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映画『チャレンジャーズ』
すべてが動き続けるということ

27 June 2024 | By Tatsuki Ichikawa

今日における、快楽主義者たちの居場所は……というよりもそれについての表現というものは、だんだんと主流から外れていたように思える。

例えば、昨年のヒット作『バービー』は、一種の反快楽主義の映画として見ることができるだろう。バービーたちの理想からかけ離れた(一方でケンにとっては理想的な場所として、彼に男性優位主義という“新しい価値観”を植え付ける)場所としての人間界の舞台は、カリフォルニア。グレタ・ガーウィグのデビュー作『レディ・バード』(2017年)が「カリフォルニアの快楽主義を語るものは、サクラメントのクリスマスを知らない」というジョーン・ディディオンの言葉の引用から始まるのは象徴的だ。ガーウィグはアメリカの快楽主義の裏側(そこに潜む淡々とした退廃的な青春、悪名高き家父長制、男根主義)を映す現実主義者の映画作家でもあった。映画『バービー』は、衝動的な、性的な、そして何よりもアクションを捉えるという純映画的な、全ての快楽を抑制し、思考や議論を促す映画としてクライマックスを迎える。そしてその試みはある程度成功しているように見えるし、この現代においては明らかに“正しい”と言えるかもしれない。これが2010年代におけるポリティカルコレクトネスの分析を踏まえた、2020年代らしい態度ということなのだろうか。

一方で、例えば私が昨年のリル・ヨッティのアルバム『Let’s Start Here.』を気に入っている一番の理由は、これが欲望についてのレコードであると考えるからだ。リル・ヨッティは酒、セックス、ドラッグの目眩い蛇行を音楽で実現させた。そこにはある種の動物らしさ、人間らしさが生々しく周到に備わっており、性愛や逃避に対する肯定的なスタンスが滲んでいる。または、6月7日にリリースされたチャーリーXCXの新作『BRAT』はどうだろうか。、すでに各方面から称賛の嵐を受けているこのアルバムは、確かに私にとっても彼女の作品の中で最高の一枚である。美しき円環構造、ダンスフロアの運動と官能のコネクト。これもこれで、2024年らしい、そして相応しいレコードと言えるのではないか。まあ相応しいかはともかく、少なくともこれらの音楽作品が、なぜ退屈しないのかというと、常に動きを見せているからだろう。そこには、呆れるほどに生々しい感情や欲望があり、それらを抑制しないでいることで、発せられるアクションを、そのことによって起きる何かを見つめているのである。

©2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.©2024 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. All Rights Reserved.

紛れもなく、ルカ・グァダニーノという人の映画もまさにそういう作品である。新作『チャレンジャーズ』は、若き3人のプロテニスプレイヤーの、10年以上に及ぶ三角関係が、「チャレンジャーズ」大会の決勝戦に結実していく様を、時系列を行き来しながら語っていく、いわゆる古典的な男女3人の恋愛映画であり、実際に見ている間、過去の“3人映画”の数々が頭をかすめるようなフィルムである。エルンスト・ルビッチ『生活の設計』(1933年、原題:Design for Living)、スティーヴ・クローヴス『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)、アンドリュー・フレミング『スリーサム』(1994年)、アルフォンソ・キュアロン『天国の口、終わりの楽園』(2002年、原題: Y tu mamá también)、ベルナルド・ベルトルッチ『ドリーマーズ』(2003年)、オリヴァー・ストーン『野蛮なやつら/SAVAGES』(2012年)……。ルビッチが90年前に映画を通して提案した“紳士協定”は、このポリアモリーの価値観が広がる現代に至るまで、多様な関係性のあり方と、その行く末を辿ってきた。そしてその変遷に映画『チャレンジャーズ』も見事加わった言うことができるだろう。

ルカ・グァダニーノという人の作家性を二つの単語で表すとしたら、“ダンス”と“セックス”ということになる。そしてその二つの共通項は動き続ける(Action)ことである。それは、アクションを捉えるという、純映画的な快楽と非常に相性がいいのではないだろうか。

©2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.©2024 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. All Rights Reserved.

それらは直接的に映されるものもあれば、メタファーとして作品内に存在しているものもあるが、本作におけるその二つのキーワードを表現しているのは“テニス”ということになるだろう。ゼンデイヤ演じるタシ・ダンカンが前半で語るテニスの本質は、この映画においてテニスがセックスと同義であることを示している。

テニスとは相手との関係性、お互いを刺激し合い高みを目指す──タシが語る“良質なテニスの定義”は、この映画において揺らぐことはない。基本が偶数のスポーツであるテニスを通して奇数の関係性を描くという試みは非常に面白いが、グァダニーノの手にかかれば、テニスの試合はベッドルームの触れ合いや、パートナー同士の駆け引き、口喧嘩の場面と同じ鼓動が鳴るのである。

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ここで言う鼓動とは、トレント・レズナーとアッティカス・ロスによる音楽である。グァダニーノの前作『ボーンズ アンド オール』(2022年)での彼らの仕事が、アメリカの原風景に被さるフォーキーな感触があるものだったことを思い出すと、本作は真反対のテクノで、彼らの映画音楽仕事としても新機軸であることは明白である。

彼らのアップビートなテクノは、テニスのコートをダンスフロアに化けさせることに成功している。躍動する音楽は、主人公たちがお互いに対峙した時に起こる鼓動を差別化しない。会話もセックスもテニスも、全てが平等にエキサイティングに、同義のものとして存在する。そしてそのために激しく官能的で、特別な何かを共有するようなダンスが必要なのだ。トレント・レズナーとアッティカス・ロスが鳴らす鼓動は、本作ではモチーフをつなぐ役割を果たす。

©2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.©2024 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. All Rights Reserved.

動き続けることのスリルと喜びを噛み締めよう。と、ルカ・グァダニーノは囁くような、または劇中のゼンデイヤの如く叫ぶことをためらっていないような、そんな気がしている。欲望を映す作家として、自らの地位を確立しつつある彼が、アダルトでカジュアルな、ハイブローでファニーな映画を撮り上げた。この映画が公開された本国では“映画におけるセックスの復権”、または、“セックス・シーンなしのセックス・コメディ”と評され注目を集めた。グァダニーノの官能映画は、ポルノ的露悪性や搾取から距離を取りながら、ポルノ的な役割を果たす、2024年版のハイファッションなポルノ映画である。その可能性の大きさは、同じく本年公開の新しいセックス・コメディとして括れそうなヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』(原題:Poor Things)やイーサン・コーエン『ドライブアウェイ・ドールズ』と比べても、高いレヴェルで達成しているように感じる。

そこに被写体として映る人間たちが、自らの欲望に準じて行動しているのを見ると、罪深い映画の躍動が、生き物の躍動がよみがえり、刻まれているように見えて仕方がない。純粋な欲望についての映画。グァダニーノの映画を見ていて思うのは、人を動かし続けるのは常に欲望であるということ。それはものすごく知的で、ある種リアリスティックな人間に対する解析だろう。それを楽しく品があるようでないような、そしてエネルギッシュなスポーツ映画として仕上げた『チャレンジャーズ』は彼のベスト・ワークの一つである。それはまるで快楽主義者、というよりも快楽を否定しないものたちへ向けたフィルムと言えるだろう。

いや何も快楽主義の、退廃的なビートニクの時代に戻ろうというのではない。ただ、グァダニーノの次作が、ウィリアム・S・バロウズ『おかま』(原題:QUEER)の映画化である事実を聞くと、納得と一貫性しか感じないのである。(市川タツキ)

Text By Tatsuki Ichikawa


『チャレンジャーズ』

2024年6月7日公開(絶賛公開中)
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.©2024 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. All Rights Reserved.
公式サイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/challengers/

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