《フジロック・フェスティバル2018》を振り返って~
ヒップホップもソウルもロックもカントリーも……出演アーティストたちが互いに反響し合い補完し合う現在のシーンの理想的な縮図
台風12号の影響を受けて2日目は荒天に見舞われた《フジロック・フェスティバル2018》。初めてYouTubeでの無料ストリーミング中継も実現させるなど、苗場スキー場での開催も20年という歴史を誇りつつも、なお次なる挑戦に目を向けようとする主催側のアクティヴな姿勢も感じさせた。しかし、それ以上に注目すべきは、ポピュラー音楽の歴史の縦軸と横軸を意識したような、あるいはそこを立体的にクロスさせるかのような出演アーティストのラインナップと、それに見事に応えてくれたそれぞれのパフォーマンスだ。そこで、開催から半月ほど経過した今、改めて今年のフジロックが遺したテーマを振り返ってみるべく、《TURN》筆者3名に鼎談をしてもらった。なお、事務局が発表した来場者数は、7/26(木)の前夜祭が17,000人、7/27(金)が30,000人、7/28(土)が40,000人、7/29(日)が38,000人、延べ125,000人となっている。(トップ写真:宇宙大使☆スター)
山本大地×尾野泰幸×高久大輝
(司会、構成:岡村詩野)
――山本さん、尾野さんは3日間、高久さんは土曜日のみの参加だったとのことですが、今年はYouTubeで初めてストリーミング中継されたということもあり、全日参加ではなくても味わえたという方も多かったと思います。まず、雑感として今年のラインナップを最初にどのように感じていましたか?
山本大地(以下Y):やはり第一弾で発表されたケンドリック・ラマーのインパクトですよね。2015年の『To Pimp A Butterfly』以降、ヒップホップを超えて商業的にも批評的にも世界で最も成功したアーティストになった。その一方で、グラミー授賞式や《コーチェラ》でのパフォーマンスも日本でも話題になりながらも、『To Pimp A Butterfly』以降の来日は叶っていなくて、実現しないんじゃ無いかなんていう声さえあった。そんな中での今年のヘッドライナー出演。ただ当初、ケンドリック・ラマー以外は、全体的に今年のラインナップは「弱いなあ」という印象がありました。
尾野泰幸(以下O):バランスをとってきたなというのが第一印象です。山本さんもおっしゃったように、ケンドリックやポスト・マローンというヒップホップをしっかりと並べ、かつヴァンパイア・ウィークエンドを筆頭に、新作が出たダーティー・プロジェクターズ、MGMTのようなロック・バンドを並べる。というように、ヒップホップに目を向けつつ、ロック・バンドもカバーするというようにですね。
高久大輝(以下T):僕は第一弾の段階で「ケンドリック!!! ありがとう!」という気持ちで、それだけでも十分だな、くらいだったんですが、ポスト・マローン、N.E.R.D、アンダーソン・パックなどヒップホップ的には今までにないくらい充実している印象で、3日間通して参加したい気持ちにさせられました。実際3日間は参加できなかったのですが今年は配信があったのですごくありがたかったですね。
Y:当初はケンドリック・ラマー、後から発表されたボブ・ディランを除けば、もちろんポスト・マローンやオデッサなんかはいましたけど、グリーン・ステージのトリから3つ、ホワイト・ステージ、レッド・マーキーのトリ辺りの上位のスロットが、昨年と比べても「いま」注目したいビッグ・アーティストが弱いなあと思って。それは対照的に《サマーソニック》がチャンス・ザ・ラッパー、マシュメロ、ショーン・メンデス、J・バルヴィン、テーム・インパラ、パラモアとかが並んでいたから余計に感じたのだと思いますが。でも、尾野さんが言ったように、バランス良く、特に最終日にはインディ・ロック、R&B、カントリーまで若いアーティストが盛り上げていて、やっぱりフジロックなりの見せ方が出来ていたのでは、とは思いました。
――では、まず初日からいきましょうか。印象に残っているアクト、意外な発見などはどうでしたか?
Y:私としては一番アツくなったのは、パーケイ・コーツ(http://turntokyo.com/features/features-parquet-courts/)、そして夜遅くに見たナサニエル・レイトリフ&ザ・ナイト・スウェッツ(http://turntokyo.com/features/features-nathanielrateliffandthenightsweats/)ですね。どちらも《TURN》で事前に特集記事が出ましたが、前者はそこでも書かれていた通り、以前は「DIYのお手本」という感じで「小さな倉庫みたいなヴェニューに集まった人たちを楽しませるローファイ・バンド」みたいな感じだったんですが、今回ライブ見たときには、あのホワイト・ステージの一万人近くのオーディエンスさえ楽しませられるデッカいバンドに成長してたのが感じられて。クールで皮肉なイメージだったバンドが、ステージ上で踊りながら皆を必死に盛り上げさせようとしていたのが感動的でした。3日間で一番よかったロック・バンドの一つでしたね。後者も、その日はCRYSTAL PALACEって小ちゃいテントの出演だったんですがそれがアメリカの田舎のダイナーみたいな雰囲気と近い感じがして、お似合いで。おじさん達が「俺たちにはこれしかねえ」みたいな感じでルーツ・ロックを好き放題やってるみたいなのがとにかく最高で。来た人もその独特のムードだったり、ああいう音楽ならではのオープンなノリの良さを楽しんでいて、良いシーンでした。
T:ナサニエルは2日目にも出演していたのですが、まさにケンドリックの真裏で観れなかったのが残念です。木津毅さんが《TURN》で書かれていましたが、アメリカという国の多様性が垣間見えるステージになっていたのか、実際観たかった人も多いと思います。
――パーケイ・コーツはガレージ・パンクなどと紹介されることが多いですが、山本さんが観た印象では、どういうバンドに近かったですか?
Y:うーん、このバンドってすぐに出てくるものはないんですが、「インディー」っていう言葉の固定観念を忘れさせてくれるような。例えば70年代なんかのロックがもっとエンターテインメント的だった頃の感じを見せてくれた気がしました。楽しくて、かつ皆が気持ちよく歌うようなシーンもあって。ただ、まだ日本ではあまり知名度が強くないバンドなので、「特にヒップホップやEDMを見に来た人も!」みたいな感じがなかったのは残念でした。すごくいいパフォーマンスだっただけに……。
初のストリーミング中継で在宅フジロッカーはどこまで楽しめたのか
ポスト・マローン Photography by Masanori Naruse
O:今回のフジロックでは高久さんもおっしゃったように配信が一つの大きな要素だったように感じています。僕と山本さんは3日間現地にいたわけですが、初日のポスト・マローンを「配信で」見た高久さんは、そのアクトをどのように感じ取ったのか、聴いたのかすごく気になります。
T:(ネット)障害などを考えず比較的安心して観ていられる、というのが配信を観てすぐ思ったことですね。ポスト・マローンのアクトは同じように《コーチェラ》でも配信で観ていたのですが、そちらでのパフォーマンスと遜色ないものだったとも思います。スニーカーでお酒を飲むのは笑いましたし、ああいった歌ものもイケるラッパーがこういったきっかけで日本でもどんどん認知されるといいなと思ったし、そうなるだろうと思わされました。あのチャーミングな笑顔にやられた人も多いと思います。
――配信はカメラ・アングルも結構多く、丁寧に中継していた印象でしたね。確かにコメント欄が荒れてしまっていたようにも見受けられましたが、ストリーミング中継に慣れていない層もきっと多くいたのではないかと推察します。来年以降も続けていってほしいですね。
O:配信環境については、今回配信のスポンサードにソフトバンクがついていたのが大きいのかもしれませんね。トヨタが北米でフェスのスポンサードに積極的になっているという(http://jaykogami.com/2018/07/15324.html)ことがあるように、若者向けの企業ブランディングとして企業がフェスに投資をしていくという動きが、今回は配信とセットという新たな形で見ることができたのは今回のフジロックで感じた大きな変化の一つでした。家族ができてとか仕事でとかで足が遠のいている方も多くいそうですし、そもそも高年齢化が進んでいるフジロックの客層の中で、若者にフジロックで来日する海外アーティストを体験する良いきっかけになるのではないかとも思いました。今回は高久さんがまさに仕事で行けないけど配信は見れる!という感じだったようですし。
T:ポスト・マローンを配信ではなく現地で観た山本さんはどうでしたか?
Y:後方で見ていましたが、人もしっかり入っていたし、シンガロングはそんなにないにせよオーディエンスのリアクションも全般的に熱くていいライブになってたと思います。あと、彼の声が、当日の調子もあるのか、音源とは違ってまさにロックスターばりのドスの効いたような声で、全くラッパー然としていなかったのが印象に残ってます。例えば、同じようにトラップのビートを使っているラッパーでもああいうタイプは見当たらないし、むしろ周囲は大抵マンブル・ラップだし彼は独特に感じましたね。あと改めて彼のヒット曲はラップというより歌モノで間口が広いなあと思いました。
T:ステージの上でタバコを吸って酒を飲んで、ギターを壊して……ギターを弾くのもそうですが……っていうなんとなくステレオタイプなロックスターのような振る舞いを、イヤミなくできるのも彼の強みですよね。そういったラフさは間違いなく日本でもウケるのではないかと思います。またフューチャーなどと比較してイリーガルな匂いをあまり感じないところもポイントかもしれません。他にはN.E.R.Dも配信で観ました。個人的にはすごく盛り上がったんですが、現地ではどうでしたか?
Y:インターネットでは、「全然盛り上がってない」といった声があったみたいですが、少なくとも現地で見ていた限りではそこまで感じなかったですね。N.E.R.Dはヒップホップとロックを上手くブレンドして、かつ、とにかく皆が楽しめるようなアッパーな曲を容赦なく披露するので、彼らの全てのシングル曲をマークしていないような人もすごく楽しんでいたと思いますよ。そういうエンターテインメント性こそが彼らの何よりの魅力だなあと思いました。確かに、ファレル・プロデュースのミーゴスの「Stir Fry」とか最新ヒットの反応はイマイチだった気がしてそこは複雑な気持ちでしたが。
未来を見る視点を持った圧倒的なケンドリック・ラマーのステージ
ケンドリック・ラマー Photography by: Christopher Parsons for Top Dawg Entertainment
――では、二日目にいきましょう。なんといってもこの日はケンドリック・ラマーが大きな注目でした。来場者数もやはり土曜が一番多かったようですが、まずはこのケンドリックをどう観たか。ケンドリックが出るから参加したという高久さん、どうでしたか?
T:一言でいうと圧倒的だったのですが、普段オーディエンスに任せているパートも歌っていたり、ケンドリックが日本に寄り添っているな、という印象も受けました。個人的に最近はラップを聴く機会が比率的にどんどん多くなっている中で、フジロックでロック・バンドの演奏を観て、自分はどうして今ラップを聴くのか、どうしてケンドリックのステージをこれだけ楽しみにしているのかという自問も持ちながら観たのですが、ケンドリックのこちらに寄り添う視点の他にもっと遠くをみるような表情も見えて、未来に希望を持てるからなのかなと思いました。これは仮説ではありますが、彼は”今”と同時に僕らの子や孫の世代、あるいはそのもっと先をみるような、人間の一個体では把握できないタームでの未来を観る視点があるようにも感じたりしました。
O:僕はPA横で見ていたのですが、今回のツアーで使用されていたオープニング映像がひとしきり終わってしばらくの暗転の後、ケンドリックが登場して「DNA」の“I got, I got…”のフローが聞こえた瞬間の高揚感は特別でしたね。一気に空気が変わりました。バック・バンドがしっかりといたこともあり、ケンドリックのライミングと合わさって90分程度のセットをしっかりと踊りきらせて、聴かせてあっという間に終わらせてくれたことは、現在のポップ・ミュージックの最前線であるケンドリック・ラマーのすごさを感じた経験でした。
Y:僕は2013年のフジロックのケンドリック・ラマーが出演した日は行けなくて、今回が彼のライブは初めてだったのですが、終盤からなんかボロボロ泣いてしまったんですよ。特に最後の「All The Stars」辺りで。ケンドリック・ラマーというともちろん商業的にも大成功しているアーティストで、僕も『Good Kid, M.A.A.D City』が凄い評価されているのを知った時に彼を知って、あのアルバムは夢中になって聴きこんだものですが、『To Pimp A Butterfly』以降のケンドリック・ラマーは「好き」な一方で、とにかく「引用、比喩、ラップのテクニック、歌詞の意味そのもの、全てのパラメーターにおいて追い付くのが大変になってしまった」というイメージが同時にあって。アートとしても最高峰になって、果たして僕は彼のライブを見て夢中になって楽しみ切れるか。「皆は理解してるみたいだけど、~がわからなかった」とかならないか、とかちょっぴり不安もあったのですが。でも始まってみれば、私たちとしっかりコンタクトを取りながら全曲盛り上がらせてくれて、僕も特に『GKMC』の曲は大声出して歌って、とそうしているうちに気付けば彼が物凄い近しい存在に思えたんですよね。B級映画的なカンフーケニーの演出がキャッチーなのも一つの要因だったと思いますが、最後には「苦労しながらだけど夢中になってたくさん音楽聴いたり、それで色々執筆したりとか、やっててよかったじゃん」とさえ思えて感動したんですよ。
O:山本さんがおっしゃるように、何らかのカタルシスがあるライブだったことは僕もすごく同意です。一体何だったんだろうとさえ思います。
T:彼を近くに感じた人はすごく多いと思うんですよね。オーディエンスにあまり任せなかったこともそうなのですが、そういったパフォーマンスができる理由を考えた時に、以前日本人のラッパーC.O.S.Aが言っていた「ラップは音楽だけど、街は好き勝手に言うことを許してはくれません」という言葉を思い出して。ケンドリックが今の立場に至るまで街=人々の声を背負ってきたこと、支持されてきたことは、目の前の観客とのコミュニケーションにも繋がっているのではないかと考えたりしました。
そこにいるみんなを夢中にさせたスーパーオーガニズム
スーパーオーガニズム Photography by: Yusuke Sasamura
Y:他に、2日目に特に印象的だったライブはありますか?
O:僕はスーパーオーガニズムが衝撃的でした。まず映像表現と音像のリンクが素晴らしかったということと、オノロが“日本人”としての自分のアイデンティティを相対化するかのように、カタコトで“コンニチワ”とMCをしたり、“アイム・ノット・ジャパニーズ”という発言をしたりしていることも彼女がまなざしている世界の広さを感じさせられた瞬間でした。30分と本来予定されていた演奏時間よりは短いセットだったのですが、終演後は“ヤバイ、ヤバイ”という声もオーディエンスの方々から聞こえてきて、アレにやられた人は多そうでしたね。
T:僕も観ました! 一応演奏がスタートする前に《レッド・マーキー》に着いたんですが、もうその時には人が溢れる勢いで、注目度の高さも感じましたね。そして遠くから観てもオロノの存在感はビシビシ感じました。僕はそれまでアルバムをさらっと聴いて「いいなー」くらいの感覚だったんですが、今回実際観て大好きになりましたね。
Y:本当、人がいっぱいでしたねー。僕は2月の単独公演も見ていて。基本的な演出面は大きく変わってたりはしなかったのですが、何より演奏の安定感が増した感じがしました。ベースのいない個性的な編成で、楽曲も従来のロック・バンド的なサウンドではないし難しいところもあると思うのですが、しっかり次第に大きくなるキャパにも対応できてる感じがしましたね。でも何より、そこに集まった「ケンドリック・ラマーを見に来た」みたいな人も含む“みんな”を夢中にさせる“楽しい”雰囲気が何よりの魅力、と改めて思いました。
O:その楽しさは僕も感じました。一歩間違えればアウトサイダー・アートとかアヴァンギャルドに振り切ってしまいそうなところを、スーパーオーガニズムはポップスとして踏みとどまっているというか。僕らの頭の上にはライブ中ずっと「?」が浮かんでいるんだけど、なぜか楽しいし、踊れる。そこがスーパーオーガニズムの魅力だと感じましたね。
T:本当に不思議な感覚でしたね。オロノのラフでいて力強い表現力の賜物なのかなと。あとはそれに応えるメンバーも愛嬌が溢れていて親しみやすかったですね。ちなみに僕はケンドリックをいい位置で観たい一心でその前のアクトのスクリレックスからフロント・エリアの近くで観ていたのですが、ミーゴスの「Bad And Boujee」のリミックス(?)をかけていたりして、待っているつもりが結構騒いでしまいましたね。YOSHIKIが登場して「エンドレス・レイン」を弾き始めた時は「ああ、雨はもう止まないんだな」と思ったりしてしましたが(笑)。
Y:僕は裏のカーラ・トーマスを見たかったので、スクリレックスはチラッとしか見れて無いのですが、今の彼のモードってどんな感じだったんですか? ミーゴスもセットに入れるってことは、彼らしい激しいフューチャー・ベースなどありつつ、やはり最近のラップ曲もガンガン入ってくるとか?
T:そうですね。ビルドアップしていってコーラスでガンガン躍らせるのが基本ではあったんですが、ラップ曲も3~4割組み込まれていた印象です。ただやはりオーディエンスのリアクションとしてはラップ曲になると若干弱くなっているように感じました。あとスクリレックスがステージの後にChaki ZuluのDJでステージで踊っていたらしいので日本のヒップホップにも近いのかなと親近感が湧きましたね。
Y:日本のヒップホップにも近いというのは?
T:まあ、世界のトップDJが日本のヒップホップ・シーンと繋がっているのか!という事実に興奮しただけではあるんですが(笑)、でも日本のラップを聴いているオーディエンスにも嬉しいことだったと思いますね。YENTOWNだったり若いラッパーたちはどんどんアジア圏をはじめ世界と繋がっていっているので、そういった動きがフジロックでも可視化されたというのは意味があるのかななんて思っています。因みにカーラ・トーマスはどうでしたか?
Y:まず出演したステージの《フィールド・オブ・ヘヴン》が、カーラ・トーマス→ナサニエル・レイトリフ&ザ・ナイト・スウェッツと、全盛期と現代の《スタックス・レコーズ》のアーティストが並んで面白いなあ、というのがあって。本人の歌も全く衰えることなくカッコよかったのですが、バック・バンドもメンフィス・ソウルのブルースやカントリーなんかを経由した土着的な演奏がたまらなく気持ち良くて。
T:確かに新旧スタックス・レコーズの並びで観るという楽しみ方もあったんですね。
ボブ・ディランを中心に描かれたアメリカ音楽史の縦と横の軸
――そういう意味で、ロックやソウルの歴史……つまりアメリカ音楽の歴史を体系づけて楽しむことができた今年のフジロックだったという印象はありますね。私はディランが出るから3日目だけでも観に行くことを決めたような、典型的な最終日のみの参加者なのですが、そのディランでまず驚かされたのはここ数年のツアーで中心になっていたフランク・シナトラのカヴァーが一切なく、オリジナル曲、それも60年代からバランスよく選ばれていたことなんですね。いわば代表曲がズラリ。ずっとディランの来日公演に足を運んできた私もこれには驚かされました。にも関わらず、代表曲のオンパレード! という感じがしなかった。圧倒された、とか、ベテラン健在! とか、そういう手応えではなく、ああ、今、ここにディランがいるんだ…というすごくさりげない実感。しかも、アレンジは原曲とは全く違う、いわば、最新型のディラン流ロックンロール。つまり、ナサニエル・レイトリフやカーラ・トーマスらが出演する今年に寄り添った演奏になっていたのには唸らされました。
Y:僕はディランは2年前に劇場ツアーの時に見ていて、その時はそれこそフランク・シナトラのカヴァーをいくつかやっていた時で、まず何よりその時と比べて歌を聴いて直ぐに“あの曲だ”とわかる曲が多くてびっくりでしたね。でも、クールにピアノを弾き続ける姿は確かに“フェス向けのセット”とかそんなものではなく、ただただボブ・ディランという長いキャリアで幅広い“うた”と向き合って来た人の、その人にしか出せない雰囲気という感じがありましたね。
O:僕は今回見るのが初めてでした。アレンジのために、曲の判別がつきにくいとは聞いていたのですが、まさにその通りでした。でも、なによりもミニマルに配置された照明とディランの歌声をしっかりと支えていたバック・バンドの効果によって、ディランという存在が際立つステージになっていたことは確かだと思います。そして、最後に「Blowin’ In The Wind」でステージを締めくくってくれたことも、個人的にはすごくうれしかったですね。自分が初めてディランと出会った曲でもあるので。
T:皆さんの話を聴いていて“僕はこの人生でディランを観る唯一のチャンスを逃したのかもしれない”と沈んでいます(笑)。3日目は他にもダーティー・プロジェクターズやceroが出ていて配信でチャンネルをコロコロと切り替えながら観ていたのですが……最終日は他に何が印象に残りましたか?
O:ヴァンパイア・ウィークエンド、最高でした。まず、多幸感あふれるポップ・サウンドでグリーン・ステージ全体を包み込みながら、全員で合唱のできるアンセムをどんどん放り込んでくるという正統派ロック・バンドとしての強さをヴァンパイア・ウィークエンドに見た気がします。メンバーが抜けて編成もどうなるのか? という状態からのスタートだったのですが、そんな不安を吹き飛ばしてしまうくらいの素晴らしいステージングでした。新作も待たれていますが、エズラ・クーニグが“また戻ってくるよ。フジロックは今までのどのフェスよりも最高なロケーションだ。月も出てるしね”といったことを信じて新作を、そして次の来日を待ちたいです(涙)。
ヴァンパイア・ウィークエンドはウエスト・コースト・ロックに向かう?
ヴァンパイア・ウィークエンド Photography by: Yusuke Sasamura
T:因みにヴァンパイア・ウィークエンドは前作から既に5年ほど経っていますが、何か新作へ向けてのバンドの方向性の変化などは感じましたか?
O:明確にこれ!というものはないのですが、最後にダニエル・ハイムがゲストで出てきて、シン・リジィの「The Boys Are Back In Town」をカヴァーしたんですね。ああいうオーセンティックなロック・サウンド回帰という方向性ももしや?! と思わせるカヴァーだったことは今考えるところではありますね。
Y:今回、ロスタムが抜けて、更にバンド・メンバーにもギター、パーカッション、鍵盤が2人……しかも片方は女性で……と、サポートが加えられていて、彼らと共にこれまでの曲にガッツリとアレンジを加えてましたよね。エズラがSBTRKTにフィーチャーされた「New York New Dorp」もバンドでプレイしたり。そして何よりビートルズ、シン・リジィ、ダスティ・スプリングフィールドというカヴァーの選曲……。更に終盤は70年代のウエスト・コースト・ロックに強い影響を受けたハイムのダニエルが出て来る、と来たので、新作は、今までのアフロ・ビートとかヒップホップを臆面なく取り入れちゃう感じとは違って、そういった60年代~70年代のクラシックなロックのソングライティングに強くインスパイアされたものになるのかな、とか深読みしちゃいました。
Y:でも、何より僕は今回の彼らのライブにはすごく感動しましたよ。メンバーが抜けて、もう新作完成か? みたいな報が出てから2年くらい経ってて。1枚目、2枚目のプロデュースをやってサウンドや歌詞のテーマといった面で大きな役割を担っていたロスタムの穴はかなり大きいと思うんですが、そんな苦しい状況の中で今回彼らはディランの後の、実質的なトリを任せられている。そういうプレッシャーかかるステージを、さっき言ったような皆が聴いたことあるようなロックのクラシックの曲も使ったり、既存曲の新しいアレンジで楽しませたりしながら全うする。そんな姿から彼らの責任感みたいなものを感じちゃって。ブルックリンの若者たちが好きにやってる、みたいな頃とは違って、線の細かったバンドの演奏もサポートのおかげで十分ヘッドライナーにふさわしいダイナミックなものになっていたし。だから、ビヨンセやカニエとコラボしたり、この5年くらいであまりに大きい存在になってしまった自分たちを自覚しつつも、一生懸命それを引き受けていて。
O:その「引き受ける」というバンドの覚悟のようなものも確かに感じました。一方で、そんな肩ひじ張らず気軽に自分たちの音楽を楽しんで演奏しているという部分もあのステージにはあったのではないかと今になって思います。そのいい意味での軽さがヴァンパイア・ウィークエンドというバンドの魅力だったと。
O:ヴァンパイア・ウィークエンドは先ほども出たように、60~70年代のロック・サウンド、特にウエスト・コーストロックのような軽やかなバンド・サウンドに向かっているのかも?という感覚はありましたね。また、MGMTは彼らのルーツの一つでもある80年代のニューロマンティクス的なシンセ・ポップへの回帰が進行しているという感覚を今年出た新作からも、そして今回のステージからも感じました。それぞれが自らのルーツかつ、それぞれの時代のメインストリームを担ったサウンドへ向かっているというか。
――なぜヴァンパイア・ウィークエンドはウエスト・コースト・ロックに向かっているのだと考えますか?
O:考えられるとすれば、ウェスト・コースト・ロックが産業的な意味でも、その洗練度という意味でもロックが大衆音楽のメインストリームとなる端緒を開いた音楽だったこと、しかしその大衆化しつつある自分たちの音楽を反省的に捉え返しもしてきた音楽だったことがその一因だったのではないかとも考えますね。実際に難解化・高尚化したといわれてしまったブルックリン勢に代表されるような2000年代後半以降のロック・バンドが、今一度メイン・ストリームのポップ・ミュージックとして回帰するために省みるべきはウェスト・コースト・ロックだったというか。
Y:ヴァンパイア・ウィークエンドはデビュー・アルバム出した頃のツアーで、フリートウッド・マックの「Everywhere」のカヴァーを何度も披露しているんですよね。マックってイギリスのバンドですけど、この曲はLA制作でバカ売れしていた時代のアルバム『Tango In The Night』(1987年)の曲で。それがヴァンパイア~とってウエスト・コースト・ロック的なものであり、彼らにとってインスピレーションの一つではあったでしょうね。だから、そこにマックのカヴァー・アルバムにも参加し(『Mirage』(1982年)収録の「Hold Me」をカヴァー)強い影響受けてるハイムのダニエルが出て来たのは腑に落ちたんですよ。しかも、これまでアフロ・ビートやヒップホップへ突っ込んで来たところから、よりソングライティングを軸にした方向に行っている気もする。今年のアークティック・モンキーズのアルバムもそうでしたけど、メインストリームのヒップホップやR&B的なものにそのまま対峙しようとするのではなく、自分のルーツを生かす形で、自分たちのソングライティングを磨いていく、という。インディー・バンドとしてのやれることも示しながら。
ケイシー、カリ、サーペントウィズフィートがそれぞれ伝えたアイデンティティ
T:なるほど。確かに配信で観ていてもそういった雰囲気は感じましたね。音楽を楽しんでいる、というところではアンダーソン・パックのステージもそういった陽性のエネルギーに満ちていたように感じました。赤のビーニーとタイダイ染めのTシャツ、そして笑顔が映える、実に晴れやかなステージで、配信で観ていて嬉しくなってしまいましたね。そして、気になるのはその裏、ケイシー・マスグレイヴス(http://turntokyo.com/features/features-kacey-musgraves/)のステージなんですが、配信はなかったんですよね……。
Y:ケイシー、ブラック・ミュージックの歴史を体現するような若手の星の裏が、カントリーの新たなスターというのが今年のフジロックらしかったですね。僕は元々ケイシーが「今年のフジロックで最も楽しみ」っていうくらいだったのですが、その期待を上回る感動を味わえました。バンド・メンバー全員にブラウンのお揃いのシャツを着せて、ケイシーも終始笑顔で歌ってくれて、彼女らしい優しく、オープンな雰囲気が出ていましたね。彼女も「日本でカントリーのライブに来てくれる人がこんなにいるなんて!」みたいなことを話していましたが、そういう雰囲気にオーディエンスも皆が惹かれていたと思います。ナールズ・バークレーの「Crazy」のカヴァーがあったり、「Rainbow」という曲を歌う頃には雨が止んでいたり、最後の「High Horse」では舞妓さん達が出て来て踊らせたりと、見せ場もたくさんあって。とにかくケイシーの前向きで、皆ウェルカムで、その場を優しく包み込むような雰囲気が、彼女の柔軟な歌と相まって幸せな気分になれて。その陽でオープンな辺りは、全く対照的なジャンルでありながら、裏のアンダーソン・パックとも被るところがあったと思います。
O:彼女の出身地であるテキサスの州旗を掲げている人もいて、すごくアットホームな雰囲気のライブでしたね。ケイシーもそれに反応していて、嬉しそうでしたし。
T:カントリーのニュー・スターとの呼び声も高い彼女が日本でもしっかり受け入れられたようで嬉しいですね。
――カリ・ウチスはみなさんどうでした? 私はコロンビアのミュージシャンという事実以前に、人としての圧倒的な魅力に支配されたフィジカルで楽しいステージだったと思いました。彼女のアトラクティヴでチャーミングなところが、人と人同士のスキンシップを目指しているようなパフォーマンスに現れてたような気がしました。
Y:それまでは彼女に対してはどうしても神秘的とか作品に関してもサイケデリックっていう言葉を当てはめがちだったのですが、パフォーマンス中は笑顔も多く、セクシーなダンスや手拍子とかで盛り上げるのにも積極的で、私たちに近い、ナマのエンターテイナーという感じがして。アルバムの曲もファンキーなアレンジを仕掛けてくるバック・バンドによってどんどん踊らせる曲に変形していて、スローなダンスホールからゴリラズが手掛けた曲まで幅広いリズムでずっと楽しませてくれました。この日は他にも期待の若手アーティストの登場が多かったですよね。夕方のサーペントウィズフィートのライブも衝撃的でしたよね。
――サーペント、良かったですね。思っていたよりオーセンティックなR&B、ソウルという印象もあり、レコーディング作品ではポール・エプワースやハクサン・クロークらが関わったりしてトラックやプロダクションに力を注いでいただけに、そこは逆にちょっと意外でしたけど、でもその分、カーティス・メイフィールドやスティーヴィー・ワンダーの影響を受けてきて、R&Bシンガーを自認しているジョサイア・ワイズという一人のヒューマンな人間らしさが伝わってきて感動しました。サーペントウィズフィートはブラック・ミュージックの観点からアメリカの音楽の歴史を掘り下げている印象もありました。
Y:あとは最終日、ホワイト・ステージのトリを飾ったチャーチズは? 僕は見ましたよ!
T:配信で観ました!フジロックの配信の中ではチャーチズがラストで、結構長い時間画面を観ていて少し疲れてきていたんですが、それでも観てしまう! といった感じでしたね。これまでローレン・メイベリーにはなんとなくマスコットのようなイメージが先行していたのですが、歌って踊って煽って、とにかく動き回っていて、ただでさえチャーミングなのにその姿は頼もしくて見惚れてしまいましたね。僕と同じように配信で観ていた人たちは最後に癒されて眠りについたと思います(笑)。
Y:今回一番大きな変化だったのは、サポート・ドラマーが加わったことだと思います。拡大する人気度、大きなステージのヘッドライナーに相応しいダイナミックなサウンドが再現されていて、良い意味で彼らの敬愛するディペッシュ・モードにも近づいたような。作品毎の音楽性の変化が大きいタイプのバンドでは無いですが、そういうところに進化を見れたのは収穫でした。
今年のフジロックのパフォーマンスから浮かんできた命題とは……?
ナサニエル・レイトリフ&ザ・ナイト・スウェッツ Photography by Tsuyoshi Ikegami
――さて、今年のフジロックの裏テーマみたいなものがあるとすれば、どういうものだったと思いますか? 私は、N.E.R.D、ケンドリック・ラマー、アンダーソン・パックらUSヒップホップ勢と、例えばサーペントウィズフィート、ナサニエル・レイトリフ、もちろんボブ・ディランも……あるいはブルックリン勢も含めて、出演アーティストたちの距離のようなものがほとんどなくなってきているな、と感じたんです。一緒くたという意味ではなく、互いに反響し合っているというか、補完し合っているようにさえ感じたんですね。それは、それらのアーティストたちがそれぞれ音楽の歴史にしっかりと向き合っていて、でも、それをさらに上書きしていこう、刺激を受け、または与えながら進めていこうとしている、その時代が回転している状況が、もちろん目には見えなかったけど、肌で感じ取ることができたんですね。
Y:私も似たような点ではあるのですが、フジロックって以前から、ロックからダンス・ミュージック、ヒップホップ、ワールド・ミュージックまで“多様な音楽”を見せるっていうのが強みでもあったと思うんですよ。今回はそれが、この中の話にもあったように例えばケンドリック・ラマーとナサニエル・レイトリフ、アンダーソン・パークとケイシー・マスグレイヴスのように相反するような音楽が、とても自然に隣で鳴っている。でも、どちらにも距離感を感じないし、どちらももちろん今の時代にも、今の目の前の聴き手にも向き合っている。そしてその結果が、そういうボーダーのないような空間を作り出していたのでは、と。あとは、配信という形で、日本のリスナーにも、海外に対しても、“日本の”“山奥でやっている”フジロックの、そういう姿を見せて、このフェスをもう一歩身近にさせたという意味では大きな変化点になるといいな、とも思いました。
O:フジロックの気合を感じた年でした。今ここ10年のヘッドライナーを見ているのですが、今年が一番、海外のメイン・ストリームをはっきりと意識して組んだヘッドライナーだったといってもよいのではないかと感じています。しかも、ヘッドライナー以外でも素晴らしい多彩な音を鳴らしているアクトを配信でも全世界へ向けて発信していた。3日間、日本のYouTubeのトップページにはフジロックの配信広告があったわけですが、そのような仕掛けひとつをとっても、日本で海外のアーティストを招聘して興行をやるということの意味を今一度省みて、練られて完成されたのが今年のフジロックだったのではないかと考えています。
T:僕も今回は特に多様性をすごく感じました。そしてケンドリック・ラマーをはじめ、ポスト・マローン、N.E.R.D、アンダーソン・パックらヒップホップのアクトが強力で、多様性の中に”今”を感じることのできるものだったのではないかと思います。さらにいえば目玉がボブ・ディランとケンドリック・ラマーだったと思うのですが、両者ともにジャーナリズムの発展を目指したピューリッツァー賞の受賞者で、歴史を縦軸でも体感することのできるラインナップとも取れる。そういうところまで探りながら参加するとフジロックの醍醐味にもさらなる奥行きを感じることができるのではないかなと思いました。