「生きる」いや「生きろ」
ハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフが提唱する生命の連帯
このハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフはアリンダ・セガーラというニューオリンズ出身の女性アーティストのソロ・ユニットなのだが、彼女がプエルトリコ系で、NYはブロンクスで叔父夫婦に育てられたという事実はこの人の音楽に触れる上でとても重要だ。“ブギ・ダウン”という呼び名でも知られるブロンクス区はヒスパニックとアフリカン・アメリカンが住民の多数を占めている……なんていう話ももはや語るべくもない常識だが、アリンダはそこでモータウンやドゥー・ワップを聴いて育ったのだそうで、おそらくそんな子供も決して珍しくないだろうが、彼女はさらにティーンエイジャーの頃、マンハッタンはロウワー・イースト・サイドにあるパンクスの聖地とも言われたアートセンター《ABC No Rio》に出入りするようにもなった。そう、ここは1989年からパンク〜ハードコア・ショーが毎週土曜日に開催されていた場所。つまり、アリンダ・セガーラはブラック・ミュージックとパンクの持つ反権力志向のヒューマン・パワーによってその“ネイチャー・パンク”たるスピリットを養ったと言っていい。もちろん、そんな人も少なくないのかもしれないが、ただし、加えてニューヨリカンなアリンダがただホットなだけではない、自立心旺盛で非常に詩情豊かなリリシストであり、交流と対話によって解決を望む女性であったということは特筆に値する。
ちなみに、《ABC No Rio(ABC・ノ・リオ)》でのパンク・ショーは、観光客目当てのビジネスなどではなく、パンク音楽やパンク・スポットに蔓延る暴力や偏見の抑止を目的として開催されてきた。彼女がそうした姿勢に共感していたことは言うまでもなく、17歳で家を出たのち、2007年に最初のEPをリリースするまで、アリンダは貨物列車にこっそりと乗り込んでアメリカの様々な地域を訪ね歩き、ストリートで演奏をし、自分とは全く異なる環境で育った人とも交流を重ねてきたという。彼女のキャリアにおいて最も重要な分岐点的楽曲の一つ「The Body Electric」(2014年の『Small Town Heroes』収録)で彼女は移民としての体験を歌にしているが、そこで彼女が伝えているのは、それまで小さくなって生きなければいけなかった同じような立場の人々に一歩前に出ることと堂々と生きることであり、でも小さく生きるよう仕向けていた人々と対立することなく一つになることの寛容さだ。だが、2017年の前作『The Navigator』ではプエルトリコ人としての意識も言葉などに強く出ていたが(何と言っても、「Pa’lante」における、1969年に亡くなった詩人ニューヨリカン運動の詩人、ペドロ・ピエトリの叙事詩の引用が印象的だった)、もはやこの《Nonesuch》移籍第一弾作ではそうした民族間の隔たりでさえちっぽけであると言わんばかりに大きな目線で疑問を呈する。なにしろアルバム・タイトルは“地球上の生命”である。
とはいえ、月並みなサステナブル思想を謳う作品などではないし、資本主義社会を揶揄する内容とも少し違う(そうした思想を彼女自身が持っていることは想像に容易いが)。むしろ、自然界の中に生きる自分たちがこれからどのようにして生き延びていけばいいのか? 自分に一体何ができるのか? という問いかけが、時にはやや感情的までにかなり直接的に言葉に与えられているのが特徴だ。「Pierced Arrows」では頭上を行き交う“鋭い矢”(おそらく、いわれなき差別や攻撃を意味する比喩だろう)を避けるようにして生きてきたことを告白し、でも、それは死ぬ方法、理由などではないと綴る。社会運動に熱心なアリンダは数年前にも《Newport Folk Festival》のスタッフに加わり、プエルトリコを訪ねては多くの学校に楽器を届けるような活動にも携わっているが、亡命希望者を支援する組織でボランティアをした時の経験を基にしているというオープニング曲「Wolves」では、もう家は安全ではない、そこから走り去り解決する方法をあなたは知っているでしょ? と促す。コロナによる生活の変化がもたらした不安がきっかけになった側面ももちろんあるのだろうが、この作品で総じて描かれているのは、自然界の中で様々な人種、様々な立場の人々が共生していくことの難しさ、そしてそこに目を向けるしか真実はない、ということではないだろうか。
象徴的なのは、「Nightqueen」で若きアメリカの詩人、小説家であるOcean Vuongのポエトリー・リーディングが聞こえてくる箇所だろう。静かなシンセ音と呟くようなアリンダのヴォーカルに導かれて始まり、中盤からトーンの低いタムや消え入るようなホーンも聞こえてくる、少しヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「Heroin」を思い出すこの曲で、Ocean Vuongはこう朗読する。“地球上の生命として私たちは何千年もの間死にかけてきた”。そう、ベトナム系アメリカ人の彼は、それ以前に一人の人間なのである。
そこで思うのは、彼女がデビュー以来ずっと意識していただろうアメリカーナという音楽の持つ意味と真理である。このアルバムは、おそらくこれまでのハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフの作品の中で最もポップスとして洗練されているかもしれない。もちろん、ジム・ジェームス(マイ・モーニング・ジャケット)と共作した「Rhododendron」はパティ・スミスのようだし、ストリート感あるハートランド系ロック「Saga」みたいなホットな曲もあるにはある。だが、ブラッド・クック(ワクサハッチー、スネイル・メイル他)がプロデュース(というかほとんどメンバーのような存在か)したことによってシンセサイザーをふんだんに盛り込んだ音作りになった。フォーキーだが滑らかなサウンドプロダクションはまさにブラッド・クックが絡んだボン・イヴェールがお手本となっているかのようにも聞こえる。アリンダの作る美しいメロディと歌声を生かしたポップ・サウンドとしてはパーフェクトな内容だ。
だが、それこそ何千年もの間にマーダー・バラッドが積み重ねられてきた地球上の悲劇という名の現実の上にこうした美しい音楽が成立していることを忘れてはならない、と彼女は説いているのようにも聞こえる。そういう意味では、ネイチャー・パンクたる彼女が、デビュー以来一方で意識してきたというアメリカーナへの共振は、今こうして一つの大きな警鐘を鳴らす形となって一つの結果を産んだ。かつて、アリンダはケイティ・クラッチフィールドのワクサハッチー、シリア生まれサウジアラビア育ちのベドウィンと共にツアーをしているが、その際、彼女たちは女性同士の連帯を強く意識したという。そこから3年ほどが経ち、もう、今の彼女たちは女性云々という枠組みの中にもきっといない。彼女たちが今向き合うべくは、こういう原稿を書いている今も、ロシアの侵攻を受けながらウクライナの女性たちが逃げ込んだ暗い地下道で、それでも逞しく生まれてきた子供たちが歩き出す“未来”なのだ。(岡村詩野)
Text By Shino Okamura
Hurray For The Riff Raff
Life On Earth
LABEL : Nonesuch
RELEASE DATE : 2022.02.18
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