慎ましやかで味わい深く、そしてチャーミング
オルダス・ハーディング“本気の冷奴”のような新作『Warm Chris』
くすんだモノクロ写真。年季の入った背の高い建物を背景にしてダウンジャケットを着た人物がこちらを見下ろしている。顔の半分は影で隠れており、その周りをピンク色のオーブのようなものが覆っている。そんなジャケットのアルバムが《4AD》からリリースされたと聞けば、きっと重厚で憂いを帯びた内容だろうと思うに違いない。けれども、再生してみると案外そうでもない。オルダス・ハーディングの4作目『Warm Chris』は気さくでチャームに満ちたアルバムなのだ。
ハーディングの一番の特徴は、種々様々な歌唱のスタイルを使い分けることにある。今作も含めて4枚のアルバムをリリースしているが、同じ声色で歌われた曲は一曲たりとも存在しないといって差し支えないだろう。さらにいえば、曲単位のみならず、一曲のなかでセンテンス単位、ワード単位で細かくバリエーションをつけている。そうしたスタイルがより極まったのが『Warm Chris』だ。
アルバム2曲目の「Tick Tock」を例に取ってみよう。はじめに酒場の女主人のようなハスキーボイスを出したかと思えば、途中から意欲が欠如したティーンエイジャーのような声になり、コーラスでは可憐で溌剌としたウィスパーボイスを披露する。そして、極めつけは小学生のような「Tick Tock」というタイトルコール。耳に残って離れることのない声だ。
いわゆるシンガーソングライターという存在は、自身の実存に近いキャラクターをあたかも演じていないかのように演じることを期待されがちである。リアルであることが求められ、作為的な振る舞いは忌避される。それゆえ、ハーディングのように異なるキャラクターを演じ分けるかのように歌うといったスタイルを取る人は珍しいかもしれない。
とはいえ、ビートルズ時代のジョン・レノンやポール・マッカートニーも曲によって発声方法を変えていた。たとえば「I’m Down」と「I Will」では、ボーカルのスタイルがまったく違う。ラップ畑に目を移せば、ケンドリック・ラマーやニッキー・ミナージュのように声色の使い分けに長けたラッパーも存在する。私は“ナイアガラ脳”なので『NIAGARA CALENDAR』の大滝詠一をついつい想起してしまう。このアルバムでは、遠山 “桜吹雪”、金五郎、国定公園、大滝パパといった具合に、一曲ごとにシンガーが別人格になっているのだ。
その曲ごとに声色を変えるというハーディングのスタイルは、彼女の高い技術によって支えられたものだ。ハーディングがとても歌の上手なシンガーであることは強調しておきたい。様々な発声法を細かく使い分けるのは、決して奇を衒っているわけではなく、むしろ発声それ自体の享楽から来るものに違いない。
スリーフォード・モッズのジェイソン・ウィリアムソンがヴォーカルで参加した「Leathery Whip」の後半で、ハーディングはカートゥーンのキャラクターのようなへんてこりんな声で披露しており、ほとんどおふざけのようにも聴こえる。しかし、ふざけていたとして、一体それがどうしたというのか。「自分のことにはシリアスになりすぎるな。けれども音楽にはめちゃくちゃシリアスに取り組め」というようなことをフランク・ザッパが言っていたらしい。ハーディングの技術に裏打ちされた自由な歌唱法にそんなザッパの金言を思い出した。
先のゲストの例のほかにも、様々な人物もコーラスに参加しており、いたるところでフックとして機能している。ハーディングの演じ分けも含めた多声的な側面こそが、ハーディングの音楽の風通しを良くしているのだろう。
様々な歌唱法を用いて歌われるハーディングの曲はどのようなものか。「She’ll Be Coming Round The Mountain」のコーラスを聴いて、クラフトワークの「Neon Lights」を連想した。クラフトワークのメロディはしばしば牧歌的と形容される。ハーディングの曲もおおむね牧歌的だといえるだろう。ルー・リードやケヴィン・エアーズが書くような簡素でかわいらしい曲を思わせるところもある。リードでいえば「Candy Says」や「After Hours」、エアーズでいえば「Town Feeling」や「May I?」といった曲だ。
他方、ハーディングの歌を取り巻くサウンドはどうだろうか。アレンジではピアノ、アコースティック・ギター、エレキ・ギター、ベース、管楽器といったオーソドックスな楽器が使用されている。50年代のロックンロールによく見られる編成だ。リトル・リチャードのバックバンドと変わりない。そうした意味で、新鮮さはないかもしれないが、少なくとも彼らは目新しさで勝負していない。『Warm Chris』のサウンドは、いうなれば本気の冷奴だ。ミニマルでロー・ヴォリュームなアレンジは楽器の音色が肝となる。本気の冷奴を作ろうと思えば、具材のひとつひとつをこだわり抜かなければならない。アルバムに収められた楽器の音色はどれも慎ましやかで味わい深い。うっとりするような心地よさだ。
特にツボなのはベースの音。フラット弦を軽くミュートしてピック弾きしていると思われるコシのあるサウンドが気持ち良い。ベースは、数曲を除いてヒュー・エヴァンスが演奏している。H.ホークラインの名義で活動するミュージシャンで、ハーディングのパートナーでもある。聞くところによると、彼は以前ケイト・ル・ボンと交際していたそうだ。2019年はハーディングの前作『Designer』と併せてル・ボンの『Reward』をよく聴いたものだ。だから「え、そうだったの」と声を出さずにはいられなかった。ル・ボンも今年『Pompeii』という素敵なアルバムをリリースしている。
楽器隊の演奏はどの曲においても躍動感を出すことに重きを置いている。序列を定めることなく、全員が横並びになってフレーズの掛け合いをする様は、シュギー・オーティス流、あるいはJ.J.ケイル流のファンクに近いものを思わせる。なかでも、アルバムに先立ちリリースされた「Lawn」は、トニー・アレン調のビートが楽しいファンキーな一曲だ。リズムの土台となるドラムを叩いているのは、ジャズ畑のセバスチャン・ローチフォード。彼の叩きっぷりが歯切れの良さとくつろいだムードをアルバムに与えている。
今作のプロデュースは、PJハーヴェイとの仕事で知られるジョン・パリッシュが務めている。パリッシュとハーディングの関係は、セカンドアルバムの『Party』から続いており、今回で3度目のコラボレーションとなる。よほど波長が合うのだろう。パリッシュはプレーヤーとしても演奏やコーラスにも参加していて、さらには彼の娘ホーピー・パリッシュも「Ennui」にコーラスで花を添えている。親密な間柄の者同士が集まってわいわい楽しく創作する様が浮かぶ。
レコーディングはウェールズの《Rockfield Studio》で行われた。1965年に片田舎の農場に建設された老舗のスタジオだ。宿泊施設が併設されていて、ミュージシャンたちは日常から隔絶された空間で作業に取り組むことができる。もしクイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞した人であれば、クイーンが「ボヘミアン・ラプソディ」をレコーディングした場所だと聞いてピンと来ることだろう。2020年には『ロックフィールド 伝説の音楽スタジオ』というタイトルのドキュメンタリー映画が制作されており、今年の初めに日本でも公開されている。
《Rockfield》でのレコーディングは前作『Designer』に続いて二度目である。『Warm Chris』のウォームでまったりとした雰囲気は、片田舎の農場という環境に起因しているのかもしれない。
『Warm Chris』は、歌唱、サウンドおよびアレンジ、どこをとってもしみじみ味わい深いアルバムだ。日々、大量のコンテンツが供給され、可処分時間の奪い合いはますます苛烈となっている。そうした状況にあって、腰を据え、じっくりと耳を傾けて隅々まで味わい尽くしたくなるような作品がリリースされたことに喜びを感じる。(鳥居真道)
Text By Masamichi Torii
Aldous Harding
Warm Chris
LABEL : 4AD / Beatink
RELEASE DATE : 2022.03.25
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Tower Records / HMV / Amazon / iTunes
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