サッカリンのような現実、虚しさを抱えた世代
脳に刺激を送り続けろ。YouTubeで、Instagramで、Twitterで、Facebookで。パソコンで、スマートフォンで、VRゴーグルで。刺激は徐々に強くしていけ。慣れてしまうから。短く、わかりやすく、誇張したって構わない。怒りで、悲しみで、喜びで、思い出で、偽りで、ポルノで、暴力で。消費しろ。生産しろ。疲れたら、酒を飲んで踊れ。一度全て忘れて、また戻ってこい。絶やすな。繰り返せ。繰り返せ…今私たちの生きる世界は社会学・経済学的に後期資本主義社会、あるいは晩期資本主義社会と呼ばれる。本曲「No Hope Generation」はイギリスはガーンジー島出身の現在23歳のプロデューサー/マルチプレイヤー、Mura Masaのセカンド・アルバムからクライロをフィーチュアした「I Don’t Think I Can Do This Again」に続く2曲目の先行シングルとしてリリースされた、そこで抱く虚しさについての歌。それを抱えて生きる私たちの歌だ。
リズムギターにチープなギターリフ(The 1975「Give Yourself A Try」のリフとも似ている)で(ときおりストリングスと電子音が鳴る)構成された上物に”I need help”と呟くようなヴォーカル。叩きつけられる、太く硬い無機質なマシン・ビート。決して音楽的にラディカルではないものの、心地よく鼓膜を打ち、荒凉かつ陰鬱な情景が頭の中に浮かびあがる。嘆きと冷笑と皮肉が入り混じった抽象的なリリックが続き、終盤に響く“I feel so relaxed”のリフレインは現在を取り巻く構造の生み出す無力感とそこにとどまることの居心地の良さを強調していく。この内省的で仄暗いフィーリングからジョイ・ディビジョンを、とりわけイアン・カーティスを想起したとしても、あながち間違ってはいないだろう。確かなものなど存在せず、未来は暗く閉ざされた感覚。つまるところ“No Hope Generation”とは“鬱”である。
Mura Masaはプレスリリースの中で次のように述べている。「このアルバムは自分の人生を通して気がついたノスタルジアと現実逃避の必要性を探求することを目的としていて、アルバムはそのニーズに対する疑問の調査であり、『No Hope Generation』はそのニーズの説明なんだ」。一般的に“鬱”の原因は脳内のセロトニン濃度の低下とされているが、そういった生物学的なメカニズム以外の特定の個人にかかる具体的な原因はわからないままだ。しかし、現在“鬱”を抱えた人々は増え続け、もはやこの社会のどこかにそれを引き起こす原因があるのではないか、という問いが生まれるのは自然に思える。本曲に続いて先行リリースされた「Deal Wiv It(feat. slowthai)」でもジェントリフィケーションをトピックに挙げているように、アルバムではこの後期資本主義の世界に対するより具体的な問いかけがなされるだろう。偶然にも、いや、計算されてのことか、本曲の収録されたセカンド・アルバム『R.Y.C』はディケイドを跨ぎ、来年の1月17日にリリースされる予定だ。この虚無感の中で諦めを常態化させてしまわぬように、新たなディケイドを生き抜くために、わずかでも希望の込められた作品になることを祈っている。ともあれプリンスにブリアル、ジェイムス・ブレイクまで様々な影響源を持ち、かつジャンルに囚われない彼のような若いアーティストが音楽だけでなく、社会に対するコンシャスさを備えていることだけでも心強い。まずは11月26、27日に迫った彼の来日公演(!)、足を運べる方はしっかりと見届けて欲しい。(高久大輝)
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