「新しいアルバムを作ってくれない?って誰か声かけてくれないかなと思っていた」
デッド・フェイマス・ピープル29年ぶりの新作に薫るNZの純潔
このバンドのことを覚えている人がどれだけいるかはわからないが、今年、久々の新曲が公開された時、少なくとも私は大いに気持ちが沸き立った。かつての恋人が、昔の精悍なまま目の前に現れた時のように本当に何も変わっていなかったからだ。そして、ここに届いたまさかのニュー・アルバム。スタジオ録音による正式なオリジナル・アルバムとしては実に29年ぶり。こうして再会する日が来ようとは一体誰が想像していたことだろう。
ニュージーランドはオークランドで1986年に結成された女性たちによるギター・ポップ・バンド、デッド・フェイマス・ピープル(DFM)。87年に地元ニュージーランドのレーベル《Flying Nun》からEP「Lost Persons Area」でデビューし88年に渡英。ジョン・ピールの目にとまりBBCのラジオ・セッションに出演するなど糸口をつかんだのちに、ビリー・ブラッグに気に入られたことからファースト・アルバム『Arriving Late In Torn And Filthy Jeans』をそのビリーのレーベル《Utility》から1989年に発表し話題を集めた。翌90年に、あのフリッパーズ・ギターも参加した《La-Di-Da》レーベルのコンピレーション・アルバム『Borobudur』に参加。そして、91年にはセカンド『All Hail The Daffodil』を発表している。同じく91年にR.E.M.やニック・ケイヴら豪華ラインナップが名を連ねたレナード・コーエンのトリビュート・アルバム『I’m Your Fan』にも参加するなど飛躍を見せていたが、その後は急速に噂を聞かなくなっていた。
『Harry』はそんなDFPにとって3作目となるオリジナル・スタジオ録音アルバムで、まさしく29年前、1991年リリースの『All Hail The Daffodil』以来ということになる。しかし、これがもう29年前と全く変わらない、ブラッシー・ポップを聴かせてくれるのだからたまらない。30年前、彼女たちのようなギター・ポップ・バンドに夢中になっていた私自身、この作品には何の留保もなく心が動かされてしまう。そして思うのは、今や一人でDFPを背負うリーダーでヴォーカル、ソングタイターのドンス(当時の表記はドナ)・サヴェージが、今再び故郷のニュージーランドに暮らしているということと無関係ではないのではないかということだ。
おそらく今のニュージーランドはありとあらゆる点で世界中から賞賛されている国の一つだ。もちろん、先の総選挙で50年ぶりとなる最多票差で圧勝し再選に成功した与党労働党・アーダーン首相の存在が大きい。世界初の「現役首相の産休」も堂々実行したその行動力で、新しい議会には先住民族のマオリの議員も多く送り込んだ。このデッド・フェイマス・ピープルからも、そんなニュージーランドの、進歩的……いや当然ともいえる女性の権利を行使するポジティヴな姿勢をも感じることができる。
それにしても29年ぶりのアルバム……気の遠くなる年月だ。この間、ほとんど噂を聞くこともなかった彼らだが、果たして一体バンドとしてどういう状態だったのだろうか。ドンス(ドナ)・サヴェージのインタビューをお届けする。
(取材・文/岡村詩野)
Interview with Dons Savage
――実に29年ぶりのアルバム……単純に今どういう心境ですか?
Dons Savage(以下、D):実は長い休憩の間もずっと曲を書いていて録音する曲がたくさんあったので、新しいアルバムを作ることを楽しみました。ほとんどの人が私たちの音楽を聴いたことがないだろうから、彼らにとって私たちは新しいインディーズ・バンドなのでしょう! 昔からのリスナーにとってはまだ覚えていてくれて、私たちの曲を楽しんでくれたらいいと思ってます。どんなふうに捉えてくれるか楽しみ!
――2002年の『Secret Girl’s Business』を最後に、我々リスナーはあなた方の新作を聴くことはありませんでした。その間、具体的にバンドはどのような状態にあったのでしょうか?
D:DFPの他のメンバーは拠点にしていたイギリスに残りましたが、私はニュージーランドに戻りました。私以外のメンバーだと、キーボードのビディ・レイダンドは今もDFPに関わっていて、新しいアルバムでも演奏しています……彼女のキーボードは「Dog」で聴けますよ。DFPは90年代初頭一度終了しているんです。その頃……DFPが終わりに近づいた頃、私はもう一人で活動をしていました。当時は初期のセイント・エティエンヌの曲を歌ったり、同じニュージーランドのバンドで、友達のマーティン・フィリップスがリーダーのザ・チルズと一緒に活動したりもしていました。ザ・チルズの「Heavenly Pop Hit」という曲でバック・コーラスをしているのは私です。
そんな感じで、90年代初頭以降、DFPは本当に長い間存在していなかったんです。でも、私はその間も曲を書き、来たるべき日に備えて制作に取り組んできました。その後、ヤング・マーブル・ジャイアンツのアリソン・スタットンとスチュアート・モクサムの作品をリリースしているレーベル《Feel Good All Over》を運営していて、私たちDFPのことを知っていたジョン・ヘンダーソンが、《Fire》のジェームス・ニコルスに話をして契約をし、今回のアルバムがリリースされることになったんです。そこまでは長い長い道のりでした。
――今回のアルバムのタイトル『Harry』は、あなたの息子さんの名前だそうですね。そうしたパーソナルな環境が今回のアルバムのテーマになっているのでしょうか?
D:ええ、このアルバムは私の息子にちなんで”Harry”と呼ばれていました。彼が生まれた時、私は彼の子供時代を私の最高の時間にするために、音楽よりも子育てを優先しました。子供時代というのはあっという間に過ぎていくものでしょう? なるべく一緒にいてあげたいと思ったのです。それが、レコーディングをするのにこんなに間が空いた理由の一部です。そうこうしているうちに、過去にあれほどDFPでの活動に力を注いでいたというのに、私自身、自分からレコーディングする活力を失っていたんです。だから、実のところ、「新しいアルバムを作ってくれない?」って誰か声かけてくれないかなと思っていたんです。でも、そういうわけでそれが実現した。夢が叶ったんです。
――ちなみに、『Harry』というタイトルからはニルソンを思い出したりもします。
D:ハリー・ニルソン! 彼は私のヒーローです! ただ直接的な関係はないかな……。アルバムのいくつかの曲は自伝的であり、いくつかは単なる物語。曲はどんどん湧いてくるから、その中のいいものを書き留めておいて、録音するものを選び出します。実は曲はいっぱいあるんです。もっともっと録音できればいいのにって今は思いますね。多くの曲はごく最近書いたものですが、今回のアルバムのいくつかは古い曲、中にはロンドン時代に書かれた古いものもあ。例えば「Vampirella」。 これは日本盤にのみ追加した、他のどこでも聴くことができないファンのための特別な曲なんです。子育てで忙しくしていたり、制作の活力は失っていた時間も長かったですけど、曲作りだけはストップさせたことはありませんでした。
――私はあなたが《Flying Nun》から作品を出した頃からのリスナーです。ビリー・ブラッグの《Utility》から出した作品も、《La-Di-Da》から出た『All Hail The Daffodil』も愛聴してきました。その頃の作品と比べても、新作の曲はまったく鮮度が落ちていません。しかし一方で、人としての深みや重みが感じられるようになっています。初期のそうした作品と、新作の曲とでは、作り方、音楽への向き合い方にどのような変化があったのでしょうか。
D:人生について学んだってことが大きいですね。世話をしなくてはいけない子供をもつことはその助けにもなりましたし。でも、そんなに大きくは変わっていません。ある考えが浮かんできて、それに従っていると曲になったりする……その繰り返しです。ただ、レコーディングが実現しない時間が長かったので、気力は落ちるしイライラしたりもして……曲を作るのを止めようとさえしたことも何度もあります。でも、曲だけはずっと書き続けてきたんです。
――曲のモチーフはどうでしょうか? 初期の作品は、若者のパッション、焦燥、苛立ち、迷い、女の子特有の繊細な悩みや溌剌とした希望などが歌詞に現れていました。子供の名前をアルバム・タイトルにつけるような立場になった今、あなたの歌詞のモチーフは変化したと言えますか?
D:私の曲は個人的なものであったり、物語を語っていたりもします。でもいくつかは我々がどう生きるかということに関係があります、例えば動物への迫害が地球規模の悲劇の一端であったかもしれないというような……。そこから私たちは何かを学ばねばいけないし、学んでほしいんです。人間は声を上げることもできない無力な仲間である生物たちを、無慈悲な行動で服従させてきました……そう、私は動物のことが気がかりなんです。「Harry」はもちろん息子についての歌です。ただ、いくつかの歌はリスナー自身が意味を発見する歌になっていると思うんです。私にとって思い入れの深いテーマについての曲も含まれているんですよ。
――今回、レコーディングするにあたり、どのような環境で制作したのでしょうか。この20年ほどの間で録音制作はかなり手軽になりましたが、機材の発達に対してはあなたはどのように対応したのでしょうか?
D:レコーディングの仕方が変わったことで、随分と考えるべきことがありました。昔のスタジオと現在のスタジオの大きな違いは、完了するまでの時間が確かに短縮されたことと全般的な技術の進歩にあります。どの現代のスタジオでも音作り、録音の選択の幅は広がりました。と言っても、結局、いいなと思える音は60年代……いいえ、それ以上前の作品だったりもするんです。なので、そうした時代の音の質感を求めることに集中しました。今回のエンジニアのオリー・ハーマーはいわゆる「技術オタク」で、少しくらい面倒なことをお願いしても快く手伝ってくれましたけど。
ただ、スタジオでは基本私が一人で全てをジャッジしたので、昔、バンド・メンバーとワイワイ言いながら録音していたあのやり取りがすごく恋しくもありました。特にアルバムからの先行曲が出た時には周りに当時の仲間がいなかったから寂しくもありました。だって、当時のメンバーはビディ以外誰もここにはいないんですから……。このアルバムに参加したのは実際に会ったこともなく、一緒に演奏したもないミュージシャンがほとんど。私は一人で作業をし、他のミュージシャンはそれぞれ別々の日にスタジオで録音して、それをつなぎ合わせるというやり方だったんです。それでも、私が考えてお願いをしたリフをちゃんと弾いてくれたりして……今回のアルバムに参加してくれたみんなには心から感謝しています。今回はとにかくアルバムを作れて曲を発表できたことが何より嬉しいことでした。
――普段、リスナーとしてどういう音楽を聴いているのですか?
D:結構新しい音楽を聴いていますよ。『Student Radio』というオークランドのラジオ・ステーションがあって、私たちの音楽や他のニュージーランドのローカル・バンドの音楽を流しているんです。息子のハリーはビリー・アイリッシュとか新しく刺激的なポップ・ミュージックが大好きで、私も一緒に聴いていたりしますよ。ただ、じゃあ、曲を作るにあたってそういう音楽からインスピレーションを受けたかと聞かれたら、それはやっぱりラズベリーズ、ラヴ・アフェアー、オズモンズ、バッドフィンガーなどの60年代、70年代のポップ・ミュージックになるんですよね。ワクワクするようなメロディとコーラスのあるバブルガム・ポップとかが今も大好きなんです。
――そう言えば、あなたがたと同じ時代に活動していたバンドのいくつかは今も健在ですね。11月に38年ぶりの新作をリリースするザ・バッツ、彼らと親交のあるザ・クリーンなどとは今も交流があるのですか?
D:ええ。実はザ・クリーンとはライヴをオークランドでする予定なんです……尤もCOVID-19次第ですが。ザ・バッツとも一緒にやるかも……! ただ、ニュージーランドと言っても、私たちDFPはノース・アイランドのオークランド出身で、彼らはサウス・アイランドのダニーデンとクライストチャーチ。実はとても遠く離れているのです。だから、昔から仲が良くて交流していたというわけでもなくて。さっき、90年代にザ・チルズと一緒に活動していたことがあると話したけれど、その頃ロンドンで1度だけその2つのバンドを観たことがあるんです。それが最初だったかもしれない。彼らはみんなとても紳士的でした。ギグの後、私たちの機材をバンに積み込むのを手伝ってくれたりしました。ああ、そう言えば、最近、トール・ドワーフスのクリス・ノックスに食料品店で会いしました(笑)。
――ニュージーランドは、世界的に成功を収めているロード、オルダス・ハーディング、ベニーなどなどメジャー/インディー問わず、女性のアーティストが活発という印象があります。今の首相、アーダーンも女性です。世界的にもアーダーン首相の政治の素晴らしさが伝わっていますね。もちろんあなたがたはそうしたニュージーランドの女性の活躍に先鞭をつけたバンドでもあります。
D:そうね。ニュージーランドは強い女性たちが多いことで良く知られています。今名前をあげてくれた女性ミュージシャンたちはここニュージーランド特有の冒険的で勇敢な資質を持っていますよね。私は彼女たちの成功を誇りに思っていますし、私のプレイリストにはベニーやオルダス・ハーディングが入っているんですよ! ニュージーランドは小さな国ですが、とても素晴らしい功績を多く残していますね。
――ニュージーランドはCOVID-19の感染をある程度押さえ込んでいますが、ライヴやイベントの開催についてはどういう状況ですか? またDFPはこれからどういう活動を考えていますか?
D:実のところやっぱりライヴはなかなか難しい感じなんです。私たちのショウも予定されている分は延期される可能性があるのでちょっと残念……。でもそれは私たちだけではないので、たぶん世界中どこも同じじゃないでしょうか。DFPはこれをきっかけにもっともっと積極的にやっていければと考えていて。出来ればフレッシュな作品をこれからも作り続けていって、新たなソングライティングにも大胆に挑戦していければと思っています。COVID-19に覆われた世界で心理的にも精神的にも肉体的にも健康でいること自体がまず大きなハードルですよね。我々人類全員の挑戦です。でも、ポジティヴでいないといけないし、それこそがCOVID-19に負けない何よりのカギになるんじゃないでしょうか。そういう意味で、音楽は大きな支えになってくれるんじゃないかと思っています。
<了>
Dead Famous People
Harry
LABEL : Fire / CA VA? Records / Hayabusa Landings
RELEASE DATE : 2020.10.09
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Tower Records / HMV / Amazon / iTunes
Text By Shino Okamura