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『リコリス・ピザ』を解く
Vol.1
大人と子供の間で揺れ動く世界

07 July 2022 | By Yasuo Murao

『Star Wars』シリーズの生みの親、ジョージ・ルーカス監督は、SF映画『THX 1138』(1971年)でデビューするが興行的に失敗。そこで視線を未来から過去に向けて、高校時代の実体験をもとに、1962年のカリフォルニア州モデストを舞台にした青春映画『American Graffiti』を監督して大ヒットさせた。そして、『American Graffiti』が公開された1973年のカリフォルニア州サンフェルナンド・ヴァレーを舞台にしているのが、ポール・トーマス・アンダーソン監督(PTA)の新作『Licorice Pizza』だ。ヴァレーはPTAが生まれ育った街。前作『Phantom Thread』(2017年)をイギリスで撮影したPTAは、次の映画はホームグラウンドで気心の知れた仲間と作りたいと思っていた。

ヒロインのアラナを演じるアラナ・ハイムは、LAの3姉妹バンド、ハイムの末っ子。姉妹の母親がPTAの子供の頃の先生だった、という縁もあって、PTAはハイムのミュージック・ビデオを数多く手掛けて家族ぐるみの付き合いだった。またゲイリーを演じるクーパー・ホフマンは、PTA作品の常連、フィリップ・シーモア・ホフマンの息子で、PTAは子供の頃からクーパーのことをよく知っていた。2人は映画初出演にして主演という大胆な起用だが、演技慣れしていない自然な表情やリアクションが『Licorice Pizza』には重要だった。撮影に入る前、PTAは映画に出演する若者たちに『American Graffiti』を見せたという。『American Graffiti』同様、『Licorice Pizza』が過去を舞台にした、どこにでもいる若者たちの物語だということを伝えたかったのかもしれない。

『American Graffiti』はドライヴインにたむろしている若者たちの一夜の出来事を描いていく。そこでルーカスは、ラジオ、車、ロックンロールなど様々な小道具をちりばめて1962年のモデストを再現した。『Licorice Pizza』でもディティールにこだわって1973年のヴァレーを再現。しかも、主要な登場人物すべてに実在のモデルがいるというこだわりぶりで、ラヴストーリーの王道、〈ボーイ・ミーツ・ガール〉を展開していく。そこで重要なのは、15歳のゲイリーが恋したアラナが10歳年上だったこと。その年齢差がアラナにはプレッシャーになる。そんな設定で思い出すのが、『American Graffiti』と同じ年に公開されたクリント・イーストウッド監督作『Breezy(愛のそよ風)』。この映画の舞台となっているのは、『Licorice Pizza』と同じく1973年のヴァレーだ。。

ヴァレーの丘の上にある豪邸に住む中年男フランク(ウィリアム・ホールデン)は、離婚して気ままな生活を送っている。そんなある日、娘ほど年が離れたヒッピーの少女、ブリージー(ケイ・レンツ)と出会い、年齢も住む世界もまったく違う2人は次第に惹かれあっていく。実はこの映画は『Licorice Pizza』でアラナがジャック・ホールデンと共演している映画のモデルとなった作品。『Licorice Pizza』では、ジャックを演じたショーン・ペンがウィリアム・ホールデンそっくりの役作りをしていた。

ヒッピーがたむろしているヴァレーの風景(近所にミュージシャンが数多く住むローレル・キャニオンがある)。『American Graffiti』にも端役で出ているケイ・レンツのキュートさ(撮影中、イーストウッドはレンツにぞっこんだった)。ミシェル・ルグランによる美しいサントラ(主題歌を歌うのは伝説のシンガー、シェルビー・フリント)など、『Breezy』は70年代のアメリカ西海岸の空気を記録した愛すべき作品だ。気難しそうに見えて実は心優しいフランクを愛するようになるブリージー。フランクも無邪気な彼女を愛しながら、年が離れていることに戸惑い素直になれない。ブリージーを若い愛人ではなく、恋人として接するところにフランクの秘められた純情さがある。フランクはブリージーに「世の中に大人なんていない。ただ歳をとるだけだ」と言うが、その言葉には大人の世界に幻滅したフランクの悲哀が滲んでいる。

一方、まだ大人の世界の入り口にいるアラナは、子供の世界との境界でうろうろしている。子役をやっているゲイリーに刺激されて女優のオーディションを受けたり、真面目に仕事をしようと選挙事務所で働いたり、自分が本当にやりたいことが見つからない。また、ゲイリーに対しては恋人のようだったり、弟のようだったりと常に気持ちは常に揺れ動く。大人になることをこじらせたアラナと、自分の人生に疑いを抱かずにウォーターベッドやピンボールの店をオープンさせるゲイリー。2人の奇妙なラヴストーリーは『American Graffiti』のように映画全編に散りばめられたポップ・ソングで彩られている。

サントラで使用されている曲は、ほとんどがラヴソング。ゲイリーとアラナが学校で出会うシーンで流れるニーナ・シモン「July Tree」は、「秋に巻かれた愛の種が厳しい冬を耐えて成長する」という歌で、ラヴ・ストーリーの始まりにはぴったりの曲だ。この曲を使うことは最初から決まっていて、アラナは曲に合わせてダンスを踊るように歩く。ジャックのバイクから落ちたアラナをゲイリーが走って助けに行くシーンで流れるのは、ポール・マッカートニー&ウィングス「Let Me Roll It」。ブルージーなギターに乗って、ポールが「僕の心は君のことでいっぱいなんだ」と歌いあげる。最高のラヴシーンだ。かと思うと、ケンカして出て行ったゲイリーをアラナが追いかけるシーンでは、フォー・トップス「7 Rooms Of Gloom」が流れ、恋人に「戻ってきてくれ!」とシャウトする。

走るシーンが多いのも本作の特徴だ。ゲイリーとアラナが走る姿はエモーショナルで開放感に満ち溢れていて、そのシンプルなアクションが映画に躍動感を与えている。乗り物も活躍。ジャックのバイクの暴走ぶりには彼のキャラが現れているが、バイクから落ちた瞬間、ジャックと一緒に走れなかったアラナの大人の恋は終わる。アラナとゲイリーがトラックで坂道をいっきに駆け下りるシーンも忘れられない。アラナのスリリングなハンドルさばきは、彼女が必死で自分の人生の舵を取っている姿そのもの。危機一髪の冒険で二人は絆を深めたかと思いきや、その直後、アラナはゲイリーたちの子供っぽさに嫌気がさし、子供の世界を卒業しようと決意する。

『American Graffiti』は子供の世界に別れを告げる物語だった。登場人物たちは高校を卒業したばかり、彼らは夜通しバカ騒ぎをして、次の日の朝には新しい人生に向かって歩き出す。そして、映画の最後に大人になった登場人物のその後が紹介されることで、子供の世界は過去に葬られてほろ苦い後味を残した。一方、『Licorice Pizza』のラストでは、アラナはゲイリーと手を取り合って夜明けに向かって歩き出す。そこにはもう、大人にならなければ、という焦りはない。『Breezy』のフランクも、最後には年齢というこだわりを捨てて、ブリージーの真っ直ぐな気持ちを受け止める。若さを肯定し、その未熟さを愛することで、『Licorice Pizza』は「あの頃は良かった」という大人の回想(ノスタルジー)で終わらず、今を生きる子供たちに、そして、大人になれない大人たちに向けた物語になっている。そんな風にPTAが若さに寄り添えたのは、実生活で思春期の子供たちに囲まれているからかもしれない。

この原稿を書きながら、劇中で『Live And Let Die(007/死ぬのは奴らだ)』が上映されていた映画館《El Portal》で、アラナとゲイリーがポップコーンを頬張りながら映画を観ている姿が眼に浮かんだ。上映しているのは、アラナが出演したもうひとつの『Breezy(愛のそよ風)』。その後、2人は《Tail O’ The Cock(テイル・オコック)》(編集部注:劇中で2人が最初にデートした店)に行くに違いない。映画が終わっても、観客の胸の中で『Licorice Pizza』の物語は続く。あの大人と子供の間で揺れ動く冒険に満ちた世界。そして、《Fat Bernie’s(ファット・バーニーズ)》(編集部注:劇中に登場するウォーターベッドの店。クーパー演じるゲイリーのモデルであり、子役を経てプロデューサーや実業家として活動している実在の人物=ゲイリー・ゴーツマンが実際にウォーターベッドを販売していた時の店名と同じ)の夢のような輝きを決して忘れることはないだろう。(村尾泰郎)

Text By Yasuo Murao


『リコリス・ピザ』

7月1日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

脚本・監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディ
配給:ビターズ・エンド、パルコ ユニバーサル映画
(C) 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

公式サイト

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