古典的にして前衛。コンポーズ、インプロヴィゼーション、ジャムセッションの迫間
10代の頃のぼんやりとした記憶で、ふとした瞬間に蘇ってくるAmazonのレヴューが一つある。確かそれはキース・ジャレットの『Facing You』だか『The Köln Concert』のツリーにぶら下がる一行だった。はじめに断りを入れると、今も昔もそのレヴューに共感している訳でも、鋭い視点だと刺激された訳でもないが、どうも記憶に引っかかるもので今もそれを思い出している。その内容は“この構築的に美しく組み上げられたレコードの旋律や展開の数々が完全即興演奏によって組み上げられているわけがない(星一つ)”と言った内容のもの。即興演奏はデレク・ベイリーやエヴァン・パーカーのような、脱音楽的な即興演奏だけでは勿論ないというのはベイリー自身の著書によっても解説もされているし、ソロでの即興演奏であれば、和声やリズムを他者とシェアする必要がないので卓越したプレイヤーはまるで作曲された楽曲のように即興演奏をすることも可能かもしれないが、そのあまりの音楽の完成度と強度に憤慨して星一つを付けたこの気の毒なレヴュワーの気持ちも分からなくもない。
日本向けのプレス文の一行は以下、“グルーヴ感溢れる『Panamá 77』をリリースしたパナマ出身のドラマー、ダニエル・ビジャレアルのBサイドと言えるインプロヴィゼーションにフォーカスしたのが本作”。即興演奏のスリリングさを保ちつつも、手だれのDJが異なる複数のレコードを同時にプレイし、それが元からそうであったかのような調和を聴かせる本作のアンサンブルを耳にした時に、前出のエピソードをふと思い出した。
『Lados B』の世界にトリップする前に、同じセッションで録音された前作『Panamá 77』についても簡単に触れておきたい(以下レーベルの解説を引用)。2020年10月15日と16日、ドラマーのダニエル・ヴィラレアルは、ギタリストのジェフ・パーカーとベーシストのアンナ・バタース(私の盟友マーティ・ホロベックは幼馴染だそう!)とともに、ロサンゼルスのチカリ・アウトポストの裏庭でレコーディングを始めた。この3人のミュージシャンにとって、パンデミックによって世界が封鎖された7ヶ月前以来、初めて直接会ってのアンサンブル・レコーディング・セッションだった。このセッションからいくつかの選りすぐりの瞬間が、2022年のビジャレアルのアルバム『Panamá 77』に収録されたが、ほとんどの楽曲は未発表のままだった。
それらの未発表トラックを集めたのが『Lados B』となっている。前作のポスト・プロダクションやオーヴァーダブを駆使した構築的なサウンドプロダクションとを比較すると、本作は裏庭で行われた3人のセッションのリアルな息使いが聴こえてくるような生身のアンサンブルが浮き上がってくる。キースの一連の即興ピアノ・ソロとは異なり、本作は複数人によるアンサンブルのため和声的な響きやムード、リフなどを、構造的にはある意味モード・ジャズ的な形でシェアしているように感じられ、そこで生まれる旋律やビート、それらの展開は即興的に行われているように想像する。そこで行き交うコミュニケーションはジャズのイディオムだけに留まらず、ヒップホップ的なはたまたミニマル・ミュージック、アフロビート的な反復、アンビエント的な無ビート、実験音楽的な非音楽的器楽音、そしてクンビアやメキシコといった中米的な乾いたパーカッシヴなグルーヴなども入れ子状に加わり、ジャンル・ミュージックとしてのボーダーは早々にぼやけ、ビート・ミュージックならではの反復のカタルシスに満たされていく。
全くの即興演奏を選択しても良いし、ふと即興演奏の中で予め用意されていたムードを即興的に繰り出しても良いし、ビートや和声に追従しても良いししなくてもよい。音楽的な結束を持ったアンサンブルでも水面に反射して揺らぐ光のようでもよいし、クンビアの言語を用いても、その次の小節ではヒップホップの文脈を引用してもよい、またそのいずれのイディオムを並走させてもよい(そして彼らの文脈に対する敬意と謙虚な姿勢はその演奏から充分に感じさせてくれる)。こう考えると普段の私たちの生活の中での行動と即興演奏もなんだか近しい思考に思えてくる。実験的で挑戦的でありながら、聴き手もプレイヤーも肩身に必要以上に力を入れずに音楽の中に入り込むことが出来るように感じるのが新鮮だ。こうした作曲と即興の間のようなセッションはジェフやアンが参加するマカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』のLAセッションや、ジェフ・パーカーの即興アンサンブル『Mondays at The Enfield Tennis Academy』での試みにも通じる。非常に開放的で自由で、クラシックにしてアヴァンギャルドな彼らの“インプロヴィゼーション”に心底魅了された。(岡田拓郎)