初来日公演に見たエキセントリックでカルトなだけではないコナン・モカシン
4月15日に新代田《Fever》で行われたコナン・モカシンのライブを観に行った皆さん。音源で聴ける線の細い歌声の印象から、ともすればヘタウマな世界が繰り広げられると思いきや、その繊細なヴォーカルに圧倒される、めちゃくちゃ良いライブでしたよね!
あの思いがけない(?!)感動をライブ・レポートという形で伝えるべく、机に向かって気付いたのだが、空間的なインタールードを挟みながら次の曲へと繋いでいくスタイルもあってか(あの場にいた誰しも、これほどまでに拍手のタイミングを迷うライブ演奏は経験した事が無いのでは…)、セットリストが後半に演奏された「I’m The, That Will Find You」や「Sexy Man」といったフックの強い曲で畳み掛けた後半以外まったく記憶から蘇ってこない。ライブが非常に良かった分、なんだか本当にサイケデリックな体験だったのだという強い気持ちが湧いてくる。
幸いにもHOSTESS ENTERAINMENTが当日のセットリストをプレイリストにまとめてくれているので、こちらに目を通しながら少しずつ記憶を手繰り寄せていこうと思う。と思った矢先に、プレイリストでは「Fake Jazz Together」が1曲目となっているが、バンドが入場するとともに即興的なアンビエントを挟んで音源では聴いた事がないヴォーカルの入った楽曲が奏でられたと記憶している。音源版「Fake Jazz Together」のビートが入る前のコードにもメロウで幻想的なコードの反復を基軸にし、「お! そこいくのか!」と思わされるアブストラクトなコードが挟まれ、コナンの息や喉の繊細なコントロールがされたウィスパー・ヴォイスが乗り、思わずため息が出そうな、そんな楽曲だった。普通なら、プレイリストに載っていないから、あれは新曲だったのかな〜と思うところであるが、なんだか気持ちの良い夢を見たけれど、目を覚ましてみれば何も記憶にない朝のような感覚もあって、あの日の1曲目は本当にあったのか、いや実際には演奏されておらず、その場のムードが作り上げた記憶なのか、全くもって分からないのだが、それくらい時間、空間、意識が朦朧としてしまうような本当の意味でのサイケデリックな演奏が繰り広げられたのは確かである。この幻かもしれない1曲目からビートが抜け、バンド・メンバーによるウィスパー・ハーモニーが響き、そのまま聴き馴染みのある「Fake Jazz Together」へ展開していくさま本当に圧巻であった。
思い返してみれば、コナン・モカシンの録音盤「Forever Dolphin Love」、「Caramel」を聴いていても、アルバム通しての流れや、トラックの繫ぎが非常にユニークである。音源ではSEやインスト曲などが配置され、特に「Caramel」では、ポップ・フォーマットを成したトラックよりもそういったトラックが多く配置されているのが象徴的である。ライブではそういった“つなぎ”部分をインプロヴィゼーション・パートとして挿入されているのは、You Tubeで観る事が出来るフル尺ライブ映像で見て取れる。
そして、そこで耳を惹かれるのがコナンのトレードマークであるカッタウェイを削ぎ落としたストラトキャスターから繰り出されるギターの音色である。ストラトキャスターならではのピッチ幅の広くゴムのような弾力を含んだトレモロ・アーム使いに、ピッチシフターやモジュレーションを駆使したプレイはジミ・ヘンドリックスやエイドリアン・ブリュー、そしてとびっきりユニークなブルース・ギタリスト、ジョニー・ギター・ワトソン(のちにブルースというよりは、ソウルに接近しまくる後期の音源はコナンの楽曲にも近いフィール)を彷彿とさせる。
コッテリとしたブルース・フィールたっぷりのギター・リックも、ローランドのJC-120から繰り出されるペナペナな音色によって土臭さは微塵も感じさせず、なんともストレンジな響きを有しているのが面白い。本公演でもそういったプレイが「It’s Choade My Dear」や、「Charlotte’s Thong」でたっぷりと聴く事が出来た。こういったオーセンティックなブルース・ロック・イディオムのギターと、エイドリアン・ブリューが動物の鳴き声を真似たような非音楽的なトーンを、いわゆる筋肉質なロック・ギターではなく、ニューウェイヴを経由したアンニュイさを持って体現しているのは世界広しでも、コナン以外に思い当たらない。
この自由奔放の文字があまりに似つかわしいコナンのギター・プレイを、阿吽の呼吸で支える、リズム・セクションも目が離せなかった。インプロヴィゼーションとアンサンブルの行き来が自由自在で、DJが盤を繋ぐようなセクションの切り替えから、ライブ後半のハイライト「Forever Dolphin Love」での、インター・パートでのBPMの加速、ダイナミクスから、繊細なヴォーカルを邪魔しない歌裏での人力ヴォリューム・ダウンなど、まさにコナンが今その瞬間に閃いたような楽曲展開にバチリとハマるアンサンブルが印象的であった。互いの音の合間を縫うキックとベースの絡みからタイトなシンコペーションを使い分け、必要最低限の音数でドライヴィンなグルーヴを操っていたのは、いかにも今日的なバンド・アンサンブル。フィジカルとマシンイズムと、そして表層はチルでも、身体の内からドライヴィンなグルーヴを生み出すインナー・ファンク感は、まさに2019年のバンド・サウンドにおける1つの理想型と言えよう。フローティング・フィールたっぷりのこのソフトなファンク・サウンドは、打ち込み主体のR&B、ヒップホップ系のミュージシャンがタイニー・デスクに出演した際に、音源ではバキバキのエレクトリックな仕上がりとなっている楽曲が、優しくてフィジカルなサウンドに生まれ変わった時のそれとよく似ている。
アンコールでは、ニューレイヴ一派の代表格レイト・オブ・ザ・ピアを率いたサム・ダストとのユニット、Soft Hairの楽曲「Lying Has To Stop」が演奏された。Soft Hairの『Soft Hair』(2016年)は、ちょうど『Caramel』(2013年)と最新作『Jassbusters』(2018年)のリリースの間に制作されている。サム・ダストとの共作盤となっているものの、そのサウンドの核は完全にコナンが握っているようで、「I’m The, That Will Find You」で聴かせたような80Sディスコ・ブギーをR. スティーヴ・ムーアやピーター・アイヴァースが演奏したかのような、ストレンジ・ファンクのスタイルを更に押し進めたようなアルバムに仕上がっている。
ファースト〜『Caramel』、そしてSoft Hair名義での『Soft Hair』までのサウンドの特徴は、やはりモジュレーションとピッチ・シフターの混ざった、子供のような声で歌うコナンの歌声が印象深い。そこには、どうあがいても歌い手自身の鏡と化す歌声を、ある種、別の人格のモノとして距離を置くようなスタンスを感じ取れる。それはFrank Ocean「Nike」のような。ここで改めて『Jassbusters』を聴くと、ほとんどエフェクトのない素の歌声で歌うヴォーカルが浮かび上がってくる。“音楽教師たちによるバンドが繰り広げる如何わしいメロドラマ”という筋書きは、シャイさの現れかもしれないが(素のコナン自体が如何わしい音楽教師であるというと、それはそれで納得!)、ブレスやゴーストノートを繊細にコントロールした本作での歌声は、エキセントリックでカルトなどというキャッチ・コピーでは方付けられない、ストレートにシンガーとしての魅力が反映された作品であると感じる。それでいて、彼の素の歌声もまた実に音響的。
とはいえ、この先、直球のソーシャルなポップ・ミュージックだとか、このストレートな歌声の良さをそのままにパーソナルな…だなんて彼に望むのもナンセンスな話であって、逆にここまでもくると何をやっても、どんなに普通な事をやっても、どんなにアブストラクトな事をやっても、どんなに上手くやっても、下手にやっても、予想の付かぬ方向からのアプローチだと嫌みなく感じられる希有な立ち位置にいるミュージシャン。今後の活動にも緩やかな期待!!!(岡田拓郎)
写真/Yuki Kikuchi
■Connan Mockasin Official Site
https://www.con-nan.com/
■ホステスエンタテインメント内アーティスト情報
http://hostess.co.jp/artists/connanmockasin/
Text By Takuro Okada