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【From My Bookshelf】
Vol.27
『ジョアン・ジルベルト読本』
中原仁(監修)
神格化から距離を置く、音楽そのものの実像

30 May 2024 | By Fumito Hashiguchi

「彼らの反応というのは、おそらくは自身の社会の行動規範のようなものに厳格に制限されていたのだと思う。しかし私にはそれが、自然な喜びなりといったもののすべてをそのまま表に出させないようにといった意図で組み上げられているようにしか思えなかった。それぞれの曲が終わると、なるほど彼らは小気味よく熱心な拍手をくれた。しかしそれが奇妙なまでにきっちりと揃っているものだから、どうにもよそよそしい、強制されたもののようにしか響いて来なかった。しかも始まった時と同様出し抜けに止んでしまう。かくして次の曲を始めるまでには長い沈黙が生じてしまうといった具合だった。

(中略)よし彼らにそんなつもりはなかったとしても、この夜の観衆には、なんだか命の源をじわじわ吸い出されているような気持ちにまでさせられた。失敗も災厄めいた事件も一切なかったというのにステージはどこか寒々しく、むしろついに死産のまま終わってしまったなにがしかの事件のようだった。意味のありそうなこともあまり見つけられなかったし、そもそもがそんなことは起こりそうに思えなかった」
(トレイシー・ソーン『安アパートのディスコクイーン──トレイシー・ソーン自伝』

いきなり長い、しかも他の書物からの引用になってしまったが、トレイシー・ソーンが、エヴリシング・バット・ザ・ガールとして1990年に日本で行ったコンサートの観衆について書いたこの文章を読んだとき、すぐにジョアン・ジルベルトの2003年9月初来日公演時の話を連想した。本書にはこうある。

演奏中は物音ひとつ立てず、くしゃみも咳払いもせず静かに聴き入り、終われば万雷の拍手を送り、ジョアンが次の曲に備えて指をギターに乗せたところで申し合わせたように拍手を止める聴衆。これも、ジョアンが言うスペシャルなアンビエントを作った出演者だった。
(中原仁「ディスコグラフィ 『João Gilberto in Tokyo』」)

彼は昂揚した様子でいつになく饒舌だった。「こういうオーディエンスを何十年も捜し求めていた。静寂とエキサイト、光と陰、自然とテクノロジー、秩序と進歩、すべてがパーフェクトだ。日本は素晴らしい。日本の田舎に家を買う。日本に住むんだ。僕の心と日本人の心が一つになった、僕は一人一人に向けて歌った。僕は一人一人の心を感じていた。分かるだろう。日本は素晴らしい。なんて綺麗なパンフレットなんだろう。20冊買いたい、友達に日本人のセンシビリティーを教えるんだ。アリガト、ジャパゥン、ジャパゥン……」。
(宮田茂樹「ジョアン・ジルベルト来日公演 『奇跡』が現実に形を変えるまで」)

なぜジョアン・ジルベルトはこうも日本の観客を絶賛したのか。彼は聴衆に何を求めていたのか。そもそも彼とは一体どういった人物だったのか。宮田氏による初来日公演にまつわる様々な顛末を詳細に描写した魅力的な文章や、公演のミキシングを担当した音響エンジニア・近藤健一朗氏へのインタヴューからうかがい知れるジョアンの人となりには、ついそういった疑問や興味で頭をいっぱいにさせられてしまいそうにもなる。しかし、本書は音楽家ジョアン・ジルベルトの全貌を明らかにするために編まれた「読本」であり、ジョアンの人物像や日本との不思議な関係についてのみ書かれたものではない。むしろそういった興味を引きがちなエピソードからは慎重に距離を取り、とかく神格化されがちな彼(なにしろ「ボサノヴァの法王」であり、「パジャマを着た神様」である)の音楽そのものの実像に迫る内容となっている。

前半には監修者である中原氏による、バイオグラフィとディスコグラフィが並び、まずはジョアンの音楽活動の全体像が明らかにされる。写真家、土井弘介氏による1977年のポートレートと、ベベウ・ジルベルトへの気の置けない雰囲気のインタヴューを挟み、後半はより深い論考が並ぶ。

ジョアンと言えば、小節や自身のギターのグリッドを自由に飛び越える、ズレや揺れ、伸縮のある歌唱が特徴である。国安真奈氏は、それが技巧や曲芸の類いではなく、歌詞の意味を損ねないよう、自然な発話の響きに重きを置いた歌唱技術であることを、ブラジル・ポルトガル語の特性の段階から説明してくれる。そのように大切に歌われる歌詞がどういったブラジルの歴史と土壌に由来するものであるかは福嶋伸洋氏が5曲の事例を挙げて解説している。

伊藤ゴロー氏、高橋健太郎氏の各論では、ギターのコードワーク、各アルバムの音像とスタジオ環境の考察、アントニオ・カルロス・ジョビンの楽曲「三月の水」のコード進行の変遷など、音楽家/演奏者/録音技師としての視点が大いに発揮されている。共に1973年のアルバム『三月の水』について少なからず言及しているのが印象的で、バイーアでもブラジルでもない、まるで白い宇宙のような場所でひとりサンバを奏で歌っているような、ある種何かを超越してしまっているこのアルバムを中原氏もディスコグラフィ欄で「最高傑作だと思う」と述べている。

2007年に『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』という、ジョアンがカヴァーしてきた戦前の古典的なサンバのオリジナル・ヴァージョンをまとめた編集アルバムをリリースした田中勝則氏は、そのCDの解説を敷衍する形で、各楽曲の歴史的背景を詳細に述べながら、ジョアンがどういったサンバ・アーキヴィストであったのかを明らかにしていく。本書には、序文に続く位置に置かれた中原氏による概論的文章のタイトルが「ジョアン・ジルベルト、究極のサンビスタ」であるように、前提としてジョアンをまずはサンビスタ(サンバを愛してやまない人物)として認識する姿勢があり、そこに個人の才気よりも共同体から生じる文化に重きを置いていたかつてのミュージック・マガジン社の伝統のようなものも感じてしまう。本書を『ブラジル音楽のすばらしい世界』(1979年)、『ブラジル音楽なんでも百科』(1981年)、『ヴィヴァ! ボサノーヴァ』(1998年)に連なる同社のブラジル音楽本として捉えることも可能だろう。

巻末には全曲解説が置かれ、その後に編集部・浜田悠作氏による「発掘音源、アーカイヴなど」がある。その中の最後、つまりは本書の一番最後にあたる箇所に、YouTubeにアップロードされた“João Gilberto e as buzinas” というタイトルの音声が紹介されている。

2003年6月28日、フランス・リヨンの音楽フェスへの出演時、会場の外で行われていた労働者たちによるデモ隊の「騒音」にジョアンはこのように反応し、このように動いた。彼が、世界とは様々なサンバの集積体であると考えていたことを証明するような、あるいは彼の声とギターによって世界がサンバ化する様を目の当たりにしてしまったような驚きの2分間だ。本書を読んだ中で、個人的に最も心を動かされたのが、この音声とそれを紹介する浜田氏の文章であった。そしてこれらは、先に述べた日本公演時の話とは全く異なる方向から、彼とはどういった人物であったのかという疑問に答えてくれていると思う。(橋口史人)



Text By Fumito Hashiguchi


『ジョアン・ジルベルト読本』

著者:中原仁(監修)
出版社:ミュージック・マガジン
発売日:‎2024年4月22日
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