この曲をグラスゴーのドラァグシ・ショウで演奏してもいいですか?」って尋ねたら、「ぜひぜひ、後で動画を送ってくださいね!」って返答があって。その後、そのパフォーマンスの動画を送ったら、「最高‼ 良かったら一緒にツアーに参加しない?」って返ってきて「え……⁉」って。普通その反応になりますよね(笑)。「あなたと私とマットの3人でどうよ?」って、もう「ええええええ⁉」って状態です(笑)、まさに夢のような話です! だって、当時、まだ自分は一介のドラァグ・クイーンでしかなかったのに。それなのに「よかったら一緒に音楽も作りましょうよ、本当にすごくよかったよ!って言われてますます「えーーーーーーっ‼‼」ていう感じです(笑)。
それが2015年のことになりますかね……一度だけ全員でリハーサルをして本番を迎えたら大盛況で。「うちのバンドの一員だね」と言ってもらえて、そこから一緒にツアーしていく中で、本当のファミリーみたいな存在になりました。かれこれ10年一緒にツアーをしている仲ですし、2人の子供のゴッド・ペアレントでもあります。本当にすごく特別な関係です。そうですね……現実とは異なる世界を夢想したり、何かを創造してそれを人前でパフォーマンスする可能性について考えるところから繋がっていった縁だと思います。一つの空間を作り上げて、その中で他の誰もがやっていないことをやろうという強い欲求というか。そこで繋がっていったと思います。もう本当に素晴らしい人達です。ホーリーもマットも自分にとって本当に自分にとって大切な大好きな2人です。
──もちろん、性的マイノリティであり、ドラァグ・クイーンとしても活動してきたことが今のあなたの活動にすべて繋がっています。首尾一貫したあなたの生き方、思想が音楽も含めた複合的で独自性のあるアートを作り出しているのではないかと思います。あなたの創作の原点にあるモティヴェーション、インスピレーションを言葉にするなら、どういう表現になりますか。
C:ああ、本当にすごく良い質問ですね。若い頃からずっと自分に言い聞かせていたんですが、自分のアートにすでにこの世を去ってしまった先人のクィア・アーティストやエイズ危機で命を落とした人々への敬意が一貫して込められています。自分はちょうどエイズの危機が起こり始めた時期に育ちましたが、それが自分のアートの始まりだったんです。今の自分のアートの土台もそうしたところから築かれていったと思います。やがて自分自身も実際に親しい友人達を失うということも経験してきました。私はコミュニティとの結びつきがものすごく強い人間で、自分の作り出すアートにしろ何にしろ、自分の人生のあらゆる側面において自分が所属しているファミリーでありコミュニティから影響を受けてきました。だからこそ生きることであり、自分の生き方を体現することによって、すでにこの世を去ってしまった友人達の遺産を受け継いでいきたいんです。その思いは常に自分の中にあるものです。過去から糸をたぐり寄せて、決して時間によって葬り去られてしまわないように未来へと紡ぐでいくという役目を果たさなくては、という強い思いが自分の中に常に存在しています。それが、今の自分の生き方であり人生すべてに深く根ざしています。過去から続く歴史の様々な糸をたぐり寄せて一つに束ねて、現在に蘇らせようという、まさに自分にとっての使命ですね。
──2017年にオーストリアのフェスで初演された『Siblings』はあなたのクリエイターとしての結晶の一つです。その時のパフォーマンスが2018年にリリースされたアルバム『Siblings』へと繋がりました。改めて、『Siblings』というアルバムを振り返ってもらいたいのですが、あなたはこのアルバムに対して「この10年間の人生で、私が血のつながっていない家族の中で暮らしてきたという事実に大きく影響されている」と語っていますね。それは、おそらくニューヨークに来てから家族のような仲間に恵まれ、囲まれて暮らしてきたことがいかに素晴らしいことかを伝えているようにも思えます。その感覚があなたをどのように豊かな人生に導いたと言えますか。
C:そうなんです、自分はつくづく恵まれてると思うんですよ。この人生において数々のコミュニティとの出会いに恵まれて……実際、今現在の自分の思想であり、人間としての在り方が、過去15から20年間に出会った人々によって培われてきたものだと強く実感しています。自分が当時住んでいたシカゴからニューヨークに移り住んだとき、まさにエクソダス状態で、たくさんの友人達がこぞってニューヨークに移動していった時期でもあったんですよね。皆が皆、自試らしい生き方を模索していました。そんな中、「Casa Diva」という、まさに私達の大所帯のファミリーが一つ屋根の下に集まる家がありました。そこはドラァグ・クイーンを中心に、音楽や様々なパフォーマンスが行われる空間で、そこから様々な絆や結びつきが生まれたり、まさに自分達の大きな家族にとっての中心地のような場所でした。また、さらに《Clump》や《Chez Deep》など様々なパーティや出会いを通じて、いつのまにか思い描いてたものがまさに自分にとっての現実になっていったんですよ。今の自分の人生であり、人生観はまさにこうしたコミュニティの中で形成されていったようなものです。
『Siblings』はまさにそうした長年に渡って自分を支えてきてくれたコミュニティへの深い感謝の気持ちから自然に湧き起こってきた作品だと感じています。ニューヨークで暮らすようになってからの長い月日であり、そこで出会った人々との関わりを通して自分自身が目覚めていった経験であり、まるで本物の家族のようにお互いを大切に思い合い支え合える関係が、今の自分を形成してくれていると思います——実際にドラァグ・クイーンややクィア・ファミリーが一緒に暮らしている家がありましたから。どこまでも深く美しいものであり、同時に試行錯誤の連続でもあり、繊細かつ複雑な愛の形態を模索していこうという挑戦ですよね。そもそもお手本のような事例がほとんどないようなものですから………自分達にとっての家族やファミリーの形態を手探りで模索していくしかなかったんです。今思い返しても、自分にとってすごく貴重な思い出です。例えば、前夜に最高のパフォーマンスをした後に、翌朝には喧々囂々で怒鳴り合いながら、物が壊れるぐらいの大喧嘩をして、その後、お互いに涙を流しながら「ごめんなさい、ごめんなさい、愛してる」みたいな(笑)。そこらへんは普通の家族と一緒ですよね、家族間で日々争い事やドラマがあるわけです(笑)。とはいえ、決してすべてがバラ色のような理想郷ではありませんでしたが、ただ普通の家族とは少し違う形の家族だったというだけなのです。
ただ、実際、その希少さに気づいたのは、アルバムが完成してからしばらく経ってからですね……それがいかに貴重で特別な体験だったのか実感するようになったのは……自分の家族や伴侶以外の人と共に家を作り、同じ空間を共有し合い、お互いに支え合って生きていく経験って、おそらく普通の人はそんなに経験しないことだと思うんですね。それほどクィアやトランスジェンダーとして世界の中で生きていくことはなかなか容易ではないということです。しかも、それはいまだに模索中でもあります。どうしたら自分達ファミリーにとっての理想的な形態を実現できるのか、いまだに模索していますね。
──と同時に、多くのいわれのない中傷などを受け、挫折、苦悩、痛みを味わってきたと想像できます。『Siblings』というアルバムではどのようにその痛みや苦しみと、血縁ではない家族との豊かな日々による喜びとのバランスをとったと言えますか。
C:そうですね……自分にとっての原動力というか、エネルギーの源泉のようなものが、今言ったものを含めてそうした数々の瞬間であるというか……自分にとっての特別な瞬間ですよね。例えば、小さな部屋で20人から40人ほどの観客が集まって、ドラァグ・ショーなどのパフォーマンスを観ながら同じ空間を共有し合うような場面です。それは特定の場所や地域に関係なく、ある特定のパフォーマンスが行われているその一瞬のうちだけにその場に立ち昇るみたいな、その場だけの特別な空間のようなものです。その一方で活動家の一員として、何年も仲間と共に街頭に出て声を上げるということを続けているんですが、それが自分にとっても大きな希望でありエネルギーを与えてくれています。プロテストに参加することで、自分が小さな一人ではなく集合体としての全体の一部であることを実感することができますから。自分には行動することができる、変化を起こす力があるんだということを思い出させてくれますから。
要するに、強く願うことですよね。自らが望んでいる変化を実現するために声を上げること、夢見ること。そうした人達と必ずしも常に行動を共にしているわけではないにしろ、世界の至るところに自分と同じような思いを抱えて日々戦い続けている仲間達がいるわけですよね。そうした人達との繋がりでありコミュニティの連携を通して、実際に直接的な行動を起こすこと……あるいは、そこまで大々的なものでないにしろ、例えば誰かの家に呼ばれてディナーを共にして、深く長い会話を交わしながら、お互いに励まし合ったり意見を交換し合うことだってものすごく重要な役目を果たしていると思うんですよね……そう、最終的に大事なのはそこですよね。お互いに支え合うことの大切さを学びながら、今にも足元から崩れ落ちてしまいそうな世界で何とか必死に生きていく方法を模索していくということですよね。あるいは、やがて訪れるであろう困難に対して立ち向かうにあたり、これまでクィアやトランスの先人達が生きてきた道のりから学んでいくこと。数々のドラァグ・ボール・ハウスの場で、自分でもこれまでクィアやトランスの先輩方から強くあること、立ち上がって声を上げること、自分自身を守る術を知ることがいかに重要であるのか叩き込まれてきました。それと同時にディーヴァ・クイーンとして素敵に輝くこと、自分自身が素敵に輝くことで輝いた世界を実現することの大切さを教え込まれました。
それにメンターシップの役割もすごく重要です、つまり、お手本となるような先輩達の存在ですよね。実際、自分が初めてニューヨークに移り住んだとき、多くのクィアの先輩方が私を正しい方向に導いてくれました。「ここに行くといいよー、でも、あっちは危ないから近寄らないように」、「この人達なら安心できるけど、あっちの人達にはちょっと気をつけたほうがいいよ」といったアドバイスをもらってきました。まさに運命の導きのような、神聖な存在によって自分が守られてきたように感じています。だってニューヨークのような大都会に出てきたばかりの自分に当時は見ず知らずの他人だった人達が、私に正しい道を照らしてくれたわけですから。
──さて、ようやく新作『respite ∞ levity for the nameless ghost in crisis』について伺います。まず、タイトルが意味することから聞きたいのですが、無限大を意味する「∞」(infinity symbol)のマークが、休息と平穏と意味する単語の間に、まるでずっと永遠に変わることなく、その安らぎや穏やかな日々が訪れることを願うかのように置かれているのが興味深いと感じました。タイトルの中にある“名もなき幽霊”は、自分自身も含むそうしたクィア/マイノリティたちを自虐的に表現しているようにも思えますが、タイトルの意図、“ghost”を象徴するものをおしえてください。
C:そうなんです、今回、アルバムのタイトルを何度もコロコロ変えてるんですよ。もともとは「X」っていうタイトルになる予定だったんですよね。無限のシンボルの「∞」の真ん中に小さな「x」のクロスがあるでしょう? 2つのものが交差する点になってるわけです。その小さな「x」を2つの異なる時間軸が交わる地点、あるいは異なる時間が重なる交差点みたいなイメージです。そこから時空を超えた異次元間の旅とコミュニケーションをテーマにした作品にしたいと考えるようになりました。つまり、その小さな「x」を軸にして別のタイムラインに存在している自分自身や他者と出会うようなイメージです。それと、この無限の「∞」は数学用語で「レムニスケート(Lemniscate)」とも呼ばれてるんですけど、ラテン語で「リボンで飾られた」と意味する「Lēmniscātus 」から来てるんですね。この発想がすごく気に入って! リボンを結ぶことで軽やかに小休止を迎えてから、一つの次元からまた次の次元に繋いでいくみたいなイメージを思い浮かべていました……そしたらですよ! イーロン・マスクが旧Twitter名をXに変更するというニュースが飛び込んできて!
──(爆笑)
C:「イーロンの奴、なんなのよーーーー⁉」って(笑)……今では逆に感謝してますけどね(笑)、おかげで今回のこのタイトルに辿り着くことができたので(笑)。でも、スタジオで実際に作業してる最中にそのニュースを聞いた瞬間は、もうショックすぎて(笑)、ああ、ここまで私が作り上げてきたイメージがすべて台無しだわ、と思って(笑)、「まあ、いいじゃない、また新しいタイトルを考え直せば」と平静を装いながらも、気が動転しまくりの一日でした(笑)。そこから、また再びタイトルを考え直さくちゃってことで、Angel of Dust(埃の天使)」にしようか、あるいは単に「Angels(天使達)」だけにしようかと考え巡らせていたところ、名もなき幽霊達の存在について思いを馳せるようになったんですよ。ちょうどエドゥアール・グリッサンの本を読んでいて、そこからの影響もあります。今回のパフォーマンスでありアルバムを制作する中で、見知らぬ者や名前を持たない存在について思い巡らせるようになったんですよ。つまり私達がその名を知らない人々について、匿名の人々や生まれたときに与えられた名前ではなく自ら選んだ名前を名乗っている人々もその中のイメージに含まれるのかもしれません。自分のコミュニティの人達の多くが、自分が過去に所属していたコミュニティやその中で出会った人々も含めて、あるいは実際にまだ出会ったことのない、出会えなかった人々も含めて、彼らが戦って勝ち取ってきた権利の元に私は今この世界に生かされているわけです。つまり、私がこうしてこの世に存在していられるのも名もなき先人達が私達のためにこの世界を築いてくれたからなんです。私は彼ら一人一人の名前を知りません。それでも、自分が今日生きているこの世界を作り上げてくれた人々です。その存在に敬意を表し、讃えたいと思いました。そうした見知らぬ人達や名もなき幽霊達を敬い祝うにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。そしていつか自分自身ももれなく名前のない幽霊となる日が迎えるでしょう(笑)……「あー、そう言えばあんな人がいたよね……アーティストで、たしかあの作品に関わっていなかったっけ………名前は思い出せないけど」と言われる日がくるかもしれません。今回のアルバムはその名もなき人々を記録の形に残そうという試みでもあるんです。あるいは、死んでしまったらその人の名前はどうなってしまうのか? そのとき名前とはどういう意味を持つのか? そもそも名前とは何なのか?という問いかけでもあります。自分が生きている間と死後では名前の持つ役割はどう変わるのか? 肉体が死んでも魂は永遠に死なないと信じる伝統や文化が数多く存在しています。あるいは、自分が終わる瞬間とは死ぬときではなく、自分の名前が最後に呼ばれた瞬間であるという考え方もあります。そうしたことについて深く考えている時期でしたね。元々、2025年2月にリリースすることを想定していたので、おそらく世界中で様々な困難な状況が続いている中で、束の間の休息や安らぎが必要だと思いました……実際、今まさにそんな感じじゃないですか(笑)、今のまさに混沌とした気が狂いそうな世界にあって、ほんの少しの安らぎを提供できたらいいなと思ったとき、このタイトルがしっくりきたわけです。
──アートや表現の現場においては、確かにクィアやトランスジェンダーの息吹が感じられることが増えていますし、彼らの活躍によってその存在が繋がれてきているその長い歴史の歩みを実感もできます。けれど、一方でそこに絶望や畏怖とも言える陰湿な断絶も実感できることが増えました。あなたにとっても、もしかすると“同志”であるだろう、アノーニは最新作『My Back Was A Bridge For You To Cross』(2023年)のジャケットで活動家のマーシャ・P・ジョンソンをあしらいました。あなたは今作の「Doll Park Doll Park」は、まるで人形作家だったグリア・ランクトンに捧げているかのようです。なにがあろうと歴史を繋いでいこうとする意志の強さが感じられますが、当事者であるあなた自身はそこにどのような喜びと難しさを感じますか。
C:私としてはぜひともバトンを繋いでいきたいと願っています。私は非常勤講師としても働いているんですが、最近になってから友人と一緒にパフォーマンス・スクールを立ち上げたばかりです。そして、アノーニにはどこまでも深く共感していますし、彼女がマーシャ・P・ジョンソンをジャケットに起用したことも心から共鳴しています。さらに私の友人でアクティヴィストにして映像作家のトルマリンがマーシャ・P・ジョンソンの生涯について書いた本(『Marsha: The Joy and Defiance of Marsha P. Johnson』)が出版されて。トルマリンは自らのアーティストとしての活動のほぼすべてがマーシャ・P・ジョンソンへのトリビュートのような人でもあります。そうした中から、Agosto Machadoの存在をどうしても思い出さずにはいられないんです(注:Agosto Machadoは1960年代からNYダウンタウンのクィアシーンで活躍するレジェンドで、マーシャ・P・ジョンソンと親しく、ストーンウォールの反乱にも関わった人物)。Agostoはまさにアノーニの『My Back Was A Bridge For You To Cross』のジャケットで使用したマーシャへのオマージュとしてその視点を尊重、共有しましたよね。Agostoは《Shrine》というシリーズを通して、すでにこの世を去っていったコミュニティの人々を奉るためのアート作品として形に残すことで彼らの魂を後世に繋いでいるわけです。もうまさに自分がやってることと同じです。このような発想に私自身もすごく共鳴しています。それこそマーシャ・P・ジョンソン、グリア・ランクトン、Ethyl Eichelbergerだったり、あるいは世間的にはほぼ無名のヒーロー達の存在に思い馳せずにはいられないんです。だから本当にAgostoの作品からできる限り多くの名前と情報を収集して伝えていかなくちゃという使命感に駆られています。そうすることによって、いつか私が年を取ったときに先人達のレガシーを守り伝えた者として自分であり自分が活動してきたコミュニティの名前でありその存在を自分達とは異なる時代を生きている人々に繋げていきたいという思いなんですよね。
──1分にも満たない小品「{canting}」や「Busy walks into The Memory Palace」のようにオペラをボイスパーカッションのように仕立てた奇妙でユーモラスな風合いを持つ曲は、なにがしかの分断、分裂、焦燥を自嘲的に描いたもののようにも思えます。これらはどのように作られた曲なのですか。
C:そうなんです、「{canting}」もまた変わった経緯を辿っています。今回、アルバムの制作の過程で、若かった頃の自分の対話するような気持ちになり……まあ、とにかく時間がかかった曲です。思い入れが強すぎるゆえに(笑)。「{canting}」、ある特定のグループの中で使われる用語というか、隠語を指す言葉です。そこから自分の人生経験を振り返って、そうした秘密のコードを使ってコミュニケーションが行われていたりダンスしてるスペースについて思い返して、かつてその空間に存在していた人々の影について思い出していたんですよ。まさに先ほどの話にもあった名もなき亡霊について。「「{canting}」では、そうした幽霊達がふっと現れて、おふざけなダンスを踊って消えていく姿をイメージしてました。
「For the Busy Walks into the Memory Palace」については、ヴォーグ・カルチャーのヴォーカリストでVellalockwaというアーティストがいるんですけど、彼女のプロデューサーでヴォーグ界隈では超一級のKevin Jz Prodigyを思い浮かべてて。音楽にしろヴォーカル・スタイルにしろ様々あって、あの誇張のような実験だったり奇妙なヴォ―カル・スタイルの多くは、ヴォーグ・コミュニティから生まれてるんですよね。特にニューヨークやシカゴ、ボルチモア辺りのブラックや有色系の人々の間で発展してきたものなんですよね。こうしたヴォーカル・スタイルから個人的に受ける印象として、もう戦線に臨む前の雄叫びのような奇々怪々な呪文のような、おまじないを唱えているように聞こえるんです。Vellalockwaの歌声がまさにそうで、(奇声を発して)ウゥゥゥゥゥゥゥゥ―――みたいな、まさにそんな感じなんです(笑)、まさにチャネリングしているような、ただ本能のままに声をあげている。それを聴いたときに、私は自分の友人で素晴らしいアーティストでもあるBully(・Fae Collins)をコラボレーターとして呼んで、口頭で「今から(*奇声を発して)%&’#”’&%$#”!‘#@、オオオォォォ、ア、ア、ア、ア、アアって音をやりましょう」って(笑)! アグレッシヴでありながらシリアスすぎない音楽をやりたかったんです。遊び心のある反抗というか、軽やかな反撃ですよね、それは逆境に直面したときに取る態度でもあります……自分の存在を否定しようとする世界に対する抵抗ですよね、遊び心のある軽やかな抵抗です。世界に対抗するための最高の手段がグラマラスであること、そしておバカであることだと思うんですね。まさに私にとってはこの世で軽やかに戦っていくための2大ツールです。
──また、イギリス発祥とされる同性愛者/クィアが用いる隠語=ポラリ(そもそもポラリとは“会話”を意味する)やラテン語といった、現在ではほとんど使用されない言語表記がいくつか散見されます。まるで歴史の彼方で闘ってきた同志たちとコンタクトをとろうとしているかのようにも見えますが、なぜポラリやラテン語を取り入れたのでしょうか。
C:もともと昔からラテン語を歌に取り入れてきたんです。ラテン語の響きがすごく美しいと思って。そこから他の言語についても考えるようになりました……これは誰の言葉だったか覚えていませんが、ラテン語のような失われてしまった言語で歌ったり、語りかけたりすると、遠い昔の時代に亡くなっている古い魂が、新しい霊や最近亡くなったばかりの霊と交流できるようになるという説もあって。そこからラテン語であったりポラリを通して次元を超えたコミュニケーションを取っていくという概念に惹かれました。ポラリに興味を持ったのは、カトリックやキリスト教のコミュニティの中の共通言語であるラテン語に対抗する言語だからです。実際、教会音楽や礼拝の音楽の多くはラテン語で書かれてたり歌われてたりしますよね。そこからポラリを自分の歌に取り込むというアイディアに惹かれ、さらにポラリの美しく静謐な響きを利用しながらも、その美しさとは相反する冒涜的な内容について歌うというアイディアに憑りつかれました。ポラリ語もまた先ほどの「{canting}」の話と同じで、いわゆる隠語であり、その言語自体が俗物的な含みを持っています。主に性的な話題や外見について指す言葉だったり、かつてのドラァグ・クイーンの文化の中で警察の目から逃れるために使われていた秘密の暗号であり、あるいはセックスに関する用語を含んでいます。
そこから今の現代の状況を考えたときに、失われてしまった言語であるポラリが暗号としての役割を果たす可能性についても考えました。世界的にクィアやトランスの人々に対する締めつけが厳しくなっていく中で、今後、こうした隠語の重要性がより高まっていくことだって考えられるわけです。そう考えるとちょっと恐ろしい気もしますが、必ずしも非現実的な恐怖ではなく、実際に今の私達が直面している現実なんじゃないかとも思うんです。だからこそ、先人達の知恵から大いに学ぶことがあると考えています。つまり、自分の欲望であり、自分が望んでいること、あるいは望まないことについて率直に語るための術を身につけていく必要があるんです。警察や権力から逃れなければならないことを自覚しなくてはいけない。クィアとして世の中をサヴァイヴしていくための秘密の暗号が必要なんです。暗号やコードを駆使することが、今後クィア・コミュニティが生存し続けるための戦略になるだろうと……それは近い将来、確実にそうした状況が訪れるだろうと確信しています。
──本編最後に置かれた「∞」は、その点ではこのアルバムのテーマを見事に表出させた大作で、グレゴリオ聖歌のような厳かな歌に始まり、徐々に音像は厚みを帯びていき、中盤になると激しいビートで揺さぶり、最終盤は再び美しいコーラスにビートが微かに重なっていく……それはまるでこの“名もなき亡霊”の宿命を引き受けた者だけに与えられた儀式のようです。この「∞」という曲はどのようなイメージで、どのような音作りの作業で作った曲なのでしょうか。
C:もともと、この曲をアルバムのオープニングとして想定してたんですよ。ただ、時間をかけて対話を重ねるうちに、アルバム全体のストーリーを包括するものとしてラストに配置すべきだと判断しました。私は今回のアルバムを音による神殿とみなしているんですね。「∞」はその神殿の中心をなすものだと考えています。神殿の中央に鎮座する祭壇みたいなものですね。今回のアルバムの旅の中心軸となるような場所です。そこから別の次元にいる自分に向かってまさに「コリン、コリン、コリン‼」って呼びかけているかのようなイメージです。失くしたものを探すための旅のような、同時に破壊でもあり、すべてが破壊し尽くされた後に別のところからポッと再生するまでのサイクルを描いています。もう、本当にこの曲が完成してからですよ、そこでようやく今回のアルバムのテーマについて悟りました。それまで「うわー、どうしよう、今、何を作ってるんだろう? どこを目指してるんだろう?」って感覚だったのですが、この曲が完成したときに今回のアルバムの全貌が目の前の浮かび上がってきた感じです。まさにいつでも必要なときに帰ることができる場所のような、音楽による神殿ですよね。実際に移動するときに持ち歩いているポータブルの祭壇や神殿があるんですが、まさに自分にとってはそんな存在です。歌詞の後半に「この先どんなことに直面するとしても/あなたはいつでも私と共にある」という一節が登場するんですが、まさに自分自身に対するリマインドですよね。自分がいつ何どきも時空を超えて自分自身と共にあり、また魂の友人達とも繋がっているということを伝えているわけです。誰でも孤独や不安に見舞われて、まるで世界全体から見放されてたった一人でこの世を生きているみたいな気持ちになることがあります。ただ、実際には時間はただ直線的に流れているんではなく、私達は常に別の次元と霊的に繋がっているんです。私達が望むかどうかに関わらず、いつでも私達と共にあるんです。そのことを忘れないように、と言い聞かせてるわけです。
<了>
Text By Shino Okamura
Interpretation By Ayako Takezawa
Colin Self
『Colin Self’s respite ∞ levity for the nameless ghost in crisis (Expanded)』
LABEL : RVNG Intl. / Plancha
RELEASE DATE : 2026.2.13
通常盤/国内盤CDの(2025年発売)購入はこちら
TOWER RECORDS / HMV / Amazon
拡張版の配信はこちら
https://orcd.co/e7ldykd
