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チャンス・ザ・ラッパー6年ぶりのアルバム『STAR LINE』に迫る
──消えかけている“無邪気さ”に寄せて

16 September 2025 | By Tatsuki Ichikawa

スパイク・リー監督の映画『シャイラク』(2015年)は、ギャング同士の抗争や貧困により、治安が悪化し、未来ある子供の命が危険にさらされるシカゴのサウス・サイドで、男たちの武装抗争を止めさせるべく、コミュニティの女性たちが団結し、男たちにセックス・ストライキを実行したことで起こる波乱を描いたポリティカル・コメディだ。“シャイ・ラク”というのは、2012年に治安悪化が著しいシカゴの殺人件数が、イラクでの米兵死亡者数を上まったことで付けられた蔑称。上記の映画や、ニューヨーク・タイムズなどが記事の見出しにこの言葉を使ったことをはじめとして、メディアによって2010年代前半から半ばにかけて広められた印象もある。

2010年代前半に、シカゴではドリル・ミュージックも隆盛し、チーフ・キーフをはじめとするラッパーたちが、シカゴのストリートの現実を克明に音楽で表現していた(映画『シャイラク』の大きな欠点は、その場所のラップ・ミュージックの存在へ言及をする一方で、まさにこういった兆候を分析できず、ラップ・ミュージックの扱いを偏ったステレオタイプにとどめてしまっていることだ)。そんな中で、コモンのコンシャスネスやカニエ・ウエストのドリーミーな世界観を引き継ぎながら、ストリートのドキュメントと精神的な表現を鮮やかに折衷させるものとしてチャンス・ザ・ラッパーは現れた。

ギャングスタ・ラッパーがライヴ中に殺されるところから始まり、全体をゴスペル、ソウル・ミュージックのサウンドトラックで構成する映画『シャイラク』では、コミュニティの悪循環を憂うブラックの人々が集い、議論し、祈る重要なスペースとして地元の教会が機能していたが、チャンス・ザ・ラッパーの音楽も、同時期に隆盛を極めていたドリル・ラッパーたちの音楽と比べて、一層メロディアスで、ゴージャスでありながらナイーヴで、サイケデリックで、何よりも教会音楽に親しみがあった。彼は、誠実なクリスチャンであり、ストリートの理解者であり、地域への奉仕者であった。まさにグッド・ボーイ、優等生的なイメージを獲得する一方で、彼の楽曲に潜む、もう少し普遍的なテーマを分析されることも多かった。とりわけ目立ったのは、(それこそカニエの2000年代の音楽がそうであったことと重なるように)子供から大人へ成長することについて、子供と親という存在の切り離せなさや子供時代の回想についてだろう。ルカ・グァダニーノのテレビ・シリーズ『We Are Who We Are』(2020年)において、思春期から青年期へ移行するような性自認の確立していない主人公の少年に被さるBGMとして「Same Drugs」(2016年のミックステープ『Coloring Book』収録)が引用されていたのは、象徴的な彼の楽曲へのイメージの一つだ。

確かにチャンス・ザ・ラッパーの音楽はノスタルジックな要素が強い。しかしそれが陶酔的なものであると一概に言い切ることはできないだろう。例えば「Summer Friends」(『Coloring Book』収録)は、地元のストリートで過ごした幼少時代を回想しながら、銃撃により子供達が命を落とすシカゴの日常をモンタージュのように映している。「夏の友達はすぐいなくなる」というコーラスは、子供時代という精神的な終わりを指しているようにも聞こえるし、実存がある日突然奪われる肉体的な終わりを指しているようにも聞こえる。彼の楽曲に宿るメランコリーは、内省とフィジカルを両方捉えることによって、多義的な情感を獲得している。土地のリアル、実感でありながら極めて普遍的でもある。その絶妙なニュアンスをチャンスは音楽でカラフルに見せてきた。

3枚のミックステープを経て放たれたファースト・アルバム『The Big Day』(2019年)は、少年が大人へ成長したアルバムだ。当時のパートナーとの結婚、その祝祭的な瞬間を一枚のアルバムに収めた。人生に訪れた幸福と自身の成長を祝う、踊るための豪華絢爛なヒップホップ・アルバムは、ハウスやファンクのユニークな仕掛けを施して、あたり一面をカラッとした陽光が照らした。彼は人生の高揚と共に踊り狂った。大切な人、人生の責任、成功、ともかく何かを手にすることの素晴らしさによって、ピュアな何かを手放さなければいけないわけではないと高らかに宣言するように。

チャンスの一貫しているところは、平たく言えば率直なところ。あるいは、現実から目を逸らさず、大事なことを言うことと、無邪気であり続けることが両立できると(あるいは「無邪気さを手放さなければならないのか?」と問いかけるように)音楽で証明してきたところである。

そんな彼の最新作『STAR LINE』のシリアスなムードは、『The Big Day』と本作の間で経験したパートナーとの離婚が大きな要因であることは想像ができる。

アルバム全体は、彼らしくネオソウルやゴスペルの要素を塗したヒップホップをベースにしているが、そういった音楽的な要素が、今までに比べて控えめな楽曲が並ぶ。タイトルは、ジャマイカ・ルーツの黒人活動家、起業家のマーカス・ガーベイが1910年代に設立した貿易会社「ブラック・スター・ライン」から引用されており、例えば、「The Negro Problem」では、タイトル通り現代において黒人の人々が直面する問題について、大きく分けて人種差別と医療制度という二つの切り口でラップしている。かつて「Blessings」のような曲で、BLMへの言及があったように、人種問題も彼にとって重要なトピックの一つで、本作ではそれをより大きなテーマとして提示している。ちなみに、同じイリノイ州出身のコメディアン、リチャード・プライヤーの音声をところどころで引用していることも、その秀才っぷりを発揮している。

一方で、上記のように、このアルバムがより個人的なものになっているという事実も見逃せない。最近、人生の現在地点を内省的にアルバムに落とし込んだ好例としてタイラー・ザ・クリエイター『CHROMAKOPIA』(2024年)が頭をよぎるが、このアルバムはもっと俯いている(最もタイラーはその後に、現代から消失しつつあるピュアネスを取り戻すべく身軽なダンス・アルバムを放った)。

もちろん、楽しい瞬間がないわけではない。「Tree」はスミノとリル・ウェインが参加したストーナー・ラップで、『Acid Rap』(2013年)のドラッギーな幻覚(回想)世界とはまた違った、即物的な快楽主義に溢れている。ミュージック・ヴィデオで綺麗な女性たちとそこで育てられている大量の草に心躍らせているチャンスの姿は、童心が戻ったようである(同時に、リル・ウェインのヴァースにて、ではあるが、シャイ・ラクへの祈りも忘れずに)。

しかし、本作の宇宙的な感触は、初期のチャンスが提示していたドリーミーで壮大な世界観とはまた違ったムーディーで、何かに逃避したいという願望すら感じられる。上記に記したマリファナでのトリップ、さらに、3年前にシングルとしてリリースされていた「The Highs & The Lows」では、ヨーロッパに飛び出しトリップする。人生の浮き沈みを経験した彼は、様々なものを本作で達観しているようにも思える。音数の多い賑やかなアンセムも、ひたすら踊れるような場面も持たず、そういった祝祭感は消失している。

つまりチャンスは戻れないところまで来たのかもしれない。多くの浮き沈みを経た『STAR LINE』は、過去の無邪気な彼の姿が最も切なく映るアルバムである。決して悪いわけではないし、むしろ、率直な彼の現実を鏡写しにしたアルバムとしてはコンセプチュアルな面でよくできていると思う。しかし一方で、メトロ・ブーミンの素晴らしき無邪気なニュー・アルバムを(それこそ6年前の夏における『The Big Day』のように)今年の夏のサウンドトラックとして延々垂れ流している筆者自身の個人的な事実があるように、彼の次の作品がいつになるかは分からないけれども、きっとまた垢抜けた作品を作ってくれるとどこかで期待していることも、ここに書いておきたい。(市川タツキ)

 

Text By Tatsuki Ichikawa


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Chance the Rapper
『The Big Day』
http://turntokyo.com/reviews/the-big-day/

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