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【From My Bookshelf】
『変わりゆくものを奏でる──21世紀のジャズ』
ネイト・チネン(著) 坂本麻里子(訳)
“古典”と“刷新”の葛藤、そして思考体験

03 April 2025 | By Takuro Okada

もしあなたが特定の宗教を信仰していなかったとしても、繁栄からの後退、死、そして復活というストーリーは私たちの心を魅了してやまない何かがある。聖書のみならず、古くから多くの文学や映画の筋書きとして私たちはそれらを多く目にしてきた。死が訪れればきっとのその先に復活があるはずで、救世主はもうすぐそこにいる。そして、こと音楽ジャンルについて語る際にもこのストーリーはクリシェとして登場する。ロックンロールの死を救ったブリティッシュ・インヴェイジョン。グリニッジ・ヴィレッジにおけるフォークの復興。近年におけるニューエイジ/アンビエントの復権、長らく本国内では忘れ去られていた(?)シティポップのリヴァイヴァルについても同様の事が言える。いや、しかし、少し待って欲しい。もちろん歴史を捉え、そして語るにあたってはこうしたおおよその眺めを捉えることは重要だ。しかし、歴史は壁に張り出された年表のように一本の時間の流れとして存在するようでありながら、いくつもの時間の線が様々な角度から交差し絡み合いながら歩みを進めている事を、現在の複雑な社会的状況を日々目にすることで私たちは改めて思い知らされている。 “ジャズ”ほど何度も死(んだことにされ)に、何度も復活を遂げた(ことにされた)音楽は他に思い当たらないが、先に結論を述べてしまうと、ジャズは姿形が変わり続ける変わらない物として常に時間の流れと共に歩みを進めていた。ジャズにおける“伝統”というパラレルな捩れが意味する所の“古典”と“刷新”の矛盾と葛藤、その克服は長いジャズ史の中でも幾度となく検証され、実践し、議論が交わされてきた。本書の冒頭で触れられるジャズ評論家のゲイリー・ギディンスのエッセイ『ジャズがまだ死んでいないとは、どういうことだ?』では、あらゆる音楽形式の発展も4つの段階に分け得ると論じる。まず素朴な「自然」期があり、「至高」期がそれに続く。次に「後退」期が訪れる。そして最終的には「古典」期-「最も冒険的な若いミュージシャンですら、過去に成された巨大な業績の重圧に圧倒される時期」-を迎える」と。彼の言わんとすることも、多くの音楽リスナーは理解できるはずだ。しかし、世紀を跨ぎ20数年を過ぎた今、今世紀に突入してからのジャズを振り返れば、50〜60年代のかつて“至高”期と言われたそれに引けを取らない先鋭的で刺激的な状況であるのは疑う余地のない事実であるようにも思われる。

かつてジャズからフュージョンの時代へ突入する際がそうだったように、それまでジャズと言われていたものに、他の文脈が様々な経緯を持って交差し、ジャズを次のステップへと推し進めた。それは同時にジャズの死の噂が最も囁かれた季節の一つだった。21世紀のジャズの繁栄に対しても多様な文脈の交差という点ではこの状況と似かよう状況と言えるが、この世代の違いは、過去のフュージョン、そして救世主として、また同時に博物館的なマルサリスの存在を検証し、より“ジャズである”ことを前提にそれらが推し進められた。そして、フュージョンも今振り返ればそれほど悪いものでもなかったし、あの時代におけるマルサリスなりのやり方での“歴史を一ミリでも前に進める”戦いには排他的な側面はあれど私は一人の音楽ファンとして感動を覚える。“古典”と“刷新”の間で幾度となく検証され、果てしない実践が行われ、厳格な議論が交わされてきた末に積み上がっているのがこの本の主題である21世紀のジャズと言える。

本書では、そうした21世紀のジャズに至る、“古典”と“刷新”の葛藤を、一つの線ではなく、主に90年代から現代に至るまでのアメリカを中心とした様々なプレイヤーやコミュニティー、批評家の視点を持って検証されていく。この本で象徴的に描かれた場面の一つといえば、1983年の音楽を振り返る第26回グラミー賞。マイケル・ジャクソン『Thriller』が話題の年、ジャズ部門とクラシック部門でノミネートされ音楽エリートとしての非の打ちどころのない名声を知らしめたウィントン・マルサリスと、『Future Shock』をリリースし会場でも足だけロボットを用いた未来的でド派手なステージで魅了したハービー・ハンコックが描かれる。“芸術音楽としてのジャズ”、“大衆音楽としてのジャズ”。この相容れないジャズの2つの線が、21世紀のジャズへ向けて次第に交差していく過程は本書の一つの大きなラインとも読める。ここに至る歴史認識としてもそれは間違いではないだろう。しかし、本書でも大きな章として取り上げられる、M-BASEを提唱したスティーヴ・コールマンをはじめ、ヴィジェイ・アイヤー、メアリー・ハルヴァーソンら、ある種の求道的な姿勢でジャズのオルタナティヴを推し進めた彼らは、この二項対立的な影響は少なからずあったとしても、そこに当てはめられることは出来ない存在のように思える。エスペランザ・スポルディングやブラッド・メルドーからは、それらの何れもの感覚を覚える。また、“新たな年長者”として取り上げられるジャック・ディジョネットやウェイン・ショーター、ポール・モチアンといったオリジナル・ポスト・バップ世代による刷新と伝承、そしてアメリカにおけるジャズ教育がもたらした牽引力といった視点にも多くのページが割かれている。この本で取り上げられる21世紀に登場するゲーム・チェンジャーたちはどこからか突然現れた救世主でない。彼らがどこからきたのか、どういった精神が下地になっているのか、なぜ彼らはそれまでの歴史に対するオルタナティヴとして語られるのか、そのオルタナティヴが対峙する反対側の岸ではその時どういった文脈が流れ、なぜ時代はそれに新しさを見出したのか。本書では各章それぞれのテーマから、その過程を辿り検証していくというのが一つの通奏低音になっている。

繁栄からの後退、死、そして復活というストーリーは、こと21世紀のジャズに於いては当てはまらないだろう。21世紀のジャズは、現時点で、ゲイリー・ギディンスのいうところの“古典期”のその先の景色を見せてくれているような気が私自身はしている。なぜそのように感じるのか。ある事象を語るに当たって、それ相応の様々な視座に目を向ける必要がある。本書は現代ジャズの解説本であると同時に、そうした忘れかけていた思考体験も呼び起こしてくれた。(岡田拓郎)



Text By Takuro Okada


『変わりゆくものを奏でる──21世紀のジャズ』

著者 : 川瀬 慈
出版社 : ele-king books / P-Vine
発売日 : 2024.11.27
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