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umru: comfort noise

2022 / PC Music
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《PC Music》からhyperpopへのカウンターか、それとも先祖返りか

08 May 2022 | By Shoya Takahashi

冒頭から聴ける、空中を自在に飛び回る鋭いシンセと、ぐしゃっと潰れたサブベース。旋律やコードがぼやけるように調性を欠いたこれらの音は、一般的には不協和音と呼ばれる類のものである。いやいやそういった特徴のサウンドは、今じゃシーンにありふれてるって?そう、これらのサウンドは、2010年前後よりラップトップ・ミュージシャンたちが、チープな電子音に表情を持たせるため、派手に音を「汚して」きた実験の蓄積だ。具体的には、当時ダブステップの進化系とされたラスティやハドソン・モホークら、そして《PC Music》の面々が、音をこま切れにしたりスクリューしたり潰したりしてきた。そしてこれらはいつの間にか「心地よいノイズ(comfort noise)」として、シーンに共有されていったのだ。

umruもまた、《PC Music》から登場した現在23歳の若き才能である。A.G.クックにフックアップされ、チャーリーXCXの『Pop 2』にプロデュースで参加した時点で、彼はまだハイスクールに通う18歳(!)だった。2018年のファーストEP『search result』(これもユーモアの効いたタイトルだ)は、《PC Music》的なバブルガム・ベースやブロステップを軸にしながら、オルタナティヴR&Bのような空間的な音作りにもトライしている作品である。尖りすぎず丸みのあるキックや音のレイヤリングが、シーンの中でも個性を放っていたのだ。

セカンドEPである本作『comfort noise』でもそういった空間を生かした音作りは変わっていない。だが、ソングライティングや音全体のフォルムが大幅に変貌している。「check1」や「heart2」に顕著な、ブロステップの骨格だけ残して音数を減らしたサウンド、中音域にギュッと寄せられた音像、スイートなメロディー。前作ではクラブ・ミュージック的な一繋ぎのグルーヴがあったが、本作ではEDM的なビルドアップ〜コーラスへの盛り上がりや、性急な構成の展開がある。お気づきのとおり、これらはhyperpopの典型的な特徴だ。

このように前作と聴きくらべてみると、あたかも彼のサウンドが「hyperpop的」になったことで、元来の魅力が失われて陳腐化したかのように見えるかもしれない(実際にそうした批判も散見される)。しかし、多数のゲストを招いて構築的に制作され、デジタル・クワイアのようなhyperpopでは珍しい手法を随所に盛り込んだこの『comfort noise』を、インスタントで没個性的な音楽と見なすのは早計である。本作を聴いて連想するのは、ある種デフォルメして名づけられたhyperpopよりも、むしろ「100 gecs以前」の作品、チャーリーXCXの『Pop 2』やソフィーの『OIL OF EVERY PEARL’S UN-INSIDES』を初めて聴いたときの感覚に近い。つまり、原初的な衝動と、手探りゆえのスリリングさ。umruはhyperpopというフィルターを通して、「慣れ」が削ぎ落とされたのかもしれない。その結果が、この剥き出しで奔放なシンセの音にあらわれている。

『comfort noise』のアートワークに映る「それ」。アルカ『Mutant』のようなパンパンに膨れた異形の生物というよりは、ビニル袋に人間か何かの死体を詰めたように見えて、私はちょっと怖くて苦手である。「check1」のMVのつるんとした質感の人間や不自然なオブジェクトの配置には、『Granny』などに代表されるインディー・ホラーゲームからの影響を思わせるところがあり、彼が不穏感や恐怖を煽るヴィジュアル・デザインを意識的に取り入れているのはまず間違いないだろう。本来は不快なはずの不協和音や摩擦音が「心地よく」なったという反転があったように、視覚的なセンスだって常に更新されている。むしろこういう違和感とか、神経を逆撫でされる感覚をすすんで求めてしまうことこそが、ソフィーやA.G.クックらの作る音楽の推進力や求心力の一つだったはずだし、私がこのEPを繰り返し聴いてしまう理由にも他ならない。(髙橋翔哉)

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