「ありのままで差別されることなく安心していられる空間を創って提供したい」
フィービー・ブリジャーズのお墨付きをもらったクロード
ジェネレーションZ世代の本音
最もデビュー・アルバムが待たれていたアーティストの一人である。ニューヨーク拠点のシンガー・ソングライター、クロード(Claud)。鮮やかなグリーンとブルーに染められたクシャクシャのヘアに丸いメガネがチャーミングな21歳。2018年に大学で知り合った友達とToastとして曲を発表したことを最初の一歩として、クロードはそこからコツコツを作品を公開してきた。その中には“もし私があなただったら、私は自分を嫌いになるわ”などのくだりが印象的な「If I Were You」、“あなたがゲイだったら私を抱きしめて”というフレーズが強烈な「Wish You Were Gay」といった、自身のクィアーなアイデンティティに苦悩するかのような曲も少なくない。
リリースされるや欧米のメディアで大きな話題を集めたそんなクロードのファースト・アルバム『Super Monster』が、フィービー・ブリジャーズのレーベル《Saddest Factory》からリリースされたことには大きな意味がある。世代、性別、フィールドを超えて様々なアーティストとコミットしているフィービーは、このクロードや、アルバムにも参加しているクレイロのような“ジェネレーションZ”とも言える若いアーティストのフックアップにも一役買っているまるで人間交差点のごとき存在。そんなフィービーはここに直接参加しているわけではないが、70年代の正統派シンガー・ソングライター的とも言える素朴なメロディと、近年のベッドルーム・ポップ・アーティストやトラックメイカーたちが作るような柔軟でカラフルな音作りを出合わせたクロードのアルバム『Super Monster』を、2020年代という新たなディケイドにふさわしいフレッシュさに溢れた1枚へと導いたことは間違いない。
大学時代からの仲間であるジョシュア・メーリングら親しい友人や新しいコラボレーターらと新たな時代に輝こうとするそんなクロードのインタビューをお届けする。ミニプードルとマルチーズのミックスである犬を抱っこしたりとリラックスした雰囲気の中、リモートで顔を見ながら話を聞いた。
(取材・文/岡村詩野 通訳/染谷和美 写真/Angela Ricciardi)
Interview with Claud
──今、そちらはどこですか?
Claud(以下、C):今、実はカリフォルニアの祖母の家にいて。住んでいるのはNYだけど、ここ数ヶ月はこっちの家族を訪ねたりしている感じ。
──私はあなたの「Wish You Were Gay」を聴いてうちのめされました。今日はあなたのキャリアをいろいろ伺えればと思っています……が、その前に、コロナは大丈夫ですか?
C:コロナの状況は最悪よ。カリフォルニア滞在が長引いている主な理由もそれ。こっちは感染率がすごく高くて、状況は悪い。とにかく何も進まないし。ショウをまったくやれないのがすごく悲しいのと、あと人に会えないのも……やっぱり音楽ってコラボレーションだしソーシャルなものだから、人とのやり取りとか新しい出会いとか、そういうのが直接できないのはキツイなあと思ってる。でもまあ、私はほとんど大人しく家の中にいるけど(笑)。
──あなたはシカゴ出身ですが、幼少時にご両親が離婚されているそうですね。音楽やカルチャーに目覚めたきっかけは、そうした生活の中でどのように得たのでしょうか?
C:ええ、経歴はその通り。でも、音楽には最初から超惹かれてて、子供の頃に誰かがサイストってバンドを私に教えてくれて、あと、キーボードでコードを幾つか教えてくれて、そこから自分で曲を書くようになったのがきっかけ。ほんと、教わった4つぐらいのコードから始まって、どんどん自分で覚えていったの。学校の成績がいいと親がギターを買ってくれたりとか…うん、そんな感じの始まりだったかな。楽器は複数……かなり子供の頃からやり始めていた。というか慣らしてみる程度だけど……10才か11才か、その頃に始めたの。確か最初はギターで、次がピアノを少し。先生に教わったことも少しある。とにかく10代の頃はアコースティック・ギター一辺倒に近くて、その頃作っていた音楽ももっとフォークっていうか、ソフト・ロックっていうのかな……そんな感じだったの。と言っても、初めて書いた曲は全然ダメ(笑)。くだらない、バカみたいなラヴ・ソングだった。ただ、ジェイムス・テイラーが大好きで、キャロル・キングも大好きで……って感じでいろんな音楽を聴いて影響を受けたとはおもう。今、53才の父親がそういう昔の音楽をたくさん聴かせてくれて。父はロックが大好きな人で、ロックTシャツもたくさん持っているようなリスナーなんだけどね。
──そうしたストレートなフォーク、シンガー・ソングライター指向が変化したきっかけはありますか?
C:ニューヨークの大学には進んでからかな。そこで音楽をプロデュースしている友達と出会って、その彼が私のサウンドを全然違う世界へ運んでくれた。それが今も一緒にやってくれているジョシュ(・メーリング)。彼とは大学初日に出会ったの。尤も、私は大学は一年でやめちゃった。理由は音楽活動でツアーに出るようになったから。大学で勉強したのは音楽ビジネス。音楽そのものじゃなくて、むしろビジネス面。楽しかったけど、あまりにも短期間だったので……でも学んでいた内容自体はとても好きだった。とはいえ、学校には一年しかいなかったので、授業はほとんど数学とか科学とかで。実際に音楽に関することは全然やってなかった。ただ、友達が大勢できたのと、新しくいろんな音楽を知れたのが一番の収穫かな。実際、ジョシュと私はToastという名前で一緒にやり始めたし、私が学校をやめた後も彼は学校に残って、それでもずっと一緒に活動して、いつも一緒に音楽を作るようになった。今回のアルバムに入った曲も幾つか彼のプロデュースだしね。ただ、バンドらしいバンドにいたことはなくて、わたしともうひとりでデュオをやっていたのと…あぁ、でも幾つかバンドでプレイしたことはありますね。例えば、数週間しか続かなかったけどスマッシング・パンプキンズの曲をカバーをやったりして楽しかった。楽器はみんな持ち替えで色々やってたの。
そうやってジョシュとかの影響も受けて、その頃からそれまでに聴いてなかったような音楽を聴くようになった。中でもロビン(Robyn)が好き。あと、ジ・エックス・エックスも。ロビンの曲ってとても悲しいんだけど、なのに踊れるっていうのがすごくいい。泣きながら踊っちゃう、みたいな(笑)。エックス・エックスについてはプロダクションがホント好き。あの人たち、最高のプロデューサーでもあるのよね。
──あなたが独自の音楽スタイルを身につける過程で最も意識していたのはどういう部分でしたか?
C:ひとつのジャンルにはこだわらないようにしているってことかな。自分のサウンドで出来るだけ実験することを心がけているし、実際にそれをやること自体すごく楽しいと思っていることが何より大きいと思う。曲作りが自分の強みだという感じは間違いなくしているし、常により良い曲を書けるように努力している。そうやって自分のやり方を身につけたんだと思ってるの。曲作りのメソッドはピアノだったりギターだったり。ピアノで作るとスローで悲しい曲になる傾向があって、ギターの方が元気が出るタイプの曲になる。これは単純に楽器の音がそうだからかもしれない。ギターの方がハッピーな感じで、ピアノは暗くて重たい感じがするでしょ。
──アルバム『Super Monster』はフィービー・ブリジャーズのレーベル《Saddest Factory》からのリリースですが、どういういきさつで出すことになったのですか。
C:フィービーの音楽は大好きで、もう何年も前からファンだったの。彼女が私の音楽を聴いてくれるようになる、その前からずっとね。で、少し前になるけど、誰かが私の音楽を彼女に紹介してくれたのをきっかけに話をするようになって。彼女が私のショウに足を運んでくれるようになったりもしたので、《Saddest Factory》どんな感じなのかとか、彼女がどんなヴィジョンで始めたレーベルなのかとか、そんな話をするようになった。そうこうしてるうちに私もすっかり乗り気になって、楽しみになってアルバム制作により一層力を注ぐようになったの。そしてアルバムが完成して、彼女のレーベルと契約することにしたって流れ。ただ、アルバムの大半は、フィービーと契約の話をする前に出来上がっていたかな。
アルバムの録音は一部はLAで録ったけど、大方はニューヨークで作ったもの。候補として50曲ぐらいあった中から選んだ基準は、いわば音の具合。並んだ時によく聴こえるとか、自分なりに安心感を提供できると思う曲と、何か別のものを感じさせる曲……みたいな感じとか。あとは歌詞の内容も基準になった。私、歌詞においては同じことの繰り返しが多くて、まったく同じことについて10曲とか書いていることもあるの。それに気づいたら、その中からベストを選ぶようにしたりね。
──アルバムの歌詞を聴くと、ハッピーでもサッドでもない、ハローでもグッバイでもない、どちらでもないし、どちらでもあるような中間……“somewhere in the middle”とも言えるよう気持ちを綴ったものが多い印象です。それはあなた自身がクィアーであるということとも無関係ではないと思いますが、そうした中間の感情を歌にする理由はどういうところにあると思っていますか?
C:うーん……ちょっと待ってね、えぇと……たぶん私、場合によってちょっとシャイになったり内省的になったりっていうことがあるんだと思う。そうすると歌詞が他の人や自分以外の状況を観察する中から出てくるの。ただ……うん、でも最近はちょっとシャイじゃなくなってきて、前より少しは自分の殻を破って外に出るようになったと思う。だから、その時によるかな。
──曲を描き続けることで変化してきているという自覚もありますか?
C:確かにそれはあるかも。たくさん振り返って考えないと状況も人間関係も距離も理解できないし、直感的な曲を書けるようにならないと思うし。状況であれ人であれ、ちゃんと理解できていないと曲にはできないと思うから、たくさんの反省と観察が必要になるんだと思う。
──では、アルバム・タイトル『Super Monster』のモンスターとは何を象徴するものだと考えますか?
C:モンスター的な何かは常に存在すると思う。でも、誰かにとってのモンスターは他の誰かにとってのスーパーヒーローってこともあり得るから、必ずしもどちらかではないとも思うのね。でも、そうだなぁ……うん、自分の中のモンスターが何なのかは、まだわかっていないかな。ただ、以前、誰かにダニエル・ジョンストンのすごく古いスケッチを見せてもらったことがあったんだけど、そこに“Claud The Supermonster”って書いてあったのが私にとっても響いて。それが今回のアルバムの世界につながったと思う。私はダニエルのアートも音楽も大好きなので、彼の家族にコンタクトをとって、そのタイトルをアルバムで使わせてもらえるか問い合わせたらイエスって言ってもらえたの。
──あなたが高く評価されているポイントの一つは、「ジェネレーションZ」としての代弁者、また、クィアー・アーティストとしての発言力にあると思います。今回のアルバムにも同世代のクレイロが参加していますね。あなた自身、「ジェネレーションZ」らしいな、と自分でも感じる瞬間はどういう時でしょうか? そして、それがソングライティングにどの程度反映されていると思いますか?
C:そうね……思うんだけど、私たちの世代はインターネットにすごく依存していて、例えば私の友達の多くはオンライン上にいるし、コネクションができるのもソーシャルメディアを通じてがほとんどだったりするでしょ。それが私の音楽にどれくらい反映されているかはわからないけど、私の日常がインターネットを通じて人と繋がることを中心に回っていることは確か。それがコミュニティ的な広がりや、自己表現の選択肢の多様さを引き出しているかどうかについては……うーん……それもちょっとまだわからないな。自分ではただ、ありのままで差別されることなく安心していられる空間を創って提供したいという気持ちがあるだけなの。だからわからないな、やっぱり。私は音楽を作る、ただそれだけ(笑)。書いているのは私の生活であり経験、それだけなの。
──では、幼少時の両親の離婚、クィアーであることなどで、他者とのコミュニケーションの難しさを感じることはありませんか?
C:私には音楽がある。自分の気持ちや感情を理解して伝える唯一の手段が音楽だったから、プレッシャーって本当にあんまり感じてなくて、むしろ、みんなと繋がれることをラッキーだと感じているの。実際、自分の音楽で共感してもらえるのはすごく嬉しいし、たぶん前より孤独じゃないと思えるようになった。同時に、苦しんでいる人たちの力になれるのがわかってきたから……今はそれがとても嬉しいの。
<了>
Claud
Super Monster
LABEL : Saddest Factory / Dead Oceans / Big Nothing
RELEASE DATE : 2021.02.12
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Tower Records / HMV / Amazon / iTunes
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Text By Shino Okamura
Photo By Angela Ricciardi
Interpretation By Kazumi Someya