家主の生み出すバンド・マジック
家主にとって前作から二年ぶりにリリースされた、サード・アルバムである本作のタイトル、『石のような自由』=「free as a stone」を見て、ザ・ビートルズ「Free as a Bird」を思い浮かべた。同曲は、ジョン・レノンの未発表曲が収録されたテープをもとにポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと、プロデュースを務めたジェフ・リンによって未発表テープに残されたジョンの歌声とともに録音され、1995年に当時にして25年ぶりのザ・ビートルズの新曲として発表された楽曲だった。その制作過程を含めた賛否はさておき、時間を経て、メンバーがどのように変わったとしても残されたジョン以外のメンバーたちが《ザ・ビートルズ》というバンドが生み出す奇跡を信じていたからこそ同曲は日の目を浴びることになったのだろう。
家主はそんなバンドが生み出す偶然で奇跡的な、かけがえのない瞬間を常に捕まえてきた集団だと思う。「きかいにおまかせ」での快活に駆けまわるエレクトリック・ギターとそれをしかと捕まえる冷静沈着なドラム。ポストパンク・テイストのクリーン・ギターをメロディアスなベースが支える「庭と雨」。「歩き方から」では、蛇のようにうねりながら進むギターとたっぷりと空間を使ったコーラスによってサイケデリアが徐々に醸されていく。極めつけは「オープンエンド」にて、1分すぎからコーラスとともにバンド・サウンドが挿入されていく瞬間の胸の高鳴りは何事にも代えがたい。
異なる人間が鳴らす、音と音が、音とビートが、歌と音が、歌とビートが、歌と歌が、ビートとビートが重なり合い、ゆらぎながら最大限に輝く一瞬が家主の音楽には存在している。家主にとってバンドという形態は、近年の音楽ジャーナリズムが喧伝してきたような身体的、物的な制約などではなく、それらをもクリエイティビティの土台として織り込んだ可能性の束としてあるように私には思えてならない。
自由であることよりも何らかの制約こそが重要な場合もある。もしくは自由とは何らかの軛を条件としてこそ存在しうる。「自由、鳥のように/それは、二番目に素敵な事」と「Free as a Bird」で繰り返し歌うジョン・レノンの声と、「他人を理由にしないよ/逃げたくもないのさ/石のような自由/どこにも行けないのか/下ることのない日々があるだけ」と「free as a stone」でメランコリックに歌う田中ヤコブの声が重なって、私の耳には聴こえてくる。(尾野泰幸)
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