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【From My Bookshelf】
Vol.28
『レスター・バングス 伝説のロック評論家、その言葉と生涯』
ジム・デロガティス(著), 田内万里夫(訳)
奏でるように、踊るように書け

13 June 2024 | By Ryutaro Amano

ひとは、なぜ音楽について書くのだろう。

この《TURN》にしたって、音楽やそれを取り巻くものごとについて、かなりの熱意をもって書かれた、知識や経験や技術が詰めこまれた文章がたくさん並んでいる。一方で、ポッドキャスト(ブームは過ぎ去りつつあるそうだけれど)やYouTubeで、あるいはTikTokやインスタグラムの短い動画で音楽についてしゃべったり紹介したりすることが主流になりつつある今、テキストというメディア、それを書き、読むことは、すくなからず相対化されつつある(それによって、テキストのいいところも見直されつつある)。

私がポップ・ミュージックについて書きはじめたのは、雑誌やインターネットで読める音楽について書かれた言葉に不満があったから、というのがひとつの理由だった。音楽誌やカルチャー誌に触れるようになった頃、ちょっと変わった雑誌(たとえば、《snoozer》とか《remix》とか《STUDIO VOICE》とか)に載っていたものには強く心を動かされたものの、音楽について書かれた大半の言葉はつまらなかった。受け売りのようなもの、プレスリリースや宣伝文をちょっと変形させただけのもの、情報や文脈を整理しただけのもの、当たり障りのないもの、聴き手の発見や聞こえてくる音の変化になんら資することがないもの、技巧も熱意も独自性もないもの、義務的に書かれた埋め草のようなもの……。音楽はこんなにも楽しくておもしろいのに、それらについて書かれた文章は、どうしてこんなにおそろしくつまらないのだろう、と思っていた。そういう苛立ちや飽き足りない気持ちが根っこのひとつにあったし、その思いは音楽について書くようになってから10数年が経った今でも、それほど変わっていない。自分は、おもしろい言葉、鋭い文章から音楽について教えられてきたし、音楽の聴き方を変えられてきたから。

私が「音楽について書かれた文章」と言った時に想定しているのは、けっこう狭くて古くさいものだとも感じる。いわゆる評論文や批評文と呼ばれるようなもののことを、私はいつも考えている(それが、生業のひとつでもあるから)。文章を書き、読み、共有することが徹底的に民主化されて、平板化され、等価になった現在、ファンダムの成員たちによる詳細な分析、細かな差異に対する感想、短く端的かつ感情的な言葉、あるいは妄想に近い深読みまで、Xなどで即座にシェアされて、すぐに流れて忘れ去られていく。言語化や発信や消費の距離は、ほとんどゼロに近くなった。

そんな中で、音楽についての批評文を書いたりすること、しまいには作者などの本人たちに話を聞きにいって、あれこれと聞きだして、録音した音声をわざわざ文字に起こして、読める文章に書きなおしたりすることは、ある意味で、とても変な行為だと思う。そのような面倒くさいこと、時間や手間がかかることは、上に書いたとおり今、するまでもないことだ。そもそも、多くのひとたちが昔からぶつくさ言っているように、音楽なんて「聴けばわかる」のだから、音楽について語る言葉なんて、ほんとうに必要なのだろうか(「音楽家がつくった音楽を聴いて、文章を好き勝手に書いているだけなのにお金をもらっているなんて、いいご身分だこと!」)。 それでも、だからこそ、結局、音楽について書いているひとたちは、とんでもない変わり者たちなのだろう。音楽を感受した時に、たとえば、心や身体が動いたりするように、頭の中から言葉が湧きあがってしまう。湧いて出た言葉をつなげたり調整したりしながら、一連なりの文章にしてしまう。そこに理由なんてたいしてなくて、まるで音楽を聴いた時に自然とダンスしてしまうように、音楽についてどうしても書かざるをえなかった、というか。書きたくなったから、書いちゃったんだから、しょうがない。

この本は、そんな変な人間たちの中でも特に変わった男の短い生涯を、綿密なリサーチにもとづいて描いている。

『レスター・バングス 伝説のロック評論家、その言葉と生涯』は、『Let It Blurt: The Life and Times of Lester Bangs, America’s Greatest Rock Critic』という原題で2000年に刊行されている。著者のジム・デロガティスは1982年、レスターが33歳で急死する2週間前に、高校のジャーナリズムの課題で「ヒーロー」にインタヴューをおこなうためにレスターに取材し、「次はお前の番だ」と焚きつけられた経験の持ち主だ。レスターの訃報を聞いて評伝を書くことを決意し、あらゆる資料に目を通し、225人もの関係者に取材したうえで、この本を書いている。デロガティスの強い執念や熱意には、目を見張るものがある。

その『Let It Blurt』が2024年に突然邦訳された理由は、よくわからない。レスターがライターとしてのキャリアを築いたロック誌《Creem》は昨年、彼の生誕75周年を祝って特集号を発刊しているが、そういうタイミングが関係していたのかどうかは謎だ。本書を出版したトンカチは音楽関係の本や、ましてやロックの評論書(しかも、これはミュージシャンではなくジャーナリストの評伝だ)を出しているわけでもないが、特設サイトのコメントによると、企画者である大森秀樹が「読みたい」という一心で旧知のトンカチに持ちこんだのだという。画家でもある訳者の田内万里夫は原書の出版当時に版権エージェントとして働いており、本のことも知っていたようで、「日本語版が出たら読んでみたいと思っていたところ」偶然、翻訳を頼まれたそうだ。海外の音楽批評やジャーナリズムが日本に紹介される機会が限られているうえ、レスターについて読める日本語の資料なんてまったくないわけで、英断だとしか言いようがない。

レスターは、《Rolling Stone》で1969年にロックについて書きはじめ、競合誌だった前述の《Creem》でキャリアを築き、《The Village Voice》などでも筆を揮ったロック・ジャーナリストである。一言でいえば、無鉄砲で無軌道、いかにも1970年代的で、きわめて奔放な人物。ルー・リードとのこじれた友情についてのエピソードがとりわけよく知られているが、パティ・スミスやブロンディなどとも奇妙な関係を築き、ロックが大きく変化していった時代――サイケデリック・ロック、ヘヴィメタル、パンク、ポストパンク/ニュー・ウェイヴの嵐の中を生きた証人だった(ザ・ローリング・ストーンズの、いわゆるオルタモントの悲劇の現場にもいた)。気にいったものは徹底的に持ちあげ、気にいらないものはこっぴどく酷評し、たまに掌を返して評価を逆転させ、タイプライターを打ちながら酒やドラッグに溺れ、ロバート・クワインらと音楽活動も繰り広げた。

本書は、J・ガイルズ・バンドとの有名な逸話から幕を開ける。レスターはタイプライターを「楽器」として携えて、バンドのステージに参加したのだ(壇上でレビューを書く、というパフォーマンスだったが、レスターが実際に打っていたのはでたらめなキーだった)。生々しい描写から、レスターの「演奏」と当時のムードが映像的に伝わってくる。

デロガティスはレスターが駆け抜けた人生を執拗と言えるほどに細かく追っていくが、繰り返し強調されるのがエホバの証人の信者だった母ノーマとの関係性で、彼にとっての母という存在、そして母子の間に横たわっていた宗教や信仰の問題を掘り下げている。どこか精神分析的というか、すでに亡くなったレスターのセラピーじみてすらいるが(デロガティスはレスターの精神科医にも取材している)、実際、彼にとって生涯を貫く問題だったことは想像にかたくない。それゆえに、荒々しいゴンゾー・ジャーナリストの代名詞のような彼の繊細さ、傷つきやすさのようなところも、たびたび記されている。

そして、ロック・ジャーナリストの権化であるレスターが、高校2年生まではジャズに入れあげ、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズと出会う1964年まではポップ・ミュージックを軽蔑していた、という点も興味深い。1976年、ジャマイカへレゲエの取材に行った際には、ボブ・マーリーの取材そっちのけでバーニング・スピア、トゥーツ&ザ・メイタルズ、リー・ペリーなどをいち早く讃えたという逸話も重要で、彼の音楽的な嗜好の幅広さと美意識の一貫性が垣間見える。エピローグにある、歴史に埋もれたレスターの音楽活動がオルタナティヴ・カントリーのルーツとして捉えられている、という指摘も興味深い。

細かなジャンル分けよりも、すべてを「ロックンロール」というシンプルな一語にぶちこむことを優先したレスターだったが、彼のレンズを通すことで、教科書的なロック史を知ったつもりでいるだけでは見えてこないアメリカのロック史が見えてくることは、目から鱗だった。J・ガイルズ・バンドやZZトップのような、いかにも白人的でマッチョで泥臭いブルーズ・ロックと、1970年代後半のニューヨークで盛り上がった混沌としたノー・ウェイヴは、一見断絶しているように思えるものの、レスターの人生を追うと、連綿と続いている「アメリカン・ロック」としてシームレスにつながっていなくもないことがわかる。

ザ・クラッシュのツアーに帯同した経験からパンクに幻滅したこと、「ホワイトノイズ至上主義者」という人種差別についての原稿を書いたこと、あるいはフェミニズムに関する記述など、ステレオタイプなイメージから離れて、レスターが複雑な多面性を有する書き手だったことをつまびらかにしているところも、現代的な視点が張り巡らされていて読みごたえがある。

私のような読者にとって重要に思えるのは、なにより、『レスター・バングス』がアメリカのロック・ジャーナリズムと雑誌、ライターたちやジャーナリストたちと編集者たちの輝かしい時代を掘り下げていることだった。つまり、本書はレスターを中心にしたアメリカのロック評論・批評史でもあって、そこにわくわくさせられる。グリール・マーカスやデイヴ・マーシュ、リチャード・メルツァーやニック・トッシュらノイズボーイズ、あるいはハンター・S・トンプソンに漫画家のロバート・クラム……ニュー・ジャーナリズム、ゴンゾー・ジャーナリズムの時代にロックやポップ・ミュージックと関わりながら活躍した書き手たちがレスターと絡まりあいながら現れる群像劇的な様には、興奮せざるをえない。

この時代のロック・ジャーナリズムは、音楽産業の巨大化や空虚化と軌を一にしている。大金をかけることで大がかりかつ豪勢になっていくプロモーションとメディアや批評の変遷、そしてディスコやニュー・ウェイヴの時代に突入したことで1970年代的なジャーナリストたちの居場所がなくなっていく様子がありありと浮かびあがってくるのだが、そんな虚しさが極点に達しようとしていた1982年にレスターがこの世を去ったことは宿命的に思える。彼の死を美化し、物語化するつもりはないものの、少なくとも1980年代のアンダーグラウンドでの動きがグランジに結実する1991年頃まで、レスターの居場所はアメリカのロック・シーンにほとんど存在しなかったにちがいない。

冒頭の話に戻ろう。レスターは、なぜ音楽についての文章を書いていたのだろう。

「音楽と本こそがこの世のすべてって感じだった」というのはレスターと親しかった甥のベンの証言だが、ジャック・ケルアックやウィリアム・S・バロウズなどのビートニクに心酔し、ロックンロールの稲妻に打たれた自惚れ屋の少年が、「音楽と本」の世界に身を投じる手段として自らの内からあふれだす言葉を書き連ねざるをえなかった、というのは自然なことだ。それはまた、幸福だったとは言いがたい10代の頃の環境からの逃避の術でもあったはず。

レスターは、音楽を奏でるように文章を書いた。本書の前半には、いくつかの重要な記述がある。本人の言葉では、

「(前略)自分が本物の芸術家ではないことならよく知っているし、またそうなりたいとも考えてはいない。傑作を生み出すことなどないだろう。だからなんだっていうんだ? 自分のなかに鳴り響くサウンドがあるのを知っているし、たとえそのサウンドが無惨なものにすぎないとしても俺自身にとって大いなるプライドであることに変わりはない。なぜなら俺は頭のなかで鳴り響くブーガルーに合わせて腰を振り踊りまくるダンサーのごとき書き手でありたいのだし、(中略)本を読んで尻をうずかせる読者にこそ響く、そういうものを書くべきだからだ」(P.57-58)

あるいは、

「どこを見渡しても俺が読むべきものが見つからない。(中略)『ローリング・ストーン』でさえ誌面を埋めているのは面白みに欠けるありきたりな人々の肖像でしかない(後略)」

『ローリング・ストーン』の求人の自社広告に目を留めたレスターは、読むに値するものを書くライターがどこにもいないのであれば自分で書くほかないと腹を括った。(P.92-93)

そして、

音楽に備わるリズムとエネルギーとを文章に取り入れながら、フィクションを書くことで培ってきた「自由で創造性に富んだ展開」をそこに掛け合わせるのが彼の目指すところだった。(P.98)

「読むに値する文章なんて存在しないじゃないか」と憤った、「自分のなかに鳴り響くサウンド」を知る若者。ロック・クリティシズムの世界に自ら飛びこんだ、「ダンサーのごとき書き手」。恥ずかしながら、そしておそれ多くも、レスターの姿勢に私はどうしても共感してしまう。

権利の問題なのか、原書にある多数の写真が本書にはほとんど掲載されていないのが残念でならない。また、巻末の取材協力者や参考文献の膨大なリストがカットされているそうで、その点は訳書として配慮が欠けていると感じる。

ただ、大森やトンカチの熱意には敬意を評したいし、田内による翻訳の質も高いと思った。彼らは、レスターの2冊の評論集――『Psychotic Reactions and Carburetor Dung: The Work of a Legendary Critic』(グリール・マーカスが編纂したもの)と『Main Lines, Blood Feasts, and Bad Taste: A Lester Bangs Reader』(こちらの編者はジョン・モースランド)を奥田祐士による訳で出版予定だという。米英のポップミュージックについての重要な評論が訳されてこなかった日本の状況において、とてもありがたいことだ。

レスターの文章は翻訳不可能だ、なんて言われる。それは、インターネット上で今も読める彼の文章に触れればよくわかる。とはいえ、同時に、あらゆる外国語の文章は根本的に翻訳不可能だとも言えるわけで、訳文の中にレスターのリズムやビートやメロディが、彼の吐き散らす唾が、シャワーを浴びないがために漂わせている臭気が宿っていればそれでいいと、私は思う。レスターの「自分のなかに鳴り響くサウンド」が感じられるような日本語の文章が届けられることに、大いに期待している。(天野龍太郎)

Text By Ryutaro Amano


『レスター・バングス 伝説のロック評論家、その言葉と生涯』

著者: ジム・デロガティス
訳:田内万里夫
出版社:トンカチ
発売日:‎2024年5月1日
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