アルカ & ジェシー・カンダーー自己を剥き出しにするということ
クラブを寺院にみたてるーーこれは先日リキッドルームにて行われたジェシー・カンダのサウンド&アート・インスタレーションにおいて彼が掲げたコンセプトである。フロアの至る所にペットボトルに入れて咲かせた無数の花々、大量に焚かれた線香の匂いと煙、そんな奇妙な空間で展開される琴とハーモニウムのミニマルな演奏、厳かな読経、それを静かにみつめる観客。それらはある種の清めのプロセスともいうべきなのだろうか。そして、読経のあとの静まりかえった空間にジェシー・カンダが現れ、どこの国のものかすぐには判別できない奇天烈なワールド・ミュージックからグランジ、ニュー・ウェーヴ、ヒップホップ、さらには山口百恵やJUDY AND MARYのようなJ-ポップまでを無節操に繋ぎ、それに観客は煩悩の虜になったかのように発狂しダンスする。その光景は鮮烈なインパクトを残すものだった。そして、何よりもジェシーがステージ上で快楽に抗えずに自然体で踊っているさまーーそれはまるで自分の内面を包み隠さず曝け出しているようでもあったーーをみると、デジタル・スクリーンでのミュージック・ヴィデオやアルバムのアート・ワークも、このクラブを寺院にみたてるインスタレーションやDJという場でも、彼の芸術性は内面を露わにするという一貫性があるからこそ、様々な人々を巻き込む可能性を持っていることに気づかされるのだ。
そんなジェシーの相棒であるアルカことアレハンドロ・ゲルシが、今年4月に3枚目となる新作『アルカ』をリリースしたことは記憶に新しい。そして、その新作で驚かされたことがある。彼が歌っているからだ。それが重要なのは歌で彼が新しい領域に足を踏み込んでいるから、ではなくて、彼が歌を手にすることで初めて自分の内面を露わにすることができたからである。ではこれまでに彼が内面を出さなかったかというと決してそうではない。『ゼン』や『ミュータント』といった彼のオルター・エゴを表した作品の中で、メタリックな質感を持った歪んだビートやノイズ、ドビュッシーのような和声感覚を下敷きにしたそこはかとなく官能的な旋律を背景に、自らの破壊衝動やエロティシズム、生命感を解放してきた。また、彼のライヴでの、Tバック姿でヴォーギングしたり、レニー・クラヴィッツやデフトーンズをスピンして観客を徒らに煽ったり、クリスタル・キャッスルズの曲を叫ぶように歌ったりする過激なパフォーマンスは、まるで過剰に自己陶酔しているようにも思えた。
だが、それらを通しても、彼は全てを解放して裸になることはできなかった。それはアルカ自らが作ったMVに顕著に表れている。『ミュータント』に収録された「Soichiro」のMVでの真っ青なフィルターをかけられた彼の上半身の肉体はぼんやりとしていて、我々の目には明瞭に映らない。そこにかけられたフィルターは彼の内面で起こっていた葛藤や迷いそのものなのであるように思える。そして、それは彼があまり明かそうとしてこなかった生い立ちに起因するものではないだろうか。かつてビョークは『ヴェスパタイン』についてのインタヴューで「結局のところ、わたしが今やっていることは子どものころどんな風に育ったかということから説明できるんじゃないかしら。誰もがそうだと思うけれど……。特に歌っているときは、それがストレートに出てくる。決して生い立ちは隠せない」と言っていたが、アルカはビョークとのコラボレーションで感じ、学んだのは彼女の歌声は生い立ちも含めて何も隠そうとはしていないということではないだろうか。だからこそ、自らの葛藤を打破するために彼は今まで積極的に取り組んでこなかった歌を選んだ。さらに、それを彼が生まれ育ったベネズエラで使っていたスペイン語で歌うことこそが重要であったのだ。そんな彼の哀愁漂う歌声は官能的で優美である。高低を自由に行来する彼のクルーナー・ヴォイスは、まるでレナード・コーエンや『ラムール』の再発で話題を集めたルイスのダンディーな歌声のよう。だが、そんなアルカの歌を聴いていると、心が張り裂けそうになるほど刹那的な瞬間が幾度と訪れる。その刹那性こそが彼の歌声の唯一性なのだ。
その歌声を支えるものが、今まで彼が作ってきた、複雑なビート構造を持った奇妙なトラックである。彼と共演したこともあるDJの行松陽介が我々『TURN』のインタヴューで、「歌い方もそうだけど曲が圧倒的にかっこいい。新しいサウンドを作り出したと思う。立体的なサウンド…あれは発明だと思う。今は皆あの上で成り立っているという状況にあると言ってもいいんじゃないかな。トラップとかも全部そこからきてる気はする。トラックメーカーとして凄い」と語るように、ヒップホップやエレクトロを背景にしながらもそのリズムやビート感、サウンド・テクスチャーを脱構築したかようなメタリックで破天荒なトラックはカニエ・ウェストやビョークを魅了した。そんな彼のトラックは今作で歌を全面に押し出すことで精度が落ちるかと思いきやまったくその逆で、テクスチャーはより精緻になり、音と音のあいだに巧妙な間を置くことで、オウテカやデムダイク・ステアのような張り詰めた音響空間を生み出しているのだ。そんなトラックが根底にあるからこそ、アルカの自らの内面を露わにする歌声はより身体性を帯び、『アルカ』という自らの名前を冠したアルバム全体に起伏と緊張感がもたらされるのだ。
そんな今作からの「Reverie」、「Desafío」、「Anoche」の3つのMVでは生と死、暴力や破壊、セックス、自由と抑圧の物語が描かれている。そして、そこでのアルカの姿は何のフィルターもなく、はっきりとした身体で、我々の目に飛び込んでくる。それは自らを全て曝け出した姿だ。おそらくジェシーは、アルバム、もとい歌声からアルカの生い立ちを含めた剥き出しの内面を感じることができたからこそ、「Soichiro」でアルカが自らの身体にかけたフィルターを取り払ったのではないか。そんなアルカの姿は自己陶酔に陥っているだけなのかもしれない。だが、自らを剥き出しにすればするほど、彼の音楽は美しく響き、我々は心を引き裂かれそうになるのである。
Photo By Daniel Shea
Text By Tetsuya Sakamoto
Arca
Arca
LABEL : XL Recordings / Beat Records
CAT.No : XLCDJ834
RELEASE DATE : 2017.04.07 (Fri)
PRICE : ¥2,200 + Tax
FUJI ROCKFESTIVAL ’17
07.28(Fri)PLANET GROOVE出演
■アルカ OFFICIAL SITE
http://www.arca1000000.com/
■BEATINK HP内 アーティスト情報
http://www.beatink.com/Labels/Beggars-Group/XL/Arca/XLCDJ834/