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「You Are My Sunshine」90年の歴史
第四章
You Are My Sunshineとヒップホップ

01 May 2023 | By Kei Sugiyama

80年代も後半になってくるとヒップホップ文化の中にYAMS楽曲がサンプリングされていく。パブリック・エネミー「Prophets of Rage」(1988年)、デ・ラ・ソウル 「What Yo Life Can Truly Be feat. A Tribe Called Quest, Dres & Vinia Mojica)」(1991年)では、アース・ウインド&ファイア「Shining Star」(1975年)をサンプリング。サイプレス・ヒル「The Funky Cypress Hill Shit」(1991年)ではアレサ・フランクリン「You Are My Sunshine」(ジミー・デイヴィス、1967年)をサンプリングするなど、徐々にYAMS楽曲を使ったヒップホップが作られ始める。しかし、この頃はYAMS楽曲として認識されている訳ではなく、音源の一部として切り取られているだけだった。

ヒップホップは甘い音楽ではなくストリートのリアルを描くというイメージを牽引してきた《Def Jam》から、ヒップホップにおける初期のYAMS楽曲が生まれた。それが、LL・クール・J「Around the Way Girl」(1990年)だ。メリー・ジェーン・ガールズ「All Night Long」(1983年、YAMS楽曲ではない)をフック部分にサンプリング、その中でLL・クール・Jは、あなたの笑顔は太陽のようだと歌った。「I Need Love」(1987年)などヒップホップの文脈にバラードを持ち込んだ彼だからこそ歌えたとも言えるし、ヒップホップにおいてハードコアなイメージを作ってきたレーベルである《Def Jam》であったという点も大きいのではないだろうか。

サンプリング面ではスティーゾ「Shining Star」(1994年)が一つのポイントとなった。この楽曲は、彼の12インチ・シングル「Bop Ya Headz」のB面曲としてリリースされ、前述したパブリック・エネミーやデ・ラ・ソウルや、その他にもソルト・ン・ペパー「Live And Let Die」(1990年)もサンプリングしたアース・ウィンド&ファイア「Shining Star」を使っている。この曲がこれまでの曲と違ったのは、原曲の“Shining Star”という歌唱部分をそのまま使い、自分にとってのShining Starを語るためにフック部分に組み込んだことだ。まだYAMS楽曲とは言えないが、サンプリング時代におけるYAMS楽曲のプロトタイプを作ったと言える。このスティーゾのフック部分にサンプリングを使う方法は、LL・クール・J「Around the Way Girl」と同じであり、ヒップホップにおけるYAMS楽曲では、LL・クール・Jがいかに重要であるかを示しているだろう。しかしこの後、すぐにYAMS楽曲が増えたかというとそうはならなかった。

そうした状況を変えたのが、クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルことメアリー・J. ブライジ「Everything」(1997年)だ。ジミー・ジャム&テリー・ルイスが制作に関わったこの曲は、「あなたが全て」というキラー・フレーズを何度も歌うがその言い換え/情景描写として、「when I have cloudy days you brought sunshine in my life」と歌う。このフレーズは、ジミー・デイヴィス「You Are My Sunshine」(1940年)とスティーヴィー・ワンダー「You Are My Sunshine of My Life」(1972年)というYAMS楽曲の2大楽曲を足して2で割ったような常套句的な決めゼリフと言えるだろう。

YAMS楽曲とメアリー・J. ブライジとの関わりはこれだけではない。この曲が収録されたアルバム『Share My World』(1997年)と同時期に録音されたと言われているブート楽曲に「If You Be Right There」がある。この曲は、YAMS楽曲であるルーサー・ヴァンドロス「Never Too Much」(1981年)をサンプリングしている。私の視点からは、YAMS楽曲被りにならないように「If You Be Right There」はボツとなったと思えてならない。そうした伏線を回収するかのように、2005年に制作されたルーサー・ヴァンドロスのトリビュート・アルバムに彼女も参加し、ここで彼女が選んだ楽曲は、そう、「Never Too Much」であった。これは、お蔵入りした「If You Be Right There」に対する10年越しの回答であり、YAMS楽曲を追っていたら見えてきた一つの物語として興味深い。

1997年は4月22日にリリースされた彼女の『Share My World』を皮切りにYAMS楽曲豊作の年となる。主要な所を挙げるとザ・ルーツ「The ’Notic(feat. Erykah Badu & D’Angelo)」、ジェイ・Z「(Always Be My) Sunshine (feat. Babyface & Foxy Brown)」などである。ザ・ルーツの楽曲は、映画『メン・イン・ブラック』(1997年)の劇中歌として制作され、アース・ウィンド&ファイア「Shining Star」をサンプリングし、原曲の歌詞も引用している。ジェイ・Z「(Always Be My) Sunshine (feat. Babyface & Foxy Brown)」は、アレクサンダー・オニール「Sunshine」(1987年)をサンプリングし、こちらも原曲の歌詞を引用している。このように原曲の歌詞を引用するのがトレンドとなっていることがわかる。そのトレンドがYAMS楽曲豊作の一因となったのだろうと推測できる。ここでもまたベイビーフェイスが関わっていることには驚かされる。こうした流れはスヌープ・ドッグ「Party With A D.P.G」(1999年)でも見られ、アース・ウィンド&ファイア「Shining Star」の“Shining Star”部分を自分の誇示へと引用し、ボースティング楽曲として作り変えている。(杉山慧)

筆者作成のプレイリスト
第四章 You Are My Sunshineとヒップホップ

短期集中連載
「You Are My Sunshine」90年の歴史

第一章 You Are My Sunshineとレイ・チャールズ
第二章 You Are My Sunshineとモータウン
第三章 You Are My Sunshineとディスコ
第四章 You Are My Sunshineとヒップホップ
第五章 You Are My SunshineとR&B
第六章 You Are My Sunshineとゴスペル
第七章 ダニエル・シーザー「Best Part (feat.H.E.R.)」とその後
まとめ

「You Are My Sunshine」90年の歴史 扉ページ

Text By Kei Sugiyama

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