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来日ツアー直前! 海外メディアが軒並み最高評価を与える最新作『ナウ・オンリー』にみるフィル・エルヴラム a.k.a マウント・イアリの歌うこと、生き続けることの真理

22 March 2018 | By Tsuyoshi Kizu / Shino Okamura

「歌とは業なのか――最愛の人の死を前に歌の無力を呟いていたフィル・エルブラムは、しかし歌を作り続け、新しいアルバムを「僕はきみに歌う」という言葉で始める。もうこの世にいない人のために。
いまにも壊れそうなアコギのアルペジオ、いくらかのディストーション・ギターとノイズ、あまり音程を取らずに揺れるメロディ。それは死に対して弱々しく震えるしかないわたしたちのなかに染みわたっていく。
人生は続く。歌がそれでも続くように。フィル・エルヴラムは日本のステージの上から、「きみのために」小さな歌をそっと差し出すだろう」――木津 毅

先ごろ行われた第90回アカデミー賞授賞式。そこでスフィアン・スティーヴンスが歌曲賞にノミネートされていた映画『君の名前で僕を呼んで』への提供曲「Mistery Of Love」を披露した時の様子は、それが華やかなセレモニーの現場とは思えないほど整然としていて、ある種、荘厳でさえあった。セイント・ヴィンセントことアニー・クラーク、モーゼス・サムニー、クリス・シーリー(パンチ・ブラザーズ)、ジェイムス・マカリスター、ケイシー・フォーバート。ファンでなくても観ているだけでワクワクするようなメンツを従えているにも関わらず、スフィアンはそこにポツンと一人佇むように歌に向き合っていた。どれほど多くの賞賛を浴びても、どれほど高い評価を得ても、そしてどれほどの富を手に入れたとしても、優れた表現者にはきっと孤独がつきまとう。「ヒーローはいつだって孤独と常に闘っていると思うんだ」。スフィアン初来日の際、筆者との取材の終わり際にポロリと零したそんな一言を、このアカデミー授賞式の模様を観終えた後にふと思い出していた。「孤独と戦う」――そのあまりにも凡庸で使い古された言い回しの真理を今更ながら空中に求めながら。

《Pitchfork》では8.5点でBEST NEW MUSIC獲得。《Tiny Mix Tapes》では星5つで満点。おそらくこれから公開される他の海外メディアも追随するように大絶賛となることだろう。リリースされたばかりのマウント・イアリのニュー・アルバム『ナウ・オンリー』。そして、筆者はこのアルバムを聴きながらやっぱり空中を見つめてしまう。「孤独と戦う」とはどういう真理のもとに働くものなのだろうかと。これほど汚れなく命の脆さと尊さを問い、だが、そこに打ち克とうとも、ひれ伏そうとしているわけでもなく、ただ、ただ、その現実に任せるだけの痛々しいアルバムもない。少なくとも筆者は、やはりこれまでに数えきれないほど多くの賞賛と高い評価を受けてきたインディー・ヒーローであるスフィアン・スティーヴンスの『キャリー・アンド・ローウェル』(2015年)や、あるいはボン・イヴェールの『For Emma, Forever Ago』(2008年)の持つ“清廉な死臭”に、そっと相槌を打つことが許される唯一の作品ではないか、と感じている。

ワシントン州アナコーテス出身のフィル・エルヴラムが我々の前に現れてからもう20年ほどが経つ。90年代終盤、オリンピアのKレコーズからザ・マイクロフォンズとして作品を発表するようになったフィルは、《Pitchfork》のその年の年間ベスト・アルバムを獲得した『The Glow Pt.2』(2001年)のように常に高い評価を得て、着実にキャリアを重ねてはきているが、しかしながら、決して華やかなヒーロー街道を歩んできたわけではない。丁寧に声を言葉とメロディに寄り添わせ、一つ一つの音を丹念に重ねては奥へ奥へと広げていくような音作りに没入しつつ、最終的には自分の息遣いにしっかりフィットできるスタイルを慎重に選んできた。ある人はそんな彼をオルタナ時代のフィル・スペクターと呼ぶかもしれないし、ある人は歌心を手放さないミニマリストと称えるかもしれない。ともあれ、例えば00年代半ば以降、ブルックリン勢(ダーティー・プロジェクターズ、ザ・ナショナル、グリズリー・ベアら)の大躍進や、ボン・イヴェールやフリート・フォクシーズらの世界ブレイクによってインディー解放と飛躍が高らかに轟いた時も、マイクロフォンズからマウント・イアリへと名義を変えていたフィル・エルヴラムは、常に一定の高評価をキープしつつも、そうした周囲の喧騒に全く動じることもなく自身の作業に邁進していた。ほぼ休むことなく黙々と作品を発表し続ける姿からは、むしろポップ・ミュージックたる在り方に過剰にアートフルな側面を持たせまいとする奥ゆかしい主張を感じることもできた。もちろん、そこには常に「孤独と戦う」ことの意味を問い続ける彼の哲学はあったのだが。

だが、そんなフィルが昨年リリースした『ア・クロウ・ルックト・アット・ミー』はあまりにも哀しい、あまりにも儚い、それゆえにあまりにも大きな衝撃を放つ作品だった。フィルのパートナーであり、ドローイング/コミック・アーティスト、音楽家として活躍するジュヌヴィエーヴ・カストレイが進行性の膵臓癌により35歳の若さで死去。コンポーズの成熟を伝えるアルバム『サウナ』を発表し、私生活では待望の子供も誕生したばかりだったというのに、その妻は我が子の成長を見届けることもできずにこの世を去ったのである。残されたフィルはその直後に妻が病魔と闘っていた自室で彼女が使っていた楽器で録音を開始。要らぬ手は加えない。録音機材もチープだ。まるで、亡き妻の魂を静かに会話をするような歌。そこにいるべき人がいないという悲痛な現実と向き合いながら、声と言葉をただ、ただ、刻み込む。そう、ただ、ただ、余計な感情を一切持ち込まず、死が現実だと綴ることで、フィルは「孤独と戦おう」としているかのようだった。9.0点によってBEST NEW MUSICを獲得したその時の《Pitchfork》のレビュー・ページにはこんな見出しがつけられた。“彼女(亡き妻)の記憶だけではなく、生き続けることの意味について静かに瞑想する作品だ”と。

在りし日のジュヌヴィエーヴがハリウッドのブックショップを訪ねたトーク・イベントの模様

そこから1年経たずして先ごろ届けられた『ナウ・オンリー』はその続編的な位置付けのアルバムだ。もちろん変化はある。6曲入りながら長尺の曲が多い上、ドラムやディストーション・ギターを用いた演奏が前作との違いをサウンド面において微細に伝えている。そのヘヴィーで重い音はまるでフィルの内的葛藤を象徴しているかのようだ。だが、最も心を揺さぶられるのは、妻の死をきっかけに過去を手繰り寄せるかのごとく回想録を読んでいるようなそのリリック。妻亡きこれからの人生を生き続けるため、遠い記憶を整理しようとしているような記述が、聴き手である筆者の体を容赦なく貫いてくる。誰にでも訪れる訣別が現実の厳しさとなって。

《Stereogum》に掲載されたフィルの最新インタビューで、フィルはこう語っている。「時間軸を飛び越えて曲を書くことは、人生がどのようなのかを正確に表現するようなものだ」。収録曲の一つで10分以上もの大作「Distortion」は、母親と人生について会話をしていたまだ小さかった頃の自分からジュヌヴィエーヴを失うまでの思いを書き残した日記のような歌詞だが、その歌詞の最後は、今流した涙には仄かに光が輝いている、と閉じられている。フィルは過去から未来へと時間を越えて曲を書くことで、生き続ける意味、孤独に人生を歩むことの真理を描こうとしているのではないか。そこから伝わってくるのは、そう、「生き続けること」は「孤独と戦うこと」。

そして、この曲のリリックを辿りながら思い出したのは、やはりスフィアン・スティーヴンスのアルバム『キャリー・アンド・ローウェル』に収録されている曲で、小さい頃の記憶を過去の風景、そして現在の風景として捉えた曲「Should Have Known Better」だった。過去はずっとこれからも過去として葬り去られて行く。そこから逃れるには生き続けるしかない。そして歌い続けるしかない。そうするしか孤独は更新されていかないのだ。そう、永遠に消えることのない孤独と戦うことは、歌い続けることでもある。それはある種無益なことであり、滑稽な作業なのかもしれない。だが、幼い我が子と暮らす生活はたぶん穏やかな日々ばかりではないことをわかった上で、それでも、きっとフィルは歩みを止めることなく真理を形にしていくことだろう。これが歌うってことだ。これが生きるってことだ、と。(岡村詩野)

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Text By Tsuyoshi KizuShino Okamura


Mount Eerie

Now Only

LABEL : 7 e.p.
CAT.No : epcd105
RELEASE DATE :2018.3.16
PRICE : ¥2,200 + TAX

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