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「僕たちの音楽にはメランコリーもあればユーフォリアもある」
エヴリシング・バット・ザ・ガール、24年ぶりのヴィヴィッドな新作

21 April 2023 | By Shino Okamura

エヴリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)が実に24年ぶりのニュー・アルバム『Fuse』をリリースした。24年間も出していなかったのか、と驚く人も少なくないだろう。事実、前作『Temperamental』は1999年リリース。その後、私生活においてもカップルであるこの二人組は、子育てや家庭での時間を大事にしながら、それぞれソロとして活動し、トレイシーに至っては自伝本の発刊もしてきた。というのは既に十分知られた話だし、そこだけ取り出せば、四半世紀もの間、時間が止まっていたように感じる人もいることと思う。だが、実際に届いた『Fuse』は実に鮮やかに現代の音を抽出したヴィヴィッドな作品だ。EBTGとして作品を出していなかった間に、確かにテイラー・スウィフトやビリー・アイリッシュが、ケンドリック・ラマーやフランク・オーシャンが時代を作っていった。なのに、EBTGの作るビートは、言葉は、それら現代の優れたアーティストたちの表現をあたかも底辺で結びつけているかのようにしっかりとコミットしている。シンセサイザーを生かしたひんやりとした質感のサウンド・テクスチュア、シャープだけど丸みもあるバウンシーなビート、達観しているようで情熱的なヴォーカル……我々の目には見えなかっただけで、そして二人での作業は表面化していなかっただけで、彼らは研ぎすまれた状態で社会に対峙し、音楽家としてずっと第一線にいたのだ。インタヴューに答えてくれたトレイシーとベンの二人は、しかしながらそうした事実を涼しい顔で受け止める。これはただ、2023年のEBTGなのだと。
(インタヴュー・文/岡村詩野 Photo by Edward Bishop)



Interview with Tracey Thorn and Ben Watt


──ニュー・アルバム『Fuse』、静かなエキサイトメントを孕んだアルバムですね。と同時に、美しく恍惚的なダンス・ミュージックなのに、不穏さ、陰鬱さを感じさせる緊張感ある作品だとも思っています。つまりは、厳しい現実社会と対峙した素晴らしいポップ・ミュージックです。こうした方向性のアルバムになることは最初からある程度目指していたのでしょうか。それとも自然とこうした仕上がりに導かれたと言えますか。

Tracey Thorn(以下、T):感情やムードが入り混ざった、いわゆるメランコリーな感覚が、私たちの音楽には自然に存在していると思う。それは意識して作ろうとしているものではなく無意識にでてくるもので、私たちの場合、ダンス・トラックを作っているときでもそれが出てくるんです。それは私たちのナチュラル・サウンドの一つ。じっくり何かを考えたり、話し合いをしたことはなかった。私たちは、なるだけ自然に音が生まれる状況で曲を作ることだけを考えていました。

Ben Watt(以下、B):混ざり合った感情は、僕たちの音楽の特徴の一つだと思う。トレイシーが言うように、メランコリーもあればユーフォリアもある。それは、昔からEBTGのサウンドが持っているクラシックなブレンドです。目指している方向性もプランも何もなかった。何の計画も期待もなく曲作りを始めたのです。僕らはただ、23年ぶりにまた一緒にやんわりと曲作りを始めただけだったから。プレッシャーも感じたくなかったし、とりあえずとても基本的ないくつかのアイディアから初めて、ゆっくりとトラックを作り上げていった。そして、段々と自然にアルバムが自ら独自のキャラクターを確立していきました。

 

──コロナとそれにともなうロックダウン、多くの死者、入院患者、医療崩壊……もちろんこれらも大きかったと思いますが、それ以前から……ずっと人間社会はおかしな方向に進んでいたと思います。英国国内だけをとりあげてもEU離脱、首相の度重なる交代劇、その背後にある不況と国力低下、去年はエリザベス女王も亡くなり、王室の求心力も低下しています。『Fuse』はこうした英国内……に限らず人間社会の頭打ちの状況を少なからず反映した作品のようにも思えるのですが、このアルバムを制作する以前から、あなたがた二人の日常会話ではこうした話が話題にのぼっていたのでしょうか。

T:意識的にそれを反映させようとしたわけではないですが、私たちが経験したことではあるから、それが無意識に影響しているのはあると思う。このアルバム制作を始めたのは去年の春で、ちょうど私たちの生活が元に戻りつつある時だった。だから、曲の歌詞の中には、必死に人とつながろう、近づこうとする気持ちがたくさん出てくるのです。そして、孤立と不安と疑いの時代の終わりを告げるような、そんなムードが感じられる。パンデミックの経験を表現してみようと意図的に考えたわけではないんだけれど、パンデミックというものが、私たちだけでなく全ての人々にそれくらい大きな影響を与えたものだったんでしょうね。ある意味、私たちは皆で一緒に一つの大きな共通の体験をしてきたわけだから。

B:人は社会や政治の大きな変化を経験する時、大きな何かを問うようになる。次に何が起こるのか? 自分たちは何をしているのか? 自分にとって大切なのは誰なのか? って。そして多分、僕たちの曲の中では、その問いが投げかけられているんだと思います。

──今トレイシーが言ったように、新作『Fuse』は昔から温めていたアイデアではなく、パンデミック後に思いついて制作した曲ばかりのようですが、それがベンのソロでもトレイシーのソロでもなくEBTGの新作となったのにはどういう経緯があったのでしょうか。

B:自然な流れでした。話し合っていたわけじゃないんです。コロナ禍で隔離されたことは、僕たちに大きな影響を与えたと思います。ソロの仕事を全て辞めざるを得なかったわけですからね。で、ロックダウンが終わった時、トレイシーが言ったんです。「私たちはもうこれまでとは違う人間になってしまったのかしら? 次は何をすればいいの?」って。そして、僕たち二人はそれを考えたのち、最終的に、一緒に仕事をする適切なタイミングが今なんじゃないかと思ったんです。でも、最初に曲を作り始めた時も、さあやるぞ! という感じではありませんでした。スマホに僕がここ2、3年の間に書き溜めた音楽のスケッチがいくつか入っていたから、それを基本的なアイディアとして曲を書き始めたんです。それから少しずつ、歌詞を書くためのアイディアを追加していった。そしてアルバムの曲が出来上がっていく過程で、ミニマリズムや儚さ、タフさといったものが僕らのソングライティングにおいて自然に出てくるものだということがわかったんです。過去に長い間アルバムを作っていたから、それで養われていたものなんだろうけど、時間が経って僕らもそれを忘れていた。でもそれが、じわじわと出てきたんでしょうね。

──そうしたちょっと陰鬱なムードが歌詞には確かにメランコリックなメロディにも現れてはいるんですが、曲調自体はフィジカルなダンス・ミュージックだったり、知性的で少しクラシカルなEBTGらしい音楽集、というのがおそらく大方の評価だと思います。ただ、24年間、EBTGとしての作品を出していなかった時間も確実に進化していたことも実感できるアルバムだとも感じています。

まず、振り返っていただき、24年前……1999年に『Temperamental』をリリースし、《Montreux Jazz Festival》への出演を最後に二人での活動はいったん解体することとなりました。そもそもあのタイミングでなぜ活動停止をしたのでしょうか? 当時のインタヴューでは、トレイシーが家族の時間を持ちたかった、巨大化したEBTGの存在に疑問を感じたなどと語っていましたが、今改めてどのように振り返りますか。

T:活動を停止した理由は正にその通り。90年代後半に子供が生まれる頃には、バンドとして既に15年ほど活動していたし、たくさんのレコードを作り、たくさんのツアーをこなしていた。そのレベルでずっと続けていかなげればならない、続けていきたいという強い意識は、あの時の私にはなかったんだと思う。そして、私にとって子供を持つということは、また別の意味で人生を大きく変える出来事でもあった。子供ができるまで、子供がそこまで人生を大きく変えるなんて思ってもいなかったんです。子供を連れてツアーに出て、これまでと同じ活動ができる、なんて想像していた。だから一度試してみたんです。ところが、何かを成功させようとしても実際にはうまくいかないことがあるんだという現実を見る結果になった。活動を休止すると決めた時は、その休養がどれくらいの期間になるのかは全く考えていなかった。数年かもしれないし、子供達が学校に行くまでかもしれなかった。でも、休み始めてから何が起こったかというと、まずベンがレーベルとリミックスのソロ活動で忙しくなってしまった。私がまた仕事を再開しようかなと思うようになった時、彼は本当に忙しくて。だから、EBTGをすぐに始めよう、というわけにもいかなかったんです。それで私も自分のソロ活動を始め、お互い別々の仕事をするパターンになった。でも、それは私たちにとってすごく良いことだったと思う。しばらくの間、お互い自立して仕事をすることは、すごく健康的だったから。

B:僕の方は、一人で仕事をすること、そしてクラブ・カルチャーの中で様々な人々と一緒に仕事をするのはすごく勉強になった。様々な観客を見たり、人々が音楽にどう反応するのかと見たり、色々な異なるレコード制作の方法を学ぶことができたから。トレイシーもユアン・ピアソンと仕事をしたり、僕もバーナード・バトラーを始めとするアーティストと仕事をすることで、刺激をもらえたんです。

──2000年代前半にベンがソロで関わった仕事として印象的なものの一つにミシェル・ンデゲオチェロとの仕事が挙げられると思います。ファンタスティックなハウスに仕上げた「Earth」のリミックス。他にもあの時期はマックスウェルなどソウル~R&Bの新たな感覚を持つヴォーカリストと素晴らしい仕事を重ねていますが、あの時期のそれらの仕事から何を得たと言えますか。

B:ダンスフロアは決して嘘をつかない、ということを学んだと思う。ダンスフロアはその音楽が良いものであるかどうかを教えてくれる場所です。自分一人ではなく、音楽がコミュニティものであることを実感させられるし、良いリミックスを作り、良いプロデュースをし、良い音を出せば、それを観客が教えてくれるから。僕は、その関係性が好きなんです。みんなでグループとして音楽を楽しみ、音楽が素晴らしいものであるということを集団で決めるあの感覚もそうだし、ソロ・アーティストとして一人で自分のためだけに書くのではなく、皆のために作品を作るという空間もそう。それがクラブ界の良いところだと僕は思う。

──それが今のEBTGにどのように生かされていると思いますか。

B:自分の音楽に対して距離を置くことができるようになったこです。一歩引いて音楽を眺め、「これは他の人たちにとっても有効なんだろうか」と考えることができるようになった。僕たちがやっていることに人々は共感してくれるだろうかということを考えることは、アーティストとして素晴らしいことだと思う。自分の作品に近づきすぎるのは逆によくないんです。

──EBTGは、80年代から今日に至るまで、ブルーアイド・ソウル……という言い方も陳腐ですが、ソウル、R&B、ブラジリアン・ミュージック、フォーク、そしてハウス、ドラムンベース、2ステップなど様々な要素を自然とクロスオーバーさせてきました。現在、そうした状況はほとんどスタンダードとなっていて、むしろ混交していない音楽などないと言えます。そもそもポップ・ミュージックはそうした混交性の上に成り立っていることをEBTGの存在は証明していたと言えるのですが、それが作品を出していない24年の間に徐々に常態化してきたことについてはどのように感じていますか。

B:音楽へのアクセスが、音楽の作り方に対する人々の意識を変えたんじゃないかと思う。ストリーミングのおかげで、誰もが簡単にたくさんの音楽に触れることができるようになった。その結果、新しい世代の音楽が生まれ、その音楽では様々な要素が混ざり合うようになったと思う。そして、それはとても健全だとも思う。僕たちが二人で音楽を作っていた頃は、異なるジャンルの音楽を見つけるのは簡単なことではなかったから。古いレコード屋にいったり、たくさんレコードを買わないといけなかった。とにかく物色しまくって、本でしか読んだことのないような人のストリング・アレンジを見つけたりもしました。当時は、たとえ視野は広くても、たくさんのジャンルに同時にアクセスするということが難しい時代でしたからね。

──今作でこれまでと最も大きく進化した要素の一つに、トレイシーのヴォーカルがあげられると思います。時に人工的に加工しているのでは? と思える瞬間もあります。

B:実は、ほとんどはトレイシーの自然な声なんです。今のトレイシーは前よりも年をとっているから、以前と比べると少し深みのある声をしている。ピッチを少しいじった曲もいくつかあるけど、実は、人工的に手を加えているのはほんの少し。まあ、手を加えている場所はかなり明らかだと思いますよ(笑)。「When You Mess Up」……あの曲の歌詞は、頭の中の声、つまり自分自身との対話について歌われているのですが、その声をドラマチックに表現したら面白いんじゃないかと思って。特に、頭の中にいる悪魔の部分をちょっとアグレッシヴにしたらどうかと。だから、そのためにいくつかプラグインを使って、音色やピッチを変えて、声をよりクレイジーにしました。同じ曲の中でも、彼女の声が変わることで、まるで別の頭の中にいるような瞬間がいくつかでてくる。この曲は、とてもわかりやすい例だと思います。

T:あらためて、声を一つの楽器として使えるということがわかった。キーボードやギターを使う時も、色々なエフェクトをかけたり、ペダルやプラグインを使うことができるでしょう? ヴォーカルも同じ。今、多くのヴォーカリストたちが、ヴォーカルを楽器として考えていると思う。使えるものは何でも使うべきだと思うし、実際にそうすることで音楽を可能な限り多様で興味深いものにできますから。

──また、トレイシーは子育ても落ち着いた頃から、ソロ・アルバムのみならず、文才を生かして自著を多く刊行しています(『Bedsit Disco Queen(安アパートのディスコクイーン〜トレイシー・ソーン自伝)』『Another Planet(アナザー・プラネット〜郊外の十代)』など)。声と言葉で表現をしてきたあなたが、声や音を用いない執筆に携わったこと……それによってあなたの表現がどのように生かされ、またどのような意外な自己への気づきがあったと言えますか。

T:執筆と音楽制作はかなり異なるものだと思う。想像力の道筋と、使う脳の道筋が全く違うから。私があの本を書いたのは、音楽から長い間離れていた時でした。数年間ずっと子供達と一緒にいた時期で、ほとんど音楽を作らず、あまりクリエイティヴではない時……。だから、何をしたらいいのかわからなかった。そこで、自分がやってきたことを思い出すために文章を書くことにしたのです。でも目的は、自分自身に、自分が何をしていたのか、どうやったのか、どんな人間だったのかを思い出させることだけだった。だから、書き終えたあとは出版はせず、箱に入れてベッドの下にしまって、代わりにレコード制作にとりかかったのです。ですから、それが出版されたのは、それから6年くらい経った時でした。ある日、ある人に「本を書こうって考えたことはない?」って聞かれたから、「いや、実はもうあるの」って答えた(笑)。私にとってあの本は、自分が音楽の仕事に戻るための、ある種のプロセスだったんだと思う。あの本を書いたことで、10代の頃、初めてギターを買った時の自分、あがり症だったけれどステージに立った時の自分、そんな自分を思い返した。そんな自分を思い返すことで、自分の中のある部分が少し目覚めた気がします。そして、自分自身が実はかなり勇敢で大胆だったこと、たくさんの良いことにめぐまれた人間なんだというのを思い出せたのはすごく良いことだった。それに気づくことができたから、ソロ・レコードを作ることができたんだと思う。

──今やボブ・ディランはノーベル文学賞を受賞し、さきほども話したように多くのミュージシャンが自伝を発表するようになりました。あくまで文章を書く作家としてトレイシーに伺います。今、必要とされている作品としての言葉というのはどういうものであってほしいと思っていますか。

T:これはかなり難しい質問ですね。何が必要とされているのかを考えすぎずに作品を作ることが大切なのかもしれない。自分の視点を表現するものだと思うから、自分の言葉で書くことが大事だと思う。ある意味自己中であるべきというか。周りの期待に左右されずに、周りのことを心配しすぎないこと。周りのことを考えることから解放され、別の種類の考え方になる必要がある。自分の頭の中に入り込むことが大切なのかもしれないですね。

──ベンに伺います。楽曲制作のプロセスやメソッドにおいて、過去……24年前の時とはどのような変化がありましたか。

B:今回は、少しずつ少しずつ作っていきました。最初はアイディアの断片、例えば小さなコードの動きや、雰囲気やテクスチャーを作ることから始め、そこに少しずつアイディアを追加していき、曲の形がだんだん見えてきたら歌詞をつける、というプロセスでした。このアルバムでとても興味深いのは、音楽的にはアンビエントやダンス・ミュージックに通じるものがあること。ほぼ全ての曲で、コードが長いサイクルで繰り返されている。そして、ヴォーカルも同じコードの上で変化し始めるのです。それは、伝統的なソングライティングの構成とは異なるもの。僕らにとって、それは新しいことでした。最初に曲作りに使ったアイディアは、ほとんどが僕がアコースティック・ピアノを携帯に録音したものでした。あとは、パソコンでロジックを使ったり、基本的なプラグインをいくつか使ったくらい。で、最初はエフェクトのような大きな武器はなかったのですが、エンジニアとスタジオに入ってからはもう少し遊べるようになって、もっと面白いテクスチャーを加え始めました。彼はEMS VCS3というシンセサイザーを持っているのですが、これは60年代後半に作られた有名な古いイギリスのシンセサイザーで、あまりユニークな音はでない。そこで僕たちは、テクノロジーを駆使して、どうにかユニークなサウンドを作ることにしたんです。古いヴィンテージ・シンセサイザーと他のテクノロジーを同時に使うことで、2種類のオーディオの間に緊張感を持たせている。つまり、アナログとデジタルサウンドが混ざり合ってる。そのおかげで、アルバムのサウンドに面白い特徴が生まれたと思う。

──EBTGとして何か音源制作以外のアクションを考えてたりましますか。ライヴに限定せず、今、二人で何かやってみたいことがあれば教えてください。

T:私たちにとって、EBTGはスタジオ・プロジェクトなんです。私たち二人はずっと一緒に暮らしてきて、一緒に音楽を作っているだけで、何かを計画しているわけではない。この瞬間を体験していること、つまり、長い休養を経てまたレコードを出すということ自体がすごく大きなことだし、今のところ、多くの人がそれに注目してくれて気に入ってくれているようだから、それだけでも本当に素晴らしいことだと思っています。だから、自分たちを急かしてすぐに次のことを考えようとはしないつもり。とりあえず今は、アルバムを完成させただけで十分何かをやり遂げたところだし、リリースのこと以外は何も考えていないですね。

<了>

 

Text By Shino Okamura


Everything But The Girl

『Fuse』

LABEL : Verve
RELEASE DATE : 2023.04.21

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