シームレスに繋がる個人と社会と音楽
──カサンドラ・ジェンキンスが語るサード・フル・アルバム『My Light, My Destroyer』
突然の、衝撃的な出会いだった。2021年1月に「Hard Drive」がリリースされるやいなや、震え泣くメロウなサックスときらめくエレクトリック・ギターをバックに、カサンドラ・ジェンキンスの穏やかなスポークン・ワードとヴォーカルをフィーチュアした幽玄で静謐なアンビエント・フォーク・ナンバーに世界中が注目し、私も一瞬でその虜となった。
その後リリースされたセカンド・アルバム『An Overview on Phenomenal Nature』(2021年)はニューヨークのインディー・シーンで活動していたカサンドラ・ジェンキンスの名を一気に世界中へと広げた。シルヴァー・ジューズのフロント・パーソンでありパープル・マウンテンズ名義の活動でも知られたデヴィッド・バーマンとの別れと喪のプロセスを大きな背景の一つとした同作は、図らずもコロナ禍へ対峙し、前へ歩を進めようとする社会の雰囲気を代弁しているようであり、《TURN》は2021年度年間ベスト・アルバムとして同作をセレクトした。
そこから三年の時を経て、ニューヨークの老舗インディー・フォーク・レーベル《Ba Da Bing》から《Dead Oceans》へとレーベルを移し、カサンドラにとってのサード・フル・アルバム『My Light, My Destroyer』がついにリリースされた。前作同様、現行フォーク、カントリー・シーンの最重要人物であるジョシュ・カウフマンをプロデューサーに招聘。これまでのアンビエント・フォーク・サウンドを継承しながらも、アートワークに象徴されるような“宇宙”や“環境”といったテーマのもと、フューチュリスティックな質感をも湛えた作品となっている。
エイドリアン・レンカ―、ジア・マーガレット、ベッカ・マンカリ、フローリスト、ジュリア・ホルター……、近年、良作が数々リリースされているアンビエント・フォーク流脈における最重要人物の一人であるカサンドラ・ジェンキンスへ、最新作について話を訊く機会を得た。ミュージシャンとしての基礎を築いた子供時代から、ビッグ・シーフの面々など数多のミュージシャンとともに過ごした2010年代のニューヨーク・インディー・シーン、そして今作までに至る音楽制作の軌跡をたどりながら、カサンドラは一つ一つの質問に対して真摯に答えてくれた。
(インタヴュー・文/尾野泰幸 通訳/竹澤彩子 写真/Pooneh Ghana 協力/岡村詩野)
Interview with Cassandra Jenkins
──あなたはニューヨークの音楽一家に生まれ 12歳になる前には、フォーク・ミュージックを演奏するファミリー・バンドで演奏をしていたと聞いています。そのような環境で育ってきた経験は今のミュージシャンとしてのあなた、もしくは本作にどのような影響を与えていますか?
Cassandra Jenkins(以下、C):というよりも、自分の人生と切っても切り離せないもの……ミュージシャンとしての自分がそのまま自分の人生と直結しているようなものだから、音楽抜きにして自分の人生を語ることはできないですね。子供の頃から家の中でも常に音楽が鳴ってたし、物心ついたときから音楽に囲まれていた記憶が原体験として組み込まれているんです。今、自分が送っているライフ・スタイルにしたって、幼いときから両親に連れられて演奏旅行をしながら、各地の音楽フェスをまわってアメリカはもちろんのこと世界各国のミュージシャンが集まる機会に恵まれてきた経験が青写真になっているようなものなんです。小さい頃からフォーク・ミュージック的なソング・ライティングの世界に慣れ親しんできたし、当然、その中で活躍している先輩ミュージシャン達に憧れや尊敬の念を抱いて、ミュージシャンとしての暮らしぶりや生き方を肌で学んできたようなものだから。ブロードウェイの舞台に立つ子役みたいなプロフェッショナルなものではないにしろ、もっと身近で自然な感じで私自身、子供の頃からステージに立ってきたし、旅先で出会ったミュージシャンを招いて自宅でホーム・コンサートみたいなこともよくやっていました。かれこれ 20年以上に渡って、これまで 150回近く開催しているはずで……うちの両親がやっているブログからも確認できますよ。母親は、私がブログっていう存在を知る前からブログを始めてた人で(笑)。母がそのコンサートのオーガナイザー役として、ブッキング担当を務めたり、あちこちと頻繁にEメールでやりとりしたりして。そんな家庭で育ってきたんです。
──そこから現在までにつながるようなソロ・ミュージシャンとしてのキャリアはどのように始まり、形成されていったのでしょうか。
C:それがすごく遅咲きなんですよね。曲を書いたり歌ったりすること自体は子供の頃からやってきてはいるんだけど…… それこそ5歳の頃、初めてピアノで作った曲がレコードの形で残ってるくらい。インストゥルメンタルの曲で、お化けの曲(笑)。だから、曲を書いて自分を表現したいって気持ちは常にあったんだけど、最初にソロのミュージシャンとしてステージに立ったのは、26歳ぐらいになってから。白いストラトキャスターを持ってね。エフェクトも一切なしで、自分一人で小さなKORGを持ってステージに上がって……何が起こるのか見てみたい、自分の歌をステージの上で歌ってみたらどうなるんだろう?っていう純粋な好奇心から。それまでも曲自体は常に作ってきてはいたし、まわりにシンガー・ソングライターをやってる友達も多かったので、自分も彼らと同じステージに立って歌ってみたくなったんです。もちろん、最初は怖くてたまらなかった(笑)。ただ、そこから徐々に数珠繋ぎみたいな感じで繋がっていったっていう感じで……自分が歌ってるのを聴いた人から「今度スタジオで一緒に作ろうよ」って声をかけてもらって、それで作ったEPがきっかけで、自分の名前で音楽活動を始めるようになったみたいなもの。アーティスト名だのニックネームもないまま自分の名前でやってきて、気がついたらソロのアーティストの道にすでに立っていた、みたいな感じ。本当にもう、時間をかけてゆっくりと。
もちろん、それまでにも色んなバンドでプレイしてきたし、友達のミュージシャンのサポートするのも大好きだったし、バック・コーラスとしてライヴでもスタジオでも色んな人の作品に何年も参加させてもらってた。ただ、音楽関係以外にもいろんな特殊な職業にもついていたんです。花屋で働いてたこともあるし、アメリカ自然史博物館や写真館だったり、それまであらゆる職場を経験しているんだけど……どの仕事もシンガー・ソングライターになるための繋ぎみたいな気持ちではなくて、自分が生活していくための糧を稼ぐための手段として真剣に向き合ってきたんです。それが2021年に『An Overview on Phenomenal Nature』を出したことがきっかけで、劇的な変化が訪れたという……それこそ予想外の展開で、自分では全然予測してなかった。あの流れに関しても本当に、自分が歩みを進めていく中で偶然辿り着いてしまった、みたいな感じ。本当に、何年もかけてじっくりコツコツとここまで歩みを進めてきたみたいな……もともと好奇心旺盛なこともあり、色んな職業を経験してようやくミュージシャンに辿り着いて現在に至っているというか。
──音楽以外の仕事について、《The New Yorker》の編集部やファーマーズマーケットでも働いていた経験もあると聞いています。
C:花屋で働いてるときのことについて書いた曲もあるくらい、仕事は間接どころか自分の音楽に直結していますね(笑)。もともと自分がこれまでついて来た仕事のどれも自分にとって思い入れがあるもので、いい加減な気持ちでその職業についたことは一度もなくて。自分がこれまで働かせてもらってきた職場のすべてに対して、その空間にいさせてもらってるだけでも自分はなんて恵まれてるんだろうって常に感じてたし、そこでの自分の役目が何であれ、それこそトイレ掃除ですら心を込めてやらないと気が済まない性格なんです。だから花屋でたった今会ったばかりのお客さんにブーケを作るときにも真心を込めるし、同じように大勢のお客さんの前で歌うときでも真摯な気持ちで向かう、今この瞬間に自分にできるすべてを捧げたいって思ってしまう……それは曲を書いてるときでも仕事でも同じ。いい加減な気持ちではできないですね。花屋に勤務してるときなんかは、色んな仕事がある中でも主に販売と接客を担当してたんだけど、一日中たくさんの色とりどりの美しい花に囲まれて、それが一日の終わりに自分の深層心理の奥深くに入り込んで、「お客さま、今日はいかがなさいましょうか?」って夢の中でも接客していたくらい(笑)。サービス業って、日々そういう細々した繰り返しの積み重ねなわけじゃない? ただ、その何気ない繰り返しの中に美しい瞬間が込められている…… その繰り返しの中に人の心と心が触れ合う美しい瞬間であり大切な交流が行われてる気がして、花屋で働いた経験が自分にとってすごく特別だった理由はまさにそこなんです。
とにかく人と触れ合う機会に恵まれていた仕事だったから、色んな人たちが訪れるわけで、もしかして死を目前にして病院のベッドにいる母親の枕元に飾る花を探し求めてるのかもしれないし、ガールフレンドのご両親に初めて挨拶に行くときの花束かもしれない。緊張して自分でもどんな花を送ったらいいのかわからない人に対して、背中を叩いて安心してお送り出してあげるのが私の役目だった。「大丈夫、お任せください、完璧な花束を私がご用意しますから」って(笑)。店員はただ物を売る役割のためにそこにいるわけじゃない。お客さんに「大丈夫、自分は大切にケアされてる、この人が確実に何とかしてくれる」って安心してもらうことも大切な仕事の一部ですよね。「あなたのその声はちゃんと耳に届いてますよ」って安心してもらえることが…… 繰り返しになるけど、そこには人間同士のコミュケーションがあるわけで、そのためには一人一人の声にきちんと耳を傾けていくことが大事だと思う。「ヴァレンタインの日にガールフレンドへの贈り物として上等なバラを 12本きっかり」とか、自分がオーダーしたその通りのものを求めてる人もいるし、「何もわからないから全部お任せでお願い!」ってお客さんもいる。今まで経験したどの仕事も人間的に自分を成長させてくれたけど、中でも接客業は好きでしたね。誰かの役に立ってるって思えることがすごく嬉しくて…… ちなみに今でも週末はファーマーズ・ マーケットを手伝ってるんだけど、それもすごく好き。色んな人に美味しい食材を届けるのもそうだし、作り手である農家さん達と食卓の橋渡しを務めさせてもらってることがすごく嬉しくて、尊いことだなあって。
──作品の話に向かうと、本作には前作に続きジョシュ・カウフマンがプロデュース等で参加しています。ジョシュは現代フォーク・シーンにおける重要なプレイヤーであり、プロデューサーであると考えていますが、ジョシュがあなたの作品に参加するようになった理由はどのようなものでしたか?
C:初めて会ったのはレナード・コーエンのトリビュート・イベントで、ジョシュがハウス・バンドを務めていて、私がバック・コーラスで参加したとき。何しろレナード・コーエンの曲だからね、やっぱりバック・コーラスが重要な鍵となってくる。 それで48 時間のうちに90分にわたる全ての楽曲を大急ぎで覚えて。ちなみにジョシュもギターで同じように直前になって徹夜で曲をマスターしたって(笑)。たしかジョシュが音楽ディレクターも兼任してたんじゃないかな。ディレクターとプロデューサーがいて、バンドのリード役をジョシュが務める形で、いろんな人達が携わっていて、それこそニューヨーク中の優れたパフォーマンスやシンガー・ソングライターたちが代わる代わるステージに登場して、自分のお気に入りのレナード・コーエンの歌を披露するっていう趣旨のイベントだったのね。あのとき「In My Secret Life」を一緒に演奏したんだけど、演奏するみんなも本番前からノリノリで、ステージの上でみんなと一緒に歌ったことが今でもすごくいい思い出になってる。ジョシュとは初対面だったんだけれどもすぐに意気投合して、そこからバック・ヴォーカルとしてちょいちょい作品に呼んでもらうようになったの。私がシティにいるから気軽に声をかけやすかったのもあるんだろうけど。私自身、スタジオ作業が大好きなこともあって、お互いにすごく共鳴し合ったのね。彼の作品のサポート役でたくさんいろんなセッションにヴォーカルとして呼んでもらうようになったのがきっかけで、2人で一緒に作品作りを始めるようになったっていう感じ。
──前作を含め、あなたの作品においてジョシュが果たしてきた役割はどのようなものですか?
C:前作『An Overview on Phenomenal Nature 』は、メイン・コラボレーターがジョシュで、まさにジョシュと二人三脚で作り上げたようなものだから、もし彼がいなかったら、あのアルバムは世に生まれてなかったと思う。というのも、当時の自分は完全に混乱の最中にあって、自分でもどうしたらいいのか分からない状態だったから。ただ、曲のアイディアがあって、歌詞があって、それを外に出すためにジョシュが後ろから背中を押してくれた。ジョシュが自分をスタジオに呼んでくれて…… もうまさに私がさっき花屋さんで自分がやってたのと同じことを私にしてくれた(笑)。スタジオに顔を出したはいいものの、自分が最終的に探し求めてる花束の像がまるでイメージできなくて、頭の中がパニックになってるときにジョシュが『いやいや、心配しないでいいから。これだけ美しい花が揃ってるんだから、完璧なブーケができるに決まってる、安心して!』と(笑)。
それで今回のアルバムも前作とまったく同様のプロセスになるものだと思ってた。歌詞のアイディアだけいくつか持って行って、そこからジョシュと2人して曲を書き上げてプロデュースしてっていう流れになるのかと……。少なくとも、自分ではそのつもりだったんだけど、途中で徐々に自分の中でこう、ジワジワと自分が求めてるものはそうじゃないのかもしれないって気持ちが芽生え始めて、それでいったん未完のまま曲を保留にすることにして。
とはいえ、ジョシュとのコラボレーション自体はすごくよかったんです。今回の曲だったら、えーっと、発音間違ってたらごめんなさい(笑)、「Omakase(オマカセ)」なんか、まさしくジョシュとの典型的なコラボレーションって感じの曲。ジョシュが作ってくれたインストゥルメンタルのデモを元に私も歌詞をつけて合体させて、前作でいえば「New Bikini」「Hard Drive」「Hailey」がまさにそんな感じの作り方だった。ただ、今回そこからさらに一歩先に推し進めてみたくなって、自分がプロデューサーの役割にさらに深く切り込んでみたいっていう欲が出てきたっていうのかな。それで自分とジョシュ以外に外からも人を呼んで…… 自分とジョシュの2人がコア・メンバーであることには変わりないんだけど、もっと色んな人達の声を取り入れてみようとしたときに船に乗ってくれたのが、今作でのもう一人のプロデューサーのアンドリュー・ラパン。L’Rain や スローソン・マローンの作品でも知られているけど、他にも色んな素敵なアーティストの作品に関わっている人で。 彼と一緒に作業したときに、エンジニアとしてすごく優秀なのはもちろん、プロデューサーとしてもすごく優秀な人だと思った。ちょうどこれまで自分達がやって来たのとはまた違う種類のサウンドのパレットを持っている人と一緒に音作りをしてみることに興味が湧いてた時期でもあったし、それで声をかけてみたら、向こうもすごく乗り気になってくれて、ジョシュと一緒に作りかけだった曲に少しずつ手を加えながら構成を変えていく形で、最終的にまったく別の作品に生まれ変わったのが今回の作品。
──本作のクレジットには、アダム・ブリスビンや、オースティン・ヴォーンの名前がありました。彼らはあなたの前々作のアルバム『Play Till You Win』(2017年)にも参加しており、ビッグ・シーフのギタリストであるバック・ミークのソロ・バンド・メンバーでもあります。その前々作にはエイドリアン・レンカーもカメオ出演していました。本作は“グループとしての作品”でもあるとのことですが、あなたは具体的にどのようなニューヨークのミュージック・シーン、コミュニティで活動していたのですか?
C:そう、アダムとオースティンの2人は私の最初のアルバムにも参加していて…… ってことは、もう10年くらいの付き合いになるってこと? 気が遠くなりそう(笑)! おまけにエイドリアンの名前まで出てくるなんて感慨深い…… 当時、2014年とか 2015年の頃、バックもエイドリアンもまだニューヨークに住んでいて、よくシティのそれこそ小さなヴェニューでパフォーマンスをしてたんです。当時ニューヨークにはライヴ・ミュージックもそうだし、それこそ生の実験音楽を聴かせてくれる素敵なヴェニューがたくさんあって。時代や時間軸を超越したみたいな浮世離れした理想的な空間がそこには開かれていて…… そういう小さいヴェニューが入れ代わり立ち代わり、現れては消えて他の土地に散っていくみたいなことを繰り返していた時代だったんですよね。そうした中でも変わらずニューヨークの中にずっと活動し続けている人たちがいて、その中からそれこそ今言ったビッグ・シーフみたいに一気に爆発的にブレイクするバンドが時々登場する…… そうなると年がら年中ツアーに出っぱしになってしまって、なかなか地元で観る機会は減ってそこは少し寂しいんだけど……。
ニューヨーク時代によく一緒に演奏してたヴェニューの代表が《Manhattan Inn》。小さなバーに続く形で中央に白いピアノが一台置いてある部屋があって、その部屋の構造自体も丸い造りになっていてね。 古代ローマの円形劇場みたいな感じで、部屋もすごく小さい。みんなでギュウギュウに入って 100人以下ぐらい。本当に小さい。そこでみんなそのとき取りかかってる新作や奇抜なパフォーマンス・アートを披露してた。週のいつに行っても友達に会える場所、みたいな。連絡なしにフラッと立ち寄っても、誰かしら知ってる顔がいて、みんなのたまり場みたいな場所で、あの頃のニューヨークは自分の中でも本当に愛おしい大切な思い出……。今もまた徐々にゆっくりとだけど、いくつかそういう場所が復活しつつあって。ただ、あの時代は本当に自分にとってもすごく特別な時代で、今も懐かしく思い出す……。つい最近も友人と一緒にその話をしてたりね。本当にあの頃あの場所でたくさんの人達との出会いを経験しているから。そのたくさんの出会いの中から自分はミュージシャンとして一歩踏み出したようなものだし、ソングライターとしての自分を形作ってくれた場所。だって本当に、友達の前で曲を披露するところから始まってるわけで、せっかくみんな集まってるんだから、自分もお返しに何かしなくちゃっていうところから……。何よりバラエティ豊かだったんです。
私がニューヨークのコミュニティが好きだなあって思うのは、本当にユニークな才能を持った人達ばかりが集まっていて、 それぞれが自分なり表現を大事に育てていくプラットフォームとして機能しているという点。自分は過去10年間に渡って、そうした才能あるアーティスト達が成長して進化していく姿を近くからずっと見守らせてもらって……自分のバンドで演奏してくれてたミュージシャンが大抜擢されてる姿なんかを見ると本当に感激する。ツアーで昔みたいに頻繁に会えなくなっちゃうのは寂しいんだけれども、世界中をまわってニューヨークに帰ってきたときに大物アーティストの元で新しいスキルなりスタイルなりを身につけて、一回りも二回りも成長してきたんだなっていうのがわかる。それがすごくワクワクするっていうか、美しくてジーンとくる……。さっき言ったアダムなんかちょうどベックのツアーに出てたばかりで、ニューヨークに帰ってきた翌日にはもう私のリハーサルに参加してくれてて、その後一緒にトロントをツアーしてまわったり、もう引っ張りだこ(笑)。
──作品に話を戻すと、前作は短い言葉で話すことは難しいですが、デヴィッド・バーマンとの別れと喪のプロセスから生まれた作品だと理解しています。その前作を経て、本作を形成する宇宙、自然、そして人知を超えたような未来や超自然的な現象といったテーマはどのようにして形成されていったものなのでしょうか。
C:やっぱり前作と継続したテーマっていうのはある気がしてて……。何度も繰り返し自分の中に沸き起こってくる テーマがあって、それが毎回違った形で現れてくる、みたいな感じ。同じアイディアを毎回違った角度なりレンズから捉える作業が自分でもすごく好きなのね。今回のアルバムに関しては今までよりも遊び心が出てきた気がして……。時間的に余裕があったこともあるし、前回とは違う形で好奇心が生まれていったというか、それこそ宇宙なんていうテーマにしてもそうだし……。言うまでもなく、私たちには永遠に理解することのできない神秘であり無限を秘めている存在としての宇宙の存在を意識するという視点が今回のアルバムには反映されている。しかも、日常レベルにおいて。毎日の日常の中で自分よりも大きな宇宙の視点との繋がりを持つことを意識することが自分の心の安定にすごく役立ってることを実感してる。地元のニューヨークにいるときはよくプラネタリウムに行ってるんです。自分がストレスでいっぱいいっぱいになったときの駆け込み寺として……。プラネタリウムを眺めて自分はあの群青の中のほんの小さな一点にすぎないんだから大丈夫って思って心を落ち着かせて(笑)。
それ以外にもアスファルトの舗道に生えている植物について触れてる曲があるんだけど、それも自分の中で形を変えて何度も登場してくるイメージで……どんなに打ちのめされても再び立ち上がる生命の力の象徴というか、すべてを破壊しかねない圧倒的な自然という存在について……それは悲観的に聞こえるかもしれないけど、実はその逆で……ただ普通にこの世に存在するだけでもどれだけの混沌を伴うのか、私達がどれだけ繊細で壊れやすい生き物であるのかを思ったら、その繊細で壊れやすい生き物が、繊細で壊れやすい地球の上に存在しているそのこと自体が奇跡であると感じずにはいられない。それでも、アルバムを通してずっと自分よりも大きな存在にただ圧倒されっぱなしになるだけじゃなくて、それを日常レベルの視点に落とし込もうとしてる。その一番の例になる曲がペット・ショップ・チェーン店の名前を借りた「Petco」。 私たちがどれだけ不安定で繊細な存在であるか考えて圧倒された後に、日常の風景の中に視点を移して、私たちと自然との関わり合い方について、小さな透明なケースの中に生き物を閉じ込めてお金儲けの道具にする以外にもっと別の関わり方があるんじゃないかって問いかけている。私たちが自然に近づこうとしてやってる行為が実は私たち人間を自然から遠ざけているんじゃないか?っていう疑問ね……。そこには複雑にして歪な問題が背景にあるような気がして……偽善について考えるときにも同じ疑問にぶち当たる。それを日常風景の中にあるペット・ショップと視点を挟みつつ考察しているというか……。
結局、自分が今この世界に生きることの不安も感動も、どちらもコインの表裏なんじゃないかって気がする。そうした瞬間を日常の中で発見して、表現することに大きな喜びを感じてしまうんです。私自身、日々そういうことを実感して触発されっぱなしなので。あるいは 他の人のポエトリーなり作品を通してそうした瞬間に触れるのがすごく好きで。一番シンプルな形で大きな気づきがもたらされる瞬間というか、それが一番難しいことでもあり、一番美しく胸を打つ……。その感覚に日々アクセスしようと日常レベルから模索しているんです。
──これまでの作品と比較すると、メロウでアンビエント感のあるフォーク・サウンドはもちろんですが、「Clams Casino」やペイルハウンドのEllen Kempnerも参加した「Petco」といったファジーなエレクトリック・ギターをフィーチュアした楽曲の存在感も強くあります。本作のサウンド・メイキングにおいて、最も意識した点や方向性はどのようなものだったのでしょうか。
C:まずは、毎回その曲が何を求めているのかその要求に耳を傾けるようにしてるんです。私の方から曲に対して「今回目指してるのはサウンドはこう。わかった?」って上から目線で接したことは一度もなくて、いつでも曲と共同で一緒に探っていく……。最初は常にシンプルに自分とギターのデモから始めていく。それと自分の中でずっと温めてきた強い想いとして、90年代の王道のロックンロールを自分なりに再現してみたいという気持ちがあって。あのサウンドをどうにか自分の作品の中に反映させられないかって……それこそ10代の頃にレディオヘッドの『The Bends』(1995年)だのマイ・ブラッディ・ヴァレンタインだのトム・ペティなんかを夢中になって聴いていた、あの頃の自分の声を今ここで聞いてあげなくちゃって(笑)。私は今、40歳になるんだけど、今言ったことはあくまでも私の10代の頃の自分についてで、あの頃夢中だった音楽についての話だけど、それが40歳になってようやく、ようやく16歳の頃の自分の野望を叶えることができた(笑)。あの頃にギターを弾いても、どうしたってレディオヘッドみたいな音にはならなかったし、あの頃自分が好きだったバンドとはあんなにかけ離れたところにいたのに、長年コツコツと時間をかけて協力してくれる仲間を見つけて、彼らが見事なギターを奏でてくれるおかげで、今ではあのサウンドが私にも再現することが可能になった。本当に最高の気分。10代の頃からの夢がようやく実現した感じ。だから、この作品はまだ高校生の頃の自分に捧げるアルバムでもある。スタジオまでに行く途中に何度か通ってた高校の前を車で通り過ぎる方だことがあったんだけど、心の中ではまさにこう(と言って 、こめかみに二本指をあててウィンクして敬礼するようなポーズ)(笑)。「高校生のカサンドラ、聴いてる? ついにやってやったよ!」みたいなノリ。ホントに(笑)。
──さらにサウンドについて話を進めると、あなたの音楽はあなたを含む人間の声に焦点化して制作されていることが大きな特徴だと思います。「Hard Drive」をはじめ本作でも「Music??」や「Attente Téléphonique」、「Omakase」のようなボイスメモを利用した楽曲があり、「Only One」や「Aurora, IL」などあなたの息遣いを耳元で感じるようなヴォーカル録音もとても印象的でした。あなたにとって、あなたの音楽にとって人間の声とはどのような意味や機能を持つものなのでしょうか。
C:考えるたびに圧倒されちゃうんだけど、私が自分の声について思うとき、やっぱりここから(自分の上半身を指して)だもの…… 本当に腸の中から、自分の中身がそのままゴロンと外に出てきちゃってる感じ(笑)。声ってなんて奇妙な楽器なんだろうと思う、本当に心から。まさに自分の内臓の一部だと思う。自分の中に張り巡らされている神経回路なり筋肉繊維なり血液の細胞なりがそのまま表に出ちゃってるのが私にとっては声であり……。それはやっぱりギターではどうしたって得られない感覚で。本当に、すごく表現豊かなツールだなと思う。 しかも 、歌っている本人すら気づいてなかった感情を伝えてたりもする……そこがすごく興味深い……声に私は全幅の信頼を置いているし、テクニカルなスキルよりも直感や感情のほうを信じてる。もともと自分はヴォーカルを専門的に勉強したわけでもないし、そこはいまだに自分なりにずっと格闘しているところではあるんだけど、たとえスキル的には未熟だとしても、それ以外の方法で自分には伝えられるものがあると信じてる。自分の内で渦巻いているどんな感情であれ、それを声にして表に出して伝えることが自分にはできるって信じてる。
──本作に収録された「Shatner’s Theme」や、前作では「The Ramble」にあったような鳥の鳴き声や虫の羽音といった環境音を用いた楽曲も印象的です。自分を含む、周囲の環境をも取り込んだ音楽製作スタイルはどのようにして生まれたのでしょうか。
C:ああ、すごく良い質問。サウンドに関しては長いこと自分なりに研究している領域で……もともとヴィジュアル・アートの大学に通ってたんだけど、選択授業でサウンド・デザインを選択したところから環境音に興味を持って、日常に溢れているサウンドを切り取って、ある種の周波数にフォーカスして誘導するという。そこからノイズ・ミュージックにも興味を持つようになって、かなり長いあいだ自分の中で掘り下げていってたんだけど、さっき話した90年代のギター・サウンドの話と同じで自分の音に還元していくまでにかなり時間が必要だった。それでも、環境音を実験的に取り入れているアーティストの作品のファンだったこともあり、徐々に自分でも作品の中にそうした要素を取り入れていくようになったんです。すごく身近で、その空間に鳴ってる音からこそ、呼び覚まされるエモーショナルな価値が確実に存在している気がするから。例えば、扉がパタンと閉じる音を聞いた瞬間、自分はその部屋にいるみたいな感覚に陥るわけじゃない? それを利用しちゃってるわけ。ある意味、シネマ的なというか、そうした感覚を起こさせてくれるサウンドで遊んでいる……その音だけで一瞬にして、あのときあの場所に瞬間移動させられてしまう、ある意味でトリックのような。たしかに音楽を通して徐々にある種の世界観に取り込んでいくっていうのも一つの豊かな表現方法ではあるんだけど、環境音の場合、一瞬にしてその場に連れて行ってくれるわけじゃない? だから、そこは賢く慎重に利用していきたいと思ってる。音を聞いた瞬間にある種の感情が呼び起こされることってあるじゃない? もともとジャネット・カーディフのバイノーラル録音によるオーディオ・ウォークにすごく影響を受けていて……バイノーラル録音用のヘッドフォンを使って聴くと、その空間に自分が完全に入り込んでるみたいな気分になる……音というよりも頭の中での想像の部分が大きいんだけど、それを空間ごと体験しているみたいな……一番わかりやすい私の曲は「The Ramble」かな。実際、あの曲を聴くと自然音に反応してかペットの動物達がザワザワし出すんです(笑)。環境音についての自分の興味を語っていったら本当にキリがないんだけど、それでも本当に……私達を取り巻く空間には豊かな味わいやテクスチャーが溢れてるわけで、それを楽しまなくちゃ! と、その感覚を自分の作品のほうにも取り入れてるんです。
──バード・ウォッチングがあなたの趣味だと聞いています。昔のように鳥を捕まえて飼ったり、食べたりするのではなく環境の中にいる鳥を覗き見て、鑑賞するバード・ウォッチングは、利用する自然から、見守り保護する自然へとでもいうような人間と環境の関係性の変化を示している行為であるようにも思います。バード・ウォッチングと作品制作にはどのような関係性があるのでしょうか。
C:自分がバード・ウォッチングに興味を持つきっかけになったドキュメンタリーの中に登場してすごく感銘を受けたセリフに「バード・ウォッチングというのは一切暴力を返さない狩猟である」っていう言葉があって。バード・ウォッチングと狩猟ってまったく別の行為ではあるんだけど、同じ目的を果たしている部分もあって、何かをコレクションしてその収穫物を見て達成感に浸る行為って、人間の根源的な欲望の一部として存在しているもののような、脳味噌の辺縁系に組み込まれてる気がする。「これだけの蓄えがあれば大丈夫」って確認して安心するという、生存本能の一部として。私自身、バード・ウォッチングを通して、それが自分の自律神経を落ち着かせるためにすごく役立ってることを実感してる。
これはバード・ウォッチングの本で知ったんだけど、人間が鳥の声を聞いて落ち着くのは、鳥のさえずりが聞こえる環境は人間にとっても安心して生存できる環境であると本能的に認識するみたいで、意識するしないに関わらず、人間の防衛本能としてそういう機能が神経レベルで組み込まれているらしいんです。 私自身、長いこと鳥の声に耳を傾けたことなんてなかったんだけど、 鳥の声に意識を向けるようになった瞬間、それまで自分が存在していることすら気づかなかったオーケストラが突然聞こえるようになった……その自分達のまわりを常に取り囲んでいる不協和音によるオーケストラを自分はこれまでの人生ずっと見逃してきたことに気づいたんです……いつでもずっと自分のまわりに鳴っていた音であり、存在していたはずの世界なのに。その視点に気づくようになってから、自分の目であり耳に映る世界が明らかにこれまでとは違う形で開けてきたというか……まるでこれまでとは違う世界を読み解くためのテキストを手にしたみたいな感じ。それは私の大好きな作家で今回の作品にも大きなインスピレーションを与えてくれてるレベッカ・ソルニットが指摘していたことでもあって。
バード・ウォッチングっていう行為は、私にとっては積極的に耳を傾ける行為であり、自分の外側の世界で今何が起きているのかを観察する行為でもある、それは自分に与えられた最強の癒しのツールの一つなんじゃないかと。前に友達に「もし自分に超能力があって過去の時代に遡って何か変えられるとしたら、自撮り棒をすべてバード・ウォッチングの双眼鏡に置き換える(笑)!」って冗談で話してたことがあるんだけど、でも本当にそう。SNS以前の時代を知っている古い人間の意見であることを承知の上で(笑)。でも、自撮り棒なんてものがこの世に存在してなかった時代が少し前に存在していたわけじゃない?それが今ではみんな自撮りに夢中なわけで……レンズの中に映る自分を始終チラチラ気にするよりも、もっと自分の外の世界に目を向けて、自然との繋がりを感じられるようになったらどんなに素敵だろうって。その点、鳥なんて最高のアクセス・ポイントで。一つのポータルから、自然に繋がるいくつものポータルが開かれてる……ある人によっては植物を植えることかもしれないし、別の人にとっては蝶や虫を観察することだったり、あるいはセーリングかもしれない。でも、鳥を眺めることは誰でも簡単に日常に取り入れられる自然と繋がる方法なんじゃないかな。それこそ都会に住んでいる人なんかにとってはね。しかも都会という本来の自然とは違う環境の中でもたくましく生きている。 私が今住んでいる場所もまわりは建物に囲まれてるけど、それでもただ鳥の姿を目にしたり、声が聞こえるだけでも安心できる。それを感じられない環境に長いこといると、気が滅入ってしまうくらい。
──7 曲目の「Omakase」は日本語の楽曲タイトルです。 日本語という側面から言えば、あなたの楽曲には村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に登場する本田老人と作中のキーとなる井戸をタイトルとした「Honda’s Well」という楽曲があります。その曲のリリックは、同作で主人公が井戸の底でひとりずっと考えていて、深層意識の中に入って行き、別の世界への出入り口を見つけるという村上春樹がいうところの「壁抜け」という内容の影響を受けているように思えました。昔の話になってしまうかもしれませんが、『ねじまき鳥クロニクル』はあなたにとってどんな作品でしたか?
C:村上春樹の作品との出会いは友人から勧められたのがきっかけなんだけど、彼の文章は本当に好き。最初は短編から入ってるんだけど、それで読んだのが「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」。あの作品を初めて読んだとき、衝撃的で本当に固まって動けなくなった。 自分がそれまで文章から味わったことのない甘く切ない感情がそこにあって、すごく自分の中に響いたんです。そこから他の作品も探っていって、『ねじまき鳥クロニクル』に出会った。しばらくあの本について忘れてたけど、本当に好きな作品。
「Honda’s Well」はコード進行がぐるっと一周している造りになっていて、一周巡ってまた元の位置に戻るみたいな感じ。だから実はそのコード進行があの曲ができるきっかけで。ただ、そのコード進行のもとになったのは小説だったりして。私は映画とか小説に影響を受けると、それを自分の作品にも密にリンクさせてしまうタイプで……ある意味、その小説なり映画なりと対話するみたいな気持ちで、自分が読んだ本に対するリアクションとしてそうせずにはいられない(笑)。『Play Till You Win』(2017 年)は、とくにアートや音楽や小説や映画に対するリアクションという側面が強かったこともあって、作品とコミュニケーションするための術として、曲の形にするのが一番自分が受けた感銘を昇華しやすい……。
それで言うなら、今回のアルバムの中でも「Delphinium Blue」は確実にマギー・ネルソン『Bluets』に対する反応だし。あるいは今回の作品を通じて、私の大好きな詩人のアン・カーソンの作品と対話していたりもする。彼女はギリシャ神話に登場するカサンドラについて書いてたり、翻訳について語ったりもしていて、私が言語に興味を持つようになったのも、実は彼女がきっかけ。私たちの話しているどんな言語においても必ずそこには翻訳なり解釈が介在するわけで、純粋にそのものを伝えられる言語はこの世に存在しない。つまり、私たちが話しているどんな言葉も解釈を通してしか相手に伝わらないわけで、その相手に伝わるまでの間に様々な変化が起こりうる。音楽はその隙間にあるギャップを埋めるもののような気がしていて……私にとっては、学校の課題みたいな感じ。学生時代、学校の授業で課題が出るんだけれども、アートを作るのが好きな子はエッセイを書く代わりに曲を書いたら単位をもらえるみたいな仕組みがあって、それで私もいつもエッセイを書く代わりに曲を書いてた派なんだけど、大人になってもそれを続けている感じ(笑)。エッセイにしてまとめる自信はないけど曲だったらお任せあれ!みたいな(笑)。大人になってそれをやったところで単位がもらえるわけでもないんだけどね(笑)。ただ自分自身が他者の作品とコミットするための一つの手段として、純粋に個人的にやっていることではあって。
──そのほかに興味のある日本の作家、音楽家はいらっしゃいますか?
C:ああ、もうそれで言うなら、本田ゆかの大ファン! 目立たない形ではあるけど、本当にすごく影響を受けているアーティストのうちの一人。つい最近、彼女のパフォーマンスを観たばかりで、L’Rain のタジャ・チークとベン・シャポトーがニューヨークのブルックリンにあるアパートでハウス・パーティー的なイベントを企画してたときに、ゆかさんも出演していて。昔からずっと彼女がプレイするところを何度か観させてもらってるんだけど、あのときはすごく親密な空間で、すごく贅沢だった。ショウ自体もすごくこじんまりしてて、日曜日の夜11時とかの枠だったのかな……そのときのパフォーマンスを観てすごく感動しちゃって! すぐさま触発されて、自分でも同じアプローチで曲作りを試してみたいって思い立った。何て言うか、バンド全体をオーケストラみたいに自分が指揮するみたいな感覚っていうのかな……ミュージシャンやソングライターとしての視点というよりも、プロデューサーとしての視点に近いスタンスでの音作り。そのイベントがあったのが確か去年の夏とかで、ちょうどその頃に今回のアルバムで自分がやりたいことが見え始めてきた時期でもあったんです。必ずしもそのままの形で音に還元されているわけではないかもしれないけれども、ただ、曲作りのプロセスだとか音楽に対する考え方という面でものすごく影響を受けていて。彼女みたいな人が今こうして自分と同時代に生きて、のびのびと自分を表現しているってことだけでもすごく勇気づけられる……もう本当に自分が大好きなアーティストのうちの一人。
──『ねじまき鳥クロニクル』において井戸と水が物語を駆動するキーワードであったように、関連しているかどうかはわかりませんがあなたの作品も前作の「New Bikini」という楽曲や作品のアートワーク、そして本作にも、OceanやSeaという水にかかわるリリックが散見されます。あなたにとって水や海とはどのようなもので、作品にとってどのようなメタファーとして機能しているのでしょうか。
C:それに関しては常に移り変わり続けているような感じで…… 水自体が優れたメタファーでもあるし。それで今思い出したのが、前作のに収録された「Hailey」の元にもなっている私の友人のヘイリー・ゲイツなんだけど、彼女がインタヴューの中で水がいかに優秀なシンボルなのかを美しい言葉で表現している映像があって。実際、この世に存在する物質の中で一番強力な要素のうちの一つなんじゃないかな。形を変えて移動することができるし、そのもの自体がたくさんの矛盾を抱えていて終わりがない……メタファーとして無限の可能性を秘めている。そもそも人間の身体の半分以上は水で構成されているわけで、それは地球にしても同じ……。となると、自分について語るときに水について語ることは避けては通れない。私達の大部分を占めている要素なんだもの。ただ、今回のアルバムではどうかな……今振り返ってるところなんだけど、これまでの作品に比べたら水の要素は少なめの気がしていて……今回はむしろ光ということに焦点を当てたから。
ただ、いずれにしろ、形を変えて変容していくという意味では、どちらもトランスフォーメーションの象徴であると思う。水に関しては今回よりもむしろ前作の中で多く登場してるかな……それこそ川だったり海だったり、形を変えて色んな姿で水が登場してる……まさに「形を変えて」という、そのヴァリエーションに事欠かないのが、水。自分では意識してなかったけど、その感覚が今回のアルバムでも受け継がれてるのかもしれない。
──全く関係がないかもしれませんが、「New Bikini」というタイトルは、日本で生まれ育った人間の感覚だと「ビキニ」から、水爆実験などで名が知られる「ビキニ環礁」を連想したりもします。
C:わあ。それは自分でもまったく予想もしてなかった発想。それがあるからこそ面白い。ただ、指摘の通り、あの曲自体は、ビキニ環礁とはまったく関係なくて。 私の曲に関してはわりと曲の中で語っているそのまんまのことが多て、もちろん、イメージとかメタファー的なものを使って遊んだりすることはしょっちゅうなんだけど。あの曲に関しては、母親が自分のためにビキニを用意してくれたエピソードについての曲。私があまりに落ち着きがなくて自分を見失ってる時期に「もうちょっと自分の心と身体を大事にしなさい」って母に諭されて。それにも関わらず、「私は今どうしてもこれをやらなきゃダメなのよ!」って頑ななまでに主張して口論になって、恋愛に現を抜かしてるのと同じ状態(笑)。「何が何でも海に行かなくちゃダメ!」って(笑)。その声を母が聞き届けてくれて、次の日に私のためにビキニを準備してくれたんです。「あなたの気持ちは十分わかってる。どうしてもビキニが必要なんでしょ? だったらハイ、これ」って。「私にはあなたの気持ちがよくわかるし、いつだって私はあなたの味方だよ」っていう気持ちを態度で示してもらったことに胸が熱くなっちゃって……。完全にお子さまですよね。これって子供の頃の話みたいに聞こえるかもしれないけど、30代の大人になってからのエピソード(笑)。「New Bikini」は自分としては、単純にそのエピソードについて書いた歌なんだけれども、聴いた人がそこからどういう解釈なりイメージを持つのかは完全に受け手次第だし、自分でもその話についてもっと聞いてみたい! って思う。自分の役目はただ曲を書いて表に出すという部分を請け負うところまでで、いったん世に出してしまった後は、自分の手から離れて、本当にそれを受け取ってくれた人達のものになっていく。自分はただその土台になる素材を提供しているだけだから。
<了>
Text By Yasuyuki Ono
Photo By Pooneh Ghana
Interpretation By Ayako Takezawa
Cassandra Jenkins
『My Light, My Destroyer』
LABEL : Dead Oceans / BIG NOTHING
RELEASE DATE : 2024.7.12
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