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【From My Bookshelf】
Vol. 37
『ロニー・スペクター自伝 ビー・マイ・ベイビー』
ロニー・スペクター、ヴィンス・ウォルドロン(著)安江幸子(訳)
自己愛の剥奪と獲得の記録

17 October 2024 | By Shoya Takahashi

『ロニー・スペクター自伝』、歌手ロニー・スペクターの過剰な自己愛と、元夫フィル・スペクターの過剰な暴力性について。本書は、ガール・グループ、ザ・ロネッツのリードシンガーとして知られたロニー・スペクターが1990年に執筆した回顧録に、2022年にロニー自身による「追伸」を加筆したものをもとにしている。

これらをロニーの個人史に照らし合わせてみる。1990年の原書は、二人目の夫でマネージャーのジョナサン・グリーンフィールドとの結婚(1982年)や二度の出産、そしてソロとして初の商業的成功を収めたセカンド・アルバム『Unfinished Business』(1987年)のリリース後まもなく執筆されている(物語は、彼女が息子にリンゴジュースを用意する場面で締めくくられる)。一方2022年のリイシュー版の刊行は、元夫フィルの新型コロナ感染による死(2021年)と、彼女自身のがんによる死(2022年)の間にあたる。つまり本書は、ロニーの人生においても重要な時期に刻まれたことばの記録である。主に『Unfinished Business』という二度目の成功の時期に書かれた本書は、全編にわたり驚くほどの自尊心と自己愛が感じられるものになっている。

彼女の自己愛は時間をかけて醸成されたものであり、また彼女生来の積極思考による転換でもあった。物語は第1章「スパニッシュ・ハーレムの『陽気なネルソン』」、ラティーノ・コミュニティで疎外感を抱えていた少女時代から始まる。白人の父と、ブラックとネイティヴ・アメリカンの混血である母の間に生まれた彼女は、周囲と比べて肌の色が薄く、しかし白人と比べると濃く、髪は長いストレートであることが、本書の中で繰り返し強調される。つまり彼女がどのコミュニティにも完全に属しきれないことを端的に表現されているのだが、しかしだからこそ周囲の誰よりも目立って美しくあったことを、自信に満ちた筆致は伝えている。実際に彼女は意識的に目立とうとしていた傾向があり、第3章「マスカラを少し増やして」では、駆け出しのザ・ロネッツの3人がスパニッシュ・ハーレムのプエルトリカンの女性たちの風貌を誇張して、競い合ってアイラインを長く引き、髪を高く逆立てるエピソードが綴られている。結果として彼女たちの奇妙な風貌は若者に受け、多くのダンスパーティの出演をつかむのだが。

また、彼女たちの目立とうとする姿勢の根底にはロックンロールの精神が流れていたことも読者に仄めかされる。これを読んだ私が正直に告白すると、ロニーやザ・ロネッツがこれほどまでに(ポップやソウルではなく)ロックンロールに立脚してきたことを知らなかった。ロックンロールへの憧憬は、やがてフィル・スペクターとの出会いやジョン・レノンらとの懇意な関係性にも繋がっていく。

物語の中盤では、膨大なパラグラフや章を割いてフィルとの壮絶な結婚生活を描いている。つまり、フィルによるロニーの自己愛の徹底的な剥奪の記録である。私はゴシップ自体には関心がないため、詳細は書籍を手にとって確かめてほしいが、恐ろしいのは、フィルが家の全ての部屋のドアに鍵をつける、毎晩『市民ケーン』を二人で観る、等の手段による生々しい剥奪の描写にある。ロニーは隠れて救い(巣食い)をウイスキーに求めるようになり、物語後半は彼女の退廃的なアルコール依存が描写の中心にシフトしていく。

アルコールへの依存、フィルとの訣別以降、ロニーの自己愛が再び表出する。第20章「裸足の無一文」以降の出来事──結婚時代にフィルが迎えた養子の引き取りと別離(養子はロニーの生活の荒廃を見かねて家を出ている)、幾人かのボーイフレンドやマネージャー=ジョナサンとの出会い、ステージでの復活劇と粗相(泥酔によるショーのスポイル)──のたびに彼女の僥倖と絶望は繰り返され、周囲の人々を傷つけては自己嫌悪に陥る。ロニーもまた、皮肉なことに、フィルとは異なる形の暴力性を顕にしていく。この問題は、フィルとの「破滅的」な結婚生活に比べれば軽微な事柄だったかもしれないが、フィルが怪物であったように、彼女もまた生まれながらにスターであり、それゆえに強大な厄介さを内在させた人物だったのだろう。

最終的に、彼女の自己愛は夫となったジョナサンの懐の大きさと、彼女の復帰を支えた音楽業界の知人、そして二人の息子の愛をもって、あるべきところへ収まっていく。誤解しないでほしいが、これは彼女の「女性性」が“妻であること”や“母であること”に回収されたことを意味してはいない。山中瑶子『ナミビアの砂漠』にも例を見出せるように、彼女が必要としていたものは名声や即時的な快楽よりも対話の機会であった。ザ・ロネッツの実質的な活動休止(1966年)から一度目の離婚(1974年)に至る8年間、フィルが剥奪しつづけた機会を、いくつかの偶然の重なりの中で出会った仲間(chums of chanceとも呼べる)によって取り戻したという事実が、本書の幸福なエンディングの始まりであり、全編にわたる惨くもジョークに満ちたチアフルなムードの根源なのである。(髙橋翔哉)

Text By Shoya Takahashi


『ロニー・スペクター自伝 ビー・マイ・ベイビー』

著者 : ロニー・スペクター、ヴィンス・ウォルドロン
訳 : 安江幸子
出版社 : シンコーミュージック・エンタテイメント
発売日 : 2024年1月12日
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