ヒューマニティーと平熱、愛情と音楽を伝えること──猪野秀史インタヴュー
フェンダー・ローズ(エレクトリック・ピアノ)とホーム・レコーディングを主軸とした、アナログな環境による音楽制作とその偶然性から生まれる響きを愛し、手作りのような触感のプロダクションと、温もりを感じるむき出しの良心の音楽で、コアな音楽層のみならず幅広いリスナーから支持を得ているシンガー・ソングライター/キーボーディスト、猪野秀史。
自身がオーナーを務める、恵比寿三丁目のカフェ《tenement》のオープン直後から縁深い、音楽家・小西康陽により命名された自主レーベル《INNOCENT RECORD》を運営しながら、組織や興行性にとらわれることなく、DIY/インディペンデントな活動を心の赴くままに展開。
Mondo GrossoやTOWA TEI、OKAMOTO’S、小泉今日子、藤原ヒロシ、Muroをはじめとした、日本の音楽シーンを代表する面々によるアルバム/楽曲でも演奏者としてその腕前を披露してきたほか、はっぴいえんどのギタリスト=鈴木茂やロイ・エアーズといったビッグネームとも共演を果たしている、日本の音楽シーンにとって欠かせない人物だ。
2004年の東京でのソロ活動開始以来、インスト作品として異例のロングヒットを記録した『Satisfaction』(2006年)や、 盟友・小西康陽による2曲の作詞というサポートのもと、自身はシンガー・ソングライターとしての開花も果たしたアルバム『SONG ALBUM』(2018年)といった数々の傑作を生み出してきた同氏。先日には、前作『In Dreams』(2021年)から3年振りとなる9枚目のアルバム『MEMORIES』をセルフ・リリース。
自らの心に響くこと、作品/演奏を聴く“あなた”の心に誠実な言葉と音が“音楽”として、猪野秀史自身の芸術として浸透することを志向するように、鮮やかな剥き出しの音楽を創り続けている同氏に、最新作について思いの丈を語ってもらった。(インタヴュー・文/門脇綱生)
Interview with INO hidefumi
──ロックやソウル、(古くからの、文脈を熟知した、だが非-伝統的な、美しい形の)ジャズなど、あなたの音楽はさまざまなバックボーンを抱えています。個人的なルーツやバックグラウンドについてお聞かせください。例えばジャズにおいてあなたがもっとも重要だと感じている作品など。
猪野秀史(以下、I):19歳の頃から5年間くらい60年代のロックを偏愛したバンドを組んでました。当時はハモンドオルガンと電子ピアノを弾きながらヴォーカルをやってて、同じ鍵盤ヴォーカルスタイルだと、ザ・スペンサー・デイヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッドやザ・ヤング・ラスカルズのフェリックス・キャヴァリエなんかの、いわゆるブルーアイド・ソウルに傾倒していた時期があります。黒人音楽のR&Bなんかを白人が黒人に憧れて形成し直した音楽でローラ・ニーロやポール・マッカートニーなど、黒人音楽をそのままやるんじゃなく、コード感やハーモニーの洗練性みたいなスタイルがカッコいいと思ったし、トーキング・ヘッズの躍動感に満ちたリズムや革新的なサウンドなどは今でも聴き続けてる音楽のひとつです。
ジャズのことを僕は正直あまりよく知らないんですが、マイルス・デイヴィスが「オレの音楽をジャズと呼ぶな! オレは思い切り吹くだけだ」と静かに語ってたインタヴューを若い頃たまたまTVで観た時にとても共感したことを覚えてます。その発言は人種差別についても含まれたものだということを後に知りましたが、自分の音楽ジャンルやルーツとは何なのか? なかなか難しい質問です。脱ジャンル宣言を心に決めたのがちょうど僕が20歳の頃。確か米国ロック系の雑誌を立ち読みした際に「日本人ミュージシャンはひとつのジャンルに固執したがる、その方が売れるからかも知れないがもっと色んなジャンルの音楽を吸収しないと本当に面白いものなんて生まれやしない」といった内容に触れたことがきっかけ。当時からコンセプトという言葉も嫌いでした。でも今は少し後悔してます。もっとちゃんと考えてやっていれば売れっ子ミュージシャンになってたかもしれない。
──『MEMORIES』の制作にあたって、リファレンスになった、もしくは制作期間中によく聴いていた作品を挙げていただけますか。個人的には、既に愛好されている作品への深堀り、自分自身への回帰を感じました。
I:包み隠さずに話しをすると、制作期間中は意図的に他の音楽をできるだけ聞かないようにしてます。
中学生の頃にYMOに出会い、80年代の思春期にザ・クラッシュに衝撃を受け、90年に突入した頃は渋谷系やアシッドジャズ系は横目に見てるくらいで、映画音楽、イージー・リスニング、ヒップホップ、ダブ、アンビエント、クラウトロック、電子音楽、エキゾなどのレコードを聴いてきました。ジャンルに関わらず共通する「好きな感じ」というのがあって、そのサムシングな部分に向かって作業を繰り返してる感じです。もしくは、人と同じことをやりたくないという意思の表れがポストパンクやニュー・ウェイヴだとすれば自分の音楽もそれに属すると思います。
今作の『MEMORIES』に限らず制作時に頭の中で再生される音楽は、5歳から高校卒業まで続けていたクラシック・ピアノだったり、吹奏楽部だった中学生の時に没頭していたオーケストラなどのクラシック音楽が多いです。クラシックや映画音楽の持つ普遍的かつ優美でエモーショナルな音楽は今でも好きでよく聴いてます。
──今作『MEMORIES』を、『SONG ALBUM』で実践された歌への傾倒や接近を経た、現段階での総決算的な実践でありつつ、アンビエンスやメロウな質感が前景化した美しい作品として聴き、受け止めました。そこでお伺いしたいのですが、あなたのヴォーカルのルーツはどこにありますか? はっぴいえんどや細野さん、ザ・ビーチ・ボーイズ(の特にコーラス)などを愛好されているとのことですが。
I:ヴォーカルのルーツは最初の質問にあったヴォーカリストたちだと思いますが、当時は英語の曲ばかり歌っていて日本語の歌としっかり向き合ってなかったかもしれません。『SONG ALBUM』から日本語の曲を作って自分で歌うようになって、どこか違和感を感じて歌と向き合うようになりました。それは多分、自分が好きなものと自分に相応しいものは違っていたということ。昔からルー・リードやジョー・ストラマーの音楽を聴いてたのに、彼らの歌の本質や歌詞の素晴らしさに歳をとってから気がついた感じです。
誤解を恐れずに言うと、歌というものは音楽的であるかどうかなんてどうでも良くて、響くか響かないか、届くか届かないか、そこに尽きると思います。
──また、『SONG ALBUM』など『MEMORIES』以前と比較して、メロディやヴォーカルの在り方はどのように変化していますか? 個人的には、以前の作品より、〇〇のような、という形容を拒否するような自分自身のメロディや歌い方を探求しているように伺えました。
I:自分のヴォーカルと向き合う時間が多かったですね。声をひとつの楽器として考えた時に、まずはその声の持つ響きや成分というものがどの帯域で一番生きるのか、発語した時の歌詞が自分の心の奥底から出ている言葉なのか、ということなどに注意しました。その中で気づいたことは自分のアクセントで喋るように歌うこと、なるべく力を入れないということでした。
以前ドラマーの林立夫さんとツアーをご一緒させていただいた時に「リラックスは最大のエネルギー源」だと話してくださったことがあります。立夫さんの演奏の静と動どちらにも反映されていたことがとても印象に残ってます。結局は歌も同じで、普段自分が使っているような言葉だったり、いつも通りの自分でどれだけいられるのか、ということだと思います。
──メロディ以外の部分、音楽の構成や楽器隊のアプローチなど、他の変化についてもお聞かせいただけますか?
I:これまでと大きく変わってはいないと思います。ひとつ挙げるとすれば、いつも以上に子供のような気持ちで無心につくれたこと。そこに自由感が表れて今までの自分の知らない透明な気分みたいなものが反映された気がします。
──近年、例えばシカゴの発掘レーベルである《Numero Group》がレアソウルやゴスペルの再発を積極的に行っていますが、そうしたリヴァイヴァル的な視点から掘り起こされた作品から受けた影響はありますか?
I:《Numero》のレコードはたまにチェックしてます。アメリカのソングライターでマーゴ・ガーヤンのレコードとか好きなものが多いです。対極的にテイラー・スウィフトなどの最新の音楽や録音技術も感心させられます。
──今作においてもっとも達成したかったことについてお聞かせください。私には猪野秀史さんご自身の独自のヴォーカルとメロディが、常に活動の中で展開されてきたジャズ以降の音楽の構成と美しく統合されているように聴こえました。また、それはどのように達成されたのでしょうか。
I:達成されたかどうかは分かりませんが、自分の作った音楽を聴いた時に、自分自身が鳥肌が立つ瞬間があるかどうかが大事なことだと思っています。
──今回の作品は自宅スタジオで録音されたとのことですが、自宅での制作にこだわっているのは理由があるのでしょうか? パーソナル/プライベートな領域での仕事というか。
I:自由だから。
何度もやり直したりとか9割仕上がった状態で「やっぱり違うな」って白紙に戻すとか、人とやってると申し訳なくて。そういう性格ですかね。なのでジャケットのデザイン入稿や映像編集など、ほぼ全ての制作工程をマネージャーと二人でやってます。リリースに際しての様々な申請やレコードにシールを貼ったり細かな作業まで、作品がリスナーに届くギリギリまで携わっていたいんです。ある意味狂気ですね。とはいえ時間と労力を費やすし、色んな人が関わることの素晴らしさも分かるので、誰かと共同作業することも今後はあるかもしれません。
なぜそんなことまでやってるのかというと、できるだけ多くのことを自分たちで考えて実践するべきだし、運命は自分たちの手の中にあるんだということを伝えたいんです。インディペンデントであることは僕の考える重要なアティチュードなんです。
──また、新しいデジタルなDAWなどをそれほど使用せずに、レコーダーなどの伝統的なアナログな機材にこだわって制作されていますね。その理由はなんでしょうか? また、仕上がりとしての明確な差異はどこにあるのでしょうか? 猪野秀史さんの作品から機材の年代的なもの、いわゆるレトロな質感のようなものを感じたことはなく、むしろ新しいプロダクションとして研ぎ澄まされている印象です。その周辺の技術的なお話も伺えればと思います。
I:長年使ってる機材だと直感的に作業できることが一番の理由です。パソコンのモニターに映し出される波形に向き合って音を作るのに抵抗があります。エフェクターなども実機を経由して録音する作業は手間も時間も掛かるし、プラグインの方が設定も安定してるので便利だと思います。でもその分たくさんの選択肢が増えてしまって、自分の性格からすると全て試してみたくなって最も大事にしている初期衝動から離れてしまう可能性が高くなるという危機感があります。
何事も便利だからと言って幸せに辿り着けるとは限らないし、自分のスタイルに合ったやり方があれば、それが最も研ぎ澄ませることに繋がる手段なのではないかと考えます。仕上がりの違いは特にないと思います。
──「他人の意見というノイズに自分の内なる声をかき消されないように」、「勇気を持って自分らしく生きる人たちへの賛歌」というコンセプトが今作に内在しているというテキストを読ませていただきました。その際、歌唱法や音楽の構成に対して具体的にどのようにアプローチしたのでしょうか? 個人的には、ある種のソウル・ミュージックやロックのように自己の在り方を剥き出しにするような、自己それ自体を提示するような、本来的な、自身の歌にこだわっている印象を受けました。
I:そうですね。メッセージ性のある音楽というよりは僕の素朴な意見で、日本という平和な国で生活していて普通に湧き上がる感情や気持ちというか、根本的な思いみたいなものをそのままの温度で表現した感じです。
──「FUKYO WAON」のリリックについて伺いたいです。物事が良い意味でも悪い意味でも変化しつづけることについて歌われていますが、このリリックには具体的な背景や想いがあるのでしょうか? また、世界や音楽、特にコロナウイルスによるパンデミックという未曾有の危機を迎えた世界の大きな変化に対するご意見をお聞かせください。
I:歌詞はいつも曲の後に作りますが、曲に合うワードをひとつだけ自分のメモノートから選んで、そのひとつの言葉から広げて作ります。
この曲は僕の娘が中学を卒業する頃にできた曲ですが、思春期の彼女の心情のようなものをイメージしました。変拍子のヨナ抜き音階の曲を作ってみたいなと思って作った曲ですね。昔の日本の曲で“数え歌”とか“手鞠歌”とか何かいいなぁって思って作ったけど、全然違うものになりました。変拍子が好きなんですよね。でもライヴをする時に大変なので、しまった!っていつも思います。
コロナ、パンデミックについて、この問題は真実をエディットすることに長けた非民主的な国から始まったように思います。おかげでライヴ活動は激減しました。この状況下でもSNSに長けた連中や企業は生き残る活路を見出してるのでしょうが、そういった手段や戦略というものは一過性に過ぎないもので、音楽や芸術、カルチャーを脅かす変化に対する戦略というものは、もっと人間的でシンプルな感受性にこそ宿ると確信しています。
──その他の楽曲のリリックにも、“自己”、“変化”、“戸惑い”、それでも生への積極性を失わないことといった共通したモチーフを聞き取れます。リリック全体を貫いている想いや考えについてお聞かせください。現在のご自身が反映されているのでしょうか。
I:特別なことをしたり、特別になろうとしないことです。自分は何者でもない。注目を集めすぎることを拒否すること。それが僕がこれまでやり続けて来られた理由だと思います。いつの時代でも、現状を変える勇気そして希望の光のようなものが僕たちの人生を良い方向に導く唯一の手段じゃないでしょうか。
──猪野さんは今後、どのような方向に向かっていこうとしているのでしょうか。音楽的な意味でも、人間としても。私は、音楽についての強い信頼と愛情、そして人間として、単純に前を向きつづけるような姿勢ではなく、常に自分が今いるところについて熟考しながら歩んでゆく姿勢を感じました。抽象的な質問ですみません。
I:何か少しでも役に立つとか、聴いた人の神経に触れるようなものを作りたいですね。
自分の居場所を知らせるようなものや、自分にない面ばかりを外に見せてるようなミュージシャンには関心が持てないです。 人に嫌われてもいい、理解されなくてもいい、自分さえも理解できないくらい一般の基準や他とは違ったものをつくるアーティストに情熱を感じます。誰よりも自分が心から震えて感動する音楽をつくって、誰よりも自分が心から自由で本気になれるライヴをしたいと思っています。
「More Life」という言葉はジャマイカのスラングで「より多くの祝福を」という意味ですが、人生の一瞬一瞬に感謝と愛情を持って中指を立てながら歩んでいけたら最高です。
<了>
Text By Tsunaki Kadowaki
猪野秀史
『MEMORIES』
LABEL : INNOCENT RECORD
RELEASE DATE : 2024.9.6
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