Review

Tim Bernardes: Mil Coisas Invisíveis

2022 / Psychic Hotline
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緻密なプロダクションが織りなす、深緑のララバイ

03 July 2022 | By Ikkei Kazama

チン・ベルナルデスの新作が発表される。この一文だけで、彼を知る世界中のファンは得も言われぬ幸福のベールに包まれ、来るべき歓喜の日に果てしなく想いを馳せてしまうだろう。もちろん私もその一人であり、リリースまでを指折り数える夜が何度もあった。

そうでない、つまりまだチン・ベルナルデスを知らない人のために簡単な説明を。彼はブラジルを拠点とするO Ternoというオルタナティブ・バンドの一員である。2019年に発表された傑作『<atrás/além>』に坂本慎太郎やデヴェンドラ・バンハートが参加したことで、その音楽性は世界中のインディー・ファンの知るところとなった。また、ベルナルデスはソロとしてガル・コスタやジャルズ・マカレーといったブラジルの大物シンガーの作品に参加するほか、フリート・フォクシーズの最新作『Shore』(2021年)にもゲスト・ヴォーカルとして顔を出している。今年行われるUSツアーも共に回るそうだ。

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そして何より彼の評価を決定づけたのが、2017年に発表されたファースト・ソロ・アルバム『Recomeçar』だろう。ベルナルデスのアイデンティティでもあるアコースティック・サウンドの追求と緻密な世界観、そして胡弓のようなグラデーションを孕む唯一無二の歌声がミニマムな空間で合流し、史上類を見ないほどの強度を持つポップスが完成した。『Recomeçar』はたちまち大絶賛の嵐で、その完成度はブライアン・ウィルソンやカエターノ・ヴェローゾが引き合いに出されるほど。もちろん、両者に比肩したと言っても何ら過言ではない。

前作から5年が経過し、ようやく彼の新作『Mil Coisas Invisíveis』が届けられた。彼の作品に通底するオーガニックなムードと奥行きのある音作りはそのまま拡張され、広大な視点とクローズアップを自在にスイッチする本作は、そのダイナミックな揺さぶりによってサウンドへの没入を誘引している。「Meus 26」の静謐さと勇ましさが同居した構造には思わず息を呑んでしまう。嵐の始終を切り取ったような「Olha」の迫力には圧倒されるのみで、後半の統制されたストリングスの音色と共にベルナルデスのコンポーザーとしての傑物さを裏付けている。間違いなく、この58分間の体験におけるハイライトだろう。

ただし、あくまでも本作の軸になるのはベルナルデスの歌声だ。全てのアレンジは歌声と共に展開され、オーガニックな深緑のイメージに身体性を付与してやまない。ベルナルデスの歌声は風のように獰猛かつ気まぐれで、彼の爪弾くクラシック・ギターの音色と共に伸びやかな大地を演出する。聴き手には広大な草原のイメージが想起されるだろう。青々とした草原の上であなたが微睡む間も、気まぐれなララバイは素知らぬ顔で通り抜けていく。

『Mil Coisas Invisíveis』が一級品のララバイであることには、ベルナルデスによる優れたサウンド・デザインが大きく寄与している。本作には全編に渡ってリバーブが加えられているのだが、その濃淡は楽器ごとに異なっているのだ。「Realmente Lindo」では、ベルナルデスのボーカルをはじめとしたあらゆるチャンネルにリバーブ処理が施されている。その中でも、曲が壮大なパートに差し掛かるたびにスプリング・リバーブが奥の方でぴちゃぴちゃ鳴っているのが、やたらと耳に残る。これがパーカッションの打音に施されていたものだと明確に判明するのは、音数が絞られたラストに差し掛かってからだ。アルバム後半に仕掛けられた優美なバラード、その名も「A Balada de Tim Bernardes」の前半部では、クラシック・ギターの音色がスプリング・リバーブ特有の水音を帯びているのが分かるだろう。

スプリング・リバーブの跳ねるような水音。これは壮大な草原のイメージに澄み切った湖畔の静けさを合流させるのと同等かそれ以上に、『Mil Coisas Invisíveis』が有する多層的な構造を前景化させる。リバーブの多層的なプロダクションは瑞々しいままにパッケージングされ、より一層ベルナルデスの歌声が強調されるような作りになっている。いみじくもそれは、草原でギターを構えるベルナルデスと壮大なパーカッションやストリングスの響きを対比させ、聴き手であるあなたはその声をより親密に感じるだろう。本作のダイナミックなサウンド上の揺らぎを、朗らかに揺れるゆりかごのアナロジーとして解釈するのは、論理的にも感覚的にも妥当であろう。緻密なプロダクションに裏付けられたララバイは、かくしてあなたを深緑の大地のイメージに格納するのだ。(風間一慶)


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