日野浩志郎の転換点
本作は音楽家、日野浩志郎を中心としたリズム・アンサンブル、goatがスイスのダンサー/振付師のCindy Van Ackerの同名作品のために手がけたスコアである。ミックスは西川文章、マスタリングはラシャド・ベッカーの手によるもので録音は日野自身が手がけている。なお、Cindyの作品は過去にはパンソニックのメンバーであったミカ・ヴァイニオが音楽が担当していたとのことである。音源のリリース自体は2025年であるが、作品は2021年に上演されているのでバンドのサード・アルバム『Joy in Fear』より以前に制作されていたことになる。前作リリース時のインタビューを読む限り今作の制作や Cindy Van Ackerとのコラボレーションの経験が活かされたようだ。
公演自体は日本では上映されておらず、ウェブ上で公開されているティザー用の動画などで一部しか観ることができないが、駅や病院の待合室のような空間に11人のダンサーが配置され、緻密な動きで静と動を繰り返しながら身体の動きがシンクロしていく様からは、おそらく細かくルールが設定されているのであろうことが推測できる。こうしたパフォーマンスの様子や『Without References』=参照無しというタイトルからは舞台芸術というジャンルのなかで常識や様式に囚われずに固有の新しいものを発見していこうとする毅然とした様を想起させられ、動画を視聴していた私はgoatがファースト・アルバムに『NEW GAMES』と名づけ作曲における新しい法則を世に提示したことを思い出していた。
そしてアルバムの内容であるが、本作のgoatの他の作品との大きな違いのひとつとしてメンバー構成の違いにまず目がいくだろう。2021年以降バンドに加わった元・鼓童の立石雷(笛奏者、パーカッショニスト)はもちろんのこと、結成時から参加しているサックスの安藤暁彦も不在となっている。また作品に参加した日野、田上敦巳、岡田高史全員のクレジットにパーカッションと記載のある通り作品全体を通しほぼ全てがガムランやケンガリなど打楽器の音のみで構成されている。1曲目の「Quest」は唯一これまでのgoatらしい楽曲といえるが、これもサックスの不在のためより生々しくダイレクトにリズムの躍動が伝わってくる。その後も鉄琴の音色が印象的で環境音楽への親和性も感じさせる 「G-H-S」など新しい試みといえる曲が続くが、特に興味深いのは作品終盤に配置された『Orin』と『CR』だ。鉄琴やベルのような楽器がぞれぞれ異なる拍数のフレーズで進行していくシンプルな構成ではあるが、10分超の反復により聴くものに陶酔感をもたらす『Orin』。手拍子のみで構成されたスティーヴ・ライヒの『Clapping Music』を金属音に置き換えたようなミニマル・ミュージックの極地ともいうべき楽曲だ。最後を飾る『CR』では複数の銅鑼の音が干渉し共鳴していくことで、空間を包み込むようなアンビエンスを獲得している。こうした反復や空間自体を含めた音の響きを利用した楽曲は、日野と同世代の音楽家である七円体や近年の空間現代とも相通じるものを感じさせる。彼らは演奏する空間、そして演奏する人間の身体を作曲の要素として取り入れている。それはドローンやアンビエントミュージックがAIによって容易く生成されるようになった今日において、それ自体が批評的な行為であるように思える。
近年の日野は、芸能太鼓集団、鼓童とのコラボレーションや詩人、池田昇太郎とともに作り上げた音楽公演『歌と逆に。歌に』のプロジェクト、様々な演奏家を起用したリズムアンサンブル作品の発表など作曲家として新たなフェーズに入ったような印象をうける。そしてダンス作品へのスコアとして2020年〜2021年の間に既に制作されていたことになる本作は、goatそして日野浩志郎の転換点を感じさせられる作品でもある。(堀田慎平)